一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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財布を包む布。施した刺しゅうで金運、あがるかな?

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ずっと作ってみたいものがあった。全然難しいものではない。お財布の寝具、というか、包むもの。一枚の布でいいのだ。布端が、ちゃんとかがってあれば。

 

そんなの、すぐに出来るじゃない。なんで今まで作らなかったの?と言われれば、後回しにしてきた、としか返せないのだけど。

 

そもそも、何故、お財布の寝具?

 

それは、何年か前の人間ドックでの待ち時間、手にした雑誌の記事を見たことにさかのぼる。そこに書かれていた特集は、お財布の扱い方について、だった。

 

お金が貯まる人は、お財布をこんなふうに扱っている、という、割とよくある話だったが、そのときは時間がたっぷりあったためか、つい熱心に読んでしまって。で、お財布に対する自分の雑な扱いに、愕然としたのを覚えている。

 

レシートは入れっぱなしだし、お札の向きも揃えていないし、小銭で膨らんでてもそのままだし、カード類も何枚入れていることやらだし。それ、全てNGだから!

 

あかんわ、私。お金貯まらんわけや!(何故か関西弁風に)

 

お財布にもお金にも、アイデンティティがあって、大切にしてくれている人のもとへ行きたがるのは当然のことだと。そして、お金はあちこち旅をしている。あの財布は居心地が良いぞ、と、旅の先々でクチコミまで行うらしいのだ。

 

参ったな。私の財布、お気に入りではあるのだけど、お金さんには決して居心地の良い環境ではないみたいだ。私の財布はお金さんに嫌われてるかも?

 

私は猛省した。(ちょっと大袈裟)

 

そもそも、お金に対して「足りないなー」「もっと欲しいなー」と思いはするものの、あんまりお金、お金と考えるのは品がない、だとか、キッチリしすぎも計算高い感じでカッコ悪いだとか、私、すごく失礼なことを考えているヤツだった。お金って、人の心を惑わす汚いもの、くらいに思ってたかも。ネガティブに捉えることが多かった気がする。

 

ああ、お金さん、ごめんなさい!

 

その後、お財布の中を整えることは、少しはするようになった。

 

そういえば子どもの頃、母のがま口の中を小銭の種類別に整理するのが好きだったっけ、などと、何故か思い出したりして。お金は純粋に楽しくて、夢のある存在だったんだよね、私にとっても元々は。

 

さ。続いて、お財布さんにとっての居心地について。

 

外から帰って、バッグに入れっぱなしというのは、すごく良くないらしい。そのバッグを床に置いてしまうのは、ますます悪いとのこと。さすがに床に置いたりはしていなかったが、バッグに入れっぱなしは日常だったわ、私。

 

ああ、お財布さん、ごめんなさい!

 

お財布には、家の中にくつろげる定位置が必要らしい。あまり人の出入りしない静かな所が良いそうだ。ゆっくり休んでもらえるように、寝具のようなものを用意してあげればベストだと書いてあった。布で巻くだけでも良いそうだ。

 

去年、ふとこの話を思い出して、ハンカチでくるみ引き出しにしまうようにしてみた。

 

・・・うん、大切にしている感じが出てきたかも。気に入って買ったお財布だったのに、だんだんぞんざいに扱うようになってきてたよねと反省し、なんだか申し訳なく思えてきた。

 

そして今年になり、その申し訳なさを形にして、もう少しお財布さんに喜んでもらおうという気持ちになってきた。すごく長くなったけど、それが冒頭に書いた「お財布の寝具」である。

 

確か、あの記事には布はラベンダー色が良い、と書かれていたっけ。100円ショップでラベンダー色のカットクロスを買い、周囲をかがり縫いする。それだけでも良いのだが、ここはひとつ、刺しゅうでもしようではないか、と思い立つ。

 

既製のデザインではなく、自分で考えようと思った。以前「可愛いな」と思って写真を撮っておいたお店の看板のデザインを参考に、刺しゅうしやすくなるよう省略や誇張をし、ノートに絵を描いてみる。

 

えーっと。やっぱり、お金と仲良しになりたいから、「実のなる木」がいいだろうと思ったのだけど、そこのところは、そんな気がしただけだから、正しいのかはわからない。色も、ゴールドを感じさせる実が良いのかなと、これもなんとなく。でも、良さそうでしょ?笑

 

そして、チクチクと針を動かす。幹や枝はバックステッチ。大小の実は、バックステッチとサテンステッチ、それからフレンチナッツステッチ。たったこれだけ。すぐに出来てしまった。

 

ほんの短い時間だったけど、久しぶりの刺しゅうは楽しかった。「可愛くなーれ」という気持ちに「お金さん、おーいで」という気持ちが加わって、我ながら可笑しかった。でも、これって・・・こんなふうに願いを込めながら糸仕事をするって、きっと昔からみんな、やってきたことなんだろうね。

 

「背守り」というものがあると、以前「猫のしっぽ カエルの手」という番組で知った。子供の服の背につける縫い目のおまじないは、江戸時代から行われていたとか。背中に忍び寄る魔物(厄災)から我が子を守ろうと、祈りを込めて魔除けのしるしを縫う母の愛情が、温かいね。

 

ひるがえって私の金運を願う心は・・・いや!これも大切だから!(ブルブルッ)

 

さて、話は戻る。
願いを込めて刺しゅうを施した布に包んだお財布。この際だから定位置も変えてみた。前の場所よりは静かだ。落ち着いて、安心して、くつろいでくれるかな。

 

人目につかない場所だから、この刺しゅうは人に見せる機会はほぼないだろう。純粋に、お財布さんのために刺しゅうしたのだ。「そこのところを評価してほしいわ、金運の神様」なんてつい思ってしまう私は、はい、まだまだだね。

 

でも本当に、お金もお財布も、これからはもっと大切に扱おうと思う。それは、拝金主義や守銭奴みたいになるということでなく、その存在を尊重し、良い関係を築いていこうという気持ちでいること、なんだよね、きっと。ポジティブなイメージを持ちたい。

 

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常識にとらわれず、自由に刺しゅうをしてみたい

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久し振りに刺しゅう針を持った。刺したのは、ずっと気になっていたatsumiさんのデザインだ。正確に言うと、atsumiさんのデザインを真似してみたもの。

 

NHKの「すてきにハンドメイド」で作品を見て、是非この図案を刺してみたい!と思ってから約半年。インスタグラムで、arsumiさん始め多くの刺しゅう作家さんや愛好家の方たちの作品を拝見し、刺激をいただき続け、意欲だけは高まっていた私だ。実行できないまま時間ばかりが過ぎていったのだけど……。

 

ついに先日、録画しておいた番組を再生し、よし!と実行に移す。なーんて大層な感じだが、小さなアルファベットひとつを刺し、ブローチに仕立てただけ。それでも、やっぱり刺しゅうは楽しく、こうして実行できたということは喜ばしい。

 

ところで今回、録画したものを一時停止したり巻き戻したりして、自分でも意外なほど熱心に見た。これまでは作家さんの図案集から選び、トレースし、出来上がり写真を見ながら刺していたのだが、作業する手元までアップでゆっくり見せてもらえるというのは、こんなにもわかりやすいものなのね。テレビってすごい。録画再生で確認できるというメリットを、目いっぱい活かせた感じ。録っておいて良かった。

 

ワークショップやカルチャー教室で教えてもらうのであったら、多分、私はたくさん先生に質問してしまうタイプの生徒だろう。思えば「これは、こうでいいのかな?」とつぶやき「ま、いいんじゃないかな」と自分に返事しながら、でもどこか釈然としないまま、いつも進めてきた気がする。本の情報量の限界を知る。

 

先生について何かを習う、ということを随分していない。病気をして人と会うのがちょっと怖くなってからかな。特に初対面の人とコミュニケーションをとらなければならない、というのが、仕事以外だと苦痛に感じるようになってしまった。以前はわりと、得意分野だったのだけどね、そういうの。楽しかったし。

 

病気は治ったとはいえ、昔のようには戻れていないなあ、と思い至り、ふと寂しさを感じる。でも、一人でいること自体は別に寂しくはないし、やることもいろいろあり忙しくしているから、普段は自分の対人スキルの変化についてあまり考えることはしない。

 

ただ、テレビ番組などで手芸や料理の先生を見ていて、この先生の話し方や雰囲気は好きだなあとか、こういう先生の教室だったらちょっと行ってみたいなあとか、リラックスして楽しめるかもしれないなあとか、思わないこともない。もう少し、なのかもしれない。

 

テレビで見たatsumiさんも穏やかな雰囲気が漂う方で、作品とともにお人柄も魅力的なのだろうな、と思った。ステッチのコツを教えてくれるその声も、落ち着いていて優しく、心地よかった。

 

さて、肝心の作品だ。番組では、俳優の宮崎あおいさんがatsumiさんの刺しゅうの大ファンだということで、コメントを寄せており、「色使いが特別」「抜群にデザインが可愛い」と絶賛していた。確かに、甘くラブリーに思われがちな刺しゅうのイメージがガラッと変わる作風だと思う。特にエンブレムなどは本当にかっこいい。

 

今回の作品は初心者でもトライしやすい、シンプルなアルファベット。ステッチも「コーチング・ステッチ」「コーチドトレリス・ステッチ」「フレンチノット・ステッチ」「サテン・ステッチ」の4つだけ。チャーミングなデザインで、妙に心惹かれる。

 

刺し方の基本の部分では、最初に玉止めを作って糸端を短く切ってから挿し始める、というところが、私には新鮮だった。糸端は10センチほど残しておいて、後で針に通して糸始末をする、というのが常識だと思っていたから。

 

そうか、常識にとらわれなくていいんだ。

 

その気づきが、番組を見ての一番の収穫だったかもしれない。ここ数年の私の大好きワードである「自由」が、心の水面下からプカッと浮かび上がり光り輝いた。こうあるべき、こうしなくてはいけない、という思いに、意外と根深く絡めとられていたのではないかな、私って。刺しゅうの刺し始め、に限らず。

 

また、今回は手元に図案がなかったので、画面を見ながら自分でデザインを描き取るということをした。斜線の角度とか、文字の大きさに対する線の太さのバランスとか、かなりアバウトだ。自分が「こんな感じがいい」と思う感覚を優先してみたのだが、そういうのも気持ちが良かった。

 

デザインはあくまでも参考にして、自分の直感や好みを作品づくりに反映させていくという楽しさ。正解を追い求め過ぎない気楽さ。なんだか、ひとつ前進できたような気がする。気のせいかな?

 

さて。小さな作品がひとつ生まれると、すぐに次を作りたくなる私。そうしてまた、取り掛かりまでに時を要してしまうのかもしれないけど。

 

桜井一恵さん、青木和子さん、シライカズミさん、atsumiさんと、これまで好きな作家さんの図案を楽しんできた。手元の図案集の中には刺してみたいものがまだたくさんある。でもそろそろ、自分で自由にデザインし、刺してみるのもいいかな、とも思い始めている私。

 

・・・「自由」って、ちょっと勇気がいるけどね。

 

力の入らない雨の日も、刺しゅうで「やる気」モードにスイッチ

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朝からずっと雨が降っている。九州・四国地方に続いてもしかしたら今日あたり、この地方も梅雨入り認定されるかも?

 

大好きな5月が、終わってしまう。
この美しい季節にやっておきたかったことはいろいろあって、全部とは言わないが、ほぼ気が済む程度にはできたと思う。でも、もう終わってしまうのかと思うと、やはりちょっと寂しい。私は5月が好きすぎる。

 

四季のある国に生まれて、何十年も生きてきて。あれ?と思う。春と秋が短くなっている。そして、梅雨という名の雨期が、やけに長い。日本は亜熱帯になりつつある、なんて話も耳にしたことがある。

 

私は、蒸し暑いのが寒いのよりも苦手なので、梅雨から長い夏につながるこれからの季節は、冬以上に憂鬱のタネだ。外は過酷。できることなら、どこにも出掛けたくない(避暑地は別だけど!)。

 

春を謳歌するように我がベランダで勢いを誇っていたハーブたち。しかし、既にくたびれ始めたようなものもいる。セージとか、レモンバームとか。あの絵心をくすぐるような、フレッシュで美しい緑の競演はどこへ?

 

植物のデッサンは、5月にやりたかったことのひとつ。ちょっと機を逃してしまったようだ。光の粒を浴びたタイムは神々しいけれど、その光もそろそろ精彩を欠いてきた。素敵に輝いていた頃にスマホで撮影した写真をもとに、今からでも描いてみようか。

 

好きな季節の自然美をこの目に焼き付けておきたくて、とにかく出歩くことの多い5月だった。しかし、今年は悪天候も多く・・・。なので、読書の機会も、手芸の機会も、例年のこの時期よりはたくさんあった気がする。

 

今はまっている手芸の刺しゅうについても、そこそこ楽しむことができたのは、ご機嫌ななめになったお天気のおかげかもしれない。

 

不思議に思ったのは、雨模様の気圧のせいか力が入らず、何もやる気がしなかったときでも、針を持って布に向かうと嘘のように頭がスッキリしてきたことだ。

 

以前、“手芸脳”(だったかな?)というのがあるらしいと、TVの何かの番組で聞いたことがある。手芸をすることで、脳が活発に動き出しやる気がアップ、他のことにも意欲的になれる、といった内容だった。

 

つまり、だるおも~な気分のときは、とにかく針と糸を持って、編んだり縫ったりすれば良い。これでスイッチがONになる。いったんスイッチが入れば、仕事でも勉強でも家事でも、「よーし!やるぞ!」という意欲が湧いてくる、ということだ。

 

ずっと前に『のうだま―やる気の秘密』(上大岡トメ&池谷裕二著、幻冬舎)という本を読んだことがあるが、“手芸脳”の仕組みはここに書かれていた内容と同じようなことなのだろうか。

 

脳の中の「淡蒼球」という部位を動かせばやる気は引き出されるので、この蒼い玉を動かすために、カラダを動かす、等のスイッチを入れよう、みたいなお話で、スイッチを入れる方法が具体的に述べられていて、すぐに試したくなった。脳って騙されやすいんだ、という新鮮な学びもあった。

 

上大岡トメさんの別の本、『キッパリ!』も読んだなあ。あのポーズ、今でもときどき思い出してやってみたりする。健康ドリンクよりも効く気がするのは、私の脳が人一倍、騙されやすいせい?

 

そして、手芸だ。手先を動かすことに没頭していくというのが、「淡蒼球」を動かすスイッチになっているのだろうか。また、脳内伝達物質のドーパミンは、楽しさや幸せを感じるとたくさん出るということだけど、そんなドーパミンを出す働きが、手芸にはあるのかもしれない。

 

私の場合、刺しゅうに対しては図案を見ている段階から、脳内の何かが踊りだしている実感がある。いわゆる、ワクワクしているってやつだ。だから、刺しゅうなら何でも良い、というわけではない。好みのデザインがたくさんある中から、どれを選ぼうか、どれにトライしてみようか、と嬉しく悩むことが重要になる。

 

今回は、キッチンのキャビネットのカバーに、さり気ないワンポイントが欲しかったので、桜井一恵さんの図案集からキッチンツールのデザインを選んでみた。桜井さんの刺しゅうの、日常を切り取ったような題材、スケッチ画のように軽やかでお洒落な作風が、とても好きなのだ。

 

図案を決めたら、それをトレーシングペーパーで写し取った後、布に片面複写紙と鉄筆で写していく。実はこの作業が、これまで私にはとても難儀だった。麻布の目が粗いせいもあるが、とにかく写りが悪くて。

 

刺しゅうはしたい。でも、写すのが上手くいかないからメンドクサイ。

 

これはかなりネックになった。しかし、100円ショップで買ったチャコペーパーをやめて、COSMOの「刺しゅう用コピーペーパー」を使ってみたら、あら素敵。くっきり鮮やかに写るではないか。

 

ストレスから解放された。道具って、やっぱり大事である。

 

道具が良くても、まあ、技術がアレなんで、出来栄えはちょっと・・・だけど。それでも好きな図案を自分で刺していく喜びと、仕上げた達成感はある。少し、上達したかな?という自己満足も。

 

少なくとも、低血圧気味の朝のやる気のなさは、すっかりなくなっている。集中しながらもリラックスした状態が続いていたので、とても気分が良くなっている。他のことに対しても、「やる気」モードに入っているようだ。

 

次は何に挑戦しようかな。シライカズミさんの小さなモチーフも好きだし(先日、ブローチを購入。ホンモノはやっぱりスゴイ!)、最近、atsumiさんのデザインもとっても気になっている。

 

ふと外を見たら、目の前の電線にいつものツバメがとまっている。3階のこの部屋は、彼らと視線が合いやすく、その度につい挨拶してしまう。

 

今日も元気?楽しくやってる?

 

雨空にツバメは、よく似合うなと思う。機嫌良くいられることは大切だね、なんてツバメに話しかける。

 

雨は小降りになり、少し日が差してきた。うん、なるほど。世界はやっぱり美しい。

 

「花糸」を使って、春の空を飛ぶ「気球」を刺しゅう

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青空が広がる美しい春の日が、もう何日続いているだろう。機嫌の良い空を見ていると私の心身も朗らかになる。忙しい日が続いているけれど。

 

3月も終わる。TVはそんなに見ない方だが、好きなドラマの最終回とか、情報番組のキャスター交代などが重なって、なんとなく少し寂しい気持ちになっている。ここ数年、朝の家事のお供として馴染んでいた「あさイチ」も、メインキャスター3人が去ってしまう。

 

HSPの身としては、番組の終わりや9時のニュースの前に、ちゃんと話の区切りを付けられるのかハラハラすることが多く(ゲストが“自由”だったり、ゲストに質問する有働さんが“チャレンジャー”だったりで・笑)、この番組の進行のアバウトさはちょっと苦手とも言えるのだが、全体の雰囲気が緩いところ、イノッチが優しくて感じ良いコメントをするところ、根底にある考え方が真っ当であるところが、実は心地良かった。たくさん和ませてもらえたことに感謝したい。

 

別れと出会いの季節だね、と昨日、次女が言っていたが、学校やお勤めをしている人たちにはまさにそういう実感があるのだろう。桜が例年より早く満開だわ、とか、好きな番組が終わってしまう、変わってしまうとか言っている自分は、まあ、呑気なものだ。

 

それでも、ここ数日は本当に忙しかったし、実はこの先もしばらくは慌ただしい。一応、仕事も忙しい。

 

可愛い姪っ子が大学入学で一人暮らしをするため、他県から近所に引っ越して来た。我が弟とともに挨拶に訪れた彼女の成長ぶりが嬉しく、我が家にもお裾分けのような春色の華やぎが訪れた。

 

新聞社時代の飲み友(おじさんたちだけど)とも、久し振りに食事をした。契約満了で社を離れて7年になるのに、まだ誘っていただけるなんて、本当にありがたいことだ。前回からメンバーに加わった若い女性もとても可愛らしくていじりがいがあり(笑)、終電を逃してしまうくらい、楽しく語り合った。いつになく饒舌な自分の様子に、我ながら驚いた春の宵だった。

 

そして先日は、悲願だった「両親と曾孫を会わせる計画」を実行に移した。娘の婿殿のスケジュール、老人と赤ちゃんを含む全員の体調を踏まえての計画だったから、遠方に住む両親と長女一家、私が一堂に会する機会を作るのは、思いのほか気を遣った。でも、祈り続けたことが功を奏したのか、とても温かい時間が訪れてくれた。富士山と咲き始めの桜が、その時間を更に美しく彩ってくれた。ああ、私、頑張ったわ!(笑)

 

そんな幸せだけどめまぐるしい日常が続く中、隙を見て楽しんでいたのが、刺しゅうだった。先月だったか、ネットで知ったシライカズミさんの図案に惚れ込み、『刺繍で描く小さなモチーフ』という本も買った。早く試してみたくて仕方なかったのだが、なかなか時間が作れない。それでも仕事が一区切りするごとに刺しゅう針を手にすると、不思議と疲れが癒された。

 

シライさんの図案で使われている糸は、デンマーク製の「花糸」というもの。この辺りの手芸店にはなかったので、ネットで探して購入した。これまで使っていたフランス刺しゅう用の糸のような光沢はなく、風合いがナチュラルで、色味も独特の落ち着いた魅力がある。私の好きな麻布には、この糸の方がぴったりくると思った。

 

小さなモチーフは、すぐに完成が見えてくるところが、私のような性格の者にはありがたい。ただし、シライさんの図案は、とにかく丁寧に刺さなくてはその良さが表現できないので、これがなかなか大変なのだ。

 

今回は、空をゆっくりと飛んでいく「気球」のモチーフを選んだ。チェーンステッチを多用する図案で、輪郭線でも、面を埋めるのにも使ったのだが、ひたすら細かく密に刺していくのが難しかった。

 

大きさが揃わない、左右が対象にならない、などと我が腕の未熟さを嘆きながらも、なんとか4つ完成。下手くそだけど、やはり糸の色と風合いが好きだなあ。花糸、大好きになった。ちょっと絡まりやすいけど。

 

ブローチに仕立てた4つの気球。明日、旅先で大切な人たちにプレゼントするつもり。桜吹雪を見下ろしながら春の空でふんわりと遊ぶ気分を届けられたらいいなあ、などと思っている。

 

春の気分を刺しゅうに込めて

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川を渡る早春の風は冷たいが、ほのかに甘い香りがする。草木や土から漂い出る匂いも、もう冬のそれではない。

 

ケーキ屋さんやお花屋さん、雑貨屋さんやカフェのショーケース…。バレンタインデーや雛祭り、ホワイトデーと続くこの時期は、街を歩いていても、とびきり明るい色が目を楽しませてくれる。イチゴの赤やガーベラのピンクなど、部屋に持ち帰りたいものばかりだ。

 

そんな春気分を刺しゅうに込めてみた。今回は、フレーム付きのキットを使って。青木和子さんの図案は、前から一度試してみたかったので、購入した帰り道から気が逸り、ワクワクして頬が緩んでしまった。

 

キットには下絵が印刷された布と必要な刺しゅう糸、針や糸通しまで入っている。下絵を写し取ったり糸の色を揃えたりの準備が不要なので、即、作業に取り掛かれるのが嬉しい。

 

そしてこのキットでは、布裏に最初に接着芯を貼り付けるので、刺しゅう枠を使わない。ふむふむ、そういう方法があったのか。

 

刺しゅう枠を使うときは、経糸横糸がゆがまないように布を張ることが大事で、これがなかなか手間だったりする。また、枠をずらして別の場所を刺すとき、前に刺した刺しゅう糸の上に枠をはめなければならないときがあり、気を遣う。

 

接着芯だと、そんな苦労から解放されるし、最後の糸始末のときも、布と接着芯の間に糸端を隠せて便利だ。ただ、刺しゅうしているときの摩擦は、布だけのときに比べてはるかに大きく、刺しているうちに糸が摩耗していくのは気になった。

 

それにしても、刺しゅう作家さんの絵心は素晴らしいな。いろいろな人の図案を見ては、刺しゅうの表現力の奥深さに驚くばかりだ。

 

去年、本を買った桜井一恵さんの図案も大好きだが、青木和子さんのものも、とても好みである。庭の草花をさらっとデッサンしたようなものが特にいい。さらっと、と言っても、なかなか細かく再現されていて、ステッチの種類も結構多いのだ。

 

私は小花の花びらなどによく使われる「レゼーデイジーステッチ」とか、花芯や蕾を表すことの多い「フレンチナッツステッチ」などが好きだが、間隔を詰めて面を埋めていく「サテンステッチ」が苦手。その名のようにサテン生地を織るかのごとく、糸を捩らせないことが艶よく美しく仕上げるコツだとわかっていても、私は針の持ち方が悪いのか、すぐに糸が捩れてしまうのだ。

 

でも、今回は丁寧に、諦めずにやってみた。もっとも刺す面が小さかったから頑張れたのかもしれない。それから、以前、TVの手芸番組に出演していた青木和子さんが仰っていた、もうひとつのコツを思い出して、上手くいくかもしれない、と思えたのだ。

 

それは、まず面の一番幅の広いところに1ステッチ、糸を渡すという方法。端から順番に埋めていくのではなく、真ん中をしっかりキープしてから両脇半分づつ、埋めていけばいい。なんだか、安心して刺していける。サテンステッチが、好きになった。

 

また、スパイダー・ウェブ・ローズステッチというのを、(多分)初めて刺してみたのだが、思ったより簡単で仕上がりも可愛くて気に入った。糸を引くとき、引き過ぎないことが大事で、これはどのステッチでもそうなのだが、「ふんわり感」が命!って感じなのだ。

 

刺しゅうは色を楽しみながら作業できるのも楽しい。今回のものは約14×29cmの小さな刺しゅうだが、グリーン系だけで5種の色を使っていて、ちょうど多色セットの色鉛筆を使って絵を描いている感覚に似ている。

 

仕上がるまで、静かな時間が流れていき、穏やかな幸福感に包まれていることに気がつく。手先を動かし、きれいな色を見つめていると、悪いことは考えなくなるみたいだ。

 

一針一針に真心を込めて、これをプレゼントする予定の、私の大切な人のことを考える。

 

春が来る嬉しさ、花や緑の愛おしさ。明るく優しい心の芽が、のびのびと育っていきますように。

 

もうすぐ初節句を迎えるその人に、私のそんな願いが届くといいなあ。

 

糸始末まで、心を込めて

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器用な方ではないけれど、手芸とか工作とか、昔から私、結構好きなのである。仕事が忙しかったり、目が悪くなってきたりで、ほとんど何も作らなかった時期が長くあったけれど、最近になってまた、小さなものなら作りたいと思うようになってきた。まあ、シニアグラスをお伴に、だけど。

 

最近は、刺しゅうが楽しい。何十年ぶりかで、チクチク刺している。

 

昔、学校の授業で習ったから全くの初心者ではないし、色とりどりの刺しゅう糸、刺しゅう針や刺しゅう枠も、まだ手元にある。刺しゅう糸って本当に綺麗で、模様替えや引越しのとき、道具箱に入っているのを見つけるたびに、「ああ、この糸を使ってそのうちまた、何か刺しゅうしたいな」と思っていた。

 

ただ、「じゃあ何に刺しゅうをするの?」というところで、この案件はいつも「検討中」フォルダに戻るのだった。ハンカチ?クッション?ブラウスの襟?うーん・・・なんか違う。

 

刺したいものが、見つからない。それでもちょっと何かに刺しゅうがしたい。そんなぼんやりした気持ちに火を付けたのは、書店で手に取った一冊の図案集だった。

 

桜井一恵さんの、その名も『刺しゅう図案集 愛しの草花、雑貨、風景…、日々の暮らしのスケッチ』(日本ヴォーグ社)という本で、パラパラめくるうちに、すっかり惚れ込んでしまったのだ。

 

とにかく、そのテイストがとってもお洒落で、可愛い!
本当にスケッチ画のような刺しゅう作品で、ナチュラルな細い線と優しい色使いに癒される。よくぞこれを図案化してくれた、という感じだ。

 

というわけで、簡単そうなデザインからチクチクを始めてみた。とりあえず刺しゅうをしたいがために、特に装飾を必要としているわけでもないその辺のカバーとかに、チクチクしている。次女のお弁当袋を手作りしてあげることになったのも、単に私が刺しゅうをしたかったためという、よくわからない展開になっている。

 

ブローチも作ってみた。手持ちのどの服に合うのかわからないけど、まあ、シンプルな布製のトートバッグに付けても可愛いし、と思って。刺しゅうを合わせる相手をいろいろ変えられる、ブローチという形態は便利だな。

 

トレーシングペーパーに写し取った図案を、布にチャコペーパーとトレーサーで写す、という作業が一番、大変で苦手。麻布など目が粗い布を使うことが多いので、なかなかきれいに線が写らないのだ。水で消せるチャコペンでなぞって、何とか下描きらしくした。

 

チクチクするのは、本当に楽しい。一針ずつ、好きな色の糸を布に載せていく作業は大好き。昔、習っていたとはいえ、覚えているステッチはほんのわずかだ。桜井さんの本の後ろの方にあるステッチの説明を見て、「おお!なるほど。こうすればこういう形になるのか」と、感動しながら刺し進めていく。

 

そして、仕上がりが近づくワクワク感。でも実はこれ、嬉しいけどちょっと曲者で。

 

桜井さんの図案はシンプルだし、私は小さなものばかり作るのですぐに完成が見えてくるのだが、「あと少し」と思うと何故か心が先走り、焦ってしまうのだ。「次、こうしてこうやったら、出来上がり!」と思うと、夢中になってしまう。

 

で、刺しゅうした布の裏を見ると・・・「ああ!」となることがある。後で糸始末をするために放置してある刺し始めの糸(10cmほど)を、途中から巻き込んで刺しゅうを進めてしまっている。

 

こういうとき、やり直すかどうか一瞬迷う。裏だから、見えないし。

 

でも昔、学校の先生が言っていた言葉がよみがえってくるのだ。
「刺しゅうが上手な人は、裏も綺麗」
と。

 

別に学校に提出するわけじゃないし、裏を人に見せるわけでもない。でも、なんとなく気持ちが悪くって、結局、やり直す私なのだった。「ドンマイ。もっと落ち着いて丁寧に刺していこうぜ」と自分を励ましながら。

 

裏まで気を配って仕上げる。糸始末まで綺麗に整えて、刺しゅうは初めて完成なのだ。

 

私は仕上がりを急ぐあまり、変に焦るところがある。それは刺しゅうだけでなく、手芸だけの話でもなく、仕事においても家事においても、時々見受けられる性質だ。尻切れトンボ的というか、詰めが甘いというか、「もうこれでいっか」と最後に手を抜いちゃう。

 

それでこれまでの人生、何度残念な思いをしてきたことだろう。せっかくそこまでキチンとやってきたのに、最後の最後で台無しにしてしまうという残念さといったら。

 

「わかっているのに、なんでそうなの」
と自分を悔しがる。面倒くさがり屋のくせに、手を抜く自分であることは嫌なのだ。往生際が悪く、そこがまた悩ましい。そんな性格も自分でよくわかっている。だったら、面倒くさい自分が出てくるたびに、注意信号を出すしかないのだ。反射的に。

 

丁寧に仕上げよう。裏も美しい刺しゅうは、実に気持ちのいいものだからね。
うんうん、本当にそうだよね。面倒がらずに、最後までね。

 

仕上げの頃、自分の中で会話する。刺しゅう布の裏側の糸始末をしながら、最後まで気を抜かずに心を込めるということを、訓練させてもらっている私なのだった。ちょっと成長している。

 

手仕事の楽しさ、手編みの優しさ

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今年も12月がやってきた。早いなあ。時間は微粒の砂のように、指の間からなんのためらいもなく流れ落ちて行ってしまう。

 

その指を見れば、手荒れが目立ち、年々みずみずしさが失われているようだ。去年の同じ時期、友が私の手を取り、

 

「手は働き者だよね」

 

と優しく言って、白ワセリンにティートリーとラベンダーの精油を混ぜ込んだものを塗ってくれたのを思い出す。胸がほんわか温かくなる。

 

当たり前のように酷使しているが、手は本当によく働いている。特に水仕事。辛いよね。もっと労わらなくてはいけないのに、ハンドクリームを塗るときさえ慌てていて乱暴に擦り込んだりして、ふと不憫に思えてくる。

 

ごめんね。
いつもありがとう。

 

さて、いろいろな仕事をしてくれる手だが、私の手は何かを作り出す仕事がどうやら好きなようだ。

 

コピーライティングの仕事などで文章を作り上げるとき、タイプしている指はとても嬉しそう。色ペンや色鉛筆で小さな絵を描いたりメモしたりするときも、ちょっとした工作をするときも、私の手は喜んでいると感じる。器用ではないので、仕上がりの出来はともかくとして。

 

今年は何度か、編み針も持った。と言っても編んだのはラリエットやドイリーくらいだが、レース糸や毛糸を触る感覚を、指は喜んでくれた。

 

そしてこの秋も、何か小さい可愛いものが編みたくて、雪のモチーフをいくつか編んでみた。

 

編み物はとても優しい手仕事だと思う。柔らかな素材を使い、出来てくるものも柔らかだ。編んでいる時は気持ちまで柔らかくなる。何故だろう。

 

1本の糸が、だんだんと形になってきて、出来上がりが見えてくるのは楽しい。誰かにあげたくて編んでいるときは、その人の顔を思い出して懐かしくなる。

 

今の私には、セーターやマフラーを編み始めるふんぎりはなかなかつかないが、こうしたモチーフやコースターくらいの大きさなら、10分くらいで編み上がるので、忙しい日常でも隙間時間で楽しさを味わうことができる。そして、柔らかな気持ちを取り戻せる。

 

心が安らぎ、手が喜ぶささやかな手仕事、優しい手編みを、この冬、何回か楽しめたらいいのだけど。砂時計のように落ちていく時間を、少しだけスローモーションにしてくれるように思えるのだ。

 

モチーフのひとつはリボンを付けてクリスマスのオーナメントになり、今、遠くに住む長女の元にある。

 

幸せを呼ぶ、小さなりんごのポマンダー

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四日ほど我が家に滞在した長女が昨日、帰って行った。今回の帰省は大学時代のサークルのイベント参加のためで、婿どのと子猫を残してやってきたのだった。

 

滞在中、家でのんびりできる時間も多かった彼女は、次女とじゃれ合ったり本を読んだり、ちょっとした工作でイヤリングを作ったりして、とてもくつろいでいた。その様子はあまりにも日常風景に溶け込んでおり、3月に彼女を送り出してからの月日は夢だったのではないか、と思えるほどだった。

 

私も長女の傍らで点描曼荼羅を描くなどしつつ他愛ないおしゃべりを楽しんで過ごし、三日目の朝には以前から興味のあったりんごのポマンダーを作ることにした。

 

小さな姫りんごの表面にクローブを刺していく。すると甘くスパイシーな香りが部屋中に広がった。作業中は長女と次女が交互に様子を見に来ては、「なんだか面白そう」とか「こうすると本当に腐らないの?」などと声を掛けていく。

 

母親の手が作り出していくものに好奇心いっぱいのまなざしを向ける。それは娘たちの小さかった頃にはよくあった光景で、ふと懐かしさに胸が熱くなる。

 

―― 子どもは3歳までに親孝行を済ませているんだよ。

 

昔、誰かに聞いたのだったか、何かで読んだのだったか忘れたが、私の中でずっと印象に残っている言葉である。子どもは神様からの預かりもので、たまたま親になれた私は、子育てを通して幸せをもらっているのだと。

 

ありがたいことに、我が家の子どもたちは3歳を過ぎても親孝行をしてくれているが、多分これは、子どもが大きくなって自分の思い通りにならなくなっても、それを残念がる気持ちを戒めるための言葉なのだろう。親となり、育てさせてもらったことに感謝せよ、と。

 

長女が赤ちゃんだった頃、夫はよくパステルなどで彼女の絵を描いていた。スヤスヤと眠る顔に「きれいなひとだね」と微笑みながら。夫が彼女を抱っこしてあやす姿を見ると、私は家事の手を止め、見とれてしまうのだった。これは本当のことなの?と。

 

私たちは彼女に夢中だった。この子が私たちのところに生まれてきてくれたことを奇跡のように感じ、神様に感謝していた。

 

おしゃべりができるようになれば、家に笑い声があふれるようになった。熱が出れば死んでしまうのではないかと心配し、元気が戻ると心から安心した。泣いたり笑ったり大忙しで、思えば本当に幸せな子育てだった。

 

そんな日々が、年を追うごとに遠くなっていく。娘たちの成長を喜びながらも、うっすらとした寂しさが少しずつ積み重なっていくのを感じる。それが親というものだろうか。私の両親にしても、もしかしたら同じ思いだったのかもしれない。

 

小さな小さな命を預かることができた、守り育てることができた。その喜びを忘れないようにしよう。あの幼い可愛らしい姿がこの胸にある限り、大人となった娘たちとの間にこの先たとえ何があっても、きっと乗り越えられる。そうして、彼女たちがずっと幸せでありますように、と祈らずにはいられない。

 

ところで、ポマンダーは魔除けや厄除けのお守りと言われている。りんごなどに香辛料をまぶしたもので、中世ヨーロッパでは邪気を払う香りのアクセサリーとして大流行したそうだ。背景にはペストなどの伝染病の存在があり、空気を清浄にしてくれる芳香を自らの周囲に漂わせておくことで病気を予防できると考えていた、という説もある。その後もクリスマスや新年の贈り物として定着し、今に至っているらしい。

 

作り方は簡単で、りんごやオレンジなどの小さな果物にスパイスのクローブを刺し込み、シナモンを中心とした何種類かのスパイスパウダーをまぶし、数日乾燥させれば出来上がり。クローブは抗菌力が強く、これを一面に刺すことによって、中の果物は腐らずきれいに萎びていくという。

 

作っている最中から良い香りが漂い、乾いた後も数か月から1年以上、ほのかな香りが楽しめるそうだ。現在、寝室で乾燥中だが、確かにその前を通るたびに良い香りがする。消臭効果や防虫効果も期待できるとのこと。昔の人が、病気を遠ざけてくれる「幸福のお守り」として大切に考えていたのも、わかる気がする。

 

インターネットで画像を検索すると、クローブの刺し方が密なものとまばらなものとあったが、私は萩尾エリ子さんの単行本『香りの扉、草の椅子 ハーブショップの四季と暮らし (天然生活の本)』にあった作り方を参考に、小さな姫りんごにびっしりと隙間なく刺した。30g用意したクローブは1個のりんごで全て使い切ってしまい、今回できたのはひとつだけ。

 

それでも初めて作ったポマンダーである。出来上がりが何とも楽しみだ。クリスマスにはリボンをかけて飾ろうか。家族や友だち、大切な人たちの幸せを願いながら、今日も良い香りのするお守りを眺めている。