読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

うっとりと実ってゆきたい

文芸作品

f:id:tsukikana:20150916171939j:plain

 

例年より早く、肌寒さを覚える。昨日までの青空は今日は厚い雲に隠れ、今にも雨が降り出しそうだ。

 

少し頭が重い。窓を閉めに行くと、近所で赤ちゃんの泣き声がした。なんて元気がいいんだろう。大声で要求している。これこそが「若さ」か、と思い、感心する。

 

今朝の新聞に、八木重吉の詩「果物」が載っていた。

 

 秋になると
 果物はなにもかも忘れてしまって
 うっとりと実のってゆくらしい

 

早世の詩人、重吉がどんな気持ちで書いたものであったか。うっとりと実る果物を想像したら、私はとても慰められたような気持ちになった。

 

小さな青い実だった頃、太陽の光が欲しくて、水が欲しくて、早く大きくなりたくてたまらなかった果物。自分を狙う鳥や虫が怖くてたまらなかった果物。生きていかなきゃ、ちゃんと育たなきゃ、と頑張ってきた果物は、今ではもう頑張ってきたことなどすっかり忘れ去ってしまって、日に日に短くなる秋の夕暮れどきに、ただただうっとりと頬を染めている。

 

とても上品な生き方だと思う。自然の摂理にかなっている潔い生き方で、かつ美しい。人生を四季に例えるなら、私も秋に生きている。かくありたし、と感じるが、これはこれで簡単ではなさそうだ。

 

まだ夏でありたい、とか、いやいや気持ちは春のまま、とか。秋であることを認めたがらない人がとても多いし、こんな私でも時々勘違いをすることがある。「年をとった」と言えば「まだまだ若いよ」と返してもらえるのは、嬉しいことでもあるのだけど。まだまだ頑張れるよ、と言われるのは正直、しんどいときがある。

 

重吉の詩の「うっとりと」が、とても豊かな音で心に響く。色づき始めた果物は、眼下に清らかな秋の景色を眺めている。成長を終え、あとはじっくりと甘く熟していくのを待つだけの、夢見心地な様子が目に浮かぶ。憧れる生涯だ。

 

実際の私は、成長しきれないままに美味しくもなれず、未熟なまま朽ちていくのかもしれないが、それでも晩秋に向けては徐々にでも「うっとりと」実ってゆきたい。そう思えば、少し寂しい季節が優しくおだやかに感じられる気がする。

 

「思い出バイアス」という言葉を聞いたことがある。過去の出来事を自分に都合よく補正することで、思い出話をするときなどに、やってしまいがちなことらしい。これ、人を貶めたりするものでなければ、とても良いと私は思うのだ。年を重ねるほどに、どんどん悪い思い出は忘れ、良い思い出は良い部分だけにより光を当てて、幸せな気分を上塗りしていけばいいではないか、と。

 

人の名前が思い出せない、好きだった映画のタイトルが出てこない、なんて情けない経験が加速度をつけて増えてきたが、これも「忘却力」がついたのだと鷹揚に構えていればいいのかもしれない。焦ったり、人と比べて身をすくめたりしたときは、重吉の詩の「うっとりと実のってゆく」秋の果物を思い浮かべよう。

 

しかし。

それにしても。
私の場合、もう少し成熟はしたいものだけれど。本当にこのまま朽ちていきそうな自分に「ちゃんと実ろうね」と釘を刺しておく。