一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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小さなポピーの思い出

 

道端に、淡いオレンジ色の花をよく見かけるようになった。
ひなげしの一種の、ナガミヒナゲシ。

 

毎年、この花を見つけるたびに、あの春の日を思い出す。次女が小学校に入学したばかりの、あの頃。

 

黄色い帽子に真新しいランドセルの1年生たちは、学校が終わると、途中まで引率の先生に連れられて集団で帰ってくる。最初のうちは、解散場所まで保護者が迎えに行っていたが、やがて自分たちだけで家まで帰るようになった。

 

大丈夫かな。ちょっと心配しながら家で待っていた私。大きな声で「ただいまー」と帰ってきた次女は、「ママ、これ、どうぞ」」と、小さなポピーを数本、差し出してくれた。それが、ナガミヒナゲシだった。

 

それから数日の間、次女はこの花を道端で摘んでは持ち帰ってきてくれたと思う。その姿を見たわけではないが、黄色い帽子のヒヨコのような1年生が、道端にしゃがんで花を摘む様子が、私にはありありと目に浮かんだ。新しい環境に少しずつ慣れてきて、だんだん自信もついてきた顔が、そよ風にふかれて輝いている。

 

小さなポピーはしかし、とても弱々しく、花びらが1枚か2枚しか残っていない状態になりがちだった。「あれー?」という顔で花を見て、不本意ながらといった表情で私に渡す次女。ナガミヒナゲシの思い出は、この次女の残念そうな顔までがセットである。

 


花を摘む、という行為は楽しい。もちろん、たとえ道端といえども、誰かが観賞用に植えた花を摘むわけにはいかないが、いわゆる雑草と呼ばれるような、この花なら摘んでも大丈夫というものを、子どもでもちゃんと選ぶから面白い。

 

摘んで大丈夫な花でも、そっと手折らせてもらうとき、ふと「ごめんね」という言葉が伴ってしまうのは、命を勝手にさせてもらう罪悪感か。それなのに、小さなときめきを感じながら花を摘む。人はなぜ、花を摘みたくなってしまうのだろう。

 

 ※ナガミヒナゲシはアルカロイド性の有害物質を持っているとのこと。素手で茎を触らない方が良いようです。そして、姿は可憐で弱々しくても、繁殖力の強い外来種なのだそうです。知りませんでした。気を付けましょう。

 


散歩道の花壇でも、よそのお宅のお庭でも、色とりどりの花たちを目にする季節になった。少しくらい気持ちが落ち込んでいても、綺麗な花々を見ると元気が出てくる。何があったというわけでもないのに、嬉しい気分になったりする。

 

そうか。だから人は花を贈るのか。好きな人に、元気を出してもらいたくて、嬉しくなってもらいたくて。

 

ああ、今更、何を言ってるのだろう。当たり前のことにやっと気づいて、ちょっとじんわり温かい気持ちになってる私って、間が抜けてる。

 

あの日、私のために小さなポピーを摘んできてくれた1年生は、一昨日29歳になった。

 

彼女がひとり暮らしを始めてから3年と4か月。今は、仕事と趣味に大忙しの毎日である。

 

それでも時々は家に帰ってくる。先日も一緒に買い物をし食事をした。そんな日々にもいつのまにか馴染み、当時感じた寂しさも、いつしか淡く穏やかな色になっている。

 

✻次女がひとり暮らしを始めたときの記事です↓

tsukikana.hatenablog.com

 


子どもは大人になる。自分の人生を歩む。少しずつ、家族の形は変わっていくし、コミュニケーションの取り方も変わっていく。当たり前のことなのだ。寂しさが淡くなったとしても、愛情が薄れたわけではない。

 

私もなんとか、上手に子離れできたようだ。笑

 


ベランダのブルーベリーが花をつけた。いつも思うのだが、これ、散歩道で見かけるドウダンツツジの花とよく似ているなあ。

 

スズランとか、スノーフレークとかもそうだけど、こういうパフスリーブ型の白い小花って、本当に可愛いらしい。カラフルなお花たちとは、また違う美しさがあり見飽きない。

 

ブルーベリーの花とドウダンツツジの花の画像

左がブルーベリーで右がドウダンツツジ

 

ふと顔を上げれば、桜の若葉が瑞々しく輝いている。そうだよね、花たちに負けず劣らず、新緑も美しい。小鳥たちも素敵なさえずりを聞かせてくれる。

 

季節は、人の気持ちに頓着なく流れていき、人もまたそれを受けいれて生きていくしかない。そうしていくつもの春を、夏を、秋を、冬を受けいれて、私もいつかはこの世界から旅立っていくんだなあと、これまた当たり前のことに思い至り、ふぅとひとつ、息をつく。やっぱり少し、間抜けかな。

 

美しいばかりではないこの世界だけど、生きている間は、美しいものをたくさん見ておきたい。美しいものを美しいと、ちゃんと感じられる自分でありたい。目に映るものも、人の心もね。

 


29歳の次女と、同じ日に生まれた初孫(長女の長女)は、6歳になった。来年の春には1年生だ。誕生日が同じということもあり、次女の姿と重なるこの孫娘。

 

どんな小学生になり、どんな人生を歩んでいくのかな。

 

祖父母である夫と私は、少し距離をおいて、彼女の成長を見守っていきたい。
どうか健やかに、と祈らずにいられない。

 

 

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