一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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平和はわたしから―ハーブとホ・オポノポノの力を借りて

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昨日、駅前のスーパーマーケットまで、ハーブを買いに自転車を飛ばした。イタリアンパセリとディル。ここのハーブは新鮮でお値打ちなのだ。どうしても欲しかったディルは最後の1パック。入手できてほっとした。

 

このディルに加え、ベランダからローズマリーとチャイブ、タイムの葉を摘んできて、これらを細かく刻み、室温に戻したクリームチーズに混ぜ込む。キッチン中に、青い爽やかな香りが満ちる時間。私は大きく深呼吸した。

 

ハーブの力を借りよう!

 

辛いことが続き、内面が傷ついたまま治癒していないと自覚したとき、私はハーブづくしの食卓にしたくなる。まさに、薬草を求めるように。

 

昨夜はこのハーブチーズを石窯焼きのバゲットのスライスに塗っていただいた他、ミートボールのクリーム煮にイタリアンパセリを散らしたもの、スモークサーモンとアスパラのカルパッチョにディルをたっぷり添えた一皿を、結婚記念日の夕食とした。

 

質素で派手さはないけれど、体と心を優しく癒してくれる食卓になったと思う。夫と、31年前のこの日を思い出し、穏やかにおしゃべりをすることができた。人とのつながりの不思議、生きている間に再会したい人、など、話題が広がり楽しかった。

 

ハーブよ、ありがとう。

 


みんな、疲弊している。

新型コロナウイルス。私の住む地方では、緊急事態宣言は解除されたが、とてもではないが、まだ安心してなんて外に出られない。おっかなびっくりだ。人に会うのも怖い。

 

離れて暮らす家族にも会えない。会いたい人に会えない。大切に思うからこそ、会うことを控える。そんな非日常がもうずっと、何か月も続いている。みんな、辛いね。

 


 ごめんなさい
 許してください
 愛しています
 ありがとう

 

ホ・オポノポノの4つの言葉を、毎日、何度も口にしている。自分の中のウニヒピリ(潜在意識)にも、ずっと話しかけている。

 

以前はひとりの時にだけ声に出していたけど、最近は道を歩きながら小さな声で唱えたりすることも増えた。マスクの中だと、それができるのだ。緑道で立ち止まり、植物に触れながら「アイスブルー」とつぶやいても、誰も気づかない。ちょっとぐらい涙が流れていたとしても、誰も気づかない。

 

アイスブルーは、霊的、物理的、経済的、物質的な痛みの問題や、痛ましい虐待に関する記憶をクリーニングし、解放に導いてくれる言葉。「アイスブルー」と唱えながら植物に触れたり、自分が抱える問題に対して心の中でつぶやく。

 

HA(ハー)の呼吸も、自分の中に居心地の悪さを発見するたび、行っている。「HA」はハワイ語で「聖なる霊感」「息」という意味だそうだ。私のウニヒピリはこの呼吸法がとても好きみたい。自分の内面の波立ちがゆっくり収まっていくのを感じるとき、小さな驚きを伴いつつほっと安堵する。

 

焦りや動揺は、自然な歩みを止め、怒りや憎しみは、幸せを遠ざける。自分がいつもゼロの状態でいること、本当の意味での自由になることを、私は選び続けたい。難しいけど。

 

ホ・オポノポノのクリーニング・ツールのひとつ、ブルーソーラーウォーターも、今年から作るようになった。料理や洗濯、掃除にも使うことを習慣にすると良いそうだが、今のところ、飲料水にするだけ。それでも、飲むだけでクリーニングが行われているというのは、なんだかシンプルで素敵だ。

 

ブルーソーラーウォーターは、ウニヒピリが再生する記憶のほか、情報、リウマチ、筋肉の張り、痛み、憂鬱な気分などのクリーニングに効果的なのだとか。(『はじめてのウニヒピリ』宝島社、より)

 

この水の作り方は、ブルーのガラス瓶に水道水を入れて、日光に15分から1時間程度あてるだけ。曇りでも雨でも大丈夫だし、白熱灯の光でもOKとのこと。ただし、金属製の蓋は避け、プラスティックやコルクに(ラップでくるんでも良い)。あと、生水なので早めに使い切ること。

 

私はスーパーで見つけたリースリングのワイン(とっても安かった)を買い、そのボトルを利用している。とても綺麗なブルーで、光の中に置くとうっとりするほど美しい。蓋はいろいろ試したけど、「紅茶花伝」のペットボトルのものがちょうど良く、愛用中。

 

我が家のベランダは東向きなので、午前中にブルーソーラーウオーターを作る。そして備長炭入りの水筒に入れて冷蔵庫へ。これが私と夫の飲料水となる。水道水とは思えないくらい美味しいと思う。

 

さて。
ホ・オポノポノも緩~く続けていて、そろそろ5年になるのかな。最初は4つの言葉を唱えるだけだったのに、使うクリーニングツールもいろいろ増えてきたなあと、ちょっと可笑しくなる。実は、ロッテのグリーンガムも時々、買っている。「え?それもクリーニングツールなの?なんで?」って、知ったときは笑ってたくせにね。

 

ホ・オポノポノには、何度も、本当に何度も助けてもらったと実感があるので、こうして続けているのだ。ただ、今回の新型コロナ禍は、私が頑張ってどうこうできるものじゃないよね。そう思うのが当たり前だ。もちろんわかっている。

 

でも、ポノでは「平和はわたしから」と教えている。また、「すべては私の責任」という考え方もある。まだまだ素人の私には解釈が難しいのだけど、もしかしたらこの世界は自分が創ったもの(ひとりひとりに世界がある)かもしれない、となんとなく思い始めてもいて、そんな私は、こんな状況下だからこそ毎日、ホ・オポノポノのクリーニングをせずにはいられない。

 

外出自粛で会いたい人に会えないのも、規制が多くて不便なのも、もちろん辛いけど。もっと辛いのは、この騒ぎの中で誹謗中傷とか差別とかが続出し、人の心の醜さが暴かれていくのを立て続けに見せられることだ。

 

他人事ではない。失業した人や学業継続を諦めた人の話を見聞きした後で、家にずっと夫や子供がいて3食作るのが大変、みたいな話を聞くと、「そんなことくらい」なんてうっかり思ってしまっている自分がいる。あの人たちの大変さに比べたらあなたたちの苦労なんて大したことない、みたいに考えることを批判していたくせに、だめだね、私。せっせとクリーニングを重ねよう。

 

療養型病院に入院中で、病床で毎日寂しいと言っているらしい母のことを案じる日々。母のことばかり考えて眠れなくて苦しくなって、週に一度手紙を書いても落ち着かなくて。一人、清水の自宅に残された父のことも心配で苦しくて、それでも電話で話すと途方もなく疲れてしまって、1日おきに胃が痛くなって。会えなくて辛いけど、会えるようになっても辛いよねと、悲観的に考える自分が情けなくて、先のことを考えるのが怖くって。

 

そんな体験をしていることも、ホ・オポノポノではクリーニングの機会が与えられたと考える。体験は全て「記憶」の再生。私の中のどの記憶がこの体験を生み出しているのか。それを問い(答えを探す必要はない、というかそれは不可能)、クリーニングする。この苦しみの原因である記憶を手放します、と。

 

毎日、毎日、クリーニングしている。何かが解決し、安堵して、また新たに問題が発生してクリーニングする。その繰り返しだ。

 

心のかさぶたが取れないままに、次の傷ができていく。何かを楽しむことは母に申し訳ない気がするというのもあって、毎日が憂鬱と悲しみの色に染められていく。私の大好きな5月なのに、今年はこのまま終わっていってしまうのね。

 

そんな気分はどうしようもないのだけど、ちょっとぐらいの癒しでは、すぐにまた元に戻ってしまうのだけど、それでもベランダに出れば初夏の日差しはきらめいて、風はかぐわしく、ハーブたちは生命力にあふれており、ブルーボトルは希望の美しい光をまとっている。

 

母の病院の作業療法士さんが言ってくれてたそうじゃない、私の送った家族写真や刺しゅうを、「何度も眺めていらっしゃいますよ」って。まごころはきっと、届いているよ・・・そう自分に言い聞かせる。私が会いに行くまで、命の灯よ、お願い消えないで。

 

今日もお腹が痛いけど、私は幸せなんだ。そう思う。
コロナ騒ぎが収束しても、もう世界は元通りにはならないけど、囁かれるニューノーマルには小さな光も見え隠れしてる。
いろいろ・・・諦めたくない。

 

 Peace begins with me.
 平和はわたしから始まる