一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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そんなときは空を見上げる―双子プロジェクトと西城秀樹さん

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梅雨が続いている。

 

雨の風情は嫌いではないけれど、あまりにも長い。どんよりと暗い空で、頭も気分も重くなりがち。我が家に2歳児が来て7週間たったが、この子がお日様の代わりに家中を照らしてくれているような気もする。

 

とは言え、やはり忙しい。そして、やはり疲れる。ツバメがヒナに餌を運ぶように、毎日買い物の自転車を飛ばしている私。隙あらば、シーツを洗おうとしている私。雨よ、お手柔らかに。昨日は久し振りにエナジードリンクを飲んだ。

 

双子を宿した長女は、妊娠8ヵ月だけどもう臨月のような腹囲で、少し動いても息が上がると苦笑している。やっぱり双子妊娠は大変そうだ。

 

でも、無事ここまで来られて良かった。あと2カ月しないうちに、お腹の子たちに会えるのだ。ありがたいこと。まだまだ気は抜けないけれどね。

 

長女が管理入院するまでを、双子プロジェクトの第1フェーズと私は考えている。そこでの主な目標は長女(=母体)の体調管理、そして、2歳児との信頼関係の構築(大袈裟・笑)で、大体において達成されつつある。今はそれが嬉しい。

 

でも、第2フェーズはもっと不安だ。長女の約1カ月半の入院中、ママっこの孫娘がどんなに寂しい思いをするだろうか、と。そして、いくらなついてくれてきたとは言え、日中、私一人で対応できるだろうか(私がもつだろうか)と。

 

ここでの目標は、2歳児にママなしでの生活に慣れてもらい、楽しく過ごしてもらうことだ。子連れで入院先へ通うことや買い出しに出ることも、暑い最中、なかなかの難題だろうな。

 

さらに、退院後の第3フェーズとなると、物理的な問題も出てくる。双子との対面は感動的であることは間違いないだろう。だが、その後、退院してこの狭い我が家にやって来たら・・・どうなるのだろう?

 

産褥期の長女のケアと、2歳児のケアと、未体験の双子のケア。ご飯、作れるかな?7人分の洗濯って?・・・想像もつかない。

 

まあ、でも多分、なんとかなるよね。夫も次女も、頑張ると言ってくれているし。ただ、仕事から疲れて帰ってきて、ツインの新生児の世話で寝不足になってしまうのは気の毒過ぎるので、やっぱり私が頑張らなくてはいけないよね、と思っている。

 

思ってはいるけど、心配だし不安であることは打ち消せない。このように、疲れ以外にも、ミッションの大きさに対する不安と責任から、楽観と悲観を行き来している私である。

 

そして、私が倒れてしまっては本当に立ち行かなくなるので、それが怖い。だから、第1フェーズである今のうちから、セルフケアを心掛けている。

 

自分のために使える時間は、全くないという訳ではない。ただ、細切れなので、まとまったことをするのはちょっと無理で。これまでのライフワークの中から、外せるものと外せないものを仕分けるようになった。

 

勉強系はちょっとお休みかな。読書や散歩も、なかなか難しくなってしまった。映画やショッピング、お洒落な外食もしばらくはお預けだ

 

外せないセルフケアとしては、まずアロマ。就寝前、アロマディフューザーで自律神経を整えてくれる香りを中心に楽しみ、自分を労わる時間を作っている。ホ・オポノポノとともに。

 

次に、余裕があればリンパを流すセルフマッサージとストレッチをしている。あとは、できるだけ睡眠時間を確保すること。

 

それでも、あれやこれや考えて気持ちが不安定になり、なぜだか"悲しみ"の感情が沸き上がってしまうときがある。「こうありたい」のに「そうできない」。前向きに考えたいのに否定してしまう。自分は弱いんだな、大人になりきれていないんだな、と、持っていきようのないマイナスの気分に翻弄される、そんなとき。

 

空を見上げる。晴天でも曇天でも、雨が降っていても。
私はHIDEKIを求めて空を見上げている。

 

そう、西城秀樹さん。こう書いてしまうと、大スターがそびえ立ってしまうけど、実際大スターなんだけど、私にとってはこの1年ですっかり心のよりどころとなっているHIDEKIなのだ。

 

HIDEKIなら、どうする?

 

空に向かって私は尋ねる。HIDEKIだったら、きっとこんな風に考えて、こんな風に振る舞うよね。私も真似してみるよ、と心でつぶやく。

 

訃報のショックと寂しさから、YouTubeで西城さんの動画巡りをして、ブーメランで彼に戻って1年以上になる。その間に、同じようにHIDEKIに戻ってきた人たちがたくさんいることを知った。そんなブーメラン組の人たちや、古参のファンの人々から、彼にまつわるたくさんのエピソードや個人的な思い出を聞かせてもらうことができた。

 

ほぼ全てが美談で、こんなに心根の優しい人だったのか、努力の人だったのか、それほどまでに素敵な人だったのかと驚いた。思わず吹き出すような可愛い失敗談や、ハラハラさせられる言動も含めて、なんとも魅力的で、愛さずにはいられない人。こんな人が本当に実在したんだね。奇跡みたいだ。

 

12歳の夏、同じクラスのタカコちゃんが、私に『情熱の嵐』のレコードを買うことを勧めた。あれから新聞のテレビ欄で「西城秀樹」の文字を探す日々が始まった。私の恋が始まった。タカコちゃん、今頃どうしているだろうか。

 


 その瞳 僕のもの
 この体 君のもの
 太陽が燃えるように 二人は愛を
 永遠にきざもう
   (1973年5月25日発売『情熱の嵐』より)

 


HIDEKIは本当に私たちの瞳をくぎ付けにして、姿も声も、その体全てを私たちに捧げてくれたんだね。

 

HIDEKIに夢中だった頃を思うとき、中学の教室や中庭の風景がよみがえる。辛いことの多かったあの時代を、それでも懐かしく思い出すことができるのは、彼の存在があったおかげだ。逆に言えば、HIDEKIを恋しく思う気持ちは、郷愁に裏打ちされているのかもしれない。HIDEKIが好きな女の子たちと、他愛もない話をしていたあの頃の思い出は、ソフトフォーカスの写真みたいだ。

 

HIDEKIがすごく好きだった。すごく好きだったけど、コンサートにも行ったことがないし、アイドル雑誌も買ったことがない私は、もしかしたら本当のファンとは言えなかったのかも。今だってブーメラン組と名乗るのはおこがましいのかもしれない。ほとんど新規ファンなのだ。

 

なので、この1年で見聞きしたことは、知らないことばかり。長くスターでいた方だから情報量も多く、知れば知るほど素敵な方なので欲も出て、もっともっとと知りたがる自分を制御するのが大変だった!笑

 

素晴らしい歌唱力と表現力。日本を代表するエンターティナー。芸能界に疎い私でも、それくらいはわかる。だから、「こんな偉大なスターが亡くなったというのに、追悼番組が少ないことやマスコミのどこか冷めた扱いってどういうことなの?」と、これまで歯がゆく思っていた。

 

それが、だ。ファンの想いが大きなうねりを作ったのだろう、一周忌を境に潮目が変わったようなのだ。

 

HIDEKIを再評価してくれる動きが目立ってきた。フィルムコンサートが開催され、初のオールタイムシングル集『HIDEKI UNFORGETTABLE-HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972』も命日の5月16日に発売された。雑誌での特集も増えたし、9月26日には没後初の写真集『HIDEKI FOREVER blue』が発売される。

 

これからもっともっと、西城秀樹さんは注目され、彼のファンは増えていくことだろう。その色彩豊かな歌の世界に夢中になり、映像に残るパフォーマンスに心躍らせ、出演作のドラマや映画を楽しむ人が増えていくだろう。HIDEKIやご家族、HIDEKIファンのことを思うと、本当に嬉しい。

 

もちろん、私も。何の力もないちっぽけなファンで、頑張ってくださってきた人たちの足元にも及ばないけど、それでも、好きな人(今は"推し"というのですね)がこれからもっともっと認められていくのは嬉しい。

 

でも少しだけ、少しだけなんだけど、寂しさもあって。

 

それは、14歳の秋、あまりにも大スターになってしまったHIDEKIに戸惑いはじめた私に通じる寂しさ。あのとき私は高校受験を言い訳に「HIDEKIを卒業しよう」とした。でも、今の私は卒業はしないよ。ずっと"推し"ていく。

 

HIDEKIはみんなのもの。だけど私には私のHIDEKIがいる。私の生活に合ったペースで、心のままに彼の歌を聴き、姿にときめき、彼にまつわる思い出話に想いを馳せ、彼の生き方に憧れ続けていく。彼がこの世にいてくれたことに、シンガーになってくれたことに、感謝と幸せを感じながら。

 

時々は、空を見て泣いちゃうけどね。そこにいてくれる喜びと、そこに行ってしまった哀しみとが、同じ大きさで迫ってくる。

 

こんな状況の今、隙間時間でしか歌を聴けないし、SNSもなかなかできないけど、「いつも心にヒデキを」の言葉が私の胸にはある。短時間でもHIDEKIタイムは効果絶大で、沈みがちな心も魔法のように浮上してくる。アロマより効くかもよ?

 

「もっともっと多くの方が、西城さんの歌に癒され、励まされ、日常を輝かせてくれるといいなあ」と心から思っているので、ライトなファンではあるけれど、そのときどきで私でもできるささやかな行動はしていきたい。

 

この記事も隙間時間を集めて書いている。アップできるか怪しかったけど、なんとかなりそうで良かった。

 

それにしても、青空が恋しい。
HIDEKIを求めて見上げる空は、やはりブルーが似合うと思うのだ。


(西城秀樹さんについてはこれまでも書いています)

tsukikana.hatenablog.com


蛇足:我が家にいる2歳児も、上手に「ヒデキ」と言えるようになりました。笑

 

ハッピー探偵ドゥードゥー?―2歳児のいる景色

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金曜日に、私の住む東海地方は梅雨入りした。洗濯物と空を見比べてため息をつく日々がまた始まる。洗濯物、増えたしなぁ。

 

遠方に暮らす長女が、2歳の娘とともに我が家にやってきて1週間。我が家の暮らしはがらりと変わった。小さい子のいる毎日って、こんなに慌ただしかったっけ。

 

私、曲がりなりにも子どもをふたり、育ててきたはずなのに、もうすっかり忘れている。困惑の連続だ。1時間くらい一緒に遊ぶのなら楽しいのだけどね。きりがないから困ってしまう。ニコニコしてたと思ったら急に機嫌が悪くなったりね。相手をするのもなかなか大変。

 

自分の時間を作り出すのは至難の業になりつつある。家事の量も倍増し、いつもご飯と洗濯の心配をしている。12キロを抱っこして歩くのもかなりこたえるし、若い頃のような体力はないと思い知った。くやしい。

 

今、私がダウンしたら大変なことになるので、疲れやストレスをためこまないように気を付けなくては、と自分に言い聞かせている。実は長女のお腹には今、双子が宿っているのだ。

 

その報告を受けたのは2月のこと。みんなが幸せな気持ちになり、新しいふたつの生命の芽生えを喜んだ。素敵なことだと微笑み合った。それは今も同じなのだ。

 

ただ、不安も大きいのは否めない。双子は妊娠中も出産時もリスクがとても高いことを知ってしまったから。

 

無事にふたりともお腹で育ってくれるのか。ちゃんと生まれてきてくれるのか・・・長女がナーバスになってしまうのは仕方のないことで、そんな彼女を、夫も次女も私も、なんとか守ってあげたかった。

 

長女は、彼女の暮らす町ではなく、私の住まいに近い大学病院でお世話になることが決まり、何事もなければ9月に帝王切開で出産する。その前に1カ月間、管理入院するので、それに合わせて里帰りするはずだった。それが、検診時の数値でちょっと引っ掛かり、心配なため2カ月前倒しの里帰りとなった次第。

 

双子妊娠には安定期はない、と言われているようで、とにかく気が抜けないのだ。ようやくツワリがおさまったら今度は張りや痛みに悩まされる。妊娠高血圧症候群、妊娠糖尿病なども怖いし、長女は最初の子のとき、切迫早産で入院したことがあるので、それも心配だ。

 

自分の健康管理だけでも大変なのに、2歳児の世話もある。婿どのはこの時期、週末出張が多く、ひとりでは心細いことだろう。そもそも、さあ入院、となったら、2歳の孫娘はどうなるのか?

 

今は体調は安定しホッとしているが、2カ月前倒しで我が家に来て良かったのだろうと思う。少なくとも、子どもの相手ができる大人の頭数は我が家の方が多いから。

 

そんなわけで、狭い3DKで5人暮らしが始まった。9月には7人になる。時々婿どのが来れば、そのときは8人。本当にいったい、どうなることやらだけど。笑

 

賑やかでいいね。また長女ちゃんと暮らせていいじゃない。お孫ちゃんと過ごせるなんて幸せよ。双子ちゃんなんて素敵、うらやましいわあ。・・・と言っていただくことが多いのだけど、一面的には本当にそうなのだけど・・・。あんまり簡単に言ってもらいたくないなあ、とモヤモヤ思ってしまうのだ、正直なところ。

 

毎日、みんなが少しずつ努力して、支え合って、不安や心配を軽減しようとしている。それは多分、2歳の孫娘も。慣れない環境で、パパに会えないのも我慢して、精一杯、楽しく生きようと頑張ってくれている。

 

「はっぴーたんていどぅーどぅー」

 

最初に彼女がそれを言ったとき、ハッピー探偵ドゥドゥ?そういうキャラクターでもいるのかな?と思った。

 

これ、ハッピーバースデートゥーユー♪と歌っていたのだ。2歳児にはこういう類のことがとても多い。「キロミー」が「黄緑」のことだったりね。

 

可愛い言い間違いをたくさん披露してくれたり、昨日言えなかったことが言えるようになったり、大人の言うことを意外なほど理解していてビックリさせられたり。2歳児、本当に面白い。みんなが笑顔になる。

 

そして、笑い返すその顔のなんと愛らしいことか。瞳には星がいっぱい。

 

大変だけど、可愛い。悩みのタネなのに、そのタネに慰められている。・・・ああ、こういうこと、確かに昔、経験した。思い出してきた。

 

そう、もう一度これを経験するわけね。しんどいけど、嬉しいよね。嬉しいけど、しんどいよね。毎日、笑って泣いて怒ってまた笑うキミと、これから数カ月過ごしていこう。無理をし過ぎないように。でも、病気や怪我をさせないよう細心の注意を払いながら。

 

今、長女は次女と買い物に出掛けている。長女が嬉しそうに過ごしている様子を見ると、本当に良かった、と思う。

 

夫が洗い物をしてくれていて、2歳児はお昼寝中。そのすきを狙って、これを書いている。隣の部屋でスヤスヤと眠る孫娘は、いつまでも見ていたくなってしまうので「危険」だ。でもつい、見に行きたくなっちゃう。

 

昔、新聞に連載されていた小説『愛しの座敷わらし』(荻原浩)に出てくる座敷わらしがとても可愛くて、毎日読むのが楽しみだったのを思い出した。みんなを幸せにしてくれる座敷わらし。あの子もこんな感じだったのかな。

 

それから、私の日常に欠かせないホ・オポノポノで、大切な存在であるウニヒピリ(潜在意識)。一番ケアしなくてはいけないこのウニヒピリについて、2歳くらいの子どものイメージなのだということを、どこかで読んだ気がする。

 

私の中のウニヒピリは、気のせいか最近とても反応が良い。自分と同じ年頃の子の登場に興味津々、といった感じなのかな?

 

我が子が2歳だった頃には思いもつかなかった視点で、今、我が家に来た2歳児を観察できるのも楽しい経験だ。この子が私に、私たちに、もたらしてくれるもの。それはもしかしたら、とてつもなく大きなものなのかもしれない。

 

先々のことは心配だけれど、とにかく“今”を丁寧に生きることを大切にしたい。
一日一日を、愛おしんで生きていこう。

 

ローズガーデンに行こう!

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ここは、天国なの?

 

気がつけば私は歩みを止めて、ポカンと周りを見渡していた。夢のように美しい。おとぎ話の花の迷宮に迷い込んでしまったようだ。

 

・・・いや、もちろん迷い込んだわけではなく、嬉々として入っていったのだけど。

 

咲き誇るとは、まさにこのこと。その圧倒的な数、豊かな色彩、香りの心地良さ。あまりのことに「ここはどこ?」「これは現実?」と固まってしまった私。

 

綺麗な青空。清らかな陽光。5月の風が頬をなでる。

 

日曜日に、岐阜県にある「花フェスタ記念公園」を訪れた。とにかく薔薇が素晴らしいと聞いていて、以前から行ってみたかった、世界最大級をうたう薔薇と花のテーマパークだ。

 

80.7haの広大な敷地。「バラのテーマガーデン」はその一角を占めていて、約5,000品種の薔薇が植えられ、17ものテーマに沿って多彩な魅力を味わえる。

 

感嘆の声を上げながら、いくつかのテーマガーデンを巡った。手入れが行き届いているのが、素人目にもわかる。枯れていたり、病害虫に侵されているような残念な姿がどこにもない。これほどの量の花々を、こんなに美しく保てるものなのだろうか。

 

どのコーナーも素晴らしかったが、中でも「オールドローズのバラ園」はこの上なく優雅で華やかだった。芳しい香りが漂う中、色とりどりの愛らしい薔薇の姿形を眺めていると、我知らず夢見心地になってきて、冒頭のポカン状態になってしまった次第。

 

これまでもいくつかのローズガーデンを訪れたことはあるが、これほど感動したのは初めてだと思う。季節も良かったし、朝のうちに到着したのも良かった。薔薇は朝、よく香るからね。

 

薔薇は香り重視である私には、強香種を集めた「香りの庭」も印象的だった。貴婦人のような薔薇たちに顔を近づけると、少しひんやりとした水分の蒸発とともに、瑞々しいフルーティな香りが立ちのぼる。フレッシュな芳香が楽しめるのは、生花ならではだ。胸いっぱいに清涼感のある香りの粒子を吸い込む贅沢。何時間でもいたくなる。

 

(以前も薔薇の香りについて書いています。よろしければ)↓

tsukikana.hatenablog.com

 


薔薇の香りは、香り成分の配合バランスによって7タイプに分けられるそうだ。「南国のフルーツみたい」とか「甘ーいお菓子みたい」くらいにしか表現できない自分が情けないのだけど、まあいいか。とにかく、薔薇の香りは美しい♡

 

ティーローズエレメントという成分には、森林浴の香りと同様の鎮静効果や抗ストレス効果があることが実証されているとのこと。単に良い香りが楽しめるだけでなく、心にも効いてくれる。薔薇の香りって、なんて素敵なんだろう。

 

同行した夫と次女と、「なんか、幸せだったね」と帰り道に話した。美しいものをたっぷり見られた充実感だった。あと、香りのリラックス効果ね。すごく歩いて、疲れたけど。

 

そう、広大過ぎる、この公園。最初に「世界のバラ園」の一角に入り、「ターシャの庭」には2度も入り(笑)、ポピーの小道に歓声を上げ、花のタワーに上り・・・。「バラのテーマガーデン」にたどり着くまでに、くたびれてしまっていた。

 

17のテーマガーデンの大半は諦めて帰ってしまったのが、今更ながら悔やまれる。次は逆コースでリベンジしたい!笑

 

実はこの日、結婚記念日の前日で。平成元年に結婚した私たちは、30周年の真珠婚。元号も変わった今年の結婚記念日は、ちょっと特別なアニバーサリーだったとも言える。

 

しかし、夫は今、休みがなかなか取れないほど仕事が忙しく、この日も食事の後、泊まる支度をして職場に向かった。そして記念日当日も仕事で帰宅できず・・・。

 

ちょっと寂しいし切ないけど、申し訳なさそうに謝る本人が、一番可哀そうなわけで。過労が心配だわ。そんな中、ローズガーデンの約束だけは果たしてくれたことに、感謝しよう。(秘かにリベンジを期待してるけど!)

 

花フェスタ記念公園にはきっとまた、薔薇の季節に行くことになるだろう。その他にも、私がまだ知らない素敵なローズガーデンは日本中にたくさんあるはず。薔薇に満たされる幸せ体験を、これからも重ねていきたいな。

 

そして、いつか南仏グラースの薔薇農園に行き、早朝の薔薇摘みを体験する!
・・・というのが、今の私の野望である。

La vie en rose!

 


花フェスタ記念公園(6/16まで「春のバラまつり」開催中)

www.hanafes.jp

母に長い手紙を書く

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私にとってとても貴重な、「あれもしたい、これもしたい」の5月が始まっている(そういえば今月から令和ですね)。体調を崩してのスタートだったけど、今は元気。膝の痛みも耳鳴りもなく、肩凝りすらない。どうしたの?っていうくらい、絶好調。ただ、忙しい。

 

先日の日曜日、友人夫婦に誘われて、ベルギービールのお祭りに行った。待ち合わせの時間より少し早く着き、最寄りのデパートで母の日のプレゼントを物色。花の寄せ植えを選んだ。

 

配送を頼むと、翌日か翌々日、届いてしまうという。そうか、花は生ものだものね。ネットショッピングで麻痺してしまっていたが、お届け日は選べないのだ。母の日よりだいぶ前についてしまうが仕方ない。

 

それで、火曜日の夜、母から「ありがとう、届いたわ」と電話があった。母は携帯電話もスマートフォンも持たないので、いつも家の電話から我が家の固定電話にかけてくる。

 

この固定電話、だいぶ前から調子が悪く、買い替えるか何か、対処しなくてはと思っているのだが、ほとんど使っていないので(かけてくるのは母かセールスか選挙運動くらい)ついそのままにしてしまっている。数分で子機の充電が切れ、会話がブツブツになり「かけ直すね」と言って、私のスマホから父の携帯にかける、ということがこれまで繰り返されてきた。

 

ただ、今回は私、思うところあって「手紙を書くね」と言って通話を切ったのだった。

 

お花に付いていたカードに「いつもありがとう」と書いたけど、なんだか足りなくて。電話でも、充分に伝えられるか心許なくて。ちゃんと、丁寧に伝えたかった。感謝を。

 

2年前の記事にも書いたが、長女の出産で手伝いに行ったとき、私は同じことを母にしてもらった当時を思い出し、母の大変さを思いやれていなかった自分を反省した。帰ってからそのことを電話で母に伝えたけれど、サラッと終わってしまった感じで、実はちょっと心残りだった。

 

そのときの記事↓

tsukikana.hatenablog.com


さて、書き始めると、これがなかなか大変。手紙を書くのも久し振りだし、きちんと伝えようと気負っているから余計に。3時間くらいかかったかな。便箋7枚にわたり、あの頃の若気の至りで気遣えなかったことを詫び、感謝と尊敬を言葉にした。

 

文章にしてみると、心が整理されていく。手紙を書きたいと思った衝動の本質が見えてくる。そして28年前の記憶がよみがえる。

 

まだ若かった母。高校時代はソフトボールの選手で運動神経が良く、動くことが大好きだった。「おばあちゃん」になる頃も、ダンスを続けていて。今は杖がなければ外出できないなんて、あの母が・・・と辛くなってしまう。

 

昔から本が大好きで、私の家にも数冊の本を持ってきたが、足りなくて我が家の本棚からも数冊抜き取り、赤ん坊が寝ている間に読んでいたっけ。

 

夫の両親と祖母が3人でお祝いに駆けつけてくれたとき、得意のおはぎをこしらえて来客を喜ばせてくれた母。今はもう、その3人は鬼籍に入っているのね・・・。

 

豆板醤を使って麻婆豆腐を作ろうとする私に「偉いわね、麻婆豆腐の素とか使わないでちゃんと作るなんて。私はやったことがないわ」と、感心し褒めてくれた母。私だって、母が作るもので自分ができない料理なんてたくさんあるのに。

 

数週間、一緒に暮らせた。一緒に赤ん坊の世話をし、一緒に台所に立った。それは出産直後の大変な時期だったけど、娘として母に甘えられる幸せな時間でもあった。母も嬉しいんじゃないかな、なんて思っていた。単純で愚かだった私。

 

静岡に母の暮らしはあり、その生活を犠牲にしてはるばる来てくれたのだ。一人残された父は、ほとんど家事ができない人だ。心配だったことだろう。慣れない台所も使いにくかっただろうし、少ない予算での買い物も、よく知らない若い男(私の夫ね)とのコミュニケーションも、気を遣ったことだろう。

 

居心地は良くはなかったよね。我慢を、多分、いっぱいさせてしまった。それを、一言も愚痴らず、甘えから出る私の無礼を笑って受け流したり軽く諭したりして、頑張りなさいよ、と手を振って帰っていった母。さっぱりしていた。

 

あの頃の私は、もっといてくれたらいいのに、くらいのことは思っていただろう。本当に馬鹿だね。子どもを生んだら誰かに助けてもらっていいんだなんて決まりごとは、どこにもないのに。助けてもらったら、感謝でしょう!

 

母自身は、私や弟を生んだとき、実の母親に手伝ってもらっていない。しかも、転勤族だった。どうやってあの大変な時期を乗り切ったんだろう。すごいなあ。

 

私の母は、どちらかというとクールで、私はハグとかされた覚えがない。昔の女性はそういう人がほとんどなのかもしれないけれど、なんとなく、子どもに対して冷めている感じがして、私のことをあまり好きではないのかなと、ずっとちょっと寂しかった。社交的な母は人気者で、私は母を楽しそうに笑わせる人たちにやきもちをやいていた。

 

母娘とはいえ、好きな所、苦手な所があるのは当然なんだけど。私は20歳で家を出たし、母と離れて暮らす年月の方が長くなって久しい。長く離れていると、不思議と良くしてくれたことばかりが思い出されて、懐かしく、胸が熱くなる。

 

思い出の中の母は、いつも物分かりが良くて優しい。母にとっての私は、どんなふうなのかな。

 

長い手紙を書きながら、高齢の母に、あと何回会いに行けるだろうかと考える。切なさと申し訳なさと、恋しさが募る。私の中の甘えん坊がべそをかく。

 

迷ったけれど、最後に「今度会ったとき、ハグさせてね」と書いてしまった。手紙っていいね。
明日は母の日。

 

ポノと人生とマインドフルネス

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真新しいランドセルを背負った、黄色い帽子の子が歩いている。私の娘たちにも、そんな頃があった。花吹雪の中を、弾むような足取りで帰ってくる姿を、歩道橋の反対側で見守りながら待っていた。

 

桜の花びらはガラス質の成分が入っているかと思うほど、一粒一粒が光をまとっていて、その下を歩く小さな人たちは眩しく、無条件に世界から祝福されているのだと思ったものだ。

 

その娘たちも成長し、長女の娘は2歳の、次女は25歳の誕生日を、今日迎えた。

 

トートバッグの底に、少し小さく色濃くなった花びらを見つけ、嬉しいような寂しいような気持になる。毎年、家族でお花見をすると、花びらは何枚か家までついてきたっけ。娘たちのパーカーのフードの中とか、夫の襟元とか、たたんだ日傘の中とか。

 

始まりの月でもある4月は、気持ちを新たにした思い出が多くて、舞い落ちる桜の花びらを見ると鮮やかに、スイッチを入れたかのようにその映像がよみがえることがある。

 

竹内まりやさんの歌に「人生の扉」という素敵な曲があるが、今、しみじみとその気分に浸ってしまう。

 

 満開の桜や 色づく山の紅葉を
 この先いったい何度
 見ることになるだろう
 ひとつひとつ 人生の扉を開けては
 感じるその重さ
 ひとりひとり 愛する人たちのために
 生きてゆきたいよ

 


そう、人生の扉は、いつからかどんどん重くなっていった。子どもでいられた頃は、無邪気で軽やかな、好奇心の扉ばかりだったのに。

 

特にここ10年ほどは、とてもきつかった。不運とか病気・怪我が続き、更年期も重なり、人生における大きな危機が短い周期で訪れた。我ながら、よく乗り切ってきたと思う。

 

毎日を機嫌よく、心豊かに暮らしたい。春風のように人に優しく、穏やかに。口角を上げて、感じのいい笑顔を向けて。

 

それだけを目指した。たったそれだけのことが、本当に難しかった。心に余裕を持てず、人にも自分にも丁寧に対応できない時期が、長く続いた。

 

アロマセラピー、散歩、刺しゅう、好きな仕事、好きな人との会話、ささやかなお洒落や化粧、植物との触れ合い・・・etc。
「このままではいけない、自分をケアしなくては」と、いろいろなものに助けを求めた。

 

おかげさまで、今はとても気持ちが安定している。相変わらずバタバタして焦ることもあるけれど、心に余裕がなくて苦しい、ということは最近思ったことがない。

 

どれが良かったのか。多分、相乗効果だろう。そして、一番私に効いたのはホ・オポノポノだったのだ、と思っている。

 

ホ・オポノポノに関しては、過去に何度か書いているので、よろしければ。
(最初のうちは勘違いしている部分があり、読み返すと苦笑いしたくなります^^;)

tsukikana.hatenablog.com


ところで最近、「マインドフルネス」という言葉をよく聞くようになった。

weblio辞書によると、

 

「マインドフルネス」とは、自分の気持ちを“今、この瞬間”に意図的に向けて、現実をあるがままに知覚すること、あるいはそうした心の状態を体得するためのトレーニングを指す言葉。
メンタルヘルスを整え、創造性や集中力を発揮するためには、“今、ここ”に意識を集中し、とらわれているネガティブな感情や思い込みから離れることが有効だと考えられている。
これは仏教の瞑想(めいそう)法に由来する概念で、欧米では1970年代頃からストレスに対処する技法として普及し始めた。
近年はうつ病の再発防止を目的とする心理療法に導入されるなど、医療や教育、人材開発の現場でも注目を集めている。

 

とのことである。


「今この瞬間」に集中する。そのことによるメリットは大きく、雑念や無駄な思考を手放すことができ、漠然とした不安と決別できる。ストレス軽減、集中力アップ、自律神経回復といった効果があると言われているそうだ。

 

マインドフルネス状態を目指すトレーニングとして「マインドフルネス瞑想」などがあり、企業や政府機関の研修でも取り上げられているという。世界的に注目を集めているので、私もきっと、TVや新聞で目にしているのだろう。

 

この聞き覚えのある言葉についてちょっと調べ、すぐに思った。
「これは、ホ・オポノポノのクリーニングと同じね!」

 

私が毎日している4つの言葉を唱えるという実践。そして「HA(ハー)の呼吸」と呼ばれているポノの呼吸法。これはそのまま、マインドフルネス瞑想ではないか。

 

一般的なマインドフルネス瞑想では、訓練を続けるほど気づく力が育まれ、幸福感が高まることが知られているそうで、それもポノのクリーニングと同じだ。

 

タイミングを逃さずクリーニングするためには、感情を捕まえるという訓練がいる。訓練といっても、ただ何度でもトライし繰り返していく、それも楽しみながら、というものなので、少しも苦しくないのだが。

 

 ごめんなさい
 許してください
 愛しています
 ありがとう

 

この4つの言葉を、自分の内面に向かって投げかけるのが基本的なクリーニング。何かが起こって動揺したときや、感情が動いたとき。喜怒哀楽、どの場合も、すぐに言葉を投げかける。それは難しくはないが、つい忘れがちだ。だから、何度でも繰り返すことで習慣にしていくということが、ポノにおいては訓練なのかも。

 

実は、4つ全部言わなくても「愛しています」だけで大丈夫なのだそうで。この言葉には、他の3つの意味も含まれているからとのこと。もっと言えば「I love you.」でOK。この方が言いやすいのなら、何かあるごとに「I love you.」と心でつぶやくのも良いかも。時短だしね。笑

 

自分の心の動きに気づくということは、集中するということ。本当なら言葉掛けも必要ないのかもしれないけれど、ポノの場合、「言霊(ことだま)」の力も借りているのかなと思う。何百年も前から伝承されているハワイの問題解決法なのだから、神秘的な要素があって当然だし、私にはそこも魅力だ。

 

ただ、最初のうちは、スピリチュアルと聞いて少し距離を取っていたのを覚えている。当時、ネットで調べると否定的な意見も散見されたし、逆に妄信的な人の話にもちょっと違和感があったし。

 

今では「どうしてみんな、ポノをやらないんだろう」くらいに思っているのだけどね。

 

抵抗を感じる人がいるのも、以前の自分を思い出せば理解できる。怪しい、胡散臭いと思ったり、何かの商法じゃないかと思ったりするのだろう。でも、マインドフルネスのひとつの方法と考えたら、どうだろう。お金もかからないし。(セッションやクラスの受講は有料だけど、参加しなくてもクリーニングはできます)

 

本も何冊も出ているけど、無料でダウンロードできる電子書籍もあるので、こちらで様子を見るのも良いかも。


(累計21万部の人気ブックス)
『あなたも魔法使いになれる ホ・オポノポノ』


私の実感としては、小さな問題は割と早く方が付き、厄介な問題は時間がかかる。でも「なるほど、そう来るか!」というくらい思いがけない方向に道が開いたり、問題そのものを問題と感じなくなったり、一生懸命、画策を試みていた自分がちっぽけだったなぁと思えることが何度かあった。

 

表層意識で考えることなんてたかが知れてる。宇宙規模で根回ししてくれるのが、ホ・オポノポノなのね。

 

小さなラッキーやタイミングの良さは、もう頻繁に体験している。まあ、信号にぶつからず目的地に行けたとか、近づいても小鳥が逃げなかったとか、コンビニのくじを引くと、いつもコーラや炭酸水を当てるとか、本当に可愛いものだけど。笑

 

年のせいだと思ってた物忘れやうっかりの多さも、最近はあまりない気がする。大事なことはタイミングよくふっと思い出し、大体は間に合う。インスピレーションという言葉を実感する素敵な体験だ。

 

シンクロニシティもよく感じる。TVをつけたら、ちょうど知りたかったことの特集をやっていた、ということも増えた。どうしてるかな、と気になってた人からお誘いの連絡が来るとかね。

 

何をやっても裏目に出て、周囲からの攻撃を警戒して、上手く振舞えず、しなやかに生きるってどうやればいいの?と自分を情けなく思っていたあの頃の私を思えば、今は別人になったみたい。自分を大切にするということの意味を、ポノに教えてもらった気がする。

 

多分、まだ少し人生は続く。問題も次々に立ち現れるだろう。でも、今は前ほど生きていくのが怖くない。

 

「今この瞬間」に集中する。「期待」をクリーニングし、「判断」をクリーニングし、「焦り」をクリーニングし、私は今日も少しずつ、重荷を下ろして軽やかになっていく。

 

・・・来年の桜の季節、どうしているかな。
人生っていろんなことがあって、面白いね。面白がって、生きていきたいね。
そう、春風のように機嫌よく♪

 

歌うように春散歩―西城秀樹さんの魔法かな

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桜は開花した。見頃はもう少し先になるが、散歩道を歩いていると桜の樹々がその存在を訴えてくるように感じる。

 

ああ、久しぶりだね。

 

冬の間も桜はそこに立っていたのに、まるで遠路はるばる戻ってきたかのように思え、つい声を掛けたくなる。

 

足元にはタンポポの綺麗な黄色。ムスカリの紫も可愛らしい。ユキヤナギも花盛りで、弓なりの枝に真っ白な花をどっさりと、まさに雪が積もったかのように咲かせている。花はいいなあ、と素朴な感動。

 

あっちに気を取られこっちで立ち止まり、を繰り返す私の傍らを、ジョギングやウォーキングの人たちが追い抜いて行く。運動にもならないような私の散歩だが、心の健康のためにはきっと、とても効いているはずだ。

 

いくつかの問題を抱えている。

 

自分からは働きかけようがないものは、ただ心配をしているだけだが、解決に向けて自分から動き出すべきものは、どのタイミングでどう打って出ようか、ちょっと悩んでいる状態。もちろん、問題解決法のホ・オポノポノを実践しながら。ポノを知っていて、本当に良かった。

 

外気の中を、風に吹かれて歩いていると、物事をポジティブに考え直せる気がする。今日のような青空の広がる日はなおさら、気持ちが軽くなっていくのがわかる。花粉症の人には申し訳ない気がするが、私はこの季節の外歩きがとても楽しい。

 

鳥たちも春を喜んでいるのだろうか、元気いっぱいだ。カップルで寄り添うカルガモも、よく見かけた。もう少ししたら、ひな鳥たちの愛くるしい行列が見られるのかな。聞き慣れない野鳥の声もした。そうだ、今年も探鳥会に参加できたらいいな。

 

歩いている間、脳内では音楽が再生されている。それは西城秀樹さんの歌。もうずっと毎日聴いているのだから、当然なのかもしれないけど、ちょっと不思議な気分になる。去年の今頃は、HIDEKIのことがこんな風にライフワークになるなんて、思いもよらなかったから。

 

少女期にドキッとして夢中になって、でも大人になるとともに離れていって。何十年もたって、その恋心がよみがえる。そのきっかけが訃報だったことがなんとも切ないのだけど。

 

YouTubeで在りし日の姿を繰り返し見て、亡くなったことがじわじわと悲しくなってきたのが去年の梅雨時。やっぱり素晴らしい人だわと、想い焦がれて追いかけて。そうはいっても、そのうち気持ちは落ち着くのだろうと思っていた。でも、終わりそうにない。

 

最初は私だけが変なのか?と思ったのだけど、YouTubeのコメント欄や匿名掲示板を覗いてみると、同じような人がたくさんいて驚いた。「どうしちゃったんだろう、私」と戸惑いながらHIDEKIにブーメランで帰って来る人が、どんどん増えているようなのだ。集団催眠術にでもかかったみたい。

 

孵化したヒナが最初に見たものを親と認識するように、少女期の恋が刷り込まれてしまっていた?いやでも、時を超えてファンに戻る人だけではない、新規でファンになったという人も大勢いる。

 

本当、魔法みたい。年末には生まれて初めて、テレビ番組にリクエストハガキを出す、ということをした。HIDEKIを追悼する特別番組があるからと、何十年ぶりかで家でラジオを聴いた。それも泣きながら!「この私が?」なことばかり。こんな風になるなんて。

 

今年に入ってからも静岡まで西城秀樹展を観に行ったり、CD-BOXを買ったり、TwitterでHIDEKIファンさんたちのつぶやきを拾ったりで、その想いに衰えは見えない。いや、ますます熱を帯びてきた?

 

優しい目で見てくれていた家族も、さすがに「え?まだ?」という感じで引いているのがわかる。これは、隠れキリシタンのように潜るべきなのか?と寂しく思っていたら、誕生日に夫がHIDEKIのCDとフォトエッセイをプレゼントしてくれた。今までのどんな贈り物よりも嬉しかった!笑

 

ネットの時代であることもありがたい。10代から還暦まで。膨大な数の歌を残してくれた西城さん。そして、大切に保存しておいた画像や音声、貴重な映像を、惜しげもなく披露してくれる古参のファンの方々にも、感謝の言葉しかない。

 

少女の頃のように、毎日ときめきを感じていられるから。ただ、その人はもういない、という現実に向き合うと、やはりかなりツライけど。泣くけど。

 

先日は、西城さんの初のオールタイムシングルBOX『HIDEKI UNFORGETTABLE』発売決定のニュースが入り、Twitter上にファンたちの喜びの声が飛び交った。ファンからのリクエストが殺到し、昨夏から企画、レコード会社3社の枠を超えて発売に至ったそうだ。HIDEKIファン、すごい!

 

発売はもちろん嬉しく、すぐに予約をしたけれど、それ以上にHIDEKIのことがこんなに明るく大きく話題になったこと(悲しい話ばかりだったから)、各メディアが丁寧に紹介してくれていると感じたことが、何より嬉しかった。

 

そして使われている画像は、私が大好きだった「HIDEKIお兄ちゃん」。誰よりも元気いっぱい、明るくて若さに輝く、あの西城秀樹だ。キャーッと叫びたくなる。笑

 

一昨日の3月25日は、西城さんのデビュー記念日。1972年のこの日、「恋する季節」でデビューしたHIDEKIは、まだ16歳だった。たったそれだけのことで、また泣きそうになる。

 

このまま、魔法にかかったまま、私はこれからも年を重ねていくのだろう。今日は20代の頃の歌を聴こうかな、それとも40代のにしようかな、なんて毎日迷いながら。

 

今日の散歩中は、デビューして間もない頃の声が脳内再生されていた。あの、可愛いハスキーヴォイスが大好き。パチパチとはじけて煌めくサイダーみたい。春の日の散歩にぴったりだ。

 

心で歌いながら歩いていたら、胸にあるいくつかの心配事も、なんとかなる気がしてきた。天候の変わりやすい春は、晴天がとても貴重だから、お天気の日はやりたいことがたくさんあるのだけど、やっぱり散歩を優先させて良かった。

 

さあ、機嫌よく美味しいご飯を作ろう!

 

財布を包む布。施した刺しゅうで金運、あがるかな?

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ずっと作ってみたいものがあった。全然難しいものではない。お財布の寝具、というか、包むもの。一枚の布でいいのだ。布端が、ちゃんとかがってあれば。

 

そんなの、すぐに出来るじゃない。なんで今まで作らなかったの?と言われれば、後回しにしてきた、としか返せないのだけど。

 

そもそも、何故、お財布の寝具?

 

それは、何年か前の人間ドックでの待ち時間、手にした雑誌の記事を見たことにさかのぼる。そこに書かれていた特集は、お財布の扱い方について、だった。

 

お金が貯まる人は、お財布をこんなふうに扱っている、という、割とよくある話だったが、そのときは時間がたっぷりあったためか、つい熱心に読んでしまって。で、お財布に対する自分の雑な扱いに、愕然としたのを覚えている。

 

レシートは入れっぱなしだし、お札の向きも揃えていないし、小銭で膨らんでてもそのままだし、カード類も何枚入れていることやらだし。それ、全てNGだから!

 

あかんわ、私。お金貯まらんわけや!(何故か関西弁風に)

 

お財布にもお金にも、アイデンティティがあって、大切にしてくれている人のもとへ行きたがるのは当然のことだと。そして、お金はあちこち旅をしている。あの財布は居心地が良いぞ、と、旅の先々でクチコミまで行うらしいのだ。

 

参ったな。私の財布、お気に入りではあるのだけど、お金さんには決して居心地の良い環境ではないみたいだ。私の財布はお金さんに嫌われてるかも?

 

私は猛省した。(ちょっと大袈裟)

 

そもそも、お金に対して「足りないなー」「もっと欲しいなー」と思いはするものの、あんまりお金、お金と考えるのは品がない、だとか、キッチリしすぎも計算高い感じでカッコ悪いだとか、私、すごく失礼なことを考えているヤツだった。お金って、人の心を惑わす汚いもの、くらいに思ってたかも。ネガティブに捉えることが多かった気がする。

 

ああ、お金さん、ごめんなさい!

 

その後、お財布の中を整えることは、少しはするようになった。

 

そういえば子どもの頃、母のがま口の中を小銭の種類別に整理するのが好きだったっけ、などと、何故か思い出したりして。お金は純粋に楽しくて、夢のある存在だったんだよね、私にとっても元々は。

 

さ。続いて、お財布さんにとっての居心地について。

 

外から帰って、バッグに入れっぱなしというのは、すごく良くないらしい。そのバッグを床に置いてしまうのは、ますます悪いとのこと。さすがに床に置いたりはしていなかったが、バッグに入れっぱなしは日常だったわ、私。

 

ああ、お財布さん、ごめんなさい!

 

お財布には、家の中にくつろげる定位置が必要らしい。あまり人の出入りしない静かな所が良いそうだ。ゆっくり休んでもらえるように、寝具のようなものを用意してあげればベストだと書いてあった。布で巻くだけでも良いそうだ。

 

去年、ふとこの話を思い出して、ハンカチでくるみ引き出しにしまうようにしてみた。

 

・・・うん、大切にしている感じが出てきたかも。気に入って買ったお財布だったのに、だんだんぞんざいに扱うようになってきてたよねと反省し、なんだか申し訳なく思えてきた。

 

そして今年になり、その申し訳なさを形にして、もう少しお財布さんに喜んでもらおうという気持ちになってきた。すごく長くなったけど、それが冒頭に書いた「お財布の寝具」である。

 

確か、あの記事には布はラベンダー色が良い、と書かれていたっけ。100円ショップでラベンダー色のカットクロスを買い、周囲をかがり縫いする。それだけでも良いのだが、ここはひとつ、刺しゅうでもしようではないか、と思い立つ。

 

既製のデザインではなく、自分で考えようと思った。以前「可愛いな」と思って写真を撮っておいたお店の看板のデザインを参考に、刺しゅうしやすくなるよう省略や誇張をし、ノートに絵を描いてみる。

 

えーっと。やっぱり、お金と仲良しになりたいから、「実のなる木」がいいだろうと思ったのだけど、そこのところは、そんな気がしただけだから、正しいのかはわからない。色も、ゴールドを感じさせる実が良いのかなと、これもなんとなく。でも、良さそうでしょ?笑

 

そして、チクチクと針を動かす。幹や枝はバックステッチ。大小の実は、バックステッチとサテンステッチ、それからフレンチナッツステッチ。たったこれだけ。すぐに出来てしまった。

 

ほんの短い時間だったけど、久しぶりの刺しゅうは楽しかった。「可愛くなーれ」という気持ちに「お金さん、おーいで」という気持ちが加わって、我ながら可笑しかった。でも、これって・・・こんなふうに願いを込めながら糸仕事をするって、きっと昔からみんな、やってきたことなんだろうね。

 

「背守り」というものがあると、以前「猫のしっぽ カエルの手」という番組で知った。子供の服の背につける縫い目のおまじないは、江戸時代から行われていたとか。背中に忍び寄る魔物(厄災)から我が子を守ろうと、祈りを込めて魔除けのしるしを縫う母の愛情が、温かいね。

 

ひるがえって私の金運を願う心は・・・いや!これも大切だから!(ブルブルッ)

 

さて、話は戻る。
願いを込めて刺しゅうを施した布に包んだお財布。この際だから定位置も変えてみた。前の場所よりは静かだ。落ち着いて、安心して、くつろいでくれるかな。

 

人目につかない場所だから、この刺しゅうは人に見せる機会はほぼないだろう。純粋に、お財布さんのために刺しゅうしたのだ。「そこのところを評価してほしいわ、金運の神様」なんてつい思ってしまう私は、はい、まだまだだね。

 

でも本当に、お金もお財布も、これからはもっと大切に扱おうと思う。それは、拝金主義や守銭奴みたいになるということでなく、その存在を尊重し、良い関係を築いていこうという気持ちでいること、なんだよね、きっと。ポジティブなイメージを持ちたい。

 

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いつの間にか、周囲は年下ばかり?

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書くことを仕事と決めて、何十年たっただろう。新聞社や小さな出版社で取材記者をしたり、フリーでライティングや編集をしたり、企画出版(自費出版ではなく商業出版)で本も一度出した。途中ブランクも度々あったし、事務や販売の仕事をしたこともあったが、今また細々とだけど、フリーランスでライターの仕事を続けさせてもらっている。

 

20代の頃は、仕事仲間も取材先も、年上の人ばかりだった。社内外の大人たちに、叱られたり励まされたりして、育ててもらった。いっぱい恥をかいて、いっぱい衝突して、認めてもらえれば嬉しくて、背伸びするように仕事をしていた。憧れの先輩たちに近づきたかった。

 

いつからだろう、まわりに年下の人たちが増えてきたのは。私が子育てで仕事を休んでいた頃からかな。打ち合わせに出向くと自分が一番年上だった、ということが多くなった。上司です、と紹介され出て来た方もお若くて!・・・そういうのにも慣れてきた。

 

近年では、仕事に限らず様々なコミュニティで、一番の年長者になってしまっている気がする。気にしなければいいのだけど、ちょっと居心地の悪さを感じるのは否めないかも。笑

 

ここのところ、ドクターにインタビューする仕事が続いている。自分より年上のドクターを取材したのは一度だけで、先日お会いした方は40歳になったばかりだった。

 

患者としてお医者さまに診てみらうときは、最良の治療を受けたいという弱み?もあってか、どんなに若くて可愛らしいドクターでも、まずは従順な態度をとる私。先方も医師として私に向き合うので、ヘンな表現だが「年上っぽい」。

 

でも、この仕事では取材する側と取材される側で対等(本当は診療もそうであるべきなのだけど)、社会人として敬意を払いつつ、この限られた時間を有意義に使うことにお互いが協力し合う関係だ。

 

そう、限られた時間。これが今回は、諸事情でいつもの半分ほどになると、取材直前に担当者から告げられた。そう来たか!瞬時に作戦を組み立て直す。

 

どんな方だろう。ご自分から発信したいと申し入れてきたそうだから、積極的にしゃべってくれるタイプかな。担当者も会ったことがなくわからないらしい。様子を見て、空気よみよみで(笑)進行してほしいと。もちろんそのつもり。問題は、時間がないこと。

 

で・・・
全然、積極的じゃなかった。とっても好人物なんだけど、質問してから「うーん」と考え込んで、悩んで答える人だった。時間、ないんだけど!

 

焦る思いはひた隠しにして、私は彼がしゃべりやすい雰囲気づくりに務める一方で、ノッてくれそうな話を猛スピードで探った。自分の中のありとあらゆる引き出しを引っ張り出して。

 

この方が発信したい内容を、短い時間で過不足なく聞き出したい。できればご本人の本来のキャラクターも引っ張り出したい。せっかく発信するんだもの、いいものにしましょうよ!早くしゃべって!頑張って!

 

ゆったり微笑んでふむふむと頷きながらメモを取る私。しかし、頭の中は高速フル回転だった。でも、自信はあった。それはいわゆる「年の功」なのかもしれない。

 

無事、取材が終わり、残りの撮影をしながら雑談が始まると、ドクターの表情が明るくなってきた。発言もスムーズ。口下手なのではなく、緊張していたのだ。なんだ、こんなにしゃべれるんじゃない~、と力が抜けそうだった。笑

 

「いまからもう一度、やりましょうか」なんて冗談を言い合いながら、こうしてがチガチに緊張して取材を受けてくれることも、この方の魅力なんだよな、と思っていた。そして同時に、私にならその魅力も書くことができるわ、と。そんな風に当たり前に自分を信頼できることが嬉しかった。

 

それは、プロ意識というよりも、経験値。この仕事を長年やってきたということもあるけど、それ以上に人生を長くやってきたことによる引き出しの多さへの、信頼なんじゃないかな。伊達に苦労はしてないよ。なんてね。

 

若い人たちに囲まれていると、こんな年齢でこの場にまじっていていいのだろうか、と思うことが多々ある。今の若い人たちは、私の若い頃よりも概ね真面目で、礼儀正しく、しっかりしている(気がする)。みんな優しいし、失礼なことを言われたことはないけど、本心では、自分の親みたいな年齢の私を煙たいと思うこともあるんだろうなあ。

 

IT系の話はついていけてないし、専用のシステムもなかなか使いこなせない。昭和っぽい価値観もどこか染み付いていて、足を引っ張っているかもしれない。

 

でも、人生の経験値や引き出しの多さが、仕事にプラスとなるシーンが多いのは確かなのだと、これも経験から知っている。窮地では私を勇気づける武器にもなってくれる。

 

周囲より年を取ってることに引け目を感じたり、ジェネレーションギャップに途方に暮れることもしばしばある。けれど、むしろそれを面白がっていきたいものだよね。

 

もちろん、"今"を感じ取る柔軟な心は、老け込ませてはいけないし、澄んだ視線で若い人たちから学ばせてもらう姿勢も大切にしていきたい。そこは私、素直だから。(誰に売り込み?)

 

ところで、私の同級生はあと数年で定年を迎える。そんな年になったのかと思えば、急に老後が迫ってきたようで身震いしそうだ。私の仕事には定年はないから、健康である限りリタイアせず、信頼してお声を掛けていただけるのなら死ぬまで書き続けたいと思ってはいるのだけど・・・どうなるのだろう。先のことはわからない。

 

不思議なのは、人生の終い(しまい)支度についてはよく考えてるくせに、仕事に関しては"しまう"どころか、これからもっと仕事を通して成長したいし、発展させたいと願っている自分がいること。これって矛盾してる?

 

何かを成し遂げたいなどという大それたことではなく、まだまだ面白そうなことが待っている気がしてならないのだ。変に画策したりせず、日々を、一瞬一瞬を大切にすることで、良い流れが作り出せるのではないだろうか。素敵な波乗りができるのではないだろうか。

 

かつて私を鍛えてくれた先輩各位に尋ねてみたい。「だからお前は甘いんだ!」と叱られてしまうかな?

 

川べり散歩の途中、早春の光の中。若き日の、生意気盛りの自分を懐かしく思い出している。まだ人生は続いている。

 

モリスの美学に憧れて

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引越しのときに断捨離をした。あれから約3年。新しい生活のモットーとして「シンプル&コンパクト」を掲げたせいか、あるいは容積のなさが気持ちにブレーキをかけているおかげか、再び大きな断捨離をしなくては、という状況にはまだ至っていない。

 

・・・本当だろうか。

 

冷静に見渡せば、確実に、あれからモノは増えている。増やしてしまうことに対する後ろめたさはあって、何か買うときは一応「どうしようかなー」と迷うのだけど、結果的に買ってしまっていることが多いようだ。

 

本、植物、文具、手芸品、器、キッチングッズ・・・etc.

 

補充ではなく買い足しだ。服はそれほど買っていないつもりだったが、意外と増えている。あと、雑誌の付録のトートバッグやポーチも数個、未使用のまま「いつか」の出番待ちをしている。細々としたモノたちだが、じわじわと空間を侵食している。

 

それから、モノが増えることによって定位置も怪しくなってきた。

 

引越し直後は、荷ほどきと同時にそれぞれのモノの置き場所を決めることに熱心だったのだけど、だんだん気持ちが緩んで、収納場所がいっぱいだとその辺にとりあえず一時置きしたり、違う場所にしまったりすることが増えた。引き出しやカゴに入れればひとまず目障りでなくなるので、つい。そしてそのまま忘れることも多くなり。

 

「あれどこいった?」のセリフ、最近よく言うかも。今も、おくすり手帳が見当たらず、ちょっと困っている。

 

まだいいか、とは思っていたけれど、いや、そろそろまた大掛かりな片付けをすべきなのかもしれない。ただねぇ・・・あの"祭"には結構な決意と覚悟が必要で。

 

引越しのときの断捨離について書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


近藤麻理恵さんの片付け指南本やネットの記事などで、一通りの理屈やコツは理解しているつもりなのだが、素敵にシンプルに暮らすのって「言うは易く行うは難し」なのである。

 

捨てるために「要・不要」の仕分けをするのも、処分の方法を選ぶのも、残ったものの収納場所や収納方法を考えるのも、かなりのエネルギーを要する。コンディションの良いときに、何かに触発されるなどのきっかけを得れば、ワクワクした気持ちでできるかもだけど・・・それはいつ?笑

 

ワクワクとか「ときめき」とかで言えば、片付けるときより圧倒的に、買ったりいただいたりするときの方があるのだもの、難しいよね。ただ、そのワクワクやときめきは、ホンモノであり持続するのか?という視点を持つことだけは、モノを入手するとき、忘れずにいたいと強く思う。

 

ところで先日、新聞販売店さんからチケットをもらったので「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」を鑑賞してきたのだが、これがとても良かった。

 

ウィリアム・モリス(1834-96)
19世紀後半のイギリスで興ったデザイン運動「アーツ&クラフツ」を牽引したデザイナー、詩人、思想家、工芸家

 

ウィリアム・モリスのデザインが昔から好きで(特に《いちご泥棒》)、さすがに壁紙という訳にはいかないけれど、布や小物をよく買っていた。新聞社勤務時代、社の主催した展覧会で、モリスを中心とするアーツ&クラフツ運動を紹介するというものがあり、その仕事に携われたことが今も嬉しく思い出される。より深く、モリスの美学を感じることができたから。

 


 役にたたないもの、
 美しいと思わないものを、
 家に置いてはならない。

 HAVE NOTHING IN YOUR HOUSES
 THAT YOU DO NOT KNOW TO BE
 USEFUL OR BELIEVE TO BE BEAUTIFUL.

                WILLIAM MORRIS

 


これだ。
私、ここを目指す!

 

心で叫んだなあ、当時。
あまりに有名なモリスの言葉ではあるが、改めて自分の理想を見た思いがして、清々しく潔く暮らす(生きる)ための道標にしようと決めたのだった。

 

今回の壁紙展も、副題に「美しい生活をもとめて」とある。自分の思うところの"美しい生活"をもとめていきたい。

 

モリスのようには、手仕事の素晴らしさを感じさせ自然美を讃えるような作品ばかりを収集できないし、ましてやデザインすることなんてできないけど、そういう精神に近づきたいということなのだ。

 

人によって、役に立つものも違うし、美しさの判断も変わるものだし。モリスの美学を投影した私の美意識を、判断基準とすればいい。

 

そんな思いを持ち帰り、家を見渡せば・・・。
自分の基準に変えても、役に立たないもの美しくないものの、なんて多いこと。笑

 

今は使っていなくてもすごく愛着があったり、美しくなくても大切な思い出があったり。そういうモノは捨てなくていいと、私は思っている。それは私にとって、役に立つものだから。

 

問題は、もう要らないと思っていて、捨てよう捨てようと先延ばしにしていたら、思いの外、役立つときがきてしまい、捨てなくて良かった!という経験があることなんだよね。だから、迷う。高いお金出して買ったものだったりすると、余計に。

 

でも、それにしても、そういうのって、カッコ悪い気がする。生き方から考えれば、私の理想とは程遠いのでは・・・。

 

清々しく潔く生きたいんだよね?と自分に問いかける。自分が美しいと思うものだけに囲まれて暮らしたいんだよね?モリスの精神、美学に憧れてるんでしょ?と畳みかける。

 

うーーーん!
さあ、断捨離しようかなっ!
ちょっと「触発」されたみたい。頑張れそうな気がしてきた。
あとは・・・コンディションだね!(逃げ道を残す)

 

断捨離は、取り掛かる前から精神鍛錬だとつくづく思う。だからこそ、"人生を整える"手段のひとつになり得るのかなあ。

 

虎にマーブルチョコレート

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遠く離れて暮らす老親問題。最近、雑誌や書籍の広告などでよく見かけるテーマだ。多くの人が抱えている問題なのかな。それとも自分が気にしていることだから、目に飛び込んでくるのだろうか。

 

私と弟も、そろそろ今後のことを話し合うべき時期だねと思いつつ先回しにしていたところ、ついに主に父の要望で小さな家族会議をすることになり、先日、実家に集合した。

 

やはりテーマがテーマなので、楽しい帰省ではなく、はっきり言って気が重かった。

 

かかりつけ医や病歴を訊き、健康保険証、障がい者手帳や年金手帳、通帳などの保管場所を尋ねる、くらいはまだ良いが、どんな最期の迎え方がしたいか、脳死状態での経管栄養や人工呼吸での延命措置を望むか、危篤時は誰に知らせてほしいかなど、「そのとき」を意識せざるを得ない話になってくると、気分が悪くなってきた。

 

私が作っていった簡単なレジュメには、その先に「先立たれたとき」の話もある。両親のどちらかが先に逝ったとき、残された者として自宅にひとりで住みたいか、子と同居したいか、他の手段を望むか、という話だ。そこまでは、当日に聞き取らなくても良いと思っていた。考えておいてね、という項目だったし、そういう表現もしてあった。

 

淡々と真面目に答えたりメモを取ったりする母。なるべく明るいムードで事を進めようとする弟。しかし、この集まりを一番強く求めていた父の様子がどこか変だ。すぐに話を脱線させる。今日はここまでにしよう、みたいなニュアンスに持って行く。そして、努めて冷静でいようとしていた私は、実はすごくイライラしていた。

 

私だって気分が悪いよ。こんな話は楽しくないし、むしろ辛いし。でも、しておかなきゃいけないって、自分で言って私たちを集めたんでしょ。

 

しかし、諦めた。父は軽く感情障害を起こしているのかもしれない。そして多分、私も。やっぱり、一度に全部をテーブルに乗っけるのは、乱暴だったのだ。

 

その晩、お酒が入ると私と父は衝突した。久しぶりの親子喧嘩。86歳になっても、あんなに大きな声で怒鳴れるんだね。そして私も、いいトシしてまあ・・・

 

私は自分の中に一匹の虎がいることを知っている。それを飼い慣らし飼い慣らし生きてきた。穏やかな人間でいたかった。しかし、胸の奥に潜むその虎の存在が、自分が弱ったときに支えにもなってくれたのは確かだ。

 

その虎が暴れた。私の抑えを振り払って、父に吠えた。そしてその虎は、他ならぬ父譲りなのだ。思春期の頃のように取っ組み合いこそしなかったけれど、かなりの暴言を吐いた・・・と思う。

 

やってしまったな。疲労感だけが残り、もうこれはどうしようもないのだと、自分に言い聞かせる。自分の中にある、ずっと抑え込んできた粗野で荒ぶる性質が、思いがけず表出してしまったことにショックを受け、脱力している。虎は・・・奥の方でシュンとしている。時々、まだちょっと唸りながら。

 


「お前はマーブルチョコが好きだったなあ」

 

昔、私と娘たちとコンビニに行ったとき、父が私にそう言ったことがある。孫娘たちにお菓子を買ってあげようとしているときだ。

 

「そうなんだ。私はマーブルチョコが好きだったんだ」

 

小粒でカラフルでツヤツヤしている。可愛いし、なんとなく夢がある・・・マーブルチョコレートのことは確かに好きだわ、私。

 

それから時々、自分のためにマーブルチョコを買ってきた。父が目を細めて、幼い私を語ってくれた顔を思い出して。

 


自分に孫ができてわかったことがある。人は「子どもより孫の方がずっと可愛い」と言うけれど、そんなことはない。もちろん孫は可愛いけれど、私は孫娘を見るたび娘たちの幼い頃を思い出し、世界で一番可愛いのは我が娘たちだと思うのだ。

 

決して仲が悪いわけじゃなくて、むしろ昔から愛情が濃すぎるきらいがある、父と私。威張りん坊の昭和一桁生まれの父親に、若い頃の私はずいぶん反発したものだった。でも成人してからはずっと穏やかな関係が続いていたのにね。どうしちゃったんだろう。

 

衰えていく親を、帰省の度に見るのは切ない。そしてついには、お別れのときを意識しなければいけなくなったのかと、年齢を考えれば当たり前のことなのに動揺してしまう自分がいる。

 

あんなに強かったのに。
あんなに私にアドバイスしてくれたのに。
あんなに格好良くて自慢のお父さんだったのに。

 

そんな風に思ってしまってはいけないんだろうけど、小さな失望が積み重なっていくのが哀しい。それは、老いてなお威圧的な態度を取る父を攻撃してしまう、言い訳にはならないけど。もっと、大人の対応ができる私のはずだったのに。(本当かなあ)

 


家族会議第2弾は3月に行われる予定。ゆっくり作戦を練り、今度は慎重に虎をなだめておこうと思う。


そうだね、時々、マーブルチョコレートを与えながらね。