一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

小さな炎の優しい揺らぎ―西城秀樹さんを想いながら

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12月も後半になり、気のせいか足早に歩く人が目立つ。我が家の勤め人たちもますます忙しそう。出張やら残業やら忘年会やらが続き、私は一人で過ごす夜が増えた。

 

先日、テイクアウトの握り寿司とスパークリングワインで、簡単に一人ごはんを済ませようとしたときのこと。ふと思いついて、キャンドルに火を灯してみた。

 

あら、いい感じ。
一気に侘しさは吹き飛び、温かみのある食卓に変わった。

 

何かで「キャンドルを灯せばたちまちヒュッゲな空間になる」といった文章を読んだことがあるが、その通りだ。

 

ヒュッゲ(Hygge)とは、デンマーク語で「居心地の良い時間や空間」といった意味合いを持つ幸福概念。私は何故か、寒くなってくるとこの言葉を思い出す。

 

ヒュッゲについて以前書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


キャンドルって、なかなか良い。テーブルで小さな炎が揺れているのは優し気で、ちょっと幻想的。幼い頃に読んだ『マッチ売りの少女』を思い出したりする。

 

あのお話はとてもとても可哀そうなのだけど、マッチの小さな炎の向こうに大好きなおばあさんが現れて少女を抱きしめてくれるシーンがロマンチックで、アンデルセン童話の中でも特に好きな作品だ。

 

マッチも見なくなったけど、キャンドルも近年はLEDのものが増えてきたようだ。小さい子がいる家ならその方が安全。でも、原始的な「火」は人の心を動かすよね。

 

私は「囲炉裏」体験はないけれど、子どもの頃、焚火にあたったことがある。それから、キャンプファイヤー。不思議なことに、ワクワクする一方で厳粛な気持ちにもなり、いつまでも飽きずに見つめていられた。傍にいる人との一体感を、心地よく感じていた。

 

小さな炎の揺らめく光の中で、一人の食事が少し華やぐ。でも、やっぱりスマートフォンを手にしてしまう私。最近の私は「ヒデキファン」のつぶやきを拾うのがとても楽しみなのだ。(突然、HIDEKI!)

 

先週のことだった。このブログで以前書いた記事を、ある方がツイッターで好意的に紹介してくれたことを知った。リツィートが繰り返され、ブログのアクセス数が飛び上がった。ツイッターでは、たくさんの方がとても素敵な感想とともにフォローを申し込んでくださった。びっくりして、ちょっと焦ったけれど、皆さんのその「ヒデキ愛」に感動した数日だった。

 

3カ月も前の記事を、ネットの海から見つけ出して読んでくださってありがとう!「これ読んでみて」と紹介してくださってありがとう!ブーメラン組のひ弱なファンである私に、温かく優しい言葉をかけてくださってありがとう!そして、西城秀樹さんへのそれぞれの想いを熱く語ってくださって、共感したと涙してくださって、どうもありがとう!

 

その幸せな記事は、こちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


なんだか最近はますます涙腺がゆるくなって、HIDEKIに関する思い出話や昔の映像を見せてもらうと、キャハハと笑った後にベソベソと泣いている。「可愛いね」「かっこいいね」「お茶目だね」と目尻を下げ、その後「こんな天使みたいな人がもういないなんて」とこみ上げてしまうのだ。同じ思いをしている人がたくさんいるのだと知ってからは、また違う涙が加わって。・・・あったかい♡

 

と、ハッシュタグの「#いつも心にヒデキを」に目が留まった。調べてみると、TSSテレビ新広島が2005年、開局30周年キャンペーンで用いたキャッチコピーらしい。

 

西城さんの故郷は広島。当時のCMの動画を見ると、50歳くらいのHIDEKIがブーメランを投げて元気のないサラリーマンを励ましている。あの大スターが、キャンペーンを盛り上げるために、故郷のために、こんな風に一肌脱いだんだね。

 

それにしても、いつも心にヒデキをって。・・・なんてステキなんだろう!
いつもあなたは、私の心にいるよ、という意味とともに、いつもあなたのようなハートでいられるように頑張るね、という意味にもとれる。

 

HIDEKIのようなハート?
常に前向き。プラス思考。人を悪く言わない。家族や友人を大事にする。大好きな音楽とともに生きる。いつだって努力をする。愛するファンを喜ばせたいから、大好きな音楽の世界をみんなに知ってほしいから・・・
だめだ。また泣けてきた。

 

西城秀樹さんの音楽活動については、ライターの宮内健さんの書いたこの記事が端的で好き。単なるアイドルではない、HIDEKIのロッカーとしてのピュアなハートとスターとしての偉大な功績が、もっと広く伝わってほしい。

想いは流れ、広がっていく。心はさざ波を立てながらも、優しさへと落ち着く気がする。ヒュッゲな時間は、5分でも1時間でも生活に採り入れられたら、と思う。ふんわり心豊かになれそうで。一人のときも、大切な人と過ごすときも。

 

マッチ売りの少女の話に戻る。
可哀そうな少女だけど、ただ一人自分を大切にしてくれたおばあさんに会えて、最期は幸せだったかな。幸せな気持ちだったらいいな。
そして、つい思ってしまう。HIDEKIはどうだったの・・・?

 

ああ。キャンドルの小さな炎の向こうに、幻影でもいいからHIDEKIが現れてくれないかな。

 

「でも、ごめん。まだそちらには行けません。
抱きしめてもらうのは大歓迎だけど。(おい!)
もう少し、こちらの世界で自分のミッションを果たそうと思います」

 

そんな風にHIDEKIに向けて、つぶやいたりしてね。やれやれと言われそうだね。(笑)

 

諸々弱いところの多い私だが、「いつも心にヒデキを。」をキャッチフレーズに、この後まだ少し続くであろう人生を、日常を、素敵に生きていけたら、と願っている。

 

素敵なモノに出会えるかな?―藤が丘マルシェ early bird

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今年こそ、“師走のせわしなさ”に巻き込まれない!と心に決めていたのに、やっぱり焦燥感から逃れられないでいる。心にゆとりのある大晦日を迎えるために、早め早めに年内に済ませるべきタスクをやっつけてきたつもりだった。それなのに次から次へと増えていくタスク。ああ!

 

・・・言い訳はいろいろできるけど、まあ、やめておこう。まだ、20日あるし!ね。

 

週末、最寄り駅そばの「藤が丘マルシェ early bird」をのぞいてきた。年に数度開かれる小規模マルシェだけど、近隣のお洒落なお店が集まってちょっと良い雰囲気。お目当てがなくても、開催を知れば様子を見たくなってしまうので、ほぼ毎回行っているのじゃないかな、私。

 

2年前に初めて行ったときに書いたのが、こちらの記事。

tsukikana.hatenablog.com


正直に言うと、ここ何回かは前ほど面白さを感じなくなっていたのだった。私が見慣れてしまったせいなのか、出店側の内容が代わり映えしないせいのか、なんとなく物足りない。

 

でも、今回は私の好きな「北の住まい設計社」が初出店すると聞いたことと、師走の慌ただしい日常から逃れホリデーシーズンのキラキラした雰囲気に触れたくて、やっぱり出向いてしまった。

 

繁華街の喧騒が苦手なので、近場でセンスの良いものを見られてホンワカした華やぎも感じられるのは、私にはとてもありがたい。

 

今回は9時前に到着したのだけど、「コハルベーグル」さんには既に長い行列。相変わらずの人気だ。ここのベーグルがとっても美味しいのはちゃんとわかっているが、今回はパスして、ざっとお店を見渡す。

 

一目ぼれしたソックスは2160円とお高かったが、その値段に見合う素材とデザインだと納得し、母に贈ろうと買い求めた。とにかく、素敵で気に入ったから。

 

一期一会を感じられるのも、マルシェの醍醐味だろう。これまで訪れた中で、悩んだ末、買うのをやめたモノたちを思い出してしまう。とってもカッコよかった植木鉢とか、編み目とフォルムが抜群に美しかったカゴとか。

 

買っておけば良かったかな。次、があることの方が珍しいのが、マルシェなんだよね。判断力が試される、と言ったら大袈裟か?

 

春、夏、秋、冬。このマルシェを見てきたが、やっぱりクリスマスの時期が一番ステキだと思う。

 

プレゼントしたい、されたいモノたちがたくさん並び、ディスプレイにも力が入っていて見応えがある。特設の一日限りの会場で、こういう見せ方ができるのかと、家のインテリアの参考にもなりそう。そこここにあしらわれた小さなサンタクロースやトナカイに、何度もホッコリする。

 

特にお値打ち品が並ぶというわけでもないこういうマルシェが、「良いものとの出会い」を求めるお客さんたちで朝から賑わうということが、なんとなく嬉しい。その様子を見たくて、出向こうと思うのかもしれない。

 

次の開催日はいつ頃決まるのかな。もう少し頻度が高いといいのにな。出店はどのような基準で、どのような手続きで決まっていくのかな。仕掛け人はどんな人なのかな。などと、興味は膨らんでいく。

 

今日は耳鼻科へ行くために、また駅前に行った。マルシェの会場だった広場は、もちろんガランとしていた。当たり前じゃん、と思いつつ夢から覚めた気分で、ちょっとだけ体感温度が下がった。

 

それにしても、膝が治ってきたと思ったら、今度は耳。難聴。神経から来ていると考えられるけどはっきりした原因は不明であるという診断で、ひとまず薬を飲んで様子を見ることに。疲れとストレスと睡眠不足を避けて、と言われた・・・。

 

うーん。でも凹んでいられないよね!
12月、やること、いっぱい!

 

常識にとらわれず、自由に刺しゅうをしてみたい

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久し振りに刺しゅう針を持った。刺したのは、ずっと気になっていたatsumiさんのデザインだ。正確に言うと、atsumiさんのデザインを真似してみたもの。

 

NHKの「すてきにハンドメイド」で作品を見て、是非この図案を刺してみたい!と思ってから約半年。インスタグラムで、arsumiさん始め多くの刺しゅう作家さんや愛好家の方たちの作品を拝見し、刺激をいただき続け、意欲だけは高まっていた私だ。実行できないまま時間ばかりが過ぎていったのだけど……。

 

ついに先日、録画しておいた番組を再生し、よし!と実行に移す。なーんて大層な感じだが、小さなアルファベットひとつを刺し、ブローチに仕立てただけ。それでも、やっぱり刺しゅうは楽しく、こうして実行できたということは喜ばしい。

 

ところで今回、録画したものを一時停止したり巻き戻したりして、自分でも意外なほど熱心に見た。これまでは作家さんの図案集から選び、トレースし、出来上がり写真を見ながら刺していたのだが、作業する手元までアップでゆっくり見せてもらえるというのは、こんなにもわかりやすいものなのね。テレビってすごい。録画再生で確認できるというメリットを、目いっぱい活かせた感じ。録っておいて良かった。

 

ワークショップやカルチャー教室で教えてもらうのであったら、多分、私はたくさん先生に質問してしまうタイプの生徒だろう。思えば「これは、こうでいいのかな?」とつぶやき「ま、いいんじゃないかな」と自分に返事しながら、でもどこか釈然としないまま、いつも進めてきた気がする。本の情報量の限界を知る。

 

先生について何かを習う、ということを随分していない。病気をして人と会うのがちょっと怖くなってからかな。特に初対面の人とコミュニケーションをとらなければならない、というのが、仕事以外だと苦痛に感じるようになってしまった。以前はわりと、得意分野だったのだけどね、そういうの。楽しかったし。

 

病気は治ったとはいえ、昔のようには戻れていないなあ、と思い至り、ふと寂しさを感じる。でも、一人でいること自体は別に寂しくはないし、やることもいろいろあり忙しくしているから、普段は自分の対人スキルの変化についてあまり考えることはしない。

 

ただ、テレビ番組などで手芸や料理の先生を見ていて、この先生の話し方や雰囲気は好きだなあとか、こういう先生の教室だったらちょっと行ってみたいなあとか、リラックスして楽しめるかもしれないなあとか、思わないこともない。もう少し、なのかもしれない。

 

テレビで見たatsumiさんも穏やかな雰囲気が漂う方で、作品とともにお人柄も魅力的なのだろうな、と思った。ステッチのコツを教えてくれるその声も、落ち着いていて優しく、心地よかった。

 

さて、肝心の作品だ。番組では、俳優の宮崎あおいさんがatsumiさんの刺しゅうの大ファンだということで、コメントを寄せており、「色使いが特別」「抜群にデザインが可愛い」と絶賛していた。確かに、甘くラブリーに思われがちな刺しゅうのイメージがガラッと変わる作風だと思う。特にエンブレムなどは本当にかっこいい。

 

今回の作品は初心者でもトライしやすい、シンプルなアルファベット。ステッチも「コーチング・ステッチ」「コーチドトレリス・ステッチ」「フレンチノット・ステッチ」「サテン・ステッチ」の4つだけ。チャーミングなデザインで、妙に心惹かれる。

 

刺し方の基本の部分では、最初に玉止めを作って糸端を短く切ってから挿し始める、というところが、私には新鮮だった。糸端は10センチほど残しておいて、後で針に通して糸始末をする、というのが常識だと思っていたから。

 

そうか、常識にとらわれなくていいんだ。

 

その気づきが、番組を見ての一番の収穫だったかもしれない。ここ数年の私の大好きワードである「自由」が、心の水面下からプカッと浮かび上がり光り輝いた。こうあるべき、こうしなくてはいけない、という思いに、意外と根深く絡めとられていたのではないかな、私って。刺しゅうの刺し始め、に限らず。

 

また、今回は手元に図案がなかったので、画面を見ながら自分でデザインを描き取るということをした。斜線の角度とか、文字の大きさに対する線の太さのバランスとか、かなりアバウトだ。自分が「こんな感じがいい」と思う感覚を優先してみたのだが、そういうのも気持ちが良かった。

 

デザインはあくまでも参考にして、自分の直感や好みを作品づくりに反映させていくという楽しさ。正解を追い求め過ぎない気楽さ。なんだか、ひとつ前進できたような気がする。気のせいかな?

 

さて。小さな作品がひとつ生まれると、すぐに次を作りたくなる私。そうしてまた、取り掛かりまでに時を要してしまうのかもしれないけど。

 

桜井一恵さん、青木和子さん、シライカズミさん、atsumiさんと、これまで好きな作家さんの図案を楽しんできた。手元の図案集の中には刺してみたいものがまだたくさんある。でもそろそろ、自分で自由にデザインし、刺してみるのもいいかな、とも思い始めている私。

 

・・・「自由」って、ちょっと勇気がいるけどね。

 

会いたいね。そうだ京都、行っちゃう?

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秋の京都へ行って来た。関東に住む友から「この日、会えない?」と誘われたのが、その日の12日前。旅行というのは随分前から計画しなければならないものと思い込んでいたが、今回、パタパタと決まっていった。

 

旅行しない?いつにする?どこに行く?から始めていくと、なかなか決まりづらいけど、日にちや場所の縛りがあると、案外まとまっていきやすいのかもしれない。LINEのおかげもある。グループ間の相談が早い。便利な時代になったものだ。

 

メンバーは、この春、伊勢志摩へ行った4人のうちの3人。1人は残念ながら仕事で都合つかず。うーん、急だったものね、ごめんね。4人揃っての旅はまた近いうちに実現しようね!

 

本当に、この忙しい人たちと1年の間に2回も一緒に旅ができるなんて、思いもよらなかったよ。

 

みんな、住む地方がバラバラなので、集合場所は悩みどころ。今回はあまり時間もないので駅上のホテルをとり、ロビーに集まった。その場で荷物を預かってもらって、すぐに出発。コインロッカー要らず。効率が良くて、これは正解だった。

 

京都はこれまで何度か行ったはずだが、あまり記憶に刻まれていない。修学旅行とか出張の仕事後とか、駆け足でちょっと見てきたくらいで、旅らしい思い出がないのだ。ちゃんとした京都旅は、だから私、これが初めてだと言える。

 

しかし、京都って果てしないね。さすがは世界屈指の観光地、見どころ多すぎ!

 

京都は何度も来ているTちゃん@関西在住 が「どこへ行きたい?」と聞いてくれるが、選ぶの難しい~!ネットや「ことりっぷ」を見て候補を挙げ、絞っていくのに苦労した。

 

私たちの年齢や体力を考え、「休憩多めに」「長い階段は敬遠して」などと、ちょっと弱気なところが情けないけど、翌日から仕事や介護に忙しい日常が待っているのだから、そこは慎重にならざるを得ない。膝やら腰やらを庇いながら、無理のないコース設定を考える。

 

でも、絶対楽しい旅にするわ!
そこは譲らない。顔を上げてにこやかに歩く、あくまでも明るい私たちだ。

 

まずは嵐山へ向かった。でも、鉄道路線図をちょっと見間違えて、山陰本線保津峡駅まで行ってしまう。いきなりこれか?と焦ったけど、駅のホーム(鉄橋の上)から見下ろす保津川の美しさに息をのむ。京都駅から20分でこんな絶景になるなんて、京都ってなんて良い所なんだろう。

 

「いいじゃん!間違えて正解♪」と写真を撮って、機嫌よく嵯峨嵐山駅に戻る、性格の良い私たちだった。(能天気?)

 

トロッコ列車に乗ってみたかったけれど、3時間くらい待たないと空席がないとのことで諦め、竹林の道を歩いて天龍寺へ向かう。

 

観光客の多さは想像以上だった。平日でこれなら、週末はどうなってしまうのか。外国の人が半数くらいだろうか。聞いたことのない言語があちらこちらで飛び交っていた。

 

初めての天龍寺。水面に映る色づき始めた紅葉。庭園の池を眺めながら、大方丈の回廊に足を伸ばし、しばし休憩した。午後の光が優しい。ずっと眺めていたくなる、本当に素敵なお庭だった。

 

さて、遅めのランチを、と通りに出て店を探したが、どこも満員。お漬物屋さんで京漬物寿司を買って、桂川のほとりでいただくことにした。渡月橋を仰ぎ見ながらの缶ビールも乙なもので!川面を吹く風が心地よい。

 

そろそろ日も暮れかけたので、バスで永観堂禅林寺へ行くことにした。目的地最寄りの停留所は東天王町。そこまで1本で行けるバスを調べて教えてくれた、嵐山バス停前のお店のお嬢さん、本当にありがとう!京都は親切な方が多いのね。

 

洛東屈指の紅葉の名所という永観堂は、ライトアップが始まっていた。広い境内全体が幻想的な雰囲気。照明に浮かび上がる紅葉ももちろん綺麗だったが、ご本尊の「みかえり阿弥陀」のお顔の美しさといったら。一同ウットリ見とれていた。混み具合も程よい感じで、落ち着いて参拝できたことがとても嬉しい。

 

夕食はホテル近くの京野菜のお店でいただき、ホテルではやはりおしゃべりに花が咲いて、翌朝は睡眠不足でスタート。でも、急遽予約したホテルグランヴィアのお部屋はとても居心地が良くて、ベッドも持って帰りたいくらい(笑)快適だったので、疲労はわりと回復していた。

 ※後で調べたらベッドはシモンズ社製、マットレスパッドはエアウィーヴだった。

 

駅前のバスロータリーから下鴨神社へ向かった。背の高い原生林が広がっている。これが噂の「糺(ただす)の森」。確かに厳かで、とても清らかな「気」を感じる。木々の間から漏れる光にも、空気にも、何か特別な粒子があるのか、胸の奥深くまできれいなものが染みわたり心が洗われるようだった。

 

鴨川と高野川が合流するあたりの橋を渡り、「鴨川って本当に素敵な川だよね」と、しばし佇む。ちょうどお昼になったので、近くの商店街の横丁にあった可愛らしいカフェでランチ。この後、歩いて京都御所へ向かったのだけど・・・。

 

京都御所、広い!Yちゃんの友人は、ここを犬の散歩コースにしていると言う。優雅だけど、広大過ぎて大変だよね、きっと。体力も尽きてきたしタイムリミットも近づいてきたので、京都駅に戻ることに。

 

またまた市バスを使った。京都はバスに詳しくなると移動が楽なんだろうな、と思う。次に来るまでに、もっとバス路線の知識を入れておきたい。

 

市バスは一律230円でお得感があったが、一日乗車券カードというのが600円で買えるそうなので、3回以上乗るなら、その方が割安。今回は両日とも2回の乗車だったし、交通系ICカードラクだったから良いのだけどね。

 

京都駅で、在来線に乗るTちゃんと別れて、新幹線のぞみに乗り込む。Yちゃんも私も、笑っちゃうくらい疲れていて、座席に着くなり二人でふくらはぎのマッサージを始めた。こういうケアは、早い方が良いのだ。

 

それにしても、3年前にみんなで軽井沢に行ったときよりも、認めたくないが、確実にからだは衰えている。歩くことには自信があった私も、この夏からの膝の不調が不安だった。2日間、不思議なくらい痛まなかったのは助かったけれど。

 

楽しい旅を終えて戻る日常は、みんな、なかなかにハードだ。勤めも介護もない私が一番お気楽だけど、それなりに不在中の用事が山盛りになって待っている。ちょっと心配事もあったし。

 

旅は、年を重ねるほどに疲労が残る。帰ってからのパフォーマンスが落ちそうな怖さもある。それでも、出かけたくなるのは、やはり心に光と風が入り、パワーをもらえるからだろう。気の置けない友人となら、なおさら。本当に、今回もよく笑ったね。よく話したね。

 

思えば、出会ってもう37年になる私たち。ここ数年は毎日のようにLINEでおしゃべりもしていて、お互いに応援していて、泣いたり笑ったり。なんだかもう、家族みたいになっている。こんな風に続く友情を得られたことに感謝したいし、これからも大切にしたい。

 

一番しっかり者のMちゃんが不参加だったので、いつも以上に珍道中となってしまった私たちの今回の旅。結構、行き当たりばったりだったかな。でも、ふり返ればいろいろ正解だったし、ラッキーだったと感じている。今度は4人揃って、またどこかへ旅に出ようね。

 

そのためにも、もう少し体力をつけたい。よし、今日から筋トレとストレッチを頑張ろう!


 私たちの旅↓

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「秘密」をウニヒピリに告白する?―ホ・オポノポノ手帳2019

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ついこの間まで、暑い暑いと嘆いていたのに、急に朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。少しづつ木々も色づき、空は日に日に高くなる。

 

明日からは11月。そろそろ新しい年を迎える準備もしておきたい時期だ。そう、カレンダーとか手帳とか…。

 

手帳は、私はホ・オポノポノ手帳を愛用。もうすっかり生活に欠かせないものとなっている。スケジュールを入れたり、簡単なToDoリストを書き込んだり、思い付いたアイディアや気になる言葉をメモしたり。そして、ちょっとした日記帳代わりにも使っている。

 

その辺りの使い方としては、他の手帳でも同様かとは思う。ただ、この手帳には月間スケジュールの下欄や、週間スケジュールの毎週月曜日の横と月2回右上部に、ホ・オポノポノの素敵なメッセージが記されている。

 

翻訳だからか、抽象的な表現に戸惑うことも実のところあるのだが、タイムリーに欲しい言葉に出合えることも多く、日々、ポノを実践していく支えとなってくれる。また、クリーニングをつい忘れてしまいがちなので、手帳を開くたびに目にして、思い出せるのもありがたい。

 

このメッセージと、巻末の著者対談、そして、書いてちぎって捨てられる「今日のクリーニング」欄があることが、私がこの手帳を使い続けている大きな理由だ。

 

四六版は、手帳としては大きめな方かな。私は今、外勤めではないので、手帳を持ち歩くことはほとんどない。でも、家の中、リビングと仕事机の間を、私と共に移動している。つまり、ほとんどいつも一緒にいるのだ。今、そこに気づいてちょっと驚いている。多分、これまでの手帳ではそんなことはなかった。

 

机の片隅に、ポノに出会う前に購入した2015年の手帳(アフタヌーンティーのもの)があったので、どんな風に使っていたのかとパラパラめくってみた。毎日ではないが、やはりその日にあったことや感じたことを書き留める使い方をしていた。今と比べてすごくまばらだけど。そして・・・見てしまった!

 

あららー・・・
この年は我が家の危機があり、私自身の大ピンチがあり。で、とてもとても辛い叫びが記されていた。ここにはとても書けないような。

 

ちょっと、いや、かなり衝撃を受けた。自分で書いた言葉なのに、ショックで涙が出そうだった。

 

もちろん、すぐにその感情に向けて四つの言葉をつぶやく。きっとクリーニングするために、今、ウニヒピリが見せてくれたのだろう。ありがとね、ウニ。

 

ああびっくりした。それにしても、この辛い時期をよく乗り越えられたな、と改めて思う。3年前・・・ポノを始めようかな、と思った頃だ。年末に引越しをし、年明けから「ホ・オポノポノ手帳2016」を使い始めたのだった。

 

あの頃と比べると、今は考えられないほど事態が好転している。もちろん波はあったけれど、全体の底上げがされているし、波も小さくなってきている。私だけでなく、家族の幸運度も上昇しているように感じる。私には、ポノとポノ手帳が助けてくれたと思えて仕方がない。

 

 ありがとう
 ごめんなさい
 許してください
 愛しています

 

さて、そのポノの手帳。1か月前に入手してあった2019年度版(私にはこれが4冊目)を、ようやくゆっくり開いてみた。10月始まりになっているが、私は新年の元日から手帳を替える派。ただ、やはり先に中を見ておきたい。新しい手帳って、いいものだね。

 

2018年版と比べて、特に変わったところはないみたい。巻頭の「わたしはわたし」「わたしの平和」というふたつの詩は、やはり美しい。声に出して読むと、いつも心が澄んでくる。

 

この手帳を使う人に向けた新しいクリーニングツールもあった。2019年は「clear glass marbles」。心の中で、透明のガラスでできた「おはじき」を投げてみよう、というもの。2017年の「白いビー玉」と似ているね。

 

巻末。「おさらいホ・オポノポノ」もそのまま。この手帳で初めてポノを実践しようとする人でも大丈夫なように、わかりやすい解説が付いている。「ポノってなに?」「ウニヒピリって?」「クリーニングって?」に、ちゃんと答えてくれていて、その後には、基本的なクリーニングツールの紹介もある。

 

そして、自分と関わりのある場所をクリーニングするための日本地図と世界地図。その次にある「パーソナル・データ」は、2018年版にはなかったページ。17年、16年にはあったから、18年だけ特別かな。18年の対談のテーマが「『わからない』という知恵の贈り物」で、その後に「『わからない』という知恵のリスト」があり、自分や家族のことを書き込むスペースがあるから、パーソナル・データのページは割愛したのかも。

 

さて、私が一番読みたかった巻末の対談。SITHホ・オポノポノの継承者ヒューレン博士と、ホ・オポノポノ創始者モーナ女史の一番弟子であるKR女史によるもので、毎年アンダーラインを引きながらじっくり読み込んでいる。

 

2019年のテーマは「ウニヒピリにあなたの秘密を打ち明けよう」というもの。

 

・・・秘密?すぐには具体的に思い浮かばなかったが、対談を読み進めるうちにわかってきた。自分の中に湧き上がった「恥ずべき感情」など、認めたくなくてフタをしたり黙殺してきたアレなのね。ふとした時に無意識に出てくる「差別感情」とかね。なんだか、思い出してしまったら(掘り起こして目の当たりにしてしまったら)、かなり嫌な気持ちになりそう。

 

でも実は、それはクリーニングするチャンスなのだ。そのことについて、ウニヒピリに「あのね、私にはあのとき悪意があったんだ」と打ち明ける。そして、クリーニングする。それが大事、ということらしい。

 

過去のことに限らず、これから現れる負の感情についても同じ。「こんな風に思ってはいけない!」とその感情を押し殺しても、それは好ましい方法ではない。抹殺したつもりになっているかもしれないが、その記憶(ポノでは問題の原因はすべて、太古からの記憶と考える)は消去されないまま、後に再び立ち現れる。

 

確かにそういうこと、あった。身に覚えあるわ。何とかやり過ごしたと思っても、再度、同じような問題が起こってしまう。

 

実はそれ、「クリーニングしようよ」とウニヒピリが見せてくれたもの。だから、慌てて打ち消すのではなく、ウニヒピリに打ち明けて、一緒にクリーニングして手放すという方法をとればいいのだ。

 

KR女史の言葉を借りると、他人に堂々と言えないことや自分の隠れた趣味、小さな頃に抱いていたマイナスの感情、多くの人が嫌悪感を抱いているのに自分だけが興味を持って好ましく感じているようなことも、ウニヒピリには打ち明けてみて、ということだ。随分具体的なので、自分に置き換えて考えやすい。

 

そして、ウニヒピリに告白してクリーニングしていくことは、本来の流れを取り戻し、あなたを自由にしてくれるはず、と女史は続ける。

 

また、ヒューレン博士は、あなたが心の内を明らかにし、クリーニングしていけば、見えなかったものが見えてくる、ウニヒピリへの告白は、宇宙を動かすほどのインパクトを持つ行為なのです、と言っている。一日のどこかで、ウニヒピリに打ち明ける時間を持てると良い、とも。できるだけ頻繁に機会を持つようにすれば、調和はすぐに戻ってくる、と。

 

秘密は、どんな些細なことでも良いそうなので、早速、今日からウニヒピリに打ち明けていこうと思う。自分自身の秘密、人に言えない心の動きを、たとえ自分自身の潜在意識であるウニヒピリとはいえ、「打ち明ける」というのは、慣れるまでは抵抗ありそうだけど。

 

ウニヒピリが「あなたが今、記憶に気づき、クリーニングという選択をしている」ということを知っている、そのことが重要なのです。それほどまでに「明らかになっている」ということは、とても大切なことなのです。

 

あなたが自分のウニヒピリに打ち明けるほど、ウニヒピリは、失われた自身を取り戻し、ウニヒピリにしかない能力をどんどん発揮してくれるようになるでしょう。それは、体の機能、感性を通して、面白いほど、あなた自身も気づくはずです。

 

というヒューレン博士の言葉にアンダーラインを引く。

 

私は、ウニヒピリとの関係は良い方だと思っているが、秘密を告白する、という行為を毎日加えてみたら、もっと調和がとれ、もっと自由になれるのだろうか。そんな期待もクリーニングしながら、新たな学びを得た来年の手帳を眺めている。

 

新しい年の元日。この手帳を開き、私は最初に何を書き込むのだろう。

 

 

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2019

 

娘とのプチ旅行―清水、そして自由が丘散策

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私は静岡県の清水(今は静岡市だが、当時は清水市)で生まれた。父が転勤族だったため、この町で過ごした年月は短く、今も付き合いのある友人というのはいない。でも、約30年前に両親がこの地に居を構えてからは、私のふるさとはやはり清水なのかな、と思っている。

 

二人きりで暮らす両親は、今もう80代になっていて、病歴も華やか(!)だし現在も複数の病や後遺症に悩まされており、揃って障害者手帳も持っている。はっきり言って、不安でしょうがない。いつもとても心配しているのだが、実家までDoor-to-Doorで3時間。なかなか帰れないのが実情だ。

 

前回訪れたのは、3月。曾孫の顔を見てもらうために、長女一家の旅に同行したのだった。あれから7カ月。今回は次女の提案で、彼女と二人で老夫婦の様子伺いに行ってきた。

 

いつも悩むのが、泊まるかどうかということ。母の負担にならないよう、前回も今回も宿泊は最初、遠慮していたのだが、「泊まっていきなさいよ」と言ってくれたため従った。近所に住んでいれば、そんなことを気にせず、頻繁に会いに行けるのだろうけど。

 

どうなんだろう。行くことが迷惑になっていないだろうか。あれこれ先回りして準備したいのに、それができないことを気に病む、そんな母の性格を思うと、どうしてあげるのが一番良いのかわからなくなってしまう。不甲斐ない娘なのだ、私は。

 

「一緒に清水に行こう」と次女が言ってくれて、私はもちろん嬉しかった。でもきっと、弱った祖父母を見て、次女が気落ちするのではないかとも思った。だから、合わせ技でお楽しみも用意しようと考えた。翌日、東京・自由が丘を一緒に散策する、という。

 

何故、自由が丘?
それは、ふと思いついただけ。でも多分、私が彼女くらいの年齢だった頃、楽しく過ごした経験があったからだろう。あの可愛らしい町が今どうなっているのか、私自身が確かめたかった気持ちも強い。

 

そんなお楽しみも待っていたせいか、あるいは次女と一緒で少し気が楽なせいか、清水に向かう私の心は久し振りに晴れやかだった。空も秋晴れ。

 

そして、実家に着けば両親は笑顔で迎えてくれた。あちこち不具合を抱えながらも、なんとか二人で支え合って暮らしている様子に、ひとまず安堵する。

 

前日、頑張って庭の草取りをしたと言うので、そんな無理をしなくて良かったのに、と返したら、頑張れたことに達成感があり、嬉しいのだと言う。思っていたより気丈で、なんだか救われた。

 

父は腰の痛みが続いているらしい。私は早速、持参のアロマオイルを用いてマッサージする。そういえば、この父には子どもの頃から「揉むのが上手い」と褒められていたっけ。

 

横たわり、目を細めながら昔話をする父。ちょっと説教混じり。その老いたからだから辛い痛みが消えてなくなりますようにと祈りのハンドパワーを送りながら、私はわざと軽口をたたいていた。

 

一方、次女は持ち前の明るさでおばあちゃまのハートを鷲づかみ。二人でガールズトークよろしく、きゃっきゃっと何時間でも笑っていた。

 

「こんなにおしゃべりしたこと、最近ないわ。顎が筋肉痛になりそう」と母。
「もーメチャクチャ楽しい。だって、おばあちゃま、可愛いんだもん」と娘。
この二人、気が合うのだろう。ちょっと妬けるくらいだ。(笑)

 

翌朝、二人に別れを告げて、私と娘は東京へ向かう。静岡から新横浜まで、新幹線で44分。11時頃出発しても、ランチタイムを自由が丘で過ごせる。静岡に住むのもいいかも、なんてね。

 

自由が丘は思っていた通り、30年前の面影はなかった。道・・・全然、わからない。

 

次女がスマホを駆使して案内してくれなければ、一人では楽しめなかったかもしれない。昔はこんなにお店の数はなかったし、人もこれほど歩いていなかった。

 

でもやはり、お洒落な佇まいの建物や、ディスプレイの素敵なお店がいっぱいで、女の子好みの町であるという点では変わりない。駅前だけでなく、住宅街まで足を延ばしても、フォトジェニックなスポットがたくさんあった。そうそう、“自由が丘のヴェニス”と謳う「ラ・ヴィータ」は、昔、名古屋にあったイタリア村を思い出させた。

 

オープンエアのテラス席で、秋の風を感じながらのランチ(ワインも)、雑貨店巡り、可愛いカフェでの休憩。心の弾むお散歩タイムだった。予報になかった雷雨さえ、楽しい思い出になりそう。

 

ピーターラビットだらけのカフェの窓際で、雨の音を聞きながら、娘といろんな話をした。

 

「一緒に清水に行ってくれて、ありがとうね」と言えば、
「なんでお礼?二人に会えて嬉しかったし、すんごく楽しかったよ」と娘。

 

「早く彼に会いたいでしょう」と聞けば(この後、娘は彼氏とデート)、
「今はお母さんといられることが嬉しいから」と娘。
「次はお父さんとお母さんと彼と、4人で自由が丘に来ようね」だって。

 

長女といい、この次女といい、性格の良さは誰に似たの?夫譲りなのだろうか。物事を良い方に捉え喜べる力、素直になんでも面白がれる才能は、頼もしい限りだ。私も見習いたい・・・。

 

ふと、思う。親孝行って、なんだろう。

 

私はずっと、親に心配や迷惑をかけ通しだったという負い目がある。あまり自慢できる娘ではなかった。大人になってからも、旅行にも連れて行ってあげられていないし、相変わらず心配ばかりかけている。

 

もし、私に親を喜ばせるものがあるとすれば、それは二人の娘たちだけだ。あなたたちの孫をこんな良い子に育てたよと。それだって、夫の力かもしれないが。

 

東京駅。改札で次女に見送られながら手を振った。彼女はこの後、彼氏と食事をし、翌日は一緒にボーリングをするのだそうで。

 

仲良しでいいね。遠距離恋愛、切ないけど楽しいよね。その笑顔があれば大丈夫だよ。そう、心でつぶやく。

 

娘たちが日々、幸せな気持ちでいてくれる。私にはそれが一番の願いだし、何よりの親孝行だなあ、と実感するのだ。もしも私の両親もそう考えてくれているとしたら・・・?

 

私も娘たちを見習って、もっともっと幸せ上手にならなくては、ね。
(いや、旅行に連れていけ、という父の声が聞こえそうだけど!)

 

娘に誘われ「お散歩デート」

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朝、窓を開けたときに「あ、秋の匂い」と感じる日が、毎年訪れる。10月に入って、今ぐらいの時期だ。それは、金木犀の香りに感じるウットリしたものでなく、ひんやりし始めた空気の、ちょっと緊張感のある匂い。胸が少し苦しくなるような、“あきらめ”を伴うような。

 

ずっと「なんでだろう?」と不思議に思っていたが、何年か前に、「ああ、これは運動会の朝の匂いがよみがえってきていたんだね」と気づいた。

 

小学生の頃は私、運動が得意ではなく、運動会はちっとも楽しみではなかった。全校生徒や保護者たちなど、大勢の人の前で走ったり踊ったりするのが恥ずかしく、楽しみどころか嫌いだった。だから、当日の朝、窓を開けて晴れ渡る青空を見上げ、ああついに今日が来ちゃった、なんてため息をついていたのだと思う。

 

そんな“秋の匂い”を感じる日が、今年も訪れた訳だが、嬉しいことに今年も無事、運動会に出場しなくて済んでいる。大人になって良かったことの、ひとつだね。

 

一番好きな季節は秋。そう言う人が多いみたい。うだるような暑さから解放されホッとするから、夏嫌いの私も秋は嫌いではない。でもやっぱり、秋ってなんだかちょっと緊張する。

 

一年も残りが3カ月ほどとなり、あれこれ「やっておかなきゃ」的なことが目についてきて、なまじ動ける気候だから欲も出てしまう。欲が出てくるわりには「そんなにいろんなこと、いっぺんにできないよ」と反発する自分もいて。「どうしても頑張らなきゃダメ?」なんてちょっとだけ、臨戦モード。大袈裟か。

 

スポーツの秋。読書の秋。芸術の秋。
行楽の秋。食欲の秋。実りの秋。
……etc.

 

あれをしよう、ここへ行こう、それも食べよう。
ネットでもTVでも新聞でもチラシでも、秋にまつわる惹句が踊っている。ジャック、踊り過ぎだよ。見てるだけで疲れるよ。

 

この夏を引きこもりがちに過ごした私にとっては、読書や芸術はともかく、アクティブな方の秋は例年以上に敷居が高い。ああ、想像しただけで緊張する。

 

そんな私を外に連れ出そうと思ったのか、連休中の一日、次女が「お散歩デート」に誘ってくれた。私の好きなフラリエという庭園公園で秋の草花を撮影し、彼女のお気に入りのカフェにも連れて行ってくれるらしい。

 

実は私、膝を痛めていて、整形外科のリハビリにもう2カ月半ほど通っている。長く歩き続けると痛くなってくるのでウォーキングには及び腰になっていたのだが。

 

娘と一緒なら休み休み歩かせてもらえるから、まずは気が楽だ。それに私は「趣味は散歩」と言っているくらい、本来歩くことは大好き。外での撮影もしたかったし、お洒落なカフェにも久し振りに行きたい。何より、娘からそんな誘いをしてくれたことが嬉しくて、嬉々として出掛けたのだった。

 

ここのところ週末ごとに台風に脅かされてきたが、この日は快晴。夏のように暑かった。日差しの強さには少々まいった。でも、空は高く深いブルー。あきらかに秋の青色。吹く風はサラッとしていて気持ちがいい。

 

フラリエには6つのテーマガーデンがあり、そこここに洒落たベンチが配され、色とりどりの花を愛でながら一息つくことができる。休日だがさほど混雑していなかったのも、ストレスがなくて良かった。手入れされた散歩道をゆっくり歩き、ときどき写真を撮る。他愛のないおしゃべりが、気持ちを晴れ晴れとさせてくれる。終始、ふたりで笑っていた。

 

次女は今、遠距離恋愛中だ。この先、カレとはどうなるか私にはわからないが、いつかは彼女も私たち夫婦のもとから巣立っていくだろう。その日はそう遠くないような気がする。4つ上の長女が結婚した24歳に、彼女ももうなっているし。

 

こんな風に「お散歩デート」してくれるのも、あと何回だろう。長女の結婚前も、一緒に暮らせる残された一日一日を、抱きしめるようにしていたなあ、と感傷的になる。今、という時間を大切にしたい。

 

散歩中、その長女から家族LINEにメッセージが届いた。1歳の娘(私にとっての孫娘)を抱っこして、ちょっと遠方の公園まで歩いていると言う。赤ちゃんを抱っこして歩くには、かなりキツイと思われる距離だし山道もあるのに。抱っこヒモの中で眠ってしまい、はてどうしたものかね、と苦笑している様子。

 

休日なのに、婿殿は今日も仕事らしい。行楽の季節、ひとりで赤ちゃんを抱いて遠くまで歩いてみようと思い立った娘の気持ちを思い、切なくなる。

 

「お母さんが、私が赤ちゃんのとき、ベビーカー押してすっごく遠くまで歩いてくれたって話を思い出して、私も頑張ってみた」と、泣かせることを言う長女。

 

近くに住んでいたら一緒に歩けたのになあ、と思う。思いながらも、こうしてLINEのおかげでリアルタイムで状況を交換できるのは、嬉しいことよね、と考え直す。お姉ちゃんが大好きな次女が、すかさず今撮ったばかりの写真を送る。

 

そのうち、仕事中の夫からもメッセージが入った。忙しすぎる男たちのことも心配だけど、機嫌よく仕事していてくれるようなら、少しは救われる。案じてくれる人がいる、案じたい人がいる、というのは幸せなことだよね、きっと。

 

脚はやっぱり少し痛くなったけれど、良い散歩だった。カフェのランチも美味しかったし、この後に行った出来たばかりの大型商業施設でも、次女の買い物に付き合えて楽しかった。夕方、仕事を終えた夫と合流し、久しぶりに3人揃って楽しんだ外での食事も、和やかで素敵な時間だった。

 

さて。連休が終わり、今日は丁寧にストレッチしながら、ひとりでのんびり過ごしている。あちこち散らかっているけど、片目をつぶる。掃除も明日でいいや。

 

疲れたら休む。体の声を聴き、メンテナンスする。そこを押さえておけば、多少の不具合があっても出不精を決め込むことはない。時々は、電車に乗ってお出掛けをしよう。

 

10月中にもうひとつ、次女とのイベントが待っている。それは今から楽しみで、体調を崩さないように備えておきたい。

 

あれもこれもと頑張らなくてもいいんだよ、と自分に言う。人と比べることもない。私は私のペースで、恵みの秋を楽しもう!

 

「瞳の面影」を聴きながら―西城秀樹さんを追い続ける日々

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「瞳の面影」という歌をほぼ毎日のように聴いたり、口ずさんだりしている。フランキー・ヴァリの名曲を西城秀樹さんがカヴァーした、美しいバラードだ。美しすぎて、気がつくと、涙が頬を伝っている。いつものことだ。

 

西城さんが遠い世界へ旅立たれて、4か月以上がたつ。喪失感は、形を変えながら今も続いている。

 

寂しい気持ちはある程度、落ち着いてきた気がする。しかし、何とも言えない哀しみと恋しさが、日を追うごとに深まっていくようなのだ。辛いのだけど胸は温かく、涙にくれながらも優しい気持ちになる。体験したことのない感覚。一体これは何なのだろう。

 

過去の歌を聴いたり動画を見たりして、私の覚えているHIDEKIをなぞり、私の知らなかったHIDEKIを知っていく日々。いつも彼を追っている。

 

お母さんはオタクなんだね、と先日、24歳の娘に言われてしまい、ちょっと笑った。そうだね、お母さん、HIDEKIオタクになったのかもしれない。

 

小学生のテレビゲームよろしく「HIDEKIのことは1日1時間までにします」などと言っていたら「いいじゃない、好きなだけやれば」と優しい娘。(笑)


動画を見て泣いてしまい「ありゃりゃ、ごめん、変だよね、私」と言ったら、夫まで「そんなの。好きなだけ泣けばいいさ」と言ってくれた。(甘えさせていただいてます)

 

西城秀樹さん。
16歳で上京、17歳直前でデビューして、63歳まで、46年もの間、ずっと芸能界の第一線で活躍されてきた。画家で言うところの「画業○○年」に相当する言葉が、歌手にもあるのだろうか。とにかく生涯現役で、大スターでいつづけるということは、本当に凄いことだと思う。

 

西城秀樹が好き」と言うとき、相手がどの年代の「西城秀樹」を思い浮かべてくれているかは、いつもとても気になる。例えば10代のあどけなさの残る彼の姿や歌声(でも洋楽カヴァーでは思い切りロックしてる)と、30代の洗練されたそれとでは、全くイメージが異なる。もちろん、どの年代も本当に魅力的なのだけれどね。

 

以前にも書いたが、私がHIEDEKIに夢中になっていたのは、遠い遠い思春期の頃。1973年2月発売の「青春に賭けよう」(デビュー1年後くらい)でドキンとし、5月の「情熱の嵐」で恋に落ちた。(よくあるパターンみたいです)

 

「ちぎれた愛」「愛の十字架」「薔薇の鎖」「激しい恋」「傷だらけのローラ」「涙と友情」「この愛のときめき」「恋の暴走」「至上の愛」「白い教会」

 

このあたりまでかな。レコード屋さんに3カ月に一度、走って行ったと思う。当時はそれくらいのペースでシングル曲を発売していたから。で、私は高校受験を機に、HIDEKIを卒業しようと自分で決めたのだった。

 

この後、1976年に入ってからの「君よ抱かれて熱くなれ」「ジャガー」「若き獅子たち」は、西城さんの「青年3部作」と言われている。西城秀樹を少年から青年にしようと、作詞家に阿久悠を起用、以後しばらく、阿久悠三木たかしコンビの曲が続く。まさにその頃、HIDEKIを離れてしまった私は、少年期までの彼を愛していたことになるのね。

 

でも、テレビをつければ彼はそこにいた。少しずつ大人になって、いつもキラキラ輝いて。だから、その後のヒット曲もたくさん知っているし、ずっと好きだったし、活躍を見て嬉しかった。ただ、80年代になると自分がテレビをあまり見なくなったこともあって、彼の曲をよく知らない。90年代も、2000年代も、ネットで初めて知った曲がほとんどだ。そう、訃報後に・・・

 

アルバムも100枚以上出していて、その中にも素敵な曲がいっぱいあることを知った。YouTubeを開けば、お宝音源や動画が綺羅星のようにアップされていて、私は自分の知らないHIDEKIに驚き、改めてその素晴らしさを実感している。というか、圧倒されている。

 

音源や動画のアップも、これ、加速度的に増えているのではないだろうか。人気があるのはもちろんだが、それだけデータがあるということで。

 

歌謡界全盛期の国民的スターであったということは、しかも46年間も活躍されたということは、こういう膨大な宝物を残してくれるということなのか!(掘れば掘るほど出てくる・・・)

 

彼の素晴らしさは音楽だけにとどまらない。歌唱力や表現力がずば抜けているだけでは、こんなに多くの人に愛されないだろう。恵まれた容姿ももちろんあるけれど、やはり、人柄、人格なのだと思う。

 

数多くの後輩に慕われている様子はよく伝えられているが、彼は10代の頃から父性を感じさせるものがあった。

 

思春期の私は、彼をただ「カッコイイ!」と憧れただけでなく、いつも守ってくれそうな信じられるお兄さん、という目で見ていた。それでいて時折見せる、寂し気な瞳が幼い母性をもくすぐった。だってHIDEKIはまだ、18歳くらいだったのだものね。心細い、不安な思いもあったことでしょう、多分、たくさん。

 

冒頭で書いた「瞳の面影」で、HIDEKIと綺麗にハモっているギタリストの芳野藤丸さん。藤丸バンドでHIDEKIのバックを務めていた頃のエピソードを書いてくれた記事があり、その中で、ファンの多くは女子中学生や高校生だから、彼は保護者のような目で見ていたと回想していた。そうでしょうとも、と思い、また泣けてきた。

 

先日入手したDVD『ブロウアップ ヒデキ』では、20歳の彼が歌い、叫び、踊り、語っている。月並みだけど、青春がほとばしっている。43年前のステージとは思えないキラキラ感。スタイリッシュで可愛らしく、礼儀正しく、優しく、激しく、切なく、この世の人とは思えないほど美しい彼。そして抜群に歌が上手い。

 

ライヴで彼の作り出す世界観は、テレビの歌番組とは比較にならないスケールだ。私の魂も時間ごとごっそり持って行かれた気がする。クラクラするようなこの感覚を、どういう思いで受け止めたらいいのかわからない。

 

自分の娘よりも若い20歳の彼を「そんなに走ったら転ぶよ」と、ハラハラ見守る50代の自分がいるし、優しく美しい素敵なお兄さんにときめく中学生の自分もいる。そんなのが同時に存在するわけで、本当に混乱する。

 

どう表現したらいいのかわからない、この不思議さといったら。そして、もう彼はいないのだという思いに至れば、自分が存在することすら現実味がなくなってくる。

 

誰かと共有したい気持ちで、YouTubeの動画のコメント欄とか、掲示板などもそっと見ている。で、自分と同じような気持ちでいる人が多いことに、喜びと感動を覚える。私のように戻ってきたファンは「ブーメラン組」と呼ぶそうだ。

 

ブーメラン組の切なさは、ファン歴63年の方々や、訃報をきっかけに新規でファンになってくれた方々とはまた違う、贖罪の意識もある。一番大変だったときに、支えてあげられなくてごめんなさい。リハビリの頃のお姿を見るのが辛く、目を逸らしてしまってごめんなさい、という・・・。そして、いつも、いつだって、努力してきた貴方をリスペクトし、まぶしく見上げてきたのです、と。貴方は昔からずっと、本当に、身も心も美しい人でした、と。

 

同世代ファンの想いは複雑で、それぞれの人生も反映されていて。私はついつい自分と重ね、感情移入してしまう。刺さる言葉を見つけては、涙して、時に嗚咽まで。でもやめられない。(これをヒデキ沼と言うそうです)

 

まあでもね、前述の24歳の次女に「お母さん、綺麗になったんじゃない?」と言ってもらえたのは嬉しい。傍から見たら滑稽でも、きっと私の救いになっていると思うのだ、この沼は。

 

切ないし、オタクかもしれないけど、宝物を見つけ直したような喜びがある。自分の知らなかった大人世代のHIDEKIを知って、初めて聴く曲に心打たれたり、これまであまり興味を持てずにいた楽曲にも魅力を感じてきた。今ではどの世代の彼をも絶賛したい。

 

・・・ただ。
やっぱり私は、私が一番夢中になっていた頃の彼を、今でも一番愛おしんでいると認めざるを得ない。HIDEKIは、それでいいと許してくれるだろうか。

 

最近は、向田邦子のドラマ「寺内貫太郎一家」を見て懐かしんでいる。昔、見ていたはずなのに、ほとんどストーリーを覚えていない私。子どもだったんだね。HIDEKIが演じる周平君が、年上の親戚の女性にほのかな恋心を抱く23話、24話は、まるでフランス映画のようだ。ライムとかレモンとかの香りがしてくる。本当に素敵。

 

おばあちゃん役の樹木希林さんも、先日神に召された。今頃、周ちゃんとばあちゃんは、あちらでじゃれ合っているのかな。

 


・・・ああ、お彼岸ですね。仏花も良いけれど、彼に捧げるお花はやっぱり・・・深紅の薔薇かな、と思いました。

 

精油の力で、心のダメージを手当てする

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大暴れの台風21号がひどい爪痕を残し、ようやく去ったと思ったら、今度は北海道で大きな地震。テレビの映像を見て、茫然としてしまった。

 

大阪府北部地震西日本豪雨もついこの間のこと。短い間にこんなに何度も被災するなんて、私たちはなんて危なっかしい国に住んでいるのだろう。

 

亡くなられた方、ご遺族の方には言葉もないし、日常を奪われてしまった方たちにも、掛ける言葉が見つからない。それは明日の私かもしれない。何万分の一にもならないけど、恐怖と苦しみ、悲しみを共有しようと想像するだけだ。

 

その何万分の一でも、ニュースで知る被害の数々に慄き、涙が出る。胸が痛み、頭が締め付けられる。あの、東日本大震災のときと同じだ。

 

ひとつ深呼吸して、落ち着こうと思う。私が苦しんだって、被災された方たちが喜ぶわけがない。手を合わせお見舞いの言葉をつぶやき、ホ・オポノポノの4つの言葉を重ねる。

 

自分が被災したわけでもないのに、心はダメージを受け、ちょっとウツっぽい。それで、昨夜はいつもより丁寧に、心の手当てをした。

 

私の手当ての方法は、アロマセラピーディフューザーによる芳香浴をしながら瞑想し、精油ブレンドしたオイルを使ってセルフマッサージ(アロマトリートメント)をする。

 

エッセンシャルオイルとの付き合いも、かれこれ3年。アロマセラピーは本当に奥が深いので、もっともっと勉強したいとは思っているのだけど、つい後回しにしてしまって。とりあえず数冊の本を参考にして選び、自分なりに組み合わせて楽しんでいる毎日だ。

 

精油は芳香成分はもちろん、天然の薬効成分がぎゅっと詰まっている。だから、ただ良い香りに癒されるだけでなく、心身に効く良い成分が鼻腔から大脳へダイレクトに届き、また、気管、気管支、肺にも吸収される。アロマトリートメントなら、加えて皮膚からも吸収される。こうして薬効成分は毛細血管やリンパ管に入り、全身に運ばれるということだ。

 

基本的な取り扱い方と、それぞれの精油のプロフィールを知れば、魅力的な自然療法を誰もが手軽に、自分で自分に、あるいは大切な人に施すことができる。

 

私の“魔女のクスリの小箱”も、3年前に比べるとなかなか充実してきた。リピートする子も増えてきたしね。(欲しい子も増えてきたけど)

 

ストレスや緊張を緩めてくれるラベンダーや、落ち着きを取り戻してくれるゼラニウムは、いつもそばに置いておきたい精油。スキンケアにも良いそうで。

 

最近のお気に入りは、フランキンセンスとシダーウッドの組み合わせ。そこにベルガモットを加えるのも好き。安らぎと静かな自信をもらえる感じで、上品な香りのバランスも、とても心地良い。

 

イランイランの甘い香りは強いので、ほんの1滴で充分。包み込むように不安な気持ちを和らげてくれる。スウィートオレンジも心を明るくしてくれるから外せない。本当はローズが一番好きだけど、あまりに高価でなかなか買えないのが残念だ。

 

リフレッシュしたりパワーをもらえたりする精油も良いが、今は抗うつ作用のあるものを中心に愛用している。心の奥の方まで、静かに優しく届き、痛みを癒してくれるのが、どんな薬よりも安心で幸せ感があると思っている。

 

思えばこれまでどれほど、そんな精油たちを頼ってきたことだろう。もっと早く知っていれば、生活に採り入れていれば、もしかしたらあの頃、心を病むことはなかったかも?などと考えてしまうほど。今は早めのケアができるようになったから、とても心強い。

 

長女がわが家へ来るたびに、「このうちはいつも良い匂いがするよね」と言ってくれるのも嬉しい。玄関に置いたアロマストーンに垂らしたゼラニウムや、洗面所やキッチンで日常的にスプレーしているスウィートオレンジやローズマリーなどのエアフレッシュナーのおかげだろう。あるいは、ディフューザーで毎日ミストを出しているから、お香を焚き込めたようになっているのかな?

 

もうすっかり私の暮らしに欠かせなくなっている精油たち。人工的なものにはない自然な香りに癒され、有効成分を心身の健康や美容に活かせるアロマセラピー。まさにセラピー(療法)だ。

 

多分、今、すごくすごく助けてもらっているよ、私。そして、きっとこれからもね。


 ◇アロマについて、過去に書いた記事

 2015-09-22
 精油がくれた幸せのヒント

 2016-01-19
 香りのミストに癒されながら

 

一眼レフと私

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8月もあと10日ほど。朝晩涼しくなり、日毎に秋が近づいて来るのを感じる。

 

義父の一周忌法要も滞りなく済み、我が家に泊まっていた長女一家も帰っていき、ここ2週間ほどの忙しさをぼんやりと振り返る。1歳4か月の孫娘が遊んだ積木やぬいぐるみを片付け、愛らしい笑顔を早くも懐かしみながら、でもやはり戻ってきた日常にホッとしている。

 

手元にはミラーレス一眼のカメラ。せっかく買ってもらったのに、その後忙しすぎて、まだちょっとしか触れていない。

 

いや、大丈夫。外に出やすくなるこれからの季節、いろいろ試して好きな写真をたくさん撮りたい。

 

私は30年くらい前、小さな出版社でグルメ系フリーペーパーの記者をしていた。当初はカメラマンと組み、彼のランクルに同乗し取材に飛び回っていたのだが、ある日、編集長にこう言われた。

 

「これからは、つきかなさんが写真も撮ろう。クルマも買うから(軽だけど!)一人で取材に行ってね」

 

要するに経費節減。カメラマンに撮影を頼めるのは表紙と特集ページに限られてしまった。そして、私はペーパードライバーを返上して運転することになり、会社にあったニコンの一眼レフを覚えることになってしまった。

 

今では編集長に感謝しているが、当時は本当に面食らい、紙面完成度の低下を恐れて、仕事を取り上げてしまった形の当のカメラマン(強面だけど本当に優しい人だ)や、カメラの得意な同僚や仲間のデザイナーに聞きまくりながら、自分でも一眼レフを買って練習した。

 

もちろんスマホも携帯電話もない時代。それまでは、インスタントカメラしか持っていなかったけれど、写真を撮るのは好きだった。だから、一眼レフの魅力にも瞬く間にはまり、面白くてたまらなくなった。

 

そのフリーペーパーの印刷をお願いしていた会社の担当さんが、写真撮影を趣味にしていると聞き、それなら休みの日に一緒に撮りに行きましょうかという話になり、よく牧場や海などに連れて行ってもらった。

 

レンズを付け替えたり、絞りやシャッタースピードを変えてみたり。いろいろな表現力がある一眼レフにどんどん夢中になり、仕事で撮るだけでは物足りず、ついにはグループで写真展を2回、するまでになった。ちなみに、その担当さんが今の夫である。

 

結婚し、娘たちが生まれ、彼女たちが被写体になることが増えて、いつからか我が家でもデジタルのカメラが主流になっていき・・・使われないままのリバーサルフィルムの箱が埃をかぶっていった。

 

今ふと、あの巻き上げ式のニコンを懐かしく思い出す。135mmのレンズを愛用していたっけ。ああ、ニコンのシャッター音が好きだったなあ。

 

年月は流れた。10年近く前、新聞社で記者をしていたときには自分のデジタルカメラを使っていたが、今はもうそのデジカメさえどこかに仕舞い込まれたままだ。

 

いつしか私、スマホのカメラでしか撮らなくなっている。なんてことだ、そのスマホにしたって、機能を十分に使いこなせていない。

 

「あなたは写真を撮る人だと思うんだ」

 

そう言って、この夏、夫が買ってくれたオリンパスのPEN。小さくて可愛いけれど、このちょっとした重みに安心感を覚える。カメラって、やっぱりこう構えるものだよね(ファインダーはないけどね)。

 

これから、いろんな所へこの子を一緒に連れて行きたい。旅にも出たい。つい、スマホの手軽さに手を伸ばしてしまいがちだけど、本当に「撮る」モードのときは一眼がいい。絶対に面白いから。

 

で、面白くなるためには、まず操作を覚えなくてはならない。PENのマニュアル本も2冊買ってもらっている。が、パラパラと見ながら不安になるのだ。

 

いろんなことをメンドクサがりながらここまで来てしまった今の私に、こんなにたくさんのこと、覚えられるのかな。

 

が、がんばろ!

 

被写界深度、なんて言葉、ホント、懐かしいな。まずはスマホでは撮れない、キレイな背景ボケをマスターしたい。一応、強い意欲はあるのだ。

 

このカメラをつきかなに買ってあげようと思ったときの、夫の気持ちを想像してみる。彼にとっての「こうあってほしい」私像は、多分、私自身にとっても「こうありたい」私像なのだと思う。そこをサボって、錆びかけていた。

 

少しでも輝きを取り戻したいと思うよ。その気持ちへの感謝とともに。
さあ、何を撮ろうかな!