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一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

学びたい!学ぼう!と思える理由

仕事

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ここ一週間ほど、よく勉強している。いわゆる「仕事の下調べ」というやつだ。来週のインタビューで取材相手に気持ち良くお話をしていただけるように。なんて、本当はそれ以前の問題で、まず自分がトンチンカンな質問をしないように、である。

 

全くの未経験分野の仕事を引き受けた。少しでも不安を払拭しておきたい。

 

昔、定期刊行物の編集者だった頃は、特集を手掛けるたびに「俄か専門家」になっていた。短期間でそのことについて詳細に調べ、読者に伝えて喜んでもらえるものに仕上げるのは楽しかったが、調べた詳細はすぐに忘れていった。びっくりするくらい速く。本当に「俄か」なのだった。

 

まだインターネットのない時代。図書館や書店を駆けまわって書物にあたり、詳しそうな人に電話をかけ、公的機関などから資料を集めて、一生懸命原稿を書いていたのを懐かしく思い出す。

 

そう、そんな時代だった。まさにアナログ。しかし、そんな必死な調べ方をしているにもかかわらず、次の取材を始める頃には忘れてしまうのだ。

 

ネットで大抵のことは調べがついてしまう今なんて、忘れる速さは当時の比じゃない。簡単に手に入った情報はアウトプットした途端に記憶から消えていく。

 

でも、今回の仕事はちょっと趣が違う。

 

全く関心がなかった分野ではなく、むしろ、いずれ知っておきたい気持ちがあったことがひとつ。もうひとつは、調べるほどに奥が深いジャンルで、知ること自体が面白いのだ。ライターとしてこれを伝えることに関われるのは、誇らしいことだとも思う。

 

だから、受験生でもないのに、毎日5時間も6時間も勉強してしまう。報酬面から考えれば「見合わない」ということになるだろうが、仕事の準備であるこの勉強が価値のある知識となり、今後の自分の人生に役立つと思えば、大変良いきっかけをいただいたということで、本当にありがたい。

 

そもそも、依頼してくれた人は「それだけのパワーはかけられないということでお断りいただいても」と、あらかじめ気遣ってくれている。「いや、これはやるでしょう!」と決めたのは自分なのだ。正直に言うと、最初はちょっと怖気づいたし迷ったけど。

 

その依頼が嬉しかった、というのが一番大きい。彼は、私が5年前に半年弱だけ在籍していた会社の社員さんである。と言っても勤務地が違ったので直接会ったことはない。しかし、電話やメールでだったが一緒に仕事をしたことは、とても強く印象に残っている。優秀だが腰は低く親切で、本当に信頼できる人だった。

 

今はフリーランスとなったその人が、今回「手伝ってもらえませんか」と打診してくれたのだ。相変わらず丁寧に、しかも明るく。

 

私のことを覚えていてくれたんだ、というだけでも嬉しかった。頑張っていい仕事をして、声を掛けてくれたその気持ちに応えたい。また一緒に仕事をしてみたい。こんな考え方は甘いのかな?

 

というわけで、目下、鋭意勉強中だ。知らないことだらけで難しいし、奥が深すぎてめまいがしそうだが、後には引けない。とにかく悔いのないように、ベストを尽くそうと思う。そして、この仕事では「俄か専門家」にはなりたくないな。

 

面白いもので、「学ぼうという姿勢」は私の中で眠りかけていた向学心を揺り起こしてくれた。よーし、この仕事がひと段落したら、次はあれとこれについても学ぼう!学びたい!と、今、ちょっとワクワクしている。

 

娘の母であり、母の娘である私

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早春の柔らかい日差しには、母性のようなものを感じる。包まれて、安心していつまでもウトウトしていたい甘やかさだ。懐かしい気持ちになり、しばらく浸っていたくなる。少し風邪気味ならなおさらで。

 

風邪をひくと、特別な匂いがずっと鼻についていることがある。私の場合、2種類あり、今鼻についているのは好きな方の匂いだ。学校を休んで布団で寝ていたときの気分がよみがえってくる。体はだるくてちょっと辛いのだけど、なんとなく平和で幸せな気分。今は遠くに住む母への、恋しさを覚えるような気分。

 

二人の娘を育てている間、私は本当に楽しかった。でも私の母は、私を育てながらどうだったんだろう。そんな風に考え始めると、あまり良い娘ではなかった私は申し訳なさに身がすくんでしまう。風邪をひいた日に優しくしてもらった記憶が、私の目頭を熱くする。

 

母と娘。いろいろな形があるとつくづく思う昨今だ。

 

一昨日、姪の結婚式に参列した。赤ちゃんの頃から見てきた彼女が、28歳の美しい花嫁になったことに、理屈抜きに感動した。

 

自分の長女の結婚式では、出番も多く緊張していたためか、思っていたほど感情は乱れなかったのだけど、今回は油断していた。毎年、年に何度か会ってきた姪とのこれまでの交流が、走馬灯のように思い出されてきて、涙が止まらなくなってしまったのだ。これには我ながらびっくりした。

 

極めつけは、花嫁からの両親への挨拶。私はもう、義姉の気持ちをそのまま感受するかのように、泣き続けた。

 

お母さん、ごめんね。そしてありがとう。

 

それは、ティーンエイジャーの頃、母への反発を繰り返した姪が、この旅立ちの日に改まって素直にお詫びをし、衝突はしたがそれでもいつも応援してくれたのはお母さんだったと感謝し、心からの愛を伝える、キラキラした言葉たちだった。

 

私は最初、自分は母の立場でそれを聞いて、感動して泣いているのだと思った。でも、どうも違うようだ。実は娘の立場で姪の思いを感受し、姪の言葉に共感していたのだ。

 

できることなら、人生の大切な節目の日に戻り、私も母に謝りたい。そして感謝の言葉とともに愛を伝えたい。

 

お母さん、ごめんね。そしてありがとう。

 

結婚式には遠くに暮らす娘夫婦も参列。我が家に2泊していった。賑やかで忙しい数日が終わり、今また落ち着いて、楽しい思い出が増えたことに感謝している。

 

テーブルの上には白い花。次女が結婚式のブーケトスでキャッチした花束だ。お友達を差し置いて身内がもらってしまったことに、次女本人は困惑していたのだけど、反射的に手を伸ばしてしまったのだ。お花は地面に落ちなくて嬉しかったのではないかな。

 

そして母である私は、そんな次女を見つつ「あなたもいつか嫁ぐ日が来るのかしらね」と、ちょっと複雑な思いで花の水を替えている。鼻についている風邪の匂いがまだ消えていないことに、少し安堵しながら。

 

あるHSPの小さな決意―この「生きづらさ」を減らしていこう!

HSP

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HSPについては先月に書いたが、この概念のことを教えてくれた友人から、先日一冊の本を借りた。

 

彼女は体調を崩したときドクターからHSPの可能性があると指摘され、自分でいろいろ調べたそうだ。図書館で何冊か本を借り、その中で手元に置いておきたいと思い、購入し直したというのが『敏感すぎる自分を好きになれる本』(長沼睦雄著:青春出版社)で、今回その大切な本を貸していただいた。

 

読んでいるうちに、私はほぼ間違いなくHSPだろうと思った。そしてこれまで感じてきた「生きづらさ」がこの気質によるものであるのなら、今後どうしていったらいいのだろうと、改めて考えてみようと思った。

 

先日書いた記事と重なるが、HSPとはHighly Sensitive Personsの略で、とても敏感な人、という意味に直訳できる。アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が自著で提唱した概念で、その本『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』講談社)は世界的な大ベストセラーになり、HSPという概念は衝撃をもって世界の人々に迎えられたのだという。

 

HSPはどの社会にも15~20%の割合で存在すること、後天的ではなく生まれ持った気質であることが説明されており、敏感さゆえに現代社会で不当に低く評価されがちな気質だが、決して劣った人間などではなく、むしろ豊かな感受性に恵まれ創造性に富み、高い能力を持ち、繊細で深みのある人たちが多いのだと、アーロン氏は主張しているそうだ。

 

5~6人に1人はいることになるHSP。みんな、過剰とも思える自分の敏感さ、繊細さに悩むことが多かったに違いない。だから、この概念を認識することで自分の苦しみの理由を知り、その主張を読むことで自信を持つことができると思った人も多いだろう。アーロン氏の本は読んでいないが、私もHSPの存在を知ることで心がラクになった一人だ。

 

私が「生きづらさ」を感じる一番の要素は、すぐに疲れてしまうこと。周囲を見渡せば、どうやらみんな、さほどでもないらしい。他の人たちはこれくらいのことで疲れないんだ、私はきっと虚弱なんだ、とずっと劣等感を持っていた。

 

しかし、HSPはそうでない人の何倍もの刺激や情報を取り入れながら生活しているということなので、そういうことならば非HSPの人より疲れやすくて当たり前だったのだ。

 

私は仕事柄、取材をすることが多かったのだが、思えばずっと取材申し込みの電話が苦痛だった。何時ごろ電話するのが一番迷惑にならないだろうか、などと悶々と悩んでしまうのだ。通話中も、電話の向こうの相手の様子を、その声や背後の音などから細かに推察し、不安な気持ちを相手に悟られないよう、自然に話をすることに一生懸命心を砕いた。すごく疲れた。

 

また、内容的に強い緊張を伴うような取材の場合、何故か出かける前に猛烈に眠くなった。緊張しているのに眠いってどういうこと?と自分で自分が不思議だったが、まるで体がこれ以上の刺激は受け付けないよと、神経をプツンと切ってしまったかのようだった。それはきっと、パニックにならないようにするための自己防衛だったのだ。

 

誰かと会って話すのは嫌いではないし、好きな人とは何度でも会いたいのだが、会った後は本当にグッタリと疲れてしまうのが悩みだ。楽しいのに消耗する。別れた後に頭がクラクラすることもよくある。相手が苦手な人であればなおさらで、家にたどり着いた途端、倒れ込んでしまう。自分はなんて弱いんだろうと、悲しかった。

 

そうか。HSPだからだったんだ。
しかも5~6人に1人は同じ仲間。

 

そうわかると、心からほっとしたのだ。心を鍛えようと努力しても「疲れていないフリ」「気にしてないフリ」ができるようにしかならず、実際は「やっぱりとても疲れやすい」自分を持て余し、自己嫌悪に陥っていたから。

 

でも本当に5~6人に1人もいるの?気づかないだけ?

 

本を貸してくれた彼女とランチをしながら、冗談で「わたしたち、まるで超能力を隠して生きているエスパーみたいだね」などと笑っていたのだが、あながち冗談とも言い切れない。この気質を持っている人は、社会生活をする中で、自分の気質を人に悟られないように生きている人がきっと多いはずだ。それこそが、繊細気質そのもの以上に「生きづらさ」の原因になっているのではないだろうか。

 

HSPの特徴のひとつに「良心的である」というものがある。自分で言うのもなんだが、本当にそれはその通りだと思う。

 

誰かに気を遣わせてしまうのが心苦しいし、自分のために物事が滞るのは申し訳ない。つい、相手の期待に添いたいと反応してしまう。

 

だから、大きな音にすごくびっくりしてもそれを隠すし、長時間の話し合いに頭がボーッとしてきても我慢する。また、人が話している内容を先読みできても、その場の空気を乱さないよう慎重に控えている。ただでさえ気質的にストレス耐性が低いのに、良心的であるがために自分のその気質を隠し、さらにストレスをため込んでしまうのだ。

 

「人の気分に左右されやすい」という特徴もある。これはもう、実感。本当に普通に、いつも周囲の気分の影響を受けてしまっている。

 

そばにいる人が常に機嫌の良い人ばかりならいいのだが、そんな人はまれだから、しょっちゅう不機嫌や悲しみ、困惑や強い怒りなど、ネガティブな感情を過敏なセンサーでキャッチして、いつもダメージを受けている。慣れっこになれたらいいのだが、できるのは「慣れたフリ」をすることだけだ。ちなみに私が一番キャッチして具合が悪くなるのは「意地悪な感情」だ。

 

負の感情をキャッチ(それはもう、押し寄せて流れ込んでくるようで、本当に防ぎようがない)してしまったとき、まず私が恐れ、構えるのは、キャッチしてダメージを受けてしまったことを相手に悟られることだ。悲しいことだが、経験上知っているのだ。誰かがダメージを受けて弱っているとき、そこを狙ってさらに痛めつけようとする人が、少なからずいることを。

 

この自分を守るための反応と、前述の良心的な特徴とで、私は自分の繊細気質を隠そうとする経験を重ね続けてきた気がする。そのことによって、「生きづらさ」をますます強く感じるようになってしまったと思うのだ。そんな風に感じるのは私だけだろうか。

 

さてさて。

 

でもせっかく生まれてきたのだから、「生きづらさ」を我慢してばかりの人生なんてつまらない。お借りした本には、HSPとはどういうものか、という詳しい説明とともに、HSPの生きづらさを解消するための方法も紹介してくれている。「知る」「対応する」「心構えをつくる」という三つの柱だ。

 

「知る」は、自分の抱えるHSP気質について、よく観察して知ること。HSPと一言で言っても、その敏感さの中身や度合いは人それぞれだからだ。自分は何に対して敏感なのか、どんなときに心が動揺し、どんな場所に行くと具合が悪くなるのか、「対象」と「傾向」をわかっておくことが大切ということだ。

 

「対応する」は、まず、少しでも暮らしやすくなるための準備をすること。気質による不調を招く自分にとっての「刺激」を、あらかじめブロックできる場合はなるべくそのようにし、自分が活動しやすい環境をできるだけ整えるということ。そのためにも自分の状態を確認するクセをつけるといいようだ。

 

次の対応は、セルフケアを意識的に行うということ。自分を悩ます「刺激」を防ぎきれなかったときでも、「その後の対策」があれば安心だし、その安心感が過剰に「刺激」を恐れることをなくしていってくれる。自分を労わる方法を知り、積極的に行うことが大切なのだという。

 

セルフケアも人それぞれ、合うものが違うようだ。睡眠、入浴、食事の改善、ヨガ、ストレッチなどいろいろあるが、私の場合はアロマセラピーとホ・オポノポノ、それと散歩かな。ハーブに触れたり、文章を書くことも力になりそう。要するにこのブログそのものだ(笑)。

 

三つ目の「心構えをつくる」は、心の奥底に「生きづらくてもこのままでいい、変わりたくない自分」が潜んでいる可能性もあるので、そのような「心理的逆転」を乗り越えよう、というもの。変わることへの不安や、自己評価の低さから、「変わりたい」と言いつつも変わることを拒んでいる場合が、HSPに限らず結構あるようだ。人の心とは、本当に奥深いものだ。

 

HSPであることも含めた自分をすべて認めた上で「生きづらさを捨てていいんだ」と、自分自身に言い聞かせ、覚悟を決める。・・・これはなかなか簡単にはいかないかもしれないが、大事なことなんだろうと思う。

 

この本には、HSPが陥りやすい「困ったこと」への具体的な対処法も示されているほか、家族や友人など身近にHSPがいるという人に向けても、HSPを理解し付き合っていくための方法が紹介されている。特に子育て中の人で自分の子がHSPの可能性が高いと感じている人には、是非読んでもらいたいと思った。

 

HSPは「生きづらさ」も感じやすいが、すぐれた特性でもあると、今はもうわかる。そしてその「生きづらさ」もある程度まで制御できそうだということも。

 

病気ではもちろんなく性格とも違うので、治したり変えたりしようがないのだから、この先の人生、上手に付き合っていかなくてはね。いやむしろ、自己肯定し、HSPであることを楽しんで生きていきたい。

 

欲しいのは水のある風景

散歩

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三寒四温という言葉を口にしたい季節になった。ふと寒さが緩み、そのまま数日間、温もりを感じられる日が続く。スニーカーを履いてちょっと遠くまで歩いてみようか、と思う日が最近増えた。

 

この町に引っ越してきてまだ1年ちょっとなので、Google Mapで我が家の周辺を見ると「どんな所だろう?」と興味を持つ場所が結構ある。お日様に背中を押されて、好奇心のままに足を延ばすのは実に楽しい。

 

こんな所に池が?

 

先日はそんな発見があった。日を受けて水面がきらめき、水鳥の親子が逆光の中、微笑ましい姿を見せている。思わず足を止めて見入ってしまう美しさだ。家から20分ほど歩けば、こんな景色が見られるのかと、少し嬉しくなった。

 

近所を流れている川も、その両岸の緑道をよく歩く。せせらぎを聞きながら歩くのも気持ちが良い。同じ川でも季節や時間や場所によって、様々な表情を見せてくれる。

 

水のある風景が昔から好きだ。海はもちろん、湖や池、泉や川をそばで見ていると、じんわり心に効いてくる。そこにはきっと光もあるし、風や土や木もほぼもれなく付いてくる。これだけのエレメントが揃えば、和みたい心は和み、弾みたい心は弾むことができるのだ。

 

人工的な噴水やプールでさえ、水のある景色には他にない魅力を感じる。水は、最も単純に「自然」を感じられるものだからだろうか。生物としての本能なのだろうか。まさに心を「潤す」のが水辺だと思う。心も乾くものだから。

 

以前は街歩きも大好きだった私だが、最近はあまり都会の風景に浸りたいと思わない。人が多いと疲れる、とまず思ってしまう。綺麗なものは見たいけれど、それは都会よりも自然の中に多く見つけることができると、今は感じている。街中にいても、ふと目をやるのは緑の多い場所だったりして。

 

年をとったせいかもしれないし、賑わいに飽きたのかもしれない。もしかしたらまだ、少し病んでいるのかな。20歳くらいの頃、母とデパート巡りをして服を買ったりしたのは、とても楽しい思い出だけど。

 

今の私は、歩くなら自然を感じる場所が嬉しい。そして、その道中に是非欲しいのは、水のある風景なのだ。何も考えず、ただ見ていたい。深く呼吸をしていたい。

 

心の中の「秘密の花園」

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もしも私が家を建てたなら
小さな家を建てたでしょう

 

という歌があった。小坂明子の『あなた』だ。私はまだ子どもで、自分もいつか家を建てるのかな、どんな家を建てようかな、などと無邪気に憧れていた。そして、家とセットで「庭」のことも大切に想像し、夢見ていた。

 

バーネットの『秘密の花園』が今でも好きで、秘密にしたいとは思わないものの、自分好みの庭を思う存分造れたらどんなに素敵だろう、と思っている。

 

私の父は公務員で転勤族だった。幼い頃はよく転居していたのだが、集合住宅ばかりでなく戸建ての官舎に住んでいたこともあり、そのとき一度だけ、花壇造りを経験した。小学校3年生か4年生のときだと思う。

 

母が「好きな花のタネを撒いていいよ」と言ってくれたので、数種類を撒いた。しかし、その後すぐに大雨か台風が来て、小さなお花畑は流されてしまった。悲しかったけれど、子どものことだから、そのうち忘れてしまったのだと思う。

 

ところが、庭の片隅、花壇からは遠く離れた場所に芽が出て育っていたのだ。ある日、その姿を発見して大喜びしたのを覚えている。触れると葉を閉じ下を向く「オジギソウ」だった。(わりと地味な植物が好きだったみたい)

 

ベランダの鉢植えでは味わえない経験だ。タネを撒くという行為には、すごく開放的なイメージがある。もしも私が庭を造るなら、色とりどりの自生の草花が素朴に楽しめるような、ワイルドフラワーガーデンをメインにしたいと思う。

 

あとは、薔薇と葡萄とハーブのコーナーが欲しい。神戸布引ハーブ園とかブルーボネットとか、まだ見ぬ紫竹ガーデン陽殖園などなど、参考にしたいガーデンがいろいろあり、考え出すと止まらなくなる。庭の前に家だろ、という話ではあるが。

 

私の心の中の「秘密の花園」は、常に未完成な状態で、完成形を夢見て作業している時間こそを、楽しんでいる。薔薇も葡萄もハーブもあるが、そこでは植物以外の「美しいもの」「面白いもの」もたくさん育てていて、それは私の愉しみであるだけでなく、生きる糧でもある。

 

青春の頃に気まぐれに教えてもらった父と母のロマンスだとか、弟にねだられてその場で作ったお話「ぴょん吉の大冒険」(ぴょん吉は弟の枕の名前だった)とか、幼い娘たちに贈った詩や歌とか。夫と見た夢のコーナーや、好きなことわざのコーナーもある。

 

広く開放的なガーデンは多分これからも、心の中だけでしか持つことはできないが、小さなベランダの鉢の植物たちも大好きだ。この季節は彩りがなく少し寂しいのだけれど、間もなくフリージアが蕾をつけるだろう。ローズマリーやタイムなどのハーブたちも、元気に冬を越そうとしている。

 

明日から2月。春はもうすぐだ。愛を込めて、心の花園にも新しいタネを撒こうかな。

 

人生の棚卸しと青春のお葬式

断捨離

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空想癖のあった少女時代、私はよく物語を書いていた。童話やおとぎ話のようなもの、ミステリーやSFのようなもの、冒険物語のようなもの、などなど。チラシの裏やノートに綴っていたのが、いつの間にか原稿用紙に書くようになり、それからずっとずっと、私は原稿用紙が大好きだった。いつか、自分の名前の入ったオリジナルの原稿用紙を作りたいと夢見ていた。

 

一昨年の暮れに引越しをしたとき、服や靴、本やCDなどの断捨離はしたのだが、自分が書いてきた原稿にはほとんど手が付けられなかった。取捨選択をするにはまず、読んでみなければならなかったからだ。ただでさえ忙しい中、そんな時間は取れなかったし、どうせ向き合うならじっくりと心を傾けたかった。同じ理由で諦めた写真アルバム同様、ひとまとめにして段ボール箱に突っ込んだあの日。

 

最近になって「また物語を書いてみよう」と思いたち、PCに向かっているうちに、ふと昔の自分がどんな物語を書いていたのか読み返してみたくなった。そして、引っ張り出してきた原稿用紙と今、格闘している。

 

恥ずかしすぎる。

 

一刻も早くこの世から消してしまいたいくらいだ。ショートストーリーやエッセイ、詩もあった。感傷的で独善的な代物が多い。どうして後生大事にとっておいたのだろう。この機会に断捨離だ。

 

耳まで熱くなって恥じらいながらも、なぜか熱心に読んでしまう私。懐かしいのだ。原稿用紙に向かっていた自分の姿が目に浮かび、当時、どんな日常を過ごしどんな夢を思い描いていたのかが、次々よみがえる。高校時代、短大時代、社会人になってから・・・

 

 ――どうなるものか、この天地の大きな動きが。
 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになってしまえ。
 武蔵は、そう思った。

 

ある原稿用紙に綴られた文章。これは、吉川英治の『宮本武蔵』の冒頭だ。

 

フラッシュバック。不安で怖くてたまらないのに、夢中で楽しい、疾走するような気分。これを書き写していた頃の自分がどんな状況だったかを、一瞬にして思い出した。長い小説を書こうと決めた23歳のとき。手近にあった文庫本から、最初の書き出し方を勉強しようとしたのだった。

 

就職して3年、どうしても「書く仕事」に就きたくて、アパレルの会社を退職。貯金と失業保険の給付金で生活できるうちは、とにかく書くことに集中したいと、毎日図書館に原稿用紙を持って通っていた私だった。

 

無謀で浅はか。けれど、目標に向かってまっしぐらだったあの頃の自分が、懐かしくも愛おしい。そして、自分の作品に目を戻せば、それなりに工夫した表現が好ましく思え、今の自分にはない感性を羨ましく感じたりもする。

 

この断捨離はやっかいかもしれない。スパッと処分しようと思っていたのに、自分の歴史が刻まれている文章たちを簡単には葬り切れない。

 

そこで、とりあえずテキストデータにして、現物を捨てる方針にしてみた。タイプしているうちに、耐えられない恥ずかしさを感じたもの、意味が不明すぎるものは、タイプするのも止めて残さず捨て去ろう、とルールを決めて打ち込んだ。そのうちに、思い出の中にもすっきり手放してしまいたいものが意外に多いことに気づく。たとえ懐かしくてもだ。

 

私という人間の中の、この要素はまだ大事にしておきたいが、この要素はもう不要。この発想は再利用してみたいが、この考え方はあり得ない。

 

それは単なる思い出ではなく、成長の記録でもなかった。一人の人間がどんな人生を送ってきたか、どんなものからどんな影響を受け、何を宝とし、何を愛し何を憎んできたか。文章というものが自分の内面を照らし出す性質であるために、この断捨離はまるで人生の棚卸しだと思った。そして、捨てきれなかった若き日の気負いや執着との決別。激しい言葉にしてしまえば、青春のお葬式。

 

物語を・・・書こうと思ったのにな。

 

机の片側に積まれた原稿用紙の山を眺めて、思わず苦笑する。でも、この棚卸しとお葬式は、思い立った今、きちんと済ませておこう。心を込めて。そうしてその後で、自分の棚に残された宝物を使って、澄んだ気持ちで新しい物語の世界を綴っていこうと思う。

 

不寛容の時代の空を見上げて

HSP

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冬の朝、張り詰めたような大気の中で、空を見上げるのが好きだ。なんというか、この深いブルーはとても純度が高い気がする。白い息を吐き、冷たい空気を胸に入れると、心の奥まで換気ができたようで嬉しくなる。寒いけれど。

 

3年前の今頃、私は精神科の門を叩いた。うつ病と診断され、その後、9か月間通院する。その頃のことは思い出すのも辛いので、あまり考えないようにしてきたのだが、この頃になって「どうしてそうなっちゃったんだろう?」と分析めいたことをするようになった。まあ、落ち着いてきたということだろう。

 

トラブル対応の多い仕事の忙しさとか、ホルモンバランスの乱れなど年齢的なものとか、様々な要因が重なって弱っていたところに、ある手術をしたことが引き金となったのだろう、とドクターは言ったし、私もそうだと思った。ただ、私はそれとは別に、原因として自分の感受性の変化を強く感じるのだ。

 

「人の悪意」に対する感受性である。以前は受け流せたり、気にも留めないでいられたものを、ある時期を境にひどく鋭敏に受け止めてしまうようになった気がする。

 

それはショッキングな光景だった。ある男性上司が男性部下を人前で罵倒する日常。私は派遣社員としてそのチームに配属になったのだが、私が業務を飲み込めないでいると、そのことでも上司は私でなく、その部下を罵った。私の席の真後ろで、フロアに響き渡るような大声で。いたたまれなかった。

 

派遣会社の担当や職場の同僚にも相談したのだが、改善はされず、むしろそれを問題視する私が煙たがられているようだった。怒声が響いても知らん顔で仕事を続ける周囲の人たちにも、私は戦慄した。こんなパワハラ、放っといていいの?

 

その次の職場は嘱託社員という立場だったが、ここでも数々の違和感を覚えた。ただ、以前の私だったら気にしなかったり、乗り越えられた程度のものも多かったはずだ。

 

つまずくと想像以上にダメージを受け、それを引きずったまま次の問題を抱えてしまう。蓄積される挫折感の背景には、「人の悪意」に対する感受性の強さがあったと思う。それは、直接自分に、という場合だけでなく、誰かが誰かに黒く淀んだ感情をぶつける現場を見ても、真っ直ぐ立っていられないほど苦痛に感じた。

 

辛いことばかりではなく、素晴らしい人との出会いや企画が実現したときの喜びなど、やりがいも少なくなかった職場だが、心身に不調をきたして私は退職し、手術・入院をし、静かな職場に転職した。でも、そこにも予想していなかった悪意があったのだ。

 

おかしい。多少の悪意なんて、これまでもどこにでも、あったはずだ。むしろ、私は人間関係での悩みは少ない部類に属していたと思う。人懐こいとさえ言われることもあった。わりと誰とでもうまく付き合っていける人間だったはずだ。

 

でも、本当に?

 

「つきかなさんは、もしかしたらHSPなのかも」

 

ここ数日、メールでやり取りをしている若い友人にそう言われて、ちょっと調べてみた。

 

HSP(Highly Sensitive Persons)は、非常に感受性が強く敏感な気質を持つ人のことで、米国の心理学者が2000年に提唱した新しい概念とのこと。5~6人に1人はHSPらしく、特に日本人は多いのだとか。

 

自己チェックというものがあったので試してみると、23項目中20個があてはまった。12個以上でHSPの可能性が高いということなので、私は多分、それだ。

 

よくよく思い出してみれば、私は決して社交的な子どもではなかった。人付き合いも苦手だったし、親からは「感受性が強すぎる」とよく言われていた。社会生活をする中で、人とのコミュニケーションへの苦手意識は大分克服してきたが、大人になってからだって決して得意ではなかったし、周囲の優しい人たちのおかげで少し上手くやれるようになっただけのことかもしれない。私は本当に、これまで人に恵まれてきたのだ。

 

もともとHSPだったのだ、と思うと、名前が付いたことで少し気が楽になった。この資質を持つ人には耐え難い刺激が立て続けに加わった。そのために、私の場合は発症に至ってしまったのではないだろうか。

 

HSPは病気ではなく、生まれ持った特性とのことだ。教えてくれた彼女もHSPの可能性が高いらしいが、彼女はとても魅力的な素敵な女性である。この特性を持つことを嘆く必要はないと、彼女のおかげで素直に思える。自分の個性の一つとして受け入れていこう。

 

それにしても、昨今はいろいろなシーンでとげとげしい雰囲気を感じることが増えたと思う。不寛容な社会、というワードもよく目にするようになった。

 

他人に腹を立て激しく攻撃する。些細なことでも糾弾せずにはいられない。時に正義の仮面を付けて、時にはあからさまにモンスターとなって。

 

そういうことに慣れ、図々しくふてぶてしく生きることを「強くなる」と言うのなら、私は強くならなくてもいいな。こんな不寛容な社会はおかしいし、誰だって息苦しいはずだ。

 

そういう時代、ということなのだろうか。これまで私が出会ってきた優しい人たちは、今のこの空気をどう思っているのだろう。どう感じているのだろう。

 

そんなことを考えながら、真冬の空をまた仰いだ。ピュア過ぎて、涙が出そうだった。