一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

<当ブログではアフィリエイト広告を利用しています>


娘の母であり、母の娘である私

f:id:tsukikana:20170227183915j:plain

 

早春の柔らかい日差しには、母性のようなものを感じる。包まれて、安心していつまでもウトウトしていたい甘やかさだ。懐かしい気持ちになり、しばらく浸っていたくなる。少し風邪気味ならなおさらで。

 

風邪をひくと、特別な匂いがずっと鼻についていることがある。私の場合、2種類あり、今鼻についているのは好きな方の匂いだ。学校を休んで布団で寝ていたときの気分がよみがえってくる。体はだるくてちょっと辛いのだけど、なんとなく平和で幸せな気分。今は遠くに住む母への、恋しさを覚えるような気分。

 

二人の娘を育てている間、私は本当に楽しかった。でも私の母は、私を育てながらどうだったんだろう。そんな風に考え始めると、あまり良い娘ではなかった私は申し訳なさに身がすくんでしまう。風邪をひいた日に優しくしてもらった記憶が、私の目頭を熱くする。

 

母と娘。いろいろな形があるとつくづく思う昨今だ。

 

一昨日、姪の結婚式に参列した。赤ちゃんの頃から見てきた彼女が、28歳の美しい花嫁になったことに、理屈抜きに感動した。

 

自分の長女の結婚式では、出番も多く緊張していたためか、思っていたほど感情は乱れなかったのだけど、今回は油断していた。毎年、年に何度か会ってきた姪とのこれまでの交流が、走馬灯のように思い出されてきて、涙が止まらなくなってしまったのだ。これには我ながらびっくりした。

 

極めつけは、花嫁からの両親への挨拶。私はもう、義姉の気持ちをそのまま感受するかのように、泣き続けた。

 

お母さん、ごめんね。そしてありがとう。

 

それは、ティーンエイジャーの頃、母への反発を繰り返した姪が、この旅立ちの日に改まって素直にお詫びをし、衝突はしたがそれでもいつも応援してくれたのはお母さんだったと感謝し、心からの愛を伝える、キラキラした言葉たちだった。

 

私は最初、自分は母の立場でそれを聞いて、感動して泣いているのだと思った。でも、どうも違うようだ。実は娘の立場で姪の思いを感受し、姪の言葉に共感していたのだ。

 

できることなら、人生の大切な節目の日に戻り、私も母に謝りたい。そして感謝の言葉とともに愛を伝えたい。

 

お母さん、ごめんね。そしてありがとう。

 

結婚式には遠くに暮らす娘夫婦も参列。我が家に2泊していった。賑やかで忙しい数日が終わり、今また落ち着いて、楽しい思い出が増えたことに感謝している。

 

テーブルの上には白い花。次女が結婚式のブーケトスでキャッチした花束だ。お友達を差し置いて身内がもらってしまったことに、次女本人は困惑していたのだけど、反射的に手を伸ばしてしまったのだ。お花は地面に落ちなくて嬉しかったのではないかな。

 

そして母である私は、そんな次女を見つつ「あなたもいつか嫁ぐ日が来るのかしらね」と、ちょっと複雑な思いで花の水を替えている。鼻についている風邪の匂いがまだ消えていないことに、少し安堵しながら。

 

あるHSPの小さな決意―この「生きづらさ」を減らしていこう!

f:id:tsukikana:20170214172322j:plain

 

HSPについては先月に書いたが、この概念のことを教えてくれた友人から、先日一冊の本を借りた。

 

彼女は体調を崩したときドクターからHSPの可能性があると指摘され、自分でいろいろ調べたそうだ。図書館で何冊か本を借り、その中で手元に置いておきたいと思い、購入し直したというのが『「敏感すぎる自分」を好きになれる本』(長沼睦雄著:青春出版社)で、今回その大切な本を貸していただいた。

 

読んでいるうちに、私はほぼ間違いなくHSPだろうと思った。そしてこれまで感じてきた「生きづらさ」がこの気質によるものであるのなら、今後どうしていったらいいのだろうと、改めて考えてみようと思った。

 

先日書いた記事と重なるが、HSPとはHighly Sensitive Personsの略で、とても敏感な人、という意味に直訳できる。アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が自著で提唱した概念で、その本『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』 (SB文庫)は世界的な大ベストセラーになり、HSPという概念は衝撃をもって世界の人々に迎えられたのだという。

 

HSPはどの社会にも15~20%の割合で存在すること、後天的ではなく生まれ持った気質であることが説明されており、敏感さゆえに現代社会で不当に低く評価されがちな気質だが、決して劣った人間などではなく、むしろ豊かな感受性に恵まれ創造性に富み、高い能力を持ち、繊細で深みのある人たちが多いのだと、アーロン氏は主張しているそうだ。

 

5~6人に1人はいることになるHSP。みんな、過剰とも思える自分の敏感さ、繊細さに悩むことが多かったに違いない。だから、この概念を認識することで自分の苦しみの理由を知り、その主張を読むことで自信を持つことができると思った人も多いだろう。アーロン氏の本は読んでいないが、私もHSPの存在を知ることで心がラクになった一人だ。

 

私が「生きづらさ」を感じる一番の要素は、すぐに疲れてしまうこと。周囲を見渡せば、どうやらみんな、さほどでもないらしい。他の人たちはこれくらいのことで疲れないんだ、私はきっと虚弱なんだ、とずっと劣等感を持っていた。

 

しかし、HSPはそうでない人の何倍もの刺激や情報を取り入れながら生活しているということなので、そういうことならば非HSPの人より疲れやすくて当たり前だったのだ。

 

私は仕事柄、取材をすることが多かったのだが、思えばずっと取材申し込みの電話が苦痛だった。何時ごろ電話するのが一番迷惑にならないだろうか、などと悶々と悩んでしまうのだ。通話中も、電話の向こうの相手の様子を、その声や背後の音などから細かに推察し、不安な気持ちを相手に悟られないよう、自然に話をすることに一生懸命心を砕いた。すごく疲れた。

 

また、内容的に強い緊張を伴うような取材の場合、何故か出かける前に猛烈に眠くなった。緊張しているのに眠いってどういうこと?と自分で自分が不思議だったが、まるで体がこれ以上の刺激は受け付けないよと、神経をプツンと切ってしまったかのようだった。それはきっと、パニックにならないようにするための自己防衛だったのだ。

 

誰かと会って話すのは嫌いではないし、好きな人とは何度でも会いたいのだが、会った後は本当にグッタリと疲れてしまうのが悩みだ。楽しいのに消耗する。別れた後に頭がクラクラすることもよくある。相手が苦手な人であればなおさらで、家にたどり着いた途端、倒れ込んでしまう。自分はなんて弱いんだろうと、悲しかった。

 

そうか。HSPだからだったんだ。
しかも5~6人に1人は同じ仲間。

 

そうわかると、心からほっとしたのだ。心を鍛えようと努力しても「疲れていないフリ」「気にしてないフリ」ができるようにしかならず、実際は「やっぱりとても疲れやすい」自分を持て余し、自己嫌悪に陥っていたから。

 

でも本当に5~6人に1人もいるの?気づかないだけ?

 

本を貸してくれた彼女とランチをしながら、冗談で「わたしたち、まるで超能力を隠して生きているエスパーみたいだね」などと笑っていたのだが、あながち冗談とも言い切れない。この気質を持っている人は、社会生活をする中で、自分の気質を人に悟られないように生きている人がきっと多いはずだ。それこそが、繊細気質そのもの以上に「生きづらさ」の原因になっているのではないだろうか。

 

HSPの特徴のひとつに「良心的である」というものがある。自分で言うのもなんだが、本当にそれはその通りだと思う。

 

誰かに気を遣わせてしまうのが心苦しいし、自分のために物事が滞るのは申し訳ない。つい、相手の期待に添いたいと反応してしまう。

 

だから、大きな音にすごくびっくりしてもそれを隠すし、長時間の話し合いに頭がボーッとしてきても我慢する。また、人が話している内容を先読みできても、その場の空気を乱さないよう慎重に控えている。ただでさえ気質的にストレス耐性が低いのに、良心的であるがために自分のその気質を隠し、さらにストレスをため込んでしまうのだ。

 

「人の気分に左右されやすい」という特徴もある。これはもう、実感。本当に普通に、いつも周囲の気分の影響を受けてしまっている。

 

そばにいる人が常に機嫌の良い人ばかりならいいのだが、そんな人はまれだから、しょっちゅう不機嫌や悲しみ、困惑や強い怒りなど、ネガティブな感情を過敏なセンサーでキャッチして、いつもダメージを受けている。慣れっこになれたらいいのだが、できるのは「慣れたフリ」をすることだけだ。ちなみに私が一番キャッチして具合が悪くなるのは「意地悪な感情」だ。

 

負の感情をキャッチ(それはもう、押し寄せて流れ込んでくるようで、本当に防ぎようがない)してしまったとき、まず私が恐れ、構えるのは、キャッチしてダメージを受けてしまったことを相手に悟られることだ。悲しいことだが、経験上知っているのだ。誰かがダメージを受けて弱っているとき、そこを狙ってさらに痛めつけようとする人が、少なからずいることを。

 

この自分を守るための反応と、前述の良心的な特徴とで、私は自分の繊細気質を隠そうとする経験を重ね続けてきた気がする。そのことによって、「生きづらさ」をますます強く感じるようになってしまったと思うのだ。そんな風に感じるのは私だけだろうか。

 

さてさて。

 

でもせっかく生まれてきたのだから、「生きづらさ」を我慢してばかりの人生なんてつまらない。お借りした本には、HSPとはどういうものか、という詳しい説明とともに、HSPの生きづらさを解消するための方法も紹介してくれている。「知る」「対応する」「心構えをつくる」という三つの柱だ。

 

「知る」は、自分の抱えるHSP気質について、よく観察して知ること。HSPと一言で言っても、その敏感さの中身や度合いは人それぞれだからだ。自分は何に対して敏感なのか、どんなときに心が動揺し、どんな場所に行くと具合が悪くなるのか、「対象」と「傾向」をわかっておくことが大切ということだ。

 

「対応する」は、まず、少しでも暮らしやすくなるための準備をすること。気質による不調を招く自分にとっての「刺激」を、あらかじめブロックできる場合はなるべくそのようにし、自分が活動しやすい環境をできるだけ整えるということ。そのためにも自分の状態を確認するクセをつけるといいようだ。

 

次の対応は、セルフケアを意識的に行うということ。自分を悩ます「刺激」を防ぎきれなかったときでも、「その後の対策」があれば安心だし、その安心感が過剰に「刺激」を恐れることをなくしていってくれる。自分を労わる方法を知り、積極的に行うことが大切なのだという。

 

セルフケアも人それぞれ、合うものが違うようだ。睡眠、入浴、食事の改善、ヨガ、ストレッチなどいろいろあるが、私の場合はアロマセラピーとホ・オポノポノ、それと散歩かな。ハーブに触れたり、文章を書くことも力になりそう。要するにこのブログそのものだ(笑)。

 

三つ目の「心構えをつくる」は、心の奥底に「生きづらくてもこのままでいい、変わりたくない自分」が潜んでいる可能性もあるので、そのような「心理的逆転」を乗り越えよう、というもの。変わることへの不安や、自己評価の低さから、「変わりたい」と言いつつも変わることを拒んでいる場合が、HSPに限らず結構あるようだ。人の心とは、本当に奥深いものだ。

 

HSPであることも含めた自分をすべて認めた上で「生きづらさを捨てていいんだ」と、自分自身に言い聞かせ、覚悟を決める。・・・これはなかなか簡単にはいかないかもしれないが、大事なことなんだろうと思う。

 

この本には、HSPが陥りやすい「困ったこと」への具体的な対処法も示されているほか、家族や友人など身近にHSPがいるという人に向けても、HSPを理解し付き合っていくための方法が紹介されている。特に子育て中の人で自分の子がHSPの可能性が高いと感じている人には、是非読んでもらいたいと思った。

 

HSPは「生きづらさ」も感じやすいが、すぐれた特性でもあると、今はもうわかる。そしてその「生きづらさ」もある程度まで制御できそうだということも。

 

病気ではもちろんなく性格とも違うので、治したり変えたりしようがないのだから、この先の人生、上手に付き合っていかなくてはね。いやむしろ、自己肯定し、HSPであることを楽しんで生きていきたい。

 

欲しいのは水のある風景

f:id:tsukikana:20170206171601j:plain

 

三寒四温という言葉を口にしたい季節になった。ふと寒さが緩み、そのまま数日間、温もりを感じられる日が続く。スニーカーを履いてちょっと遠くまで歩いてみようか、と思う日が最近増えた。

 

この町に引っ越してきてまだ1年ちょっとなので、Google Mapで我が家の周辺を見ると「どんな所だろう?」と興味を持つ場所が結構ある。お日様に背中を押されて、好奇心のままに足を延ばすのは実に楽しい。

 

こんな所に池が?

 

先日はそんな発見があった。日を受けて水面がきらめき、水鳥の親子が逆光の中、微笑ましい姿を見せている。思わず足を止めて見入ってしまう美しさだ。家から20分ほど歩けば、こんな景色が見られるのかと、少し嬉しくなった。

 

近所を流れている川も、その両岸の緑道をよく歩く。せせらぎを聞きながら歩くのも気持ちが良い。同じ川でも季節や時間や場所によって、様々な表情を見せてくれる。

 

水のある風景が昔から好きだ。海はもちろん、湖や池、泉や川をそばで見ていると、じんわり心に効いてくる。そこにはきっと光もあるし、風や土や木もほぼもれなく付いてくる。これだけのエレメントが揃えば、和みたい心は和み、弾みたい心は弾むことができるのだ。

 

人工的な噴水やプールでさえ、水のある景色には他にない魅力を感じる。水は、最も単純に「自然」を感じられるものだからだろうか。生物としての本能なのだろうか。まさに心を「潤す」のが水辺だと思う。心も乾くものだから。

 

以前は街歩きも大好きだった私だが、最近はあまり都会の風景に浸りたいと思わない。人が多いと疲れる、とまず思ってしまう。綺麗なものは見たいけれど、それは都会よりも自然の中に多く見つけることができると、今は感じている。街中にいても、ふと目をやるのは緑の多い場所だったりして。

 

年をとったせいかもしれないし、賑わいに飽きたのかもしれない。もしかしたらまだ、少し病んでいるのかな。20歳くらいの頃、母とデパート巡りをして服を買ったりしたのは、とても楽しい思い出だけど。

 

今の私は、歩くなら自然を感じる場所が嬉しい。そして、その道中に是非欲しいのは、水のある風景なのだ。何も考えず、ただ見ていたい。深く呼吸をしていたい。

 

心の中の「秘密の花園」

f:id:tsukikana:20170131181449j:plain

 

もしも私が家を建てたなら
小さな家を建てたでしょう

 

という歌があった。小坂明子の『あなた』だ。私はまだ子どもで、自分もいつか家を建てるのかな、どんな家を建てようかな、などと無邪気に憧れていた。そして、家とセットで「庭」のことも大切に想像し、夢見ていた。

 

バーネットの『秘密の花園』が今でも好きで、秘密にしたいとは思わないものの、自分好みの庭を思う存分造れたらどんなに素敵だろう、と思っている。

 

私の父は公務員で転勤族だった。幼い頃はよく転居していたのだが、集合住宅ばかりでなく戸建ての官舎に住んでいたこともあり、そのとき一度だけ、花壇造りを経験した。小学校3年生か4年生のときだと思う。

 

母が「好きな花のタネを撒いていいよ」と言ってくれたので、数種類を撒いた。しかし、その後すぐに大雨か台風が来て、小さなお花畑は流されてしまった。悲しかったけれど、子どものことだから、そのうち忘れてしまったのだと思う。

 

ところが、庭の片隅、花壇からは遠く離れた場所に芽が出て育っていたのだ。ある日、その姿を発見して大喜びしたのを覚えている。触れると葉を閉じ下を向く「オジギソウ」だった。(わりと地味な植物が好きだったみたい)

 

ベランダの鉢植えでは味わえない経験だ。タネを撒くという行為には、すごく開放的なイメージがある。もしも私が庭を造るなら、色とりどりの自生の草花が素朴に楽しめるような、ワイルドフラワーガーデンをメインにしたいと思う。

 

あとは、薔薇と葡萄とハーブのコーナーが欲しい。神戸布引ハーブ園とかブルーボネットとか、まだ見ぬ紫竹ガーデン陽殖園などなど、参考にしたいガーデンがいろいろあり、考え出すと止まらなくなる。庭の前に家だろ、という話ではあるが。

 

私の心の中の「秘密の花園」は、常に未完成な状態で、完成形を夢見て作業している時間こそを、楽しんでいる。薔薇も葡萄もハーブもあるが、そこでは植物以外の「美しいもの」「面白いもの」もたくさん育てていて、それは私の愉しみであるだけでなく、生きる糧でもある。

 

青春の頃に気まぐれに教えてもらった父と母のロマンスだとか、弟にねだられてその場で作ったお話「ぴょん吉の大冒険」(ぴょん吉は弟の枕の名前だった)とか、幼い娘たちに贈った詩や歌とか。夫と見た夢のコーナーや、好きなことわざのコーナーもある。

 

広く開放的なガーデンは多分これからも、心の中だけでしか持つことはできないが、小さなベランダの鉢の植物たちも大好きだ。この季節は彩りがなく少し寂しいのだけれど、間もなくフリージアが蕾をつけるだろう。ローズマリーやタイムなどのハーブたちも、元気に冬を越そうとしている。

 

明日から2月。春はもうすぐだ。愛を込めて、心の花園にも新しいタネを撒こうかな。

 

人生の棚卸しと青春のお葬式

f:id:tsukikana:20170124161717j:plain

 

空想癖のあった少女時代、私はよく物語を書いていた。童話やおとぎ話のようなもの、ミステリーやSFのようなもの、冒険物語のようなもの、などなど。チラシの裏やノートに綴っていたのが、いつの間にか原稿用紙に書くようになり、それからずっとずっと、私は原稿用紙が大好きだった。いつか、自分の名前の入ったオリジナルの原稿用紙を作りたいと夢見ていた。

 

一昨年の暮れに引越しをしたとき、服や靴、本やCDなどの断捨離はしたのだが、自分が書いてきた原稿にはほとんど手が付けられなかった。取捨選択をするにはまず、読んでみなければならなかったからだ。ただでさえ忙しい中、そんな時間は取れなかったし、どうせ向き合うならじっくりと心を傾けたかった。同じ理由で諦めた写真アルバム同様、ひとまとめにして段ボール箱に突っ込んだあの日。

 

最近になって「また物語を書いてみよう」と思いたち、PCに向かっているうちに、ふと昔の自分がどんな物語を書いていたのか読み返してみたくなった。そして、引っ張り出してきた原稿用紙と今、格闘している。

 

恥ずかしすぎる。

 

一刻も早くこの世から消してしまいたいくらいだ。ショートストーリーやエッセイ、詩もあった。感傷的で独善的な代物が多い。どうして後生大事にとっておいたのだろう。この機会に断捨離だ。

 

耳まで熱くなって恥じらいながらも、なぜか熱心に読んでしまう私。懐かしいのだ。原稿用紙に向かっていた自分の姿が目に浮かび、当時、どんな日常を過ごしどんな夢を思い描いていたのかが、次々よみがえる。高校時代、短大時代、社会人になってから・・・

 

 ――どうなるものか、この天地の大きな動きが。
 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになってしまえ。
 武蔵は、そう思った。

 

ある原稿用紙に綴られた文章。これは、吉川英治の『宮本武蔵』の冒頭だ。

 

フラッシュバック。不安で怖くてたまらないのに、夢中で楽しい、疾走するような気分。これを書き写していた頃の自分がどんな状況だったかを、一瞬にして思い出した。長い小説を書こうと決めた23歳のとき。手近にあった文庫本から、最初の書き出し方を勉強しようとしたのだった。

 

就職して3年、どうしても「書く仕事」に就きたくて、アパレルの会社を退職。貯金と失業保険の給付金で生活できるうちは、とにかく書くことに集中したいと、毎日図書館に原稿用紙を持って通っていた私だった。

 

無謀で浅はか。けれど、目標に向かってまっしぐらだったあの頃の自分が、懐かしくも愛おしい。そして、自分の作品に目を戻せば、それなりに工夫した表現が好ましく思え、今の自分にはない感性を羨ましく感じたりもする。

 

この断捨離はやっかいかもしれない。スパッと処分しようと思っていたのに、自分の歴史が刻まれている文章たちを簡単には葬り切れない。

 

そこで、とりあえずテキストデータにして、現物を捨てる方針にしてみた。タイプしているうちに、耐えられない恥ずかしさを感じたもの、意味が不明すぎるものは、タイプするのも止めて残さず捨て去ろう、とルールを決めて打ち込んだ。そのうちに、思い出の中にもすっきり手放してしまいたいものが意外に多いことに気づく。たとえ懐かしくてもだ。

 

私という人間の中の、この要素はまだ大事にしておきたいが、この要素はもう不要。この発想は再利用してみたいが、この考え方はあり得ない。

 

それは単なる思い出ではなく、成長の記録でもなかった。一人の人間がどんな人生を送ってきたか、どんなものからどんな影響を受け、何を宝とし、何を愛し何を憎んできたか。文章というものが自分の内面を照らし出す性質であるために、この断捨離はまるで人生の棚卸しだと思った。そして、捨てきれなかった若き日の気負いや執着との決別。激しい言葉にしてしまえば、青春のお葬式。

 

物語を・・・書こうと思ったのにな。

 

机の片側に積まれた原稿用紙の山を眺めて、思わず苦笑する。でも、この棚卸しとお葬式は、思い立った今、きちんと済ませておこう。心を込めて。そうしてその後で、自分の棚に残された宝物を使って、澄んだ気持ちで新しい物語の世界を綴っていこうと思う。

 

不寛容の時代の空を見上げて

f:id:tsukikana:20170117183517j:plain

 

冬の朝、張り詰めたような大気の中で、空を見上げるのが好きだ。なんというか、この深いブルーはとても純度が高い気がする。白い息を吐き、冷たい空気を胸に入れると、心の奥まで換気ができたようで嬉しくなる。寒いけれど。

 

3年前の今頃、私は精神科の門を叩いた。うつ病と診断され、その後、9か月間通院する。その頃のことは思い出すのも辛いので、あまり考えないようにしてきたのだが、この頃になって「どうしてそうなっちゃったんだろう?」と分析めいたことをするようになった。まあ、落ち着いてきたということだろう。

 

トラブル対応の多い仕事の忙しさとか、ホルモンバランスの乱れなど年齢的なものとか、様々な要因が重なって弱っていたところに、ある手術をしたことが引き金となったのだろう、とドクターは言ったし、私もそうだと思った。ただ、私はそれとは別に、原因として自分の感受性の変化を強く感じるのだ。

 

「人の悪意」に対する感受性である。以前は受け流せたり、気にも留めないでいられたものを、ある時期を境にひどく鋭敏に受け止めてしまうようになった気がする。

 

それはショッキングな光景だった。ある男性上司が男性部下を人前で罵倒する日常。私は派遣社員としてそのチームに配属になったのだが、私が業務を飲み込めないでいると、そのことでも上司は私でなく、その部下を罵った。私の席の真後ろで、フロアに響き渡るような大声で。いたたまれなかった。

 

派遣会社の担当や職場の同僚にも相談したのだが、改善はされず、むしろそれを問題視する私が煙たがられているようだった。怒声が響いても知らん顔で仕事を続ける周囲の人たちにも、私は戦慄した。こんなパワハラ、放っといていいの?

 

その次の職場は嘱託社員という立場だったが、ここでも数々の違和感を覚えた。ただ、以前の私だったら気にしなかったり、乗り越えられた程度のものも多かったはずだ。

 

つまずくと想像以上にダメージを受け、それを引きずったまま次の問題を抱えてしまう。蓄積される挫折感の背景には、「人の悪意」に対する感受性の強さがあったと思う。それは、直接自分に、という場合だけでなく、誰かが誰かに黒く淀んだ感情をぶつける現場を見ても、真っ直ぐ立っていられないほど苦痛に感じた。

 

辛いことばかりではなく、素晴らしい人との出会いや企画が実現したときの喜びなど、やりがいも少なくなかった職場だが、心身に不調をきたして私は退職し、手術・入院をし、静かな職場に転職した。でも、そこにも予想していなかった悪意があったのだ。

 

おかしい。多少の悪意なんて、これまでもどこにでも、あったはずだ。むしろ、私は人間関係での悩みは少ない部類に属していたと思う。人懐こいとさえ言われることもあった。わりと誰とでもうまく付き合っていける人間だったはずだ。

 

でも、本当に?

 

「つきかなさんは、もしかしたらHSPなのかも」

 

ここ数日、メールでやり取りをしている若い友人にそう言われて、ちょっと調べてみた。

 

HSP(Highly Sensitive Persons)は、非常に感受性が強く敏感な気質を持つ人のことで、米国の心理学者が2000年に提唱した新しい概念とのこと。5~6人に1人はHSPらしく、特に日本人は多いのだとか。

 

自己チェックというものがあったので試してみると、23項目中20個があてはまった。12個以上でHSPの可能性が高いということなので、私は多分、それだ。

 

よくよく思い出してみれば、私は決して社交的な子どもではなかった。人付き合いも苦手だったし、親からは「感受性が強すぎる」とよく言われていた。社会生活をする中で、人とのコミュニケーションへの苦手意識は大分克服してきたが、大人になってからだって決して得意ではなかったし、周囲の優しい人たちのおかげで少し上手くやれるようになっただけのことかもしれない。私は本当に、これまで人に恵まれてきたのだ。

 

もともとHSPだったのだ、と思うと、名前が付いたことで少し気が楽になった。この資質を持つ人には耐え難い刺激が立て続けに加わった。そのために、私の場合は発症に至ってしまったのではないだろうか。

 

HSPは病気ではなく、生まれ持った特性とのことだ。教えてくれた彼女もHSPの可能性が高いらしいが、彼女はとても魅力的な素敵な女性である。この特性を持つことを嘆く必要はないと、彼女のおかげで素直に思える。自分の個性の一つとして受け入れていこう。

 

それにしても、昨今はいろいろなシーンでとげとげしい雰囲気を感じることが増えたと思う。不寛容な社会、というワードもよく目にするようになった。

 

他人に腹を立て激しく攻撃する。些細なことでも糾弾せずにはいられない。時に正義の仮面を付けて、時にはあからさまにモンスターとなって。

 

そういうことに慣れ、図々しくふてぶてしく生きることを「強くなる」と言うのなら、私は強くならなくてもいいな。こんな不寛容な社会はおかしいし、誰だって息苦しいはずだ。

 

そういう時代、ということなのだろうか。これまで私が出会ってきた優しい人たちは、今のこの空気をどう思っているのだろう。どう感じているのだろう。

 

そんなことを考えながら、真冬の空をまた仰いだ。ピュア過ぎて、涙が出そうだった。

 

宇宙へ想いを馳せる時間

f:id:tsukikana:20170110165857j:plain

 

とても久しぶりに点描曼荼羅画を描いた。

 

去年の11月に『借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ』(小池浩著:サンマーク出版)電子書籍で読んで、「宇宙の法則かぁ…」とつぶやき、「またマンダラさんを描きたいな」と思い、ようやくそれを実行したという次第。

 

黒い紙に無数の光の粒を置くことで大いなる宇宙の広がりを実感し、その時間を過ごすことで心の状態がニュートラルになった、という記憶がよみがえったからだった。「宇宙」からの連想での曼荼羅画だったわけだ。

 

ところで、この本は新聞広告で見つけたのだけど、そこに書かれていた

 

「無理、できない」「やっぱりダメか」、宇宙へのマイナス「オーダー」をやめろ!

 

というコピーが、妙に引っかかったのを覚えている。最近それに近いセリフをよく口にしている夫に読ませてみたくなり(心配だったから)、彼の同意を得て購入に至ったのだった。

 

変なタイトルだし、なんだかノリが軽いし、このコピーがなかったらきっと素通りしていたと思う。もしも口ぐせが「オーダー」だったら?という動揺と、「宇宙」って人の気持ち(意識)とどうつながっていると考えたらいいの?という興味で、私自身も是非、読んでみたくなったのだ。

 

結果から言えば、読んで良かった。多額の借金を無事完済した著者の実話ということで、どのように宇宙の力を借りて、奇跡のような幸運を引き寄せたのか、とても興味深く読めたし、この手の本としては軽快なスタイルの文章と構成で、大変読みやすかった。

 

著者の脳内イメージである「ドSの宇宙さん」も面白いキャラで楽しかったし、何といってもこの宇宙さん、思わずメモをとりたくなる「ナルホド!なヒント」をたくさん伝えてくれたのだ。夫も私も、二度読んでしまった。

 

それからいつも、なんとなく「宇宙」のことを考えていた私だったが、ふと、二十歳前後に読んだ筒井康隆の『エディプスの恋人』を思い出した。そこで先日、書棚の奥から探し出して、古い文庫本を読み返してみたのだ。

 

そこに描かれていた、全宇宙を支配する「母なる意志」の存在、というものに、当時かなりショックを受けた覚えがあるのだが、哀しいかな、感性が摩耗した現在、さほどの感銘は得られなかった。なるほど、こういう話だったっけ。

 

でもそうか、あの頃から「宇宙」には遍在する「意志」があり、それを感じる人間が古今東西、さまざまな「全知全能の神」として信仰してきたのかなあ、なんて考えるようになった気がする。ちっぽけな人間には、それが真実かどうか突き止めることなんて、到底できないのだろうけれど。SFは想像力を刺激してくれて面白い。

 

さて、そんなこんなで今回のマンダラさんである。これまでは主に15cm四方の紙に描いていたが、今回は27cm四方にトライしてみた。大きい分、たくさん点を打たねばならず、時間がかかったが、外への広がりを表現しやすくなり、仕上がりが近づくにつれ、嬉しくてたまらなくなってきた。

 

直感で線を引き、円を描き、色を選び、点でグラデをつけながら塗っていく。プラネタリウムでかかっているようなヒーリングミュージックを聞きながら、平穏な精神状態になっていくのを感じる。

 

私の場合、どうしても幸せを願いながら、祈りを込めながら、の作業にはなってしまう。自分のこと、夫のこと、娘たちのこと、親たちのこと、友人たちのこと。私の大切な人たちが問題を抱えていることが心配で、皆、幸せでいてくれますように、と思わずにはいられない。私の宇宙に愛を込めて「オーダー」するのだ。

 

私にとっての点描曼荼羅とは何だろう。祈ったり、誰かを心配したり、雑念も湧いてくるのだが、時折「あれ?」という感じで、「今、無我の時間が訪れていたよね」と気づくことがある。瞑想状態だったのかもしれない。

 

そんなとき、不思議な思いとともに、肌感覚で「宇宙」を感じられた気がして、もっと言えば大いなる存在に守られているような気がして、私はとても満ち足りた気持ちになる。

 

出来上がった曼荼羅画は、今回初めて壁に飾ってみた。どうしてだろう、心の中に「自由」という言葉が浮かんだ。

 

今年もウニヒピリとともに

f:id:tsukikana:20170104230657j:plain

 

ホ・オポノポノについては、以前一度書いたことがあるが、実はあれからずっとその「クリーニング」を続けている。私のクリーニングツールは、例の四つの言葉、

 

ありがとう。
ごめんなさい。
許してください。
愛しています。

 

を心で唱えるというもの。

 

それから、白く柔らかなパウダーブラシを思い描き、何か問題が起こるなどして立ち上がってきた感情や、不安な気持ち、連鎖するように思い出す過去の出来事などに向けて都度都度、清らかな微粒子パウダーを優しくポンポンと振りかける(想像で)というもの。

 

もうひとつ好きなのは、

 

アイスブルー。

 

とつぶやくこと。氷河の青色を想像しながら。その後で、手近にある植物にそっと触れる。心に痛みを覚えるような体験をしたときは、このクリーニングの方法が私にはよく効く気がする。

 

スピリチュアルなことにちょっと距離を置きたい私が、そーっと足を踏み入れた世界だったのだが、その日から結局、毎日クリーニングをしてきたのだ。そんなに面倒なことではないし、綺麗な言葉をつぶやいたり心で唱えたりするだけだから、朝起きてうがいをするがごとく、普通に習慣にしてしまって気持ちが良かった。

 

ところが、ところが、なのである。

 

去年の夏頃からか。まあ、いろいろな出来事があったという背景もあり、私は少し熱心にクリーニングをするようになった。ホ・オポオポノについて、ちゃんと本も読んで理解を深めようともした。そして、ウニヒピリを大切にすることこそが、一番大切なことなのだと知るに至った。

 

ウニヒピリ。

 

潜在意識のことを、ホ・オポノポノではそう呼ぶ。私たちは、自分というものは単独の存在だと思っているが、実は三つの意識の集合体であると、ポノでは考えている。普段、これが自分だと考えているのは表面意識である「ウハネ」。それと、超意識である「アウマクア」があり、潜在意識の「ウニヒピリ」がある。この三位一体こそが私という人間なのだ。

 

ウニヒピリはもちろん、誰の中にもいて、この宇宙全体の記憶のすべてがそこに保管されているということだ。そして、私たちが抱くあらゆる感情というものは、このウニヒピリの持つ記憶の再生によるものである、というのがポノの考え方なのである。

 

ポジティブであれネガティブであれ、ウニヒピリが見せてくれるのは大事な感情。その感情をクリーニングしてゼロになりましょうと、ウニヒピリは一つ一つそれらを見せて、クリーニングを促しているというのである。あらゆる執着や期待から解き放たれた状態こそが、自分にとっての幸せなのだと、ウニヒピリはちゃんと知っているから。クリーニングしてゼロになれば、何物にも邪魔されず、最適なタイミングでインスピレーションを受け取ることができるのだ。

 

ウニヒピリは私自身であり、私の幸せを願ってくれている。だから、その存在を尊重し、いつも愛を届けていれば、私が幸せになるために一緒にクリーニングをしてくれる。私にはわかりようのないその問題の原因となる記憶を見つけ出して、超意識のアウマクアに伝えて解決に導いてくれる。

 

だから、繰り返し繰り返しクリーニングをし、ウニヒピリに話しかけることが大切なのだと、本には書いてあった。

 

ウニヒピリは「内なる子ども」とも呼ばれていて、こんなにすごーい役目を担っているにも関わらず、なんとなく小さな可愛らしいシャイな天使のイメージなのだ。潜在意識なんて、言葉では知っていたけれど自分の中に感じたことなどなかったから、その存在に気持ちを向けたことはこれまでなかった。それを子どものようなウニヒピリは、どうやら寂しく思っていたらしい。

 

そこで、まずはその存在に気付いたことをウニヒピリに伝え、私の一部でいてくれたことに「ありがとう」。ずっと気づかなくて「ごめんなさい」。記憶があなたに蓄積され続けたことを「許してください」。どうかもう、あなたを苦しめるその記憶を手放してください。「愛しています」。基本はそういう気持ちで関わっていくのだろう。

 

それから私はただクリーニングするだけでなく、自分の中のウニヒピリに注意を向けて、話しかけるようにしてみた。「おはよう」に始まり、嬉しいことがあれば「やったね。なんか嬉しくなっちゃうね、ウニちゃん。・・・ありがと」、嫌なことがあれば「あーあ、空しいよね、ウニ。・・・愛してるよ」と、そんな感じ。

 

そうしていたら、変化があったのだ。少しだけど、小さなラッキーが続くようになった。

 

タイミングの良いことが多くなったし、人間関係での悩みが軽減された。また、やりたくてもなかなか動き出せなかったことに、曲がりなりにも手を付け始めている自分に気づいた。「そうか、これはそういうことだったのか!」と腑に落ちることが度々あったのも興味深い。

 

一番嬉しかったのは、古い友人から何年振りかで連絡があり、仕事を依頼してもらえたこと。それは、素敵な人たちとの出会いももたらしてくれたし、ライターという仕事が自分にとってどれだけ大事なものだったかということに、気づかせてくれた。本当にありがたかった。

 

ここ数年の私は「ああ、なんか転びそうだ」と思って本当に転び怪我をして「やっぱりね。そんな気がした」ということの繰り返しだった。「これじゃ、心病むわ」と思って本当に病んでしまったし、「この仕事は失敗しそう」と暗示をかけるがごとく暗いエネルギーを発し、本当にミスをした。更年期障害なのか、それとも何かに呪われているのか? 生きていることそのものが何かの罰のようにさえ感じたこともあった。

 

自分に自信が持てなくなり、この先の人生に希望など持てなくなり、人の励ましも素直に響かず、そんな自分が情けなくて、自分が大事に思えなくて、どうしていいかわからなくて・・・もう、できればどこかで冬眠していたかった。

 

そんな私がホ・オポノポノに出会って、ウニヒピリという自分の潜在意識を意識するようになって、自分を再び大切に扱うようになったのだ。自分の中に起こる感情に注意を向けて、嘆いたり抑え込んだりするのではなく、自分の中のもう一人の私に声をかける習慣がついた。

 

「うわあ、腹立つね、ウニちゃん。一緒にクリーニングしてくれる?」と。

 

そうして、私自身が息をしやすくなり、生きやすくなってきている。自分の中に、こんな味方がいたのか、私は孤独になることはないのね、と実感としてわかってきた。

 

ウニヒピリに話しかけることは全く面倒ではなく、むしろ楽しい。夜、寝る前に彼女と持つコミュニケーションのひとときは、今では私には欠かせないお楽しみタイムだ。落ち着き、心が休まり、気持ち良く眠りに入ることができる。

 

2017年が始まった。相変わらずスピリチュアルなことには一歩引いているし、特定の信仰も持たない私だけど、今年はこのままウニヒピリと心が通じ合えるように努めていきたいと思っている。

 

それが、今の私にとって最も適した問題解決法だと感じているから。

 

家族で過ごすクリスマスイヴ

f:id:tsukikana:20161223144017j:plain

 

サンタクロースを信じていたのはいつまでだったろうか。幼い日のクリスマスの思い出は、朝目覚めて、枕元に大きなチョコレートを見つけたときの感動、それが多分、一番古い。

 

夢見がちな少女だった頃は、外国の絵本に出てくるようなクリスマスの飾り付けに憧れていた私。我が家にはコンパクトなクリスマスツリーがひとつあり、それを目いっぱい飾り立てて悦に入っていたのを思い出す。真綿をちぎって雪に見立て、チカチカ光る色豆電球のスイッチを入れ、部屋の灯りを落とし、うっとりと眺めていた。

 

なんてロマンチックなんだろう、と。

 

父も母も堅実で質素だったが、子どもたちに夢を与える機会をたくさん用意してくれる人たちだった。若かった両親はモノクロ写真のようにしか思い出せないが、子ども心にも幸せそうで美しく輝いていたような気がする。世の中は高度成長期に入っていた。

 

物心ついた頃からずっと、クリスマスが大好きだ。クリスチャンでもないのにはしゃぐ日本人、と揶揄する声にちょっと哀しみを覚えながらも、私は私の好きなクリスマスを楽しむのだと、ずっとその思いを貫いてきた。ちょっと大袈裟か。

 

家ではクリスマスの飾り付けを担当し、いつもと違う食卓を演出したり、クリスマスソングのレコードも用意した。大切な家族と過ごす、年に一度の楽しいイヴだ。ちょうど2学期の終業式にあたることが多く、冬休みが近づけばワクワクが止まらなかった。

 

長じて高校生になり、友達の家で仲間とクリスマスパーティーをすることになった。私は家からツリーを持ち出して、手作りのクッキーを持って参加、びっくりするほど楽しかった。ただ、出かけるときに母と弟が少し淋しそうに見えて、チクリと胸が痛んだのを覚えている。勝手な私を許してね。こうして「家族で過ごすクリスマスイヴ」は終了してしまったのだった。

 

キャンドル。プレゼント交換。ドライブ。イルミネーション。シャンパンで乾杯……。年頃になれば、友達やボーイフレンドと過ごすのが当たり前になり、クリスマスの楽しみ方も変わっていった。それでもやはり、ロマンチックな気分になれなければクリスマスではないと、私なりの「こだわり」を大事にしてきたと思う。それは、穏やかな気持ちで大切な人と一緒に過ごす、ということだった。

 

やがて結婚して子どもが生まれ、またクリスマスツリーを買った。今度は小さな白いツリー。新しい「家族と過ごすクリスマスイヴ」が始まったのだ。幼い娘は瞳をキラキラと輝かせてツリーを見つめ、嬉しそうに私を見上げた。

 

人生にはステキなこと、楽しいことがいっぱいあるんだよ。

 

私はそれを、それこそを、娘に伝えたかった。もちろん、私もホームクリスマスをとてもとても楽しんだ。

 

人生にはステキなこと、楽しいことがいっぱいある。ここまで生きてきて、それは本当だと思う。しかし、一方で辛い局面もどれほどあっただろう。メンタル、かなりやられていたなあ。あんなにクリスマスが好きだった私が、ここ数年、ツリーを出す気にもならなかったのだから。

 

去年は、引越しをしたばかりで片付けに忙殺されていて、朝カレンダーを見て「あれ?今日イヴなんだ!」と驚く始末。長女が結婚して家を出て、初めての3人家族のクリスマスなのに、ケーキだけ慌てて買ってバタバタと過ぎてしまった。次女よ、ごめんね。

 

そして、今年である。明日はクリスマスイヴ。長女と婿どのが、遠い町からやってくる。

 

たまたまこのタイミングになったのだけど、妊娠5か月の戌の日に一番近いお休みのとれる日、ということでの里帰り。25日に安産祈願のお参りに行くことになったのだ。そう、長女のおなかには新しい命が宿っている。

 

3人から、いきなり5.5人のクリスマスイヴになった。若かりし日のように、張り切ってたくさんの料理を並べることはできないが、それなりにお迎えの準備を楽しんでいる。クリスマスツリーはとっくにスタンバイしているし、花も飾った。

 

肝心な私のメンタルも、家族や両親、友人の優しさ、仕事で出会った魅力的な人たちとの交流のおかげで、とても落ち着いてきている。

 

今年のクリスマスイヴ、穏やかな気持ちで大切な人"たち"と一緒に過ごせるのだ。なんて幸せなことだろう、こんな日がくるなんて。今日、自分に向かって声をかけた。

 

人生には、ステキなこと、楽しいことがいっぱいあるんだよね、やっぱり。

 

 Merry Christmas

 

ナチュラルでお洒落な「藤が丘マルシェ」が好き

f:id:tsukikana:20161206192021j:plain

 

この町に住み始めてそろそろ1年になる。面白そうな町だとは思っていたが、実際、期待以上だった。散策するたびに発見があり、好きな場所や催しを見つけている。

 

「藤が丘マルシェ early bird」もそのひとつ。年に数度、藤が丘の駅前商店街裏の広場で開催される朝市だ。先日の日曜日は冬マルシェの開催日だったので、夫と二人、オープンの9時に合わせて出掛けてみた。これが二度目。

 

マルシェはあちこちで見かけるようになってきたし、それこそ朝市なんていうのは昔からいたる所にある。藤が丘マルシェも、だから目新しい形態では決してないのだが、出店しているお店がなんとなく雰囲気が近い感じで、ナチュラルっぽくて洒落ているのが楽しい。皆、いわゆる大手ではなく、この界隈で営業している小さな店。そして、こだわりを持った商品を扱っている。

 

手作りベーグルの専門店や焼き立てタルトのお店には、9時前から長い行列ができていた。花と雑貨の店では、良い香りのする作りたてのクリスマスリースにどんどん人が集まる。英会話スクールのワークショップで子供たちが作っていたパネルは、とてもシックでかっこよかった。長久手で無農薬、無化学肥料にこだわった有機農法をしている農場からは、見るからに体に良さ気で美味しそうな野菜たちが店先に運ばれてきていた。

 

パン屋さんも雑貨屋さんも、デリのお店も絵本のお店も、皆、彩り豊かでセンスが良く、見ていて飽きない。20軒ないくらいの規模なのだが、1時間近く楽しんで見て回った。

 

住んでいる町の近辺に、こんなに素敵なお店がいろいろあるんだな、と知ったことも嬉しかったし、それぞれの実店舗を訪れよう、という楽しみも増えた。買ったことのあるお店を見れば応援したくなり、親しみの情が深まる。

 

今回はキッシュとケーク・サレとカヌレ、それからおにぎりに卵焼きとから揚げの付いたランチボックスを買い、お昼を楽しみにしながら帰路についた。次回は少し早く家を出て、ベーグルの列に並ぼうかな、などと思いつつ。

 

それにしても、よく賑わっていた。騒がしいというわけではなく、独特の華やぎがあった。笑顔が感じよくて感性の高さも感じさせる店員さんが多かったし、お客さんもお洒落な人が多かった気がする。

 

せっかくこんなに人が集まるのだもの、もっと頻度を上げて…そう、月一くらいで開催すればいいのにね、と夫と話した。お店の宣伝にもなるし、買う側もあちこち行く手間が省けて気になる店の看板商品をあれこれ買えるし。うん、これはいい催しだよね、と。

 

私にとっては、買い物をしに行くというよりも、好きな系統のお店が集まっている雰囲気を楽しみ、贔屓にしていきたいお店を見つけたり確認したりするために出向きたい、そんなマルシェなのだ。もちろん、収穫があればさらに喜びは大きく、次回への期待も高まる。

 

引越し準備であたふたしていた去年の今頃の私。その肩を叩いて、そっと教えてやりたい。

安心して。引越し先の町は、なかなか魅力的だよ、と。

 

藤が丘マルシェ

 

 (スマホを忘れて行ったため、写真が撮れず。上の写真は夫が撮ってくれたものです)