一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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“ささやかな幸せ”を抱きしめる―11か月ぶりの再会

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今日も、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、眠ることができる・・・

 

ここのところ、毎晩のように、このささやかな幸せをかみしめている。新聞やテレビで、悲しい切ないお話を、ずっと見聞きしているからかもしれない。

 

・・・どんなに辛いことがあっても、私は飢えていないし、凍えていない。それだけでも幸せなことだ。ありがとうございます・・・

 

そして、このささやかな幸せを同じように抱きしめていた、遠い昔を思い出した。

 

慌ただしかった子育て中、不安も不満も自己嫌悪も、いっぱいあった中、並んでスヤスヤと眠る幼い娘たちを見て、ふっと安心した夜があった。

 

「大丈夫。この子たちはお腹を空かせていない、寒がっていない」

 

秋も深まる頃だった。

 


子どもを育てるというのは、当たり前だけど、とても大変で責任が重い。自分のような未熟な者に、ちゃんと育てることができるのだろうかと、いつもどこかで自信がなくて、育てていけなくなったらどうしよう、病気や怪我で死なせてしまったらどうしようと、沸き起こる不安に怯えていた。

 

そして、そんな不安は決まって夜に訪れる。昼間は忙しさに紛れてしまうというのもあるが、ふたりの笑顔と笑い声にこそ救われていたのだと、寝顔を眺めながら思い知る。私は、私を悩ませるものに、同時に幸せをもらっていた。

 

悪いことばかりを考えてしまう夜、「わたしたち、幸せだよ」と言っているかのような寝顔に、私はどれほど安堵しただろう。少なくともこの子たちは、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、満ち足りた顔をして寝てくれている。まるで奇跡。なんと有難いことか。

 

お金持ちではないけれど。
夫は仕事で毎日帰りが遅いけれど。
ときには頼りたい実家が遠方ではあるけれど。

 

でも、私は子どもを育てる環境に恵まれている。ひもじい思いをさせずに済んでいる。

 

感謝しなくては。

 

境遇に。時代に。神様に。
夫に。親に。友人、地域の人たちに。
そして、どんな宝物よりも貴い、ふたりの娘たちに、ね。


そう、私にたくさんの幸せを与えてくれた娘たち。
時は流れ、長女はもう3児の母である。先月、30歳になった。

 

去年は双子出産のために、上の子を連れて我が家で半年近くを過ごした長女。その頃はまだ次女も家にいて、本当に賑やかな毎日だった。大変だけど、それはそれは幸せな日々だった。

その頃のお話は双子プロジェクトとしてこちらに↓

tsukikana.hatenablog.com

 


長女たちが関西の家に帰ったのが11月3日。その後、同月の後半に一度、娘のところへサポートに出掛けたのだが、それを最後に長期間、会うことがかなわなくなってしまった。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で。

 

しかし!
先日の日曜日、ようやく会うことができた。夫と次女と私、3人で、とんぼ返りではあったけれど、長女一家のところまで行ってきたのだ。

 

11か月ぶりの再会。言葉にならない喜びだった。

 

こんなに長いこと会えなくなるとは、誰もが予想もしていなかった。会いたい人に会えるっていうのは、なんと素晴らしいことだったのか。

 

新生児だった双子は、もうヨチヨチ歩きの1歳になっていた。2歳児は、ピカピカとした発言で周囲をもれなく笑顔にする、素敵な3歳児に成長していた。

 

当たり前のことなのだけど、本当にビックリする。この11か月の間、たくさんの写真や動画を見せてもらったし、ビデオ通話もしてきたが、やはり実際に会うのは全然違う。

 

そして、長女。・・・すっかり痩せていた。筋トレしたとは聞いていたけど、それだけじゃない。細すぎる。

 

実家が遠く、夫の仕事が忙しいというのは、私の子育て中のときと同じだけれど、上の子と下の子で、2歳違いということ(うちの子たちは4歳違い)と、下が双子というところ、子育ての大変な時期にコロナ禍があったというところが、私と全く違う。

 

赤ちゃんを同時に3人、昼間ひとりでみているようなものなのだ。まとまった睡眠もとれていないだろう。
どんなに大変で、不安で心細かったことか。

 

コロナがなかったとしても、今年は私の母が入院し、その後亡くなったから、私はバタバタと清水の実家へ飛んで行くことが多かったし、なかなか長女のところへ応援には行けなかったかもしれない。

 

「手伝ってあげられなくって、ごめんね」

そう言おうと思ったら、長女の方から

「清水のこと、何もできなかったの、ごめんなさい」

と詫びてきた。抱きしめるしかない。

 


私の母は、初孫であるこの長女を、どれほど愛していたか。長女が結婚してからも、いつも気にかけ、幸せを祈っていた。自分が倒れてからも、手助けのない中で双子と2歳児を育てている長女を、ずっと心配していた。

 

長女と母を会わせてあげられなかったことが、悔しくてたまらない。私の次女も、弟のところの甥と姪も、同じこと。愛する孫たちに会えないまま、母は旅立たなくてはならなかった。

 

・・・そんな大人たちの悲しみなど、まるで知らない3歳児と双子の1歳児は、無邪気な笑顔でこちらを見ていた。遊ぼうよ、とねだっている。

 

それでいい。それがいい。
おばあちゃまもママも、泣かないよ。一緒に遊ぼう!

 


今回のとんぼ返り再会は、夫の発案だった。

 

会える?―いやダメでしょう。
そろそろ会える?―ちょっとまだ危ない。
もう会えるんじゃ?―どうしよう。

 

ずっとそんなふうに逡巡していたのだが、長女の疲労とストレスが限界になるのではと心配した夫が、決断してくれた。感染対策をして、短時間の滞在。

 

「子どもたちを見てもらってる間にお家のことをしたい」

 

それが、長女の願いだった。なんとささやかな。
でも、気持ちはよくわかる。お皿ひとつ洗うのも、ちびっ子3人いると後回しにせざるを得ず、溜まっていく家事にストレスはどんどん増してしまうのだろう。

 

昼食後、次女と私が孫娘たちと広い児童公園でたっぷり遊んでいる間、長女は家で少しまとめて家事ができ、買い物を済ませた夫が長女を手伝ってくれた。

 

ほんの少しだけ、長女も気分転換できたかな。

 

彼女の大変な毎日は、まだしばらくは続くだろう。でも、幸せであることは、間違いないのだ。

 

長女には、彼女のことをとても大事に思ってくれる優しい夫がいて、可愛い娘が3人もいるのだから。そして、あたたかいお布団で空腹も感じさせずに、眠らせてあげることができているのだから。

 


「あのね、お母さん。お母さんと一緒に、こういうのを見ながらおしゃべりしたかったの、私」

 

長女がテーブルに広げたのはハーブの冊子。私が好きそうな植物の写真やコラムが載っている。今度、私が来たときに一緒に見ようと思っていたんだね。

 

そういう何でもないような、穏やかな時間を、ときには母親と過ごしたい気持ち。よくわかる。そんなささやかな願いも、ずっと、かなわなかったね。

 

「ハーブのサシェかぁ、好きだわ。昔、作ったことあるよ」などと、並んで冊子を見ていられたのは、しかし、3分もなかった。笑

 

ママはいつだって、赤ちゃんたちに求められているのだ。でも、嬉しいことだよね、それって♪

 

この日、仕事だった婿どのとも夕方、再会が果たせた。彼とは実に1年ぶりになる。部活の顧問をふたつも抱える高校教師。激務に加えコロナ禍で、本当に大変だったと思う。

 

ずっと娘たちを守っていてくれて、ありがとう!

 


この日は真夜中に帰宅(次女も我が家へ)して、翌日は夫も次女も朝早くに出勤。二人ともかなり疲れていたと思うが、安心して満足そうな笑顔を浮かべていた。多分、私もね。

 

いつの間にか、金木犀も散り、10月も駆け足で終わろうとしている。
長女たちに次に会えるのはいつだろう。そう遠くないといいなあと、私は今日も感染情報を気にしている。

 


これを書き始めたのは火曜日で、今日は土曜日。実は夫が水曜日からダウンしてしまいました。寒暖差の激しさに加え、疲れもたまってしまったのでしょう。今朝は少し元気になりましたが、こんなに長く寝付いたのは珍しいことです。無理をさせてしまったかもしれません。
コロナを疑ったり疑われたりで、風邪ひとつ、おちおち引いていられないこのご時世に、ついため息が出てしまいますが、例年以上に体調に気を付けて過ごしたいものですね。
インフルエンザの流行も懸念されます。皆様もどうかどうか、ご自愛くださいませ。

 

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