一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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自分の中に変化を感じた2月―刺しゅうの可能性にときめく日々

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 今年は閏年だから29日まであるけれど、2月はやっぱり短くて、だからこそ大切にしてあげたくなる特別な月だ。柔らかな日差しは春の近さを感じさせ、時折吹く良い香りを乗せた風は、楽しい予感のようなものまで連れてくる。

 

ふと気づいたことがある。最近の私、「楽しかったー!」と言うことが増えたみたい。他にも「なんて可愛いの!」とか「嬉しい、ありがとう」「もー大好き♡」とか、素直な喜びの声が、臆面もなく口から飛び出している。もちろん良いことなんだけど、ちょっと驚いている。笑

 

PCが壊れて買い替えなければならなくなった等々、相変わらず金銭的な危機は繰り返しやってくるのだけど。それでも友情や家族の絆を感じる局面が多くなったし、そうそう、次女に勧められて応募した「セリアde川柳」は33,000を超える作品中の35作品としてノミネートしていただいた。グランプリは逃したけれど、やっぱり嬉しい。

 

先日は弟夫婦が遠くから遊びに来てくれた。義妹に会うのは何年ぶりだろう!とても楽しいひとときが過ごせて、今も胸が温かい。

 

外出も増えた私。街なかへ出るのがずっと億劫だったのに、年末に次女に連れ出されたのをきっかけに、結構な頻度で都心部に行くようになっている。

 

「54字の物語」を作ってみようという、氏田雄介さんのワークショップに行ってみたり、西城秀樹さんの写真集『HIDEKI FOREVER blue』出版記念パネル展にも(もちろん)出向いた(4回ね)。新聞社勤務時代からの飲み友おじさんたちから久々にお誘いがあり、笑いっぱなしの再会も楽しんだ。

 

そして、一昨日は「布博in名古屋」へ。"布"にまつわる作家さんたちの作品群が見られるとあって、雨の中、ワクワクしながら出掛けて行った。

 

一番のお目当ては、大好きな刺しゅう作家のatsumiさん。会場内ステージでのトークがあると知って、これだけでも入場料払って行く価値がある、と思ったのだった。

 

とても興味深いお話が聞けたし、想像通り素敵な方で嬉しかった。刺しゅうの魅力、その表現の可能性について、楽しく思いを遊ばせてもらえる時間だったと思う。

 

サテンステッチがお好きとのこと。私は苦手なの。でもそうだなあ、練習して好きになりたい。頑張ろう。「刺しゅうは好きなんだけど縫製は得意じゃない」というくだりには共感です!笑

 

会場を巡ると、オリジナルの服、生地、布小物、ニット、刺しゅうアクセサリーなどなど、今をときめく作家さんたちの自信作が山盛り。本当に素敵なものがいっぱいで、見ているだけで幸せな気持ちになれたし、自分の創作時に参考にしたくなるヒントをたくさん拾わせてもらえた。

 

中でも一目惚れで、その場から動けなくなってしまったのが、片山邦子さんのnico*iro (にこいろ)。染めたオーガンジーに優しい色味のビーズ刺しゅうを施した、とっても繊細で愛らしいアクセサリーの数々にびっくり仰天。

 

綺麗すぎる。
どうやったらこんな素敵なものが作れるの?
私にもできる?
教えてもらえたらどんなに素敵だろう。
やっぱり刺しゅうってすごいわ!

 

・・・恋に近いときめき。

 

布と布雑貨では、温かみのあるお洒落なデザインを手捺染という技法を使って丁寧に染め上げ、手作業で縫製しているというnocogouさんが、私には特に印象的だった。とにかく、図柄が可愛い。それでいて上品で、ナチュラル、心地よい。森をデザインした布と、レモンとローズマリーをモチーフにしたマスキングテープを購入。

 

世の中にはお洒落で可愛くて素敵なものが、どんどん生まれているんだね。と、たくさんの実物を前に、感嘆しきりの一日だった。本当に行って良かった。

 

さて、この経験を私はどこまで活かせるかな?

 


ところで。
刺しゅうに関心を持つようになってからというもの、私はさまざまな「模様」に目が向くようになってきた。例えばTVで知ったイングランドの陶器デザイナー、スージー・クーパーのティーカップの模様。アステリを並べただけなのに、なんでこんなに可愛いんだろう、とときめいた。これ、刺しゅうで絶対再現してみたい!と。

 

マスキングテープの色柄や、包装紙のイラストにも、ときめくデザインを見つけては模写をする日々。道を歩いていても草花の形状や、見上げる木の枝のレースのような繊細さに感動し、スマホで撮影して参考にさせてもらう。

 

なかなか技術が追い付かないが、刺しゅうで試してみたいものがどんどん増えていく。この頃では風景などをゆるいタッチで描いてみたいな、という気持ちが膨らんでいて。

 

どこかで見た景色とか、何かで見た街角の絵や写真、映像。なんとなく懐かしいような、優しい気持ちになれるような風景を、スケッチ風に刺しゅうできたらいいな、と。

 

先日、まずは絵筆の使い方を教えてもらうような気持ちで、桜井一恵さんの図案集から海辺の景色を選んで刺してみた。麻布にシンプルに。糸の色数を抑え、細めの線もあえて真っ直ぐにせず。こういう表現も面白いなと思い、刺してる間中、楽しかった。次は、自分のデザインで描いてみたいなあ、と思う。

 

レモンイエローのスイートピーが視界に入る。優し気な姿に心が和む。

 

「楽しかったー!」をいっぱい乗せて、生まれ月なのでひとつ年齢も重ねて、甘い花の香りとともに2月も去っていこうとしている。3月もこのまま、明るい気分のままで春の訪れを喜べますように、と願いながら空を見上げた。

 

世の中には不安なニュースもあり、新型コロナウィルス感染拡大など本当に情勢が気になるけれど、どうか早く終息に向かいますようにと祈りつつ、とにかく予防、健康管理に気を付けたい。早く安心して日常生活を送りたいですね。

 

ビックリハウスに住んでいる?

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一年で一番寒いはずのこの時期。春のような温もりが部屋に満ちている。レースのカーテン越しにパステルブルーの空が広がり、遠く聞こえるヘリコプターの飛行音が眠気を誘う。

 

一昨日のこと。穏やかな昼下がりに、次女の寝顔を見下ろした。まだ熱が残っているようだ。

 

12月にひとり暮らしを始めた次女。しっかり自炊もして会社にお弁当も持って行ってるようで、元気に頑張っているねと安心していたのだが。

 

出張の帰りに突然具合が悪くなり、吐き気がするため新幹線で多目的室を使わせてもらい、降車した名古屋駅でもスタッフの方に親切にしてもらったらしい。そのままひとりの部屋に帰るのが不安で、私に「おうちに帰ってもいい?」と連絡してきた。

 

倒れ込むように玄関に入った彼女を布団に寝かせて、もうだいぶ落ち着いたよ、という言葉に一度は横になったのだけど。一晩中、何度もうなされて苦しそうで、私も夫もほとんど眠れぬ夜を過ごした。

 

翌朝、まだ病院に行ける状態ではなく、夕方になりようやく、起き上がってもふらつかなくなったので、近所の診療所まで送っていった。

 

この時期、インフルやノロ、新型肺炎など不安材料が満載で、怖い病気でないと良いけどと心配していたが、胃腸風邪だったようで少し安心。おかゆを食べられるようになった彼女の顔を見て、「回復する」ということのありがたさを噛みしめていた。

 

その翌日も次女は会社を休んで、夕方までこの家で寝ていた。私は、我が腕の中に戻ってきた娘を介抱しながら、胸に広がる甘い気持ちはなんなんだろう、と訝っていた。幸福感にも似た寂しさ、諦念感に近い愛情。

 

病気になったのは可哀想だし心配だけど、私たちの元へ帰る判断をしてくれたのは嬉しい。それはもちろん、自分の部屋に帰ったならどうなっていたかと想像し、焦る気持ちがあるからだろう。

 

でも、それよりも・・・頼ってもらえたのが親として嬉しい、という気持ちが強いかもしれない。また、子どもを看病するという行為への懐かしさ、感傷的な気分が、きっとあったのだ。

 

早春の窓辺。風邪をひいた幼い頃の娘たちと、私との親密性。そして遠い昔の小さな私と、看病してくれた若い母・・・

 

ミシッ。バチン。パンッ!

 

眠っている娘のそばで静かに自分の内面を見つめていると、そんな私を笑うかのように、家が音を立てた。

 

築30年を超える古マンションは、4年前に引っ越してきたときから、あちらこちらで音がする。当初は気味悪がったものだが、すっかり慣れてしまった。また鳴ってるわ、てなもんだ。

 

吊戸棚が突然落ちてきた事件もあったし、リビングのドアノブが動かなくなったことも。そのたび大騒ぎしたものだが、私はこのオンボロマンションが、結構好きになってしまっている。

 

「今日はよく鳴っているね」と起きてきた次女と笑い合う。次女はこの家を「ビックリハウス」と呼び、面白がる。そう呼ぶと、不思議と楽しく可愛く思えるものだ。

 

すぐにでも引っ越したいと思った頃もあったが、今はちょっと違う。もちろん、いつまでも住む家だとは思っていないけど、ご縁があってここへ導かれた気がして仕方ない。

 

私がこの家を愛することで、この家のもつ負の記憶が浄化される、そんな思いを持つようになった。今はその最中であり、それが終わったら自然な流れで、私はここを出て行くのだろう、きっと。

 

この町に来たのも、何か大きなものに導かれた気がしてならない。そしてきっと、そう遠くない日に、私はこの町ともお別れするだろうな、と感じる。

 

「ふるさと」と呼べるものがないに等しい私が、「ふるさと」に縛られることを嫌う夫と出会い結婚したのも、ただの偶然ではない気がする。根無し草、という言葉が脳裏に浮かぶ。

 

それでも私は毎晩、眠りにつく前に枕に頬をうずめて、こうつぶやいているのだ。

 

 私はこの枕が好きよ、このお布団が好きで、このベッドも好き。
 この寝室が好きでこのおうちが好き。
 そしてこの町が好きよ。
 ありがとう。

 

外国人向けなの?と笑っちゃうくらい高い位置にある、物干し竿かけの金具。規格外に大きな窓ガラスは、既製品のカーテンでは覆えない。リビングドアを外側に開くと隠れてしまう玄関の照明スイッチは結局使いづらすぎて、電球ごと人感センサーライトに変えた。

 

数え上げればきりがないほど、使いにくい家。失敗作かと思える、住みにくい家。でも、愛着が湧いてくると、それほど住みにくいとも思えなくなってきて、むしろ居心地が良いくらいなのだから、面白いものだ。

 

「ああ、ここは落ち着くわー」と伸びをした次女は、驚異的な回復力で元気になり、昨日無事に帰って行った。

 

もしかしたら、ビックリハウスのおかげかもしれない。と、私は秘かに思っている。なんとなくだけど、このおうちの機嫌がとても良くなっているのを感じるのだ。

 

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上手になりたい、とシンプルに思う。刺しゅうも、他のことも・・・

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『一週間』という歌がある。ロシア民謡らしい。

 

 日曜日に市場へ出かけ
 糸と麻を買って来た
 テュリャ テュリャ・・

 

 月曜日にお風呂をたいて
 火曜日はお風呂に入り
 テュリャ テュリャ・・

 

 水曜日にあのこと逢って
 木曜日は送っていった
 テュリャ テュリャ・・

 

 金曜日は糸巻きもせず
 土曜日はおしゃべりばかり
 テュリャ テュリャ・・

 

 恋人よこれが私の
 一週間の仕事です
 テュリャ テュリャ・・

 

というのが歌詞。初めて聞いた小学生の頃、なんて変わった人なんだろうと思った。

 

やること少ないんだなあ。暇なのかなあ、のんきなのかなあ。こんな人が恋人だったら、いくらテュリャテュリャ・・~♪って歌われても嫌になっちゃうんじゃないかなあ、なんて心配したものだ。

 

2020年が始まり、10日が過ぎた。去年から持ち越しの問題を抱えており、のんきにしていてはいけないとはわかっているのだけど、ちょっと今、具体的にどうしたらいいのかわからない状態。軽く金縛り状態。

 

で、『一週間』という歌を思い出してしまうくらい、最近の私はこの歌詞に似た暮らしをしている。この効率重視の世の中で、真逆のように時間を掛けてひとつひとつの仕事をし、続きを明日の自分に託して早めに休んでしまう。

 

分刻みで日々を多忙に駆け抜けている人たちには、眉をひそめられそうだ。そんな風に思えばなんだか申し訳なくなり、委縮して、余計にポジティブな思考から遠のく気がする。

 

なんでもかんでも詰め込んで忙しくすれば良いっていうものではない!そもそも「忙しい」は免罪符にはならない!と、考えるタイプの私だったはずなのに。忙しくしていないことに罪悪感を持つなんて、ちょっとモヤモヤするなあ。

 

こんなときこそ、手芸脳だ!

 

手芸には、脳の機能を活性化し、ストレス軽減、自尊心の向上、心を癒すなど、さまざまな効果があると言われている。リラックスし、創造性を発揮できる上、「やる気」になった脳のおかげで、次のパフォーマンスへの取り掛かりもスムーズになるというおまけ付き。

 

そうだ、刺しゅうをしよう、と思い立った。小さな光が差した。

 

今年初の刺しゅうは、キーチャーム。わけあって「6」をデザインした。

 

やっぱり刺しゅうは楽しい。綺麗な色の糸を扱うことが気持ち良く、癒される。刺し進めて出来上がりが見えてくると、ワクワクしてくる。幸せホルモンが出ているのかな。

 

でも、思うのだ。ステッチがまだまだ下手だなあ、と。

 

糸がねじれて光沢が半減している。サテンステッチは糸の方向がなかなか揃わない。あれ、コーチングステッチが中途半端になっている。フレンチナッツステッチの間隔がまちまちだな。

 

・・・仕上がれば嬉しいのだけど、少し残念な気持ちもあって。たまにしかやってないし、素人なんだから、気にしなくていいんだよと自分を慰めたりする。笑

 

でもね、今年はもっと上手になりたい。もっと気分よく仕上げられるようになりたい。もう少し頻度を上げて刺しゅうをすれば、上達するんじゃないかな。ちゃんと練習を重ねてみようかな。そう思った。

 

新しい年に新しく何かを始める。それも素敵なのだけど、今、私の心を占め始めているのは、「上手になりたい」という気持ち。

 

刺しゅうだけではない。字も、絵も、雑念にさらわれがちな瞑想も、上手になりたい。

 

他にもいろいろあるな。料理の盛り付けや花あしらいも上手になりたい。それから、やりくりも、人付き合いも、親とのコミュニケーションも・・・なんてね。どさくさか?

 

七夕の短冊に書く願い事――「ピアノがもっと上手になりたい」とか「習字が上達しますように」とか書かれているものを見ると、「プロ野球選手になりたい」や「アイドルになれますように」などと比べて地味だけど、私はなんだかすごく好感が持てる。ちょっとそれに似た気持ちなのだった。

 

「よーし」と声が出た。手芸脳のおかげで、「やる気」のスイッチが入ったみたい。

 

「上手になりたい」と思うものの中で、経験値を上げることで上達できそうなものは、とにかく繰り返しやってみよう。上手にできなくても、上手になるための道のりだと思えば、自分にがっかりすることもないだろう。多分。

 

実は、今回作ったキーチャームを付けるのは、12月にひとり暮らしを始めた次女の部屋の鍵。次女は、鍵をひとつ、私たちに預けてくれたのだった。

 

鍵を親に預けるって、普通のことなのかな。でもそんなことが、私はなんだかとても嬉しくて、その鍵を大切に扱いたかった。「6」の刺しゅうでキーチャームを作ってよ、と私に頼んだ夫も、同じ思いだったのかな。(何故、6かは秘密です・笑)

 

もう少し上手に刺しゅうができるようになったら、今度は夫にも作ってあげよう。嫌がるかな。でも渡そう。数字じゃなくてイニシャルがいいね。お守りがわりにしてもらえたら嬉しい。

 

その頃には、抱えている問題が解決に向かって動き出していますように、と願いながら、そのためにも私は健全な自己肯定感を持ち続けなくてはね、と苦笑する。

 

手芸脳の力も借りつつ、自分にできることをやっていこう。不安との向き合い方も、上手になりたいね。いろいろ、上手になりたい!

 


ところで、冒頭の歌。
気になって少し調べてみると、19世紀末、ロシア革命前夜の混乱した時代に生まれた民謡のようだ。

 

麻糸で布を作る仕事と地味な家事で、単調な毎日を過ごしている女性の、年末年始の一週間を綴った歌。年末だから仕事はあまりはかどらず、恋人が家に挨拶に来てくれて泊まっていった。金曜日は1月1日で皆、仕事を休み、土曜日は内乱で亡くなった人や祖先に供養をした。

 

夢のない退屈な生活と、続く内乱、暗い世情。鬱屈した毎日から、この町から、恋人よ、早く私を連れ出して!

 

そんな素朴で、かつ切実な、田舎町のひとりの娘さんのお話だったようなのだ。ひとつの解釈ではあるけれど、それを読み心が痛んだ。歌の生まれた時代背景と地域について、小学生の自分に教えてやりたい。

 

のんきだなんて言って、ごめんなさい!

 

遠き恋人の君を想う―西城秀樹さんとクリスマス

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冬の花火大会(花火劇場と言うらしい)を見てきた。アンデルセンの「マッチ売りの少女」のストーリーに、音楽と花火を連動させたイベントだった。

 

最初のうちは、ナレーションの語り口に乗れなかったり、パラパラと上がる花火を少し物足りなく感じたりしながら見上げていたが、物語の節目でドドドドッと大輪の花々が打ち上げられることが繰り返され、だんだん陶酔していった。

 

華麗でカラフル。迫力もあるけどロマンティックで、さながら天空のイルミネーションといった風情。クライマックスのゴージャスな演出には思わず「おお!」と声が出てしまった。

 

周囲を見渡すと、当然ながらカップルが多い。今年のクリスマスイブは平日なので、一番近いこの週末にクリスマスデートする人たちが多いんだろうね。

 

来場者数見込み約8万人と聞いたが、どうだったんだろう。確かにすごい人数だった。

 

真冬の大空を彩る美しい花火のショー。見上げていた大勢の人たちは、皆それぞれ、どんな風にこの夜のことを記憶に刻んでいくのだろう。幸せそうな笑顔が、あちらにもこちらにも見えたけれど・・・

 


 君に贈りたかった
 銀の指輪のように、
 約束も果たせずに
 その若さが目映いほど
 今でも君は笑っている

 

西城秀樹さんの『遠き恋人の君』のメロディーが、心に流れてきた。2008年にプライベートで制作された未発表曲で、幻の名曲と言われていたものだ。今年5月に発売された『HIDEKI UNFORGETTABLE-HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972』(CD+DVD BOX)に収録されたことが話題になり、この春、私も初めて聴いた。

 

そしてクリスマスシーズンが近づいてくる中、この曲を度々耳にするようになり、柔らかく切ない歌詞とメロディーラインが、頭の中で繰り返し再生されるようになった。好きなクリスマスソングは山ほどあるのだけど、何故かこの曲ばかり。

 

クリスマスの恋人たち・・・自分や友人たちの体験だけでなく、小説や映画、ドラマなどでも数えきれないほど見てきたが、幸せ一色、というものはほとんどない。迷いや悩みもエッセンスにして、冬の恋は輝くのかもしれない。

 

遠い日に別れてしまった恋人を、クリスマスの華やぎや、あるいは聖なる雰囲気の中で、ふと思い出す人も多いんじゃないかな。出会いから別れまでの出来事を、星座のように辿ることもあるかもしれない。若かったなあと、懐かしさに少しの悔いを混ぜ込みながら。

 

この曲は、HIDEKIの遠い昔の恋を歌ったものだと聞いた。作詞はかねてから交流のあった歌手の沢田知可子さんで、HIDEKIがクリスマスソングを作りたいと依頼したそうだ。そのお話の中で、若い日の恋のことを、大切な思い出として打ち明けたのだろうか。

 

 あれはまだ世の中に
 携帯電話がなかった頃のクリスマス
 人目に触れぬ隠れ家をみつけて
 僕ら 待ち合わせた

 

そんな出だしを聴くと、あの美しき若ヒデキを知っているファンとしては複雑な思いになるが(マアイワユルシットデスカネ)、

 

 離れ離れに生きて・・
 心の奥 生き続けて
 遠き恋人の君
 美しく蘇らせて
 Merry X'mas

 

と優しく穏やかな声で歌われると、綺麗で上質な物語を聞かせてもらえたように、うっとり夢見心地になる。

 

そして、人気絶頂のアイドルだった頃、どんな思いで恋人と別れたのだろうか、大病をして壮絶なリハビリをして復帰した彼が、どんな思いで遠い日の恋人を語り、歌ったのだろうかと、何度聴いても泣きそうな気分になる。

 

ドラマティックなこの歌を、病に倒れる前の、あの猛烈に歌が上手かった頃のHIDEKIの声で聴けたらどうだったろう。そう思ったこともあった。

 

でも、思い直した。言葉に尽くせぬほどの大変な経験をした、50代の、本物の大人のHIDEKIが歌うからこそ、きっとこんなに優しく、ストレートに心に響いてくるんだよね。

 

そして彼は、本当に私たちの「遠き恋人の君」になってしまった。辛いけど、このタイトルがもうすでにドラマティック、なのだった。ああ!

 


最近、昔の夢をよく見る。年賀状に、古くからの友人たちへ一言コメントを書いていたので、さまざまな思い出がよみがえったせいだと思う。

 

10代、20代、30代、40代・・・
ドラマティックではないが、私にもそれなりの出会いと別れの歴史があるらしい。小さいけれど美しい花火も、何度か上がった気がする。

 

残念ながら、古い恋はまだ夢に出てこないが、私の場合はその方がいいかな。お馬鹿さんだったからね、痛い痛い。笑

 

恋人たちにはクリスマスがよく似合う。失恋中でも絵になるし、ひとりもまた楽しいよね。もちろん、家族や友だちと過ごすクリスマスも素敵。

 

これまでのご縁に感謝して、出会ってきた人たちの幸せを改めて祈る季節。心から平和を願う季節。

 

遠き恋人のHIDEKIに、そして全ての人たちに・・・Merry X'mas

 

 

※ちなみに『遠き恋人の君』の作曲は、ミュージシャンの宅見将典さん(西城さんの甥だそうです)で、西城さんのコーラスを20年以上勤めてきたMILKのRieさんとのデュエットとして完成されています。

 

娘の巣立ちに揺れたけれど

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次女が家を出てから2週間になろうとしている。

 

この秋、7人で暮らし、MAX8人いた日もあった家に今、夫婦ふたり。この落差!

 

娘のチェストや棚、そして大量の服と靴が消えた。この引越しに乗じて私も少し断捨離。まだ片付けは完全に終わらせていないが、ずいぶん広くなったと感じる。うちってこんなに広かったかしら。

 

いろいろあって、前の家から引越してきたのが4年前のこと。それから3人で頑張ってきた。本当に仲良く頑張ってきたよねと、思い出せばまた涙が出そうになる。大変だったけど楽しかった。次女のおかげだ。

 

4年9ヶ月前の長女に続き、私の大切な宝物がまたひとり、手元から巣立っていった。

 

25歳。決して遅い独立ではない。私は20歳で家を出ている。前からひとり暮らしに憧れていた次女には、「いつでも出て行っていいんだよ」と伝えていた。

 

自立したいという気持ちは大切だし、応援しようと思ってきた。今だってそう思っている。

 

でもなんだろう、この痛みは。「本当に出て行っちゃった」と、どこかで驚いている。なんだか力が抜けている。これが、空の巣症候群というやつか?

 

冬の朝、よく一緒に東の窓の前に立ち、森の樹々をきらめかせながらのぼってくる朝日を見て、その美しさに感動したっけ。玄関を出て西の空が燃えるような夕焼けになっていれば、どちらからか声を掛けて、長い時間一緒に眺めていたっけ。

 

メイクの度に占領していた洗面所。イラストを描いていた勉強机。夜遅くにケーキを焼いていたキッチン。突如、女子会が始まるダイニングテーブル。

 

この家の中のあちらこちらに、ついあの子の姿を置いてみてしまう。振り向けばそこにいそうな気がする。この家にいなかったはずの、幼い日の彼女まで現れてしまう。なんで?

 

・・・まあでも。多分、時間がたてば落ち着いてくるのだろう。子離れできない親にはなりたくないなと、ずっと思ってきたのだし。毎日のようにラインで連絡してくれるおかげで、彼女の元気な様子が手に取るようにわかるのだから。

 

彼女はとても張り切っている。新しい自分の巣づくりに夢中なのだ。なるべく我が家と同じ小物で揃えようとしている様子が可笑しいし、微笑ましい。

 

カーテンとか食器とかラグとか。彼女の部屋づくりのための買い物に、何度か付き合って街に出た。最近の私は人混みがますます苦手になり、都心部へ出掛けるのがとても億劫になっているのだけど。ましてや師走の週末の喧騒に飛び込むことなんて、もうないだろうと思っていたのに。

 

でも、昔はよく遊んだのだった。勤め先も都心部だったから、仕事帰りに買い物もしたし、仲間と飲み歩きもした。お気に入りのお店だってたくさんあった。

 

小さかった娘たちを連れて、暮れの繁華街を歩いたこともある。何度もある。

 

次女は夫に肩車してもらったことを覚えていた。「もう疲れたから自分で歩いてって、下ろされたのは嫌だったな」と笑う。ちびっ子だったんだねえ。

 

「どこも混んでる都心部だけど、あまり知られていない穴場のカフェがあるんだよ」

 

まさかそんな風に、素敵なお店に連れて行ってもらう日が来るとは。クリスマスのディスプレイに彩られた賑やかな通りを、次女に導かれて歩く私。感慨深い。

 

大きくなったんだね。そして、もう家に帰ってもあなたはいないんだね。

 


長女が結婚で家を離れた日のことを思い出す。新幹線のホームで、泣き虫のあの子が見せた表情は忘れようがない。

 

これまでずっと一緒に暮らしてきた家族と、初めて離れる不安、寂しさ。そして、大好きな人と一緒になれる幸せ、自分たちの新しい家庭を築いていくという決意。もうね、瞳がキラキラしていて・・・本当にいとおしかった。

 

去っていく新幹線を見送った夫と次女と、私。口数の少なかった帰り道。雨が降り出した。

 

でも、長女に新しい生活が始まったように、あのとき「残された私たち」にも、新しい生活が始まったのだった。夜が明け、「これからも楽しくやろうね」と3人で新しい朝を迎えたのだった。

 

そして、そのときのメンバーだった次女が、今度は夫と私を置いて、羽ばたいていった。瞳をキラキラさせて・・・

 

「新しさ」は、寂しさを優しく補ってくれる気がする。残された夫と私は、あくる朝、あのときと同じように「さあ、楽しくやろうね」と微笑み合った。

 

朝はいつも新しいけれど、特別に新しい朝。長女からも温かいメッセージが送られてきた。離れていても良いチームだなあと、また胸が熱くなった。

 


娘たちの幸せを願う気持ちは同じ質量だと思うけど、多分、私以上に寂しがっている夫と、これからふたりの生活を温かいものにしていきたい。「新しさ」を前向きに受けいれて、毎日を丁寧に楽しんでいきたい。

 

・・・できるかな?できるよね?

 

窓と網戸を拭き、カーテンを洗い、鏡や食器棚のガラス戸をピカピカに磨く。ベランダを綺麗にする。大掃除っぽいことを始めた。ちょうどシーズンだしね。

 

不要なモノの処分も始めた。ミニマリストにはなれそうにないが、私はできるだけすっきりと、シンプル&コンパクトに暮らしたい。そこを頑張ってみることが、私の「新しさ」のひとつかも。

 

他にも、新しくやってみたいことがいくつか思い浮かぶ。そう、いつまでも寂しがってる場合じゃないわ!(私ももうけっこうなおトシですから、時間があまりないのです笑)

 

でも、クリスマスイブに次女が泊まりに来ると聞き、それが今一番の楽しみである私って、自分で言うのもなんだけど、なかなか可愛い母親なのではないだろうか。へへ。

 

ウニヒピリ、いつも一緒だよ―ホ・オポノポノ手帳2020

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今年も残すところ・・・なんて言葉をよく聞く季節になってしまった。毎年、師走の気忙しさを先取りして落ち着かない気分になっていた私だけど、今年はヘビー級の気忙しさが既に一段落したせいか、何となく例年よりのんびりしている。

 

先月入手した「ホ・オポノポノ手帳2020」(これが5冊目となる)も、時々ゆっくりとめくり、来年もこの手帳を相棒に日々クリーニングしていこうと、穏やかな気持ちで思う。

 

手帳の表紙カバーには、こんなコピーが載っていた。

 

ハワイに伝わる教えと癒し
「ありがとう」「愛しています」「許してください」「ごめんなさい」
4つの言葉で、この瞬間しかない素晴らしい体験が訪れます。

毎日をクリーニングすると
◎過去のしがらみから解放される
◎最高のタイミングで出会いがやってくる
◎本当の自分を取り戻せる
◎インスピレーションがわいてくる

 

そして、この手帳の4つの特徴も。

 

①ヒューレン博士とKR女史の対談『ウニヒピリの再教育をはじめよう』を収録!
②本手帳オリジナル!2020年の「クリーニングツール」を紹介!
③ヒューレン博士とKR女史の言葉を、月ごと、週ごとに掲載!
④「切り取れるメモ」で365日を、毎日、ゼロの状態に戻して、クリーニング!

 

一通り読んでから、そのカバーをはずした。表紙カバーはリバーシブルになっており、私は毎年、裏返して使うのだ。

 

カバー裏面。今年のデザインは、去年に続いてKAPAだった。樹皮を打ち伸ばしてつくるハワイの布だそうだ。落ち着いていて素敵だけど、私は2016年版や2018年版みたいな、美しい植物の写真や絵の方が好みかな。

 

そんな感想もクリーニングしながら、今年も、巻末のヒューレン博士とKRさんの対談を、アンダーラインを引きながら読んだ。この対談と、その年の手帳オリジナルのクリーニングツールが、いつも楽しみなのだ。

 

 ホ・オポノポノ手帳の去年の記事はこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 


今回の対談のタイトルは「ウニヒピリの再教育をはじめよう」だった。

 

教育、という言葉に少し違和感を覚えた。いつも愛を待っているインナーチャイルド、内なる子どもに対して、ちょっと強い言葉だな、と。で、その反応もすぐにクリーニングする。

 

対談を読み進めると、教育というのがマナーや作法、アカデミックな知識などではないとわかる。ウニヒピリの再教育とは、ウニヒピリを開放し、自由になってもらうこと、だった。

 

私の表面意識(ウハネ)と潜在意識(ウニヒピリ)の間にある絆の大切さをしっかりと自覚すること。その上で、膨大な記憶の蓄積に苦しんでいるウニヒピリを、暗い世界から救ってあげることこそが、親である私、ウハネの役目なのだと。

 

KRさんは語る。

自分が何かを体験しているときに、「今、まさに記憶が再生していること」、そして「その記憶を手放すことができること」を自分のウニヒピリに根気強く教えてあげましょう。そうすれば、ウニヒピリは自信を取り戻すことができるでしょう。

「そうか、こういう気持ちがあったんだね。見せてくれてありがとう。一緒にクリーニングしようね」とやさしくクリーニングの道に導いてあげるのです。

と。

 

クリーニングができるんだ!と気づいたウニヒピリは、ようやく本来の仕事をはじめることができる。ウハネと一緒に記憶のクリーニングをする。ウハネが眠っている間もクリーニングしてくれる。

 

そうして、神聖なる存在からのインスピレーションを受け取れるようになる。本当の自分を生きていくことができる。そう、ホ・オポノポノはウニヒピリの協力なしには成立しないメソッドなのだ。

 

私は・・・最初の頃に比べて、かなりウニヒピリとは仲良くなれていると思う。でもまだ、一緒にクリーニングしてもらっている実感はない。

 

「あ、今のはウニが見せてくれた記憶だね。忘れていた、というか封じ込めていた辛い思い出。わざわざ取り出して私に見せたのは、これをクリーニングしてよ、という意味なのね。わかった、ありがとう。愛してるよ。一緒にクリーニングしよう」

 

そういうシーンは、最近頻繁にあるのだけど(これ、嫌な記憶がよみがえって結構メンタルしんどいけど、感謝してクリーニングしています)、果たして4つの言葉をウニヒピリも唱えてくれているのだろうか。

 

うーん。期待もクリーニング、だね。判断もクリーニング。焦りもクリーニングだ。

 

 ごめんなさい
 許してください
 愛しています
 ありがとう

 

クリーニングツールとしての4つの言葉は、ただ唱えるだけで気持ちを込めなくても大丈夫、とのことだ。でもウニヒピリに語り掛けるときは、心を込めて優しくつぶやくようにしている。

 


ところで。
実は、ホ・オポノポノに関する記事を書くときは、ちょっと緊張する。私のような素人が、わかったようなことを書いてはいけないのではないか、と。間違ったことを書いてしまったらどうしよう、と。

 

それで、持っている本を読み直したり、他のベテラン?の方が書いたブログをあれこれ読んでみたりして。で、思いの外、長いこと読みふけってしまって、書き出すまでに時間がかかるのだけど。それはそれとして、ポノに対する理解を深めたり、クリーニングしていくことの大切さを改めて噛みしめる、良い機会にもなっている。

 

ただ、シンプルながら奥の深いホ・オポノポノなので、勉強するほどに自分の浅さを思い知る。どこか勘違いして書いている部分もあるかもしれません、悪しからず。

 


ポノに関しては解釈に今一つ自信が持てない私だけど、ウニヒピリの存在は感じ取れるようになっているし、守ってあげたいと思っている。

 

私の中の、もうひとりの私。小さな子ども。ずっと放っておかれて、愛されることを待ち望んでいた、私の中にいた本当の私。

 

その存在を知った今は、もう寂しい思いはさせたくない。ずっと寄り添っていたいし、いつも一緒だと感じていたい。ウニヒピリが「クリーニングしてほしい」と記憶を再生させたなら、素早く気づいて願いどおりにしてあげたい。

 

ウニヒピリの再教育は・・・私にはまだ、早いのかもしれない。でも、「いつも一緒だよ」と、毎日何度でも話しかけて、「こうしたいんだけどどう思う?」と相談したり、「楽しかったね」と笑い合ったりしたいな。今はそれでいいよね。

 

2020年の手帳には、きっと今年以上に、ウニヒピリと一緒に笑い合える出来事がたくさん書けるはず。そう信じたい。

 

暮れていこうとする今年と、近づいてくる新しい年を、2冊の手帳を手にクリーニングしている日々だ。

 

 

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2020

 

余談:

お金も日常的なクリーニングの対象ですね。
私は日々、レジで支払いをするとき、取り出した紙幣に
「ありがとう、愛しています」
と伝え、もひとつおまけに
「行ってらっしゃい。お友達をたくさん連れて帰ってきてね♡」
とも、心で叫んでおります!笑

 

隙間時間でも達成感。ありがとう!「100ネエサン」刺しゅう

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長女たちが帰ってから、急に秋が深まり寒くなった。毎日あんなに、暑い暑いと言っていたのに。

 

そう、2週間前は半袖で走り回っていた私。今日はカシミアのカーディガンを着ている。気温以上に、室温が下がったのかな。4人分の体温が消えて・・・

 

もう既に懐かしい。まるで子育て中の頃に戻ったかのような、慌ただしい日々だった。

 

忙しかったけど、自分に使える時間がまるでなかったという訳でもない。特に、長女が入院するまでの時期は、細切れだけど自由時間を作り出せる日もあった。

 

長女もちょこちょこと手芸をするのが好きで、一緒に刺しゅうしたことも数回。2歳児には、隣でお絵かきをしてもらったっけ。

 

楽しい思い出の時間が作れたのは、ある商品のおかげかもしれない。

 


ああ、隙間時間でちょっと何か作りたいなぁ。心が華やぐような、綺麗なものが作りたい。ただし、あまり作業スペースを取らず、すぐに片付けられる、という条件は外せないよね・・・

 

そんな風に考えていたとき、インスタグラムの広告が目に飛び込んだ。

 

 「100ネエサン」

 

シンプルなお姉さんたちがズラリと並んだプリント柄の布。そこに、ぬり絵のように自由に刺しゅうをして、彩っていく。

 

ただそれだけのものなんだけど、妙に惹かれる。妙に可愛い。「何かチクチクしたい!」という望みを、即、叶えてくれそうだし!

 

サイトを見ると、

手芸作家 中島一恵による「刺しゅうやペンでスタイリングできるぬりえみたいなファブリック」。
着せ替え気分で、ひとりひとりのネエサンの髪型や服、足元を刺しゅうや布ペンでスタイリングすれば、オリジナル作品ができあがります。

とある。3秒迷って衝動買い。

 

私が買ったのは、スターターセットというもの。刺しゅう糸、刺しゅう枠、針が付いて1980円(税別)と、お試しで始めるのに手頃感があった。糸も針も枠も既に持っていたけど、刺しゅうを始めたばかりの長女に針と枠をあげるつもりで買った。

 

届いて早速やってみたら、これ、思ってた以上に楽しくて!

 

服に合わせて髪の色を決めたり、イヤリングをビーズにしてみたりと、お洒落の工夫が気分を上げてくれる。

 

なんといっても、小さい刺しゅうなので、ネエサン一人分ならすぐに仕上げることができるのが魅力だ。完成したという達成感を、隙間時間で得られるのだから。

 

しっかりした生地なので、私は枠を使わなかった。下絵がプリントされているから、図案を写す手間もない。糸も指定がないから、手持ちの余り糸を好きに利用することができて、なんだか本当にお手軽。

 

小さな針山とハサミ、余り糸の入った小箱を木製のトレイにのせ、下絵の布を裏返しにかぶせて棚に置いておく。時間ができたら、そのトレイをひょいとダイニングテーブルに持ってきて、糸選びを楽しみつつ刺していく。散らからない!

 

仕上がったネエサンたちのスタイリングを眺めながら、
「次のネエサンのドレスは、どんな色・柄にしようかな」
などと考えるのも、ちょっとワクワクして。

 

ああ!自由だ!

 

刺しゅうは、なにもどこかや何かを飾るためだけにするものじゃないんだね。もちろん、ネエサンたちをひとつひとつ切り離してオーナメントやチャームにしてもいいし、そのまま額装したって、クッションやポーチに仕上げたっていいのだけど。

 

これまでは、好きな図案があると、これをどこに刺しゅうしようか。これを使って何を作ろうか、ということを、当たり前のように考えていた。考えるべきだと思っていた。舞台があっての刺しゅうだと思い込んでいたのだ。

 

でも、何にするあてもなく、ただチクチク刺しゅうがしたいというときもある。絵を描きたいのと一緒。100ネエサンは、そんな気分にもマッチしている商品なのだろう。

 

役に立たなくてもいい。上手にできなくてもいい。この手で何かを生み出すことで、ワクワクして満たされて、他のパフォーマンスにも気持ちが入っていくことは、手芸の効能のひとつだよね。

 

まあ、「そろそろ、役に立つものを上手に作りたいものだなあ」とは、一応、思ってはいるのだけど。少なくとも、誰かに喜んでもらえるものが作れたら、プレゼントできたら、素敵だよね。

 

もうすぐクリスマス。(自分にプレッシャー?)

 


100ネエサン(ルシアン オンラインショップ)

 

 

双子プロジェクト完了―寂しさと清々しさの中で

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抜けるような青空。真白な雲。
美しい9月の朝に、双子は生まれた。
2歳児に、ふたりの妹ができた。

 

あの日から、2カ月がたつ。5日前、長女と長女の娘たちは、迎えに来た婿どのとともに、遠方の町へ帰っていった。
残された私と夫と次女は、一抹の寂しさとともに、やり切った清々しさの中にある。仰ぎ見る11月の空は、さらに深く青い。

 

5カ月と少しを一緒に暮らした2歳の孫娘。ママっこで人見知りだったから、最初、どうなることかと心配していたが、すぐに打ち解け、我が家にも慣れ、楽しく日々を過ごしてくれた。

 

1カ月ちょっとの娘の入院中、私が母代わりをしていたので、なんだか自分の3人目の娘のような気さえしている。寝かしつけで甘えてこられたときなど乳腺が張ってきたこともあり、我ながら母性の不思議に驚いた。
・・・別れるのはやはり、辛かった。

 

我が家に来たばかりのときを思うと、彼女の成長ぶりには驚くばかりだ。本当に大きくなった。賢くなった。優しくなった。次々と変わる環境の中で、パニックも起こさず、よく頑張ってくれたと思う。

 

私たちの双子プロジェクトは、3つのフェーズに分けて、それぞれの課題とミッションを掲げることから始まった。なかなか得難い経験だったので、今、ここに記録しておこうと思う。

 


まずは、ざっくりと背景を。

 

私は夫と次女と、東海地方に住んでいる。長女は4年半前に結婚し、関西に。婿どのと2歳児とネコと暮らしている。この春、双子妊娠がわかり、我が家の近くにある大学病院で出産(帝王切開)することになった。

 

当初は、出産日1カ月前からの管理入院に合わせて里帰りする予定だったが、検査結果の数値に不安点があったため、2カ月早めての里帰りとなった。

 

★第1フェーズ
長女が管理入院するまでの2カ月と4日間

 

ここでの課題は、2人が加わった5人家族の生活に、それぞれが慣れること。
母体の健康管理への協力と、2歳児との信頼関係の構築が、私のミッション。

 

双子妊娠には安定期はないそうで、一番大事なのは安静にして、赤ちゃんたちにできるだけ長くお腹にいてもらうこと。長女も主婦だがなかなか手伝いは頼めない。買い出し、食事作り、洗い物、洗濯・・・私の家事はざっくり2倍量になった。特に妊婦と幼児の食事には、禁じ手が多いので気を遣った。

 

でも、長女とあれこれおしゃべりしたり、2歳児の可愛らしい言動に笑ったり、我が家は楽しく華やかになったのは間違いない。夫も次女も、本当に嬉しそうな顔をすることが増えた。

 

ただ、この頃は皆、この先のことが心配でたまらなかった。とにかくリスクの多い双子妊娠と出産。無事、笑顔でその日を迎えられるように、祈るようにして暮らしていた。

 

実際、検診時に子宮頚管が短くなっていると指摘され、次回の検診でそのまま入院するかもしれないと、毎回覚悟していた。義父の三回忌があったが、諸々心配なため、夫一人で行ってもらった。不義理をしてごめんなさい!

 

ハラハラしたけれど、なんとか無事、予定通りの日に入院することができた。

 


★第2フェーズ
長女が管理入院し、出産を経て退院するまでの1カ月と9日間

 

ここでの課題は、ママ無しで過ごさなければならない2歳児に、寂しい思いをさせないこと。楽しく暮らしてもらうこと。私のミッションは、母親代わりを徹底することだ。

 

それから、猛暑の中、2歳児を連れて長女の入院先に通うことも、課題であり、ミッションだった。でも、これは私一人ではやはり難しく、それはまた、日々の買い出しで外出することすら難しいということで、夫の協力があってなんとかしのげた。目いっぱい年休を取ってくれたのだ。

 

食事は、妊婦がいなくなった分、気楽にはなった。長女の栄養面は、病院にお任せできて安心だわ、と思っていたのだが、入院食はひどく素っ気ないものだと聞いて苦笑。おやつの差し入れも私のミッションとなった。「早くお母さんの美味しいごはんが食べたい」という言葉に、甘やかな気持ちになる単純な母親。笑

 

このフェーズでは、お盆休みの婿どのが2歳児を5泊6日、預かってくれた(いや、こちらが預かっているのだから一時お返しか?)。彼のご実家はクルマで1時間以上かかるが同じ県内にある。孫娘はそちらにも台風をはさんで2泊お世話になり、戻るとき、彼のお母さんも長女の見舞いにわざわざ来てくださった。

 

明るくて、優しくて、さっぱりとしてていつもニコニコ。彼のお母さんが私はとても好きだ。お会いできたのも嬉しかったし、彼女もこのプロジェクトを一緒に成功させようとしてくれてる仲間なんだと、とても心強く思うことができた。

 

そして、9月6日、無事に双子は誕生した。今度は婿どののお父さんも、お母さんと共に遠方から来てくださった。狭い病室に大勢の笑顔がはじける。はしゃぐ2歳児。大仕事を成し遂げた長女は、幸せそうに微笑んでいた。

 

退院までは、ママ代わりの役どころが私の使命。2歳児は朝起きると「おばあちゃまー」と私を呼ぶ。「ママー」と呼んだのは長女が入院した最初の1日だけだった。我慢してた?それとも順応力が高いの?どちらにしても、私からは「ありがとう」だね。

 


★第3フェーズ
長女の退院から、彼女たちが帰って行くまでの1カ月と21日間

 

ここでの課題は、双子を迎え入れての生活に、全員が慣れること。赤ちゃんたちのお世話をすること。荷物が増えた狭い家で、(気持ちだけでも)風通し良く、仲良く暮らすこと。

 

産褥期の長女のケアと、また生活が変わってしまった2歳児のケア、5人分の食事と7人分の洗濯が、私のミッション。

 

これは正直、プロジェクトの初期から大変だろうと怖れていた。
だって、新生児1人だって大変なんだもの。それが2人いて、2歳児もいて・・・

 

沐浴も2人分。授乳もオムツ替えも2人分。泣き止まない赤ちゃんたちを抱き上げて、を繰り返す。遊んでほしがる2歳児の相手もする。ご飯を食べさせ、お風呂に入れて。1日中大騒ぎだ。

 

日記を読み返すと、みんな体調崩したり、腰を痛めたり、精神的に不安定になったり、疲労がたまって限界っぽい日が続いていた。双子はだんだん寝ている時間が少なくなり、泣き声も大きく激しくなってくるし、昼夜構わず交代で泣き続けるのだから、そりゃあみんな、疲弊するよね。

 

夫も次女も、仕事から帰っても休まらなかったことだろう。それでも、夜中も早朝も惜しみなく協力してくれた。それもこれも、長女を守りたい、小さい人たちを守りたい、という強い思いがあったから、なんだよね。それにやはり、双子の赤ちゃんは抜群に可愛いから。

 

体力的にもきつかったけど、精神的にも揺さぶられることの多かったこの5カ月ちょっと。たった1日でいい、ひとりで静かに過ごせる日が欲しい、と私は渇望したっけ。洗い物をしながら涙が出てしまったこともあった。なんで、こんなに長いこと大変な思いをしなくてはならないのか、と。そして、そんな風に思ってしまってはいけないのかな、自分は冷たい母親なんだろうかと落ち込んだ。

 

長期にわたるサポートだったから、頭も疲れていたのだろう。多胎妊娠、出産のリスク、育児の過酷さについて、全く知らなかったところから始まったことも、ここまで大変なのか、と精神的負担を感じた原因かもしれない。そして今も多くの人は、多分知らない。みんなきっと長女の苦労は想像できるけど(確かに長女は大変だ)、そこは実母が助けてくれるものでしょう、くらいに思っているんじゃないかな。

 

どうかあまり無理をしないでね。
実家に甘えられるうちにたっぷり甘えさせてもらいなよね。
・・・と。

 

以前の私でも、そう言いそうだ。おめでたいこと、幸せなこと、という事実の前に、受け入れ側の生活や時間の犠牲は些末なことと、世間に軽く扱われている気がする。

 

私は娘を愛しているからサポートした。夫も、次女も。でも、それを「実家なんだから、母親なんだから当たり前」と言われることは、なんだか釈然としない。

 

双子に限らず、里帰り出産の受け入れ側の苦労にも、もっと想像力を発揮してもらえたらいいなぁと思う。誰もが体力的、時間的、空間的、経済的に余裕があるわけではないのだから。

 

もちろん、長女は何度も心からのお礼を言ってくれた。改めて「ありがとう」と言われると、泣きそうになった。本当にいい子。「私こそありがとうだよ」という返事も、心からのものだ。素晴らしい経験をさせてもらった。幸せだった。それは、確かなのだ。

 

 

11月の晴天が続いている。
朝、駆け寄ってくる2歳児は、もうこの家にいない。外出先から帰っても、パタパタと走ってくる足音はしない。誰かが出掛けるとき、ハグの輪の真ん中に入って「ギュー」と言い、キラキラの瞳で見上げて「みんないるね」と笑う、あの子はいない。

 

抱き上げるとスッと泣き止んだ赤ちゃんたち。その軽さと温かさ。石鹸とミルクの匂い。この世で一番、大切に扱わなくてはいけないもの。

 

カップでもフレームでも、2つ並んでいるのは可愛いものだとずっと思っていたけれど、2つ並びの可愛さを、寝ている彼女たちにも感じた。同じ方向を向いていても、向き合っていても、そこにいるだけで幸せな気分にしてくれた。

 

長女といろいろな話をした。他愛ない話、真面目な話。お互いの「推し」の話も。笑
素直で優しい彼女には、悩みもいっぱい聞いてもらった。手を伸ばせば触れられる所に、何カ月もいたのに、今はもういない。

 

・・・ひとつひとつのシーンを思い出すたびに、まだ喉の奥がグッと詰まるけど、私は感謝して今日を、明日を新しく生きていきたい。

 

長女たち一家にとっては、双子プロジェクトの第4フェーズが始まっている。きっと、すごくすごく大変なはずだ。もっと預かってあげれば良かったのかもしれないと、何度も繰り返し思ってしまう。

 

でも、「頑張ってみる」と言った娘の意志を尊重したい。応援していくし、SOSがあれば飛んでいくつもりだ。

 

そして我が家には引き続き、大きなイベントがある。

 

今月末、次女が一人暮らしを始めるため、引っ越していくのだ。またまた寂しくなってしまうけど、親として彼女の成長を喜びたいし、エールを贈りたい。

 

2019年。長女と暮らせた夏を、孫娘と過ごせた夏を、私は忘れない。そして、次女と過ごせる残りわずかな日々を、一瞬一瞬を、大切にしようと思う。

 

思いは千々に乱れ、揺れるけど。
空を仰ぎ「清々しい」と感じた心のありようを、ずっと継続していけたらと、今、強く願っている。

 

 

・・・とても間があいてしまいましたが、久々に更新しました。
長いですよね、スミマセン。
次回は短くなると思います。
で、多分、わりとすぐに更新すると思います。多分・・・

 

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そんなときは空を見上げる―双子プロジェクトと西城秀樹さん

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梅雨が続いている。

 

雨の風情は嫌いではないけれど、あまりにも長い。どんよりと暗い空で、頭も気分も重くなりがち。我が家に2歳児が来て7週間たったが、この子がお日様の代わりに家中を照らしてくれているような気もする。

 

とは言え、やはり忙しい。そして、やはり疲れる。ツバメがヒナに餌を運ぶように、毎日買い物の自転車を飛ばしている私。隙あらば、シーツを洗おうとしている私。雨よ、お手柔らかに。昨日は久し振りにエナジードリンクを飲んだ。

 

双子を宿した長女は、妊娠8ヵ月だけどもう臨月のような腹囲で、少し動いても息が上がると苦笑している。やっぱり双子妊娠は大変そうだ。

 

でも、無事ここまで来られて良かった。あと2カ月しないうちに、お腹の子たちに会えるのだ。ありがたいこと。まだまだ気は抜けないけれどね。

 

長女が管理入院するまでを、双子プロジェクトの第1フェーズと私は考えている。そこでの主な目標は長女(=母体)の体調管理、そして、2歳児との信頼関係の構築(大袈裟・笑)で、大体において達成されつつある。今はそれが嬉しい。

 

でも、第2フェーズはもっと不安だ。長女の約1カ月半の入院中、ママっこの孫娘がどんなに寂しい思いをするだろうか、と。そして、いくらなついてくれてきたとは言え、日中、私一人で対応できるだろうか(私がもつだろうか)と。

 

ここでの目標は、2歳児にママなしでの生活に慣れてもらい、楽しく過ごしてもらうことだ。子連れで入院先へ通うことや買い出しに出ることも、暑い最中、なかなかの難題だろうな。

 

さらに、退院後の第3フェーズとなると、物理的な問題も出てくる。双子との対面は感動的であることは間違いないだろう。だが、その後、退院してこの狭い我が家にやって来たら・・・どうなるのだろう?

 

産褥期の長女のケアと、2歳児のケアと、未体験の双子のケア。ご飯、作れるかな?7人分の洗濯って?・・・想像もつかない。

 

まあ、でも多分、なんとかなるよね。夫も次女も、頑張ると言ってくれているし。ただ、仕事から疲れて帰ってきて、ツインの新生児の世話で寝不足になってしまうのは気の毒過ぎるので、やっぱり私が頑張らなくてはいけないよね、と思っている。

 

思ってはいるけど、心配だし不安であることは打ち消せない。このように、疲れ以外にも、ミッションの大きさに対する不安と責任から、楽観と悲観を行き来している私である。

 

そして、私が倒れてしまっては本当に立ち行かなくなるので、それが怖い。だから、第1フェーズである今のうちから、セルフケアを心掛けている。

 

自分のために使える時間は、全くないという訳ではない。ただ、細切れなので、まとまったことをするのはちょっと無理で。これまでのライフワークの中から、外せるものと外せないものを仕分けるようになった。

 

勉強系はちょっとお休みかな。読書や散歩も、なかなか難しくなってしまった。映画やショッピング、お洒落な外食もしばらくはお預けだ

 

外せないセルフケアとしては、まずアロマ。就寝前、アロマディフューザーで自律神経を整えてくれる香りを中心に楽しみ、自分を労わる時間を作っている。ホ・オポノポノとともに。

 

次に、余裕があればリンパを流すセルフマッサージとストレッチをしている。あとは、できるだけ睡眠時間を確保すること。

 

それでも、あれやこれや考えて気持ちが不安定になり、なぜだか"悲しみ"の感情が沸き上がってしまうときがある。「こうありたい」のに「そうできない」。前向きに考えたいのに否定してしまう。自分は弱いんだな、大人になりきれていないんだな、と、持っていきようのないマイナスの気分に翻弄される、そんなとき。

 

空を見上げる。晴天でも曇天でも、雨が降っていても。
私はHIDEKIを求めて空を見上げている。

 

そう、西城秀樹さん。こう書いてしまうと、大スターがそびえ立ってしまうけど、実際大スターなんだけど、私にとってはこの1年ですっかり心のよりどころとなっているHIDEKIなのだ。

 

HIDEKIなら、どうする?

 

空に向かって私は尋ねる。HIDEKIだったら、きっとこんな風に考えて、こんな風に振る舞うよね。私も真似してみるよ、と心でつぶやく。

 

訃報のショックと寂しさから、YouTubeで西城さんの動画巡りをして、ブーメランで彼に戻って1年以上になる。その間に、同じようにHIDEKIに戻ってきた人たちがたくさんいることを知った。そんなブーメラン組の人たちや、古参のファンの人々から、彼にまつわるたくさんのエピソードや個人的な思い出を聞かせてもらうことができた。

 

ほぼ全てが美談で、こんなに心根の優しい人だったのか、努力の人だったのか、それほどまでに素敵な人だったのかと驚いた。思わず吹き出すような可愛い失敗談や、ハラハラさせられる言動も含めて、なんとも魅力的で、愛さずにはいられない人。こんな人が本当に実在したんだね。奇跡みたいだ。

 

12歳の夏、同じクラスのタカコちゃんが、私に『情熱の嵐』のレコードを買うことを勧めた。あれから新聞のテレビ欄で「西城秀樹」の文字を探す日々が始まった。私の恋が始まった。タカコちゃん、今頃どうしているだろうか。

 


 その瞳 僕のもの
 この体 君のもの
 太陽が燃えるように 二人は愛を
 永遠にきざもう
   (1973年5月25日発売『情熱の嵐』より)

 


HIDEKIは本当に私たちの瞳をくぎ付けにして、姿も声も、その体全てを私たちに捧げてくれたんだね。

 

HIDEKIに夢中だった頃を思うとき、中学の教室や中庭の風景がよみがえる。辛いことの多かったあの時代を、それでも懐かしく思い出すことができるのは、彼の存在があったおかげだ。逆に言えば、HIDEKIを恋しく思う気持ちは、郷愁に裏打ちされているのかもしれない。HIDEKIが好きな女の子たちと、他愛もない話をしていたあの頃の思い出は、ソフトフォーカスの写真みたいだ。

 

HIDEKIがすごく好きだった。すごく好きだったけど、コンサートにも行ったことがないし、アイドル雑誌も買ったことがない私は、もしかしたら本当のファンとは言えなかったのかも。今だってブーメラン組と名乗るのはおこがましいのかもしれない。ほとんど新規ファンなのだ。

 

なので、この1年で見聞きしたことは、知らないことばかり。長くスターでいた方だから情報量も多く、知れば知るほど素敵な方なので欲も出て、もっともっとと知りたがる自分を制御するのが大変だった!笑

 

素晴らしい歌唱力と表現力。日本を代表するエンターティナー。芸能界に疎い私でも、それくらいはわかる。だから、「こんな偉大なスターが亡くなったというのに、追悼番組が少ないことやマスコミのどこか冷めた扱いってどういうことなの?」と、これまで歯がゆく思っていた。

 

それが、だ。ファンの想いが大きなうねりを作ったのだろう、一周忌を境に潮目が変わったようなのだ。

 

HIDEKIを再評価してくれる動きが目立ってきた。フィルムコンサートが開催され、初のオールタイムシングル集『HIDEKI UNFORGETTABLE-HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972』も命日の5月16日に発売された。雑誌での特集も増えたし、9月26日には没後初の写真集『HIDEKI FOREVER blue』が発売される。

 

これからもっともっと、西城秀樹さんは注目され、彼のファンは増えていくことだろう。その色彩豊かな歌の世界に夢中になり、映像に残るパフォーマンスに心躍らせ、出演作のドラマや映画を楽しむ人が増えていくだろう。HIDEKIやご家族、HIDEKIファンのことを思うと、本当に嬉しい。

 

もちろん、私も。何の力もないちっぽけなファンで、頑張ってくださってきた人たちの足元にも及ばないけど、それでも、好きな人(今は"推し"というのですね)がこれからもっともっと認められていくのは嬉しい。

 

でも少しだけ、少しだけなんだけど、寂しさもあって。

 

それは、14歳の秋、あまりにも大スターになってしまったHIDEKIに戸惑いはじめた私に通じる寂しさ。あのとき私は高校受験を言い訳に「HIDEKIを卒業しよう」とした。でも、今の私は卒業はしないよ。ずっと"推し"ていく。

 

HIDEKIはみんなのもの。だけど私には私のHIDEKIがいる。私の生活に合ったペースで、心のままに彼の歌を聴き、姿にときめき、彼にまつわる思い出話に想いを馳せ、彼の生き方に憧れ続けていく。彼がこの世にいてくれたことに、シンガーになってくれたことに、感謝と幸せを感じながら。

 

時々は、空を見て泣いちゃうけどね。そこにいてくれる喜びと、そこに行ってしまった哀しみとが、同じ大きさで迫ってくる。

 

こんな状況の今、隙間時間でしか歌を聴けないし、SNSもなかなかできないけど、「いつも心にヒデキを」の言葉が私の胸にはある。短時間でもHIDEKIタイムは効果絶大で、沈みがちな心も魔法のように浮上してくる。アロマより効くかもよ?

 

「もっともっと多くの方が、西城さんの歌に癒され、励まされ、日常を輝かせてくれるといいなあ」と心から思っているので、ライトなファンではあるけれど、そのときどきで私でもできるささやかな行動はしていきたい。

 

この記事も隙間時間を集めて書いている。アップできるか怪しかったけど、なんとかなりそうで良かった。

 

それにしても、青空が恋しい。
HIDEKIを求めて見上げる空は、やはりブルーが似合うと思うのだ。


(西城秀樹さんについてはこれまでも書いています)

tsukikana.hatenablog.com


蛇足:我が家にいる2歳児も、上手に「ヒデキ」と言えるようになりました。笑

 

ハッピー探偵ドゥードゥー?―2歳児のいる景色

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金曜日に、私の住む東海地方は梅雨入りした。洗濯物と空を見比べてため息をつく日々がまた始まる。洗濯物、増えたしなぁ。

 

遠方に暮らす長女が、2歳の娘とともに我が家にやってきて1週間。我が家の暮らしはがらりと変わった。小さい子のいる毎日って、こんなに慌ただしかったっけ。

 

私、曲がりなりにも子どもをふたり、育ててきたはずなのに、もうすっかり忘れている。困惑の連続だ。1時間くらい一緒に遊ぶのなら楽しいのだけどね。きりがないから困ってしまう。ニコニコしてたと思ったら急に機嫌が悪くなったりね。相手をするのもなかなか大変。

 

自分の時間を作り出すのは至難の業になりつつある。家事の量も倍増し、いつもご飯と洗濯の心配をしている。12キロを抱っこして歩くのもかなりこたえるし、若い頃のような体力はないと思い知った。くやしい。

 

今、私がダウンしたら大変なことになるので、疲れやストレスをためこまないように気を付けなくては、と自分に言い聞かせている。実は長女のお腹には今、双子が宿っているのだ。

 

その報告を受けたのは2月のこと。みんなが幸せな気持ちになり、新しいふたつの生命の芽生えを喜んだ。素敵なことだと微笑み合った。それは今も同じなのだ。

 

ただ、不安も大きいのは否めない。双子は妊娠中も出産時もリスクがとても高いことを知ってしまったから。

 

無事にふたりともお腹で育ってくれるのか。ちゃんと生まれてきてくれるのか・・・長女がナーバスになってしまうのは仕方のないことで、そんな彼女を、夫も次女も私も、なんとか守ってあげたかった。

 

長女は、彼女の暮らす町ではなく、私の住まいに近い大学病院でお世話になることが決まり、何事もなければ9月に帝王切開で出産する。その前に1カ月間、管理入院するので、それに合わせて里帰りするはずだった。それが、検診時の数値でちょっと引っ掛かり、心配なため2カ月前倒しの里帰りとなった次第。

 

双子妊娠には安定期はない、と言われているようで、とにかく気が抜けないのだ。ようやくツワリがおさまったら今度は張りや痛みに悩まされる。妊娠高血圧症候群、妊娠糖尿病なども怖いし、長女は最初の子のとき、切迫早産で入院したことがあるので、それも心配だ。

 

自分の健康管理だけでも大変なのに、2歳児の世話もある。婿どのはこの時期、週末出張が多く、ひとりでは心細いことだろう。そもそも、さあ入院、となったら、2歳の孫娘はどうなるのか?

 

今は体調は安定しホッとしているが、2カ月前倒しで我が家に来て良かったのだろうと思う。少なくとも、子どもの相手ができる大人の頭数は我が家の方が多いから。

 

そんなわけで、狭い3DKで5人暮らしが始まった。9月には7人になる。時々婿どのが来れば、そのときは8人。本当にいったい、どうなることやらだけど。笑

 

賑やかでいいね。また長女ちゃんと暮らせていいじゃない。お孫ちゃんと過ごせるなんて幸せよ。双子ちゃんなんて素敵、うらやましいわあ。・・・と言っていただくことが多いのだけど、一面的には本当にそうなのだけど・・・。あんまり簡単に言ってもらいたくないなあ、とモヤモヤ思ってしまうのだ、正直なところ。

 

毎日、みんなが少しずつ努力して、支え合って、不安や心配を軽減しようとしている。それは多分、2歳の孫娘も。慣れない環境で、パパに会えないのも我慢して、精一杯、楽しく生きようと頑張ってくれている。

 

「はっぴーたんていどぅーどぅー」

 

最初に彼女がそれを言ったとき、ハッピー探偵ドゥドゥ?そういうキャラクターでもいるのかな?と思った。

 

これ、ハッピーバースデートゥーユー♪と歌っていたのだ。2歳児にはこういう類のことがとても多い。「キロミー」が「黄緑」のことだったりね。

 

可愛い言い間違いをたくさん披露してくれたり、昨日言えなかったことが言えるようになったり、大人の言うことを意外なほど理解していてビックリさせられたり。2歳児、本当に面白い。みんなが笑顔になる。

 

そして、笑い返すその顔のなんと愛らしいことか。瞳には星がいっぱい。

 

大変だけど、可愛い。悩みのタネなのに、そのタネに慰められている。・・・ああ、こういうこと、確かに昔、経験した。思い出してきた。

 

そう、もう一度これを経験するわけね。しんどいけど、嬉しいよね。嬉しいけど、しんどいよね。毎日、笑って泣いて怒ってまた笑うキミと、これから数カ月過ごしていこう。無理をし過ぎないように。でも、病気や怪我をさせないよう細心の注意を払いながら。

 

今、長女は次女と買い物に出掛けている。長女が嬉しそうに過ごしている様子を見ると、本当に良かった、と思う。

 

夫が洗い物をしてくれていて、2歳児はお昼寝中。そのすきを狙って、これを書いている。隣の部屋でスヤスヤと眠る孫娘は、いつまでも見ていたくなってしまうので「危険」だ。でもつい、見に行きたくなっちゃう。

 

昔、新聞に連載されていた小説『愛しの座敷わらし』(荻原浩)に出てくる座敷わらしがとても可愛くて、毎日読むのが楽しみだったのを思い出した。みんなを幸せにしてくれる座敷わらし。あの子もこんな感じだったのかな。

 

それから、私の日常に欠かせないホ・オポノポノで、大切な存在であるウニヒピリ(潜在意識)。一番ケアしなくてはいけないこのウニヒピリについて、2歳くらいの子どものイメージなのだということを、どこかで読んだ気がする。

 

私の中のウニヒピリは、気のせいか最近とても反応が良い。自分と同じ年頃の子の登場に興味津々、といった感じなのかな?

 

我が子が2歳だった頃には思いもつかなかった視点で、今、我が家に来た2歳児を観察できるのも楽しい経験だ。この子が私に、私たちに、もたらしてくれるもの。それはもしかしたら、とてつもなく大きなものなのかもしれない。

 

先々のことは心配だけれど、とにかく“今”を丁寧に生きることを大切にしたい。
一日一日を、愛おしんで生きていこう。