一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

春の海で集合!―伊勢志摩に遊ぶ4人旅

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いったいどれだけ笑っただろう。仕事に家事に介護にと、忙しい毎日を送る4人が伊勢志摩の旅をした。「みんなで春の海を見ようよ」と、関東と関西、東海から現地集合で。

 

この4人での旅行は約3年ぶり。

 ※そのときの記事↓
 再会の旅は、夏の軽井沢(2015.8.31)

軽井沢の旅があまりにも楽しかったので、年に1回くらいの頻度で集まりたいね、と言っていた。しかし、皆それぞれ多忙な上、年相応な親や子供たちのライフイベントが頻発、本人の体調も不安定という現実が続く中、この時期になってようやく実現した二度目の旅行だった。

 

なんだろう、すごく楽しい。すごく浮き立ってしまう。鳥羽に着いた最初の晩に、部屋で私たちがやったことは、驚くなかれ、バースデーパーティーだ。

 

小さなホールのケーキを現地で買って、ロウソクを立てて「ハッピーバースデー」を歌う。1回だけではない。ひとりひとり、順番に祝っていく。動画を撮るのだが、ちゃんとリハーサルもする。延々とこれをやるので、ついにはロウソクが短くなってしまった。

 

はしゃぎ過ぎだろ、ばあちゃん!

 

今はまだヨチヨチ歩きの孫たちが大きくなったら、きっとこう呆れるに違いない。

 

でもね、ちゃんと理由があるんだよ。おばあちゃんたちはみんな、毎日本当に頑張っているの。それを、このグループの仲間はちゃんと知っていてくれて、ひとりひとりを心を込めて労いたいと思っているの。湿っぽいのは私たちには似合わない。だから、こんなふうに笑いながら、はしゃぎながら、歌いながら、手を叩きながら、お互いの頑張りを称え合っているんだよ。1年分のみんなの誕生日を、祝い合っているんだよ。

 

おっと!うっかりおばあちゃんと書いてしまったが、みんな、とても孫がいる年には見えないので、そこのところは強調しておきたい。一番年長のTちゃんには、本当にまだ孫がいないし、ダイアン・レインみたいに綺麗だ。他の2人も素敵で、純情でとてもチャーミング。

 

関東組の2人は、お伊勢さんが初めてとのことで、下宮、内宮ともにゆっくりと歩いて回った。五十鈴川のせせらぎに目を細め、大きな杉の木をまぶしく見上げる。さすがにこういう場所では、大人女子は、はしゃがない。桜のはなびらが舞い落ちる中、神様にご挨拶をし、愛と感謝を伝えた。

 

そして、伊勢から志摩へ。美しい英虞湾が近づいてくると、ドライブはぐっとリゾートの雰囲気を増す。やっぱり、春の海はいいな。仕事のためこの日帰らなくてはならなかったMちゃんも、いつかまた一緒に行こうね。

 

お天気に恵まれた。汗ばむほどの陽気で春コートは出番なし。潮風の心地よさといったら!

 

ホテルの広い庭を散策すれば、ウグイスやイソヒヨドリの可愛らしい声。沈んでいく夕日と、昇ってくる大きなオレンジ色の月。目にも、心にも、焼き付けておきたいと思った。

 

でもやっぱり、ケラケラ笑ってしまうんだよね、私たち。もう、なんでそんなに面白いことばかり言うの?(笑)

 

夜遅くまで話し込む。疲れて眠いのに、寝てしまうのが惜しい。打ち明け話もするし、真面目に相談もするけど、いつの間にか他愛のないことでベッドに突っ伏して笑っている。全然性格の違う私たちだけど、どうしてこんなに仲が良いのだろうね。

 

遠い昔、アルバイトで滞在したことがある賢島にも出向いた。志摩観光ホテルで美味しいケーキをいただき、2年前のサミットで米国のオバマ前大統領も歩いたと言う道を通る。そんな場所でもカラスに気を取られ、駐車場を見失ってしまう私たちである。

 

37年前の今頃だ。入社式後の私たちは、神戸の研修センターで寝食を共にしていた。あのときに、この友情の芽が生まれていたのだろう。研修を終えて東京に戻ってからも、何でも話して支え合ってきた。転職してからもよく会っていたし、一緒に遊びにも行った。私が東京を離れるまで。

 

あれから長い年月が流れた。年を重ねるにつれて、本音を言える相手はぐっと少なくなってくる。心から心配してくれる友だちというのも。だからこそ、長く続く素敵な友情を手にしたことの幸せを噛みしめる。大事にしていきたいと強く思う。

 

「20年後の私たちかな?」
Yちゃんが目をやった先には、70代とおぼしき女性客4人組。楽しそうに語らってくつろいでいる。とても良い笑顔だ。目尻のシワに、互いを慈しむ優しさと誇らしさが感じられた。

 

Tちゃん、Mちゃん、そしてYちゃん。これまでも、そして今もなお、問題や課題の多い私たちの人生だね。でも希望を持って、笑いながら歌いながら、歩みを続けて行こうね。

 

それぞれ歩く道は違うけど、残りの人生もずっと励まし合って生きていけたらいいね。そしてまた、何度でも一緒に旅をしましょう!

 

「花糸」を使って、春の空を飛ぶ「気球」を刺しゅう

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青空が広がる美しい春の日が、もう何日続いているだろう。機嫌の良い空を見ていると私の心身も朗らかになる。忙しい日が続いているけれど。

 

3月も終わる。TVはそんなに見ない方だが、好きなドラマの最終回とか、情報番組のキャスター交代などが重なって、なんとなく少し寂しい気持ちになっている。ここ数年、朝の家事のお供として馴染んでいた「あさイチ」も、メインキャスター3人が去ってしまう。

 

HSPの身としては、番組の終わりや9時のニュースの前に、ちゃんと話の区切りを付けられるのかハラハラすることが多く(ゲストが“自由”だったり、ゲストに質問する有働さんが“チャレンジャー”だったりで・笑)、この番組の進行のアバウトさはちょっと苦手とも言えるのだが、全体の雰囲気が緩いところ、イノッチが優しくて感じ良いコメントをするところ、根底にある考え方が真っ当であるところが、実は心地良かった。たくさん和ませてもらえたことに感謝したい。

 

別れと出会いの季節だね、と昨日、次女が言っていたが、学校やお勤めをしている人たちにはまさにそういう実感があるのだろう。桜が例年より早く満開だわ、とか、好きな番組が終わってしまう、変わってしまうとか言っている自分は、まあ、呑気なものだ。

 

それでも、ここ数日は本当に忙しかったし、実はこの先もしばらくは慌ただしい。一応、仕事も忙しい。

 

可愛い姪っ子が大学入学で一人暮らしをするため、他県から近所に引っ越して来た。我が弟とともに挨拶に訪れた彼女の成長ぶりが嬉しく、我が家にもお裾分けのような春色の華やぎが訪れた。

 

新聞社時代の飲み友(おじさんたちだけど)とも、久し振りに食事をした。契約満了で社を離れて7年になるのに、まだ誘っていただけるなんて、本当にありがたいことだ。前回からメンバーに加わった若い女性もとても可愛らしくていじりがいがあり(笑)、終電を逃してしまうくらい、楽しく語り合った。いつになく饒舌な自分の様子に、我ながら驚いた春の宵だった。

 

そして先日は、悲願だった「両親と曾孫を会わせる計画」を実行に移した。娘の婿殿のスケジュール、老人と赤ちゃんを含む全員の体調を踏まえての計画だったから、遠方に住む両親と長女一家、私が一堂に会する機会を作るのは、思いのほか気を遣った。でも、祈り続けたことが功を奏したのか、とても温かい時間が訪れてくれた。富士山と咲き始めの桜が、その時間を更に美しく彩ってくれた。ああ、私、頑張ったわ!(笑)

 

そんな幸せだけどめまぐるしい日常が続く中、隙を見て楽しんでいたのが、刺しゅうだった。先月だったか、ネットで知ったシライカズミさんの図案に惚れ込み、『刺繍で描く小さなモチーフ』という本も買った。早く試してみたくて仕方なかったのだが、なかなか時間が作れない。それでも仕事が一区切りするごとに刺しゅう針を手にすると、不思議と疲れが癒された。

 

シライさんの図案で使われている糸は、デンマーク製の「花糸」というもの。この辺りの手芸店にはなかったので、ネットで探して購入した。これまで使っていたフランス刺しゅう用の糸のような光沢はなく、風合いがナチュラルで、色味も独特の落ち着いた魅力がある。私の好きな麻布には、この糸の方がぴったりくると思った。

 

小さなモチーフは、すぐに完成が見えてくるところが、私のような性格の者にはありがたい。ただし、シライさんの図案は、とにかく丁寧に刺さなくてはその良さが表現できないので、これがなかなか大変なのだ。

 

今回は、空をゆっくりと飛んでいく「気球」のモチーフを選んだ。チェーンステッチを多用する図案で、輪郭線でも、面を埋めるのにも使ったのだが、ひたすら細かく密に刺していくのが難しかった。

 

大きさが揃わない、左右が対象にならない、などと我が腕の未熟さを嘆きながらも、なんとか4つ完成。下手くそだけど、やはり糸の色と風合いが好きだなあ。花糸、大好きになった。ちょっと絡まりやすいけど。

 

ブローチに仕立てた4つの気球。明日、旅先で大切な人たちにプレゼントするつもり。桜吹雪を見下ろしながら春の空でふんわりと遊ぶ気分を届けられたらいいなあ、などと思っている。

 

あるHSPのセルフケア―家でなくても、一人でなくても

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春は好きなのだけど、晴れたり降ったり嵐になったり、いやはや本当にめまぐるしい。気温のアップダウンも大きく、お天気アプリをチェックすることの多い季節だ。

 

私は雨が降りそうなときが一番苦手で、頭がどんよりとして動きが鈍くなるし、なかなかやる気が出ない。しかし降り始めてしまえば、何故か楽になる。

 

昔からそうなのだが、これは気圧の影響を受けているからだろうか。HSPとも関係あるのかな。

 

 HSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)についての以前の記事。
 あるHSPの仕事事情―この気質であればこその幸福(2017.8.25)
 あるHSPの小さな決意―この「生きづらさ」を減らしていこう!(2017.2.14)
 不寛容の時代の空を見上げて(2017.1.17)

 

今年はスタートからずっと忙しい。公私の予定も多いし、やること、考えることが目白押しで、時間が飛ぶように過ぎていく。ただでさえ疲れやすい性質の私だ、夜はいつも、コトンと寝落ちる。寝てるの、大好き。

 

でも、忙しいのは悪いことじゃないし、やりたいことがたくさんあるというのは幸せなことだよね、と夫と話したりもする。その夫は、もうずっとオーバーワーク状態で、睡眠不足がすごく心配だ。50代の働き方にしてはハード過ぎる。あなたは幸せなの?

 

会社泊まりで仕事をしたり、休日出勤も多い彼は、たまの休みの日でもその時間を休息に使わず、あれこれ所用に費やしている様子。すごく疲れているはずなのに大丈夫なのだろうかと、いつも思っている。

 

先日のこと。朝早くに休日出勤した彼が、「わりと早く帰れるから夕ご飯を外で食べよう」と連絡してきた。駅からの帰り道にあるコンビニで待ち合わせをして、孫娘へのプレゼントを買いに一緒に雑貨ショップへ行き、台湾料理の店で食事をした。そしてその後、ジャズ喫茶でお酒を飲んだ。

 

いつも、やりたいことの半分もできないうちに休日が終わってしまうことを残念がっていた彼。だから、きっとすぐにこの店を出て、帰りを急ぐんだろうな、と私は思っていた。ところが、意外にもまったりとくつろいでいる?

 

「こういう雰囲気、我々世代には馴染むよねえ」

 

そう言って、多分、オープンした頃はすごくお洒落でクールともてはやされただろうその店の、古くても古びていない雰囲気を楽しみ、黒い革の椅子にすっぽりと抱かれている。大きなスピーカーの方に向けて、並んでいる椅子だ。

 

・・・間接照明に照らされたオブジェ。マイルス・デイビスの本などが並ぶ古い書棚。少し歪んだデザインが洒落ている、手びねりのグラス。

 

30年くらい前は、心地よいジャズが流れてお客さんがそれに聴き入っているような店が、もっとたくさんあった気がする。カウンターの中の人も口数が少なくて、でも優しい人が多かった。私よりずっと年上だった、あの素敵なお兄さんやお姉さんは、今頃、どこでどうしているのだろう。

 

当時は、タバコの煙が充満している店が多かったし、飲酒運転も多く、決して昔は良かった、という話ではないのだが、あの頃の「酒場」を思い出すと、古いモノクロ映画を観ているような憧れに似た温もりを感じる。

 

隣でグラスを片手に音楽に身をゆだねている夫は、本当に居心地が良さそうで、嬉しそう。私は反省する。家で寝るだけが休息ではないのだと。実際、私もとてもリフレッシュした気持ちになれた。

 

20代の頃、背伸びして出かけて行った、洗練された大人のエリア。いつしかセピア色になってしまった思い出の場所たちだけど、今も懐かしめば心を温めてくれる。少しの甘やかなときめきを思い起こさせてくれる。

 

それが、今の日常の疲れを癒すこともあるんだね。

 

私はHSPだから、夫の感情は言葉にしなくても伝わってくる。彼は間違いなく、幸せを感じている。

 

動揺しやすく、すぐに圧倒されてしまうことの多いHSPという気質。でも私、最近は生きづらさをあまり感じなくなってきたのだよね。

 

それは、HSPであることを自覚し、危ないと思われる場所や人に、できる限り近づかないようにしてきたからだろうし、それができない場合でも(浮世は義理だらけ)、家に帰るイメージを持つことで衝撃をやわらげてきたからだ。そして何より、帰宅してからのセルフケアで疲れや傷を癒していることが大きい。

 

自分を取りもどすためには、おうちが大事。一人になることが大事。

 

セルフケアは家で一人で、くつろぐ時間を作る、というのが私のやり方だった。ワインやウイスキーを飲みながら本や新聞をゆっくりと読んだり、ベッド脇にディフューザーを置いて、その日の気分にふさわしい香りを楽しみながら眠りに落ちたり。ホ・オポノポノにおけるクリーニングも大切だ。

 

しかし、思った。家でなくても、一人でなくても、セルフケアはできるんだな、と。シチュエーションの話である。

 

自分がくつろげる場所と人であれば、そしてそれが温かい時間であれば、一緒にいる人が幸せを感じてくれているとわかれば、そこに「疲れ」は存在しない。

 

私に合うセルフケアの方法が、ひとつ増えたようで、世界が少し広がったようで、今、とても嬉しい。昨夜も会社に泊まってしまった夫のことは、相変わらず心配だけれど。

 

春の気分を刺しゅうに込めて

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川を渡る早春の風は冷たいが、ほのかに甘い香りがする。草木や土から漂い出る匂いも、もう冬のそれではない。

 

ケーキ屋さんやお花屋さん、雑貨屋さんやカフェのショーケース…。バレンタインデーや雛祭り、ホワイトデーと続くこの時期は、街を歩いていても、とびきり明るい色が目を楽しませてくれる。イチゴの赤やガーベラのピンクなど、部屋に持ち帰りたいものばかりだ。

 

そんな春気分を刺しゅうに込めてみた。今回は、フレーム付きのキットを使って。青木和子さんの図案は、前から一度試してみたかったので、購入した帰り道から気が逸り、ワクワクして頬が緩んでしまった。

 

キットには下絵が印刷された布と必要な刺しゅう糸、針や糸通しまで入っている。下絵を写し取ったり糸の色を揃えたりの準備が不要なので、即、作業に取り掛かれるのが嬉しい。

 

そしてこのキットでは、布裏に最初に接着芯を貼り付けるので、刺しゅう枠を使わない。ふむふむ、そういう方法があったのか。

 

刺しゅう枠を使うときは、経糸横糸がゆがまないように布を張ることが大事で、これがなかなか手間だったりする。また、枠をずらして別の場所を刺すとき、前に刺した刺しゅう糸の上に枠をはめなければならないときがあり、気を遣う。

 

接着芯だと、そんな苦労から解放されるし、最後の糸始末のときも、布と接着芯の間に糸端を隠せて便利だ。ただ、刺しゅうしているときの摩擦は、布だけのときに比べてはるかに大きく、刺しているうちに糸が摩耗していくのは気になった。

 

それにしても、刺しゅう作家さんの絵心は素晴らしいな。いろいろな人の図案を見ては、刺しゅうの表現力の奥深さに驚くばかりだ。

 

去年、本を買った桜井一恵さんの図案も大好きだが、青木和子さんのものも、とても好みである。庭の草花をさらっとデッサンしたようなものが特にいい。さらっと、と言っても、なかなか細かく再現されていて、ステッチの種類も結構多いのだ。

 

私は小花の花びらなどによく使われる「レゼーデイジーステッチ」とか、花芯や蕾を表すことの多い「フレンチナッツステッチ」などが好きだが、間隔を詰めて面を埋めていく「サテンステッチ」が苦手。その名のようにサテン生地を織るかのごとく、糸を捩らせないことが艶よく美しく仕上げるコツだとわかっていても、私は針の持ち方が悪いのか、すぐに糸が捩れてしまうのだ。

 

でも、今回は丁寧に、諦めずにやってみた。もっとも刺す面が小さかったから頑張れたのかもしれない。それから、以前、TVの手芸番組に出演していた青木和子さんが仰っていた、もうひとつのコツを思い出して、上手くいくかもしれない、と思えたのだ。

 

それは、まず面の一番幅の広いところに1ステッチ、糸を渡すという方法。端から順番に埋めていくのではなく、真ん中をしっかりキープしてから両脇半分づつ、埋めていけばいい。なんだか、安心して刺していける。サテンステッチが、好きになった。

 

また、スパイダー・ウェブ・ローズステッチというのを、(多分)初めて刺してみたのだが、思ったより簡単で仕上がりも可愛くて気に入った。糸を引くとき、引き過ぎないことが大事で、これはどのステッチでもそうなのだが、「ふんわり感」が命!って感じなのだ。

 

刺しゅうは色を楽しみながら作業できるのも楽しい。今回のものは約14×29cmの小さな刺しゅうだが、グリーン系だけで5種の色を使っていて、ちょうど多色セットの色鉛筆を使って絵を描いている感覚に似ている。

 

仕上がるまで、静かな時間が流れていき、穏やかな幸福感に包まれていることに気がつく。手先を動かし、きれいな色を見つめていると、悪いことは考えなくなるみたいだ。

 

一針一針に真心を込めて、これをプレゼントする予定の、私の大切な人のことを考える。

 

春が来る嬉しさ、花や緑の愛おしさ。明るく優しい心の芽が、のびのびと育っていきますように。

 

もうすぐ初節句を迎えるその人に、私のそんな願いが届くといいなあ。

 

人生が面白い、自分が面白い。ポノを始めてから

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気がつけば、2月も半分が過ぎてしまった。厳しい寒さもあと少しの辛抱だ。新しい芽が膨らみ始めた木々を見上げると、巡りくる季節を感じ取り準備を整える、生命の不思議な営みに心が動く。

 

毎日を、ホ・オポノポノとともに生きている。といっても、宗教で言うような「敬虔な信者」のイメージとはほど遠い。ただ、四つの言葉で感情や出来事をクリーニングし、自分の中のウニヒピリ(潜在意識)に「感謝と愛」を伝えているだけだ。とても簡単で楽しい。

 

そして、私の毎日はどんどん良い方向に流れている、と感じている。それは、いつも誰かに「感謝と愛」を伝えたくなってしまうような生活だ。四つの言葉の中でも、特に「ありがとう」「愛しています」を口ぐせのように(おもに心の中で)唱えているから、言霊効果もきっとあるのだろう。

 

ポノの本や手帳、Webマガジンにあるさまざまな名言。実は、抽象的でよくわからないものもあるが(笑)、ハッと目が釘付けになり「これは!」とメモしてしまうものもたくさんある。私の宝物だ。たとえば、これらのメッセージ。

 


ホ・オポノポノのプロセスのひとつに「悔悟と許し」があります。にくい相手を無理やり許す必要はありません。あなたの中の負債をクリーニングによって自動的に手放していくことができます。(KR女史)

 

思考からの自由、判断からの自由。「ほんとうのあなた」は自由で完璧な存在です。(ヒューレン博士)

 

「罪悪感」をクリーニングしてみましょう。自分が幸せになったら誰かが苦しむという記憶をあなたが手放すことで、あらゆる存在が自由を取りもどすことができるのです。(ヒューレン博士)

 

クリーニングは楽しいこと。苦行でも重たいものでもなく、私たちを軽く自由にして、人生に歓びと甘さ、楽しさを与えてくれるもの。何かを変える「薬」は、苦いカプセルだけではありません。(ネロ・チェッコン氏)

 


素敵だ。もっと早く、これを知っていれば良かったな。

 

私の中に、四半世紀以上も昔だけど、今も鮮やかに思い出すひとつの記憶がある。

 

大きなベッドに、小さな赤ん坊が眠っている。淡い午後の光。その寝顔はどこまでも無垢で清らかで、見つめていると胸が苦しくなるほど美しい。私は泣いていた。そんな存在を前にして、今の自分の心の醜さが嫌で、認めたくなかったから。

 

母親になりたての私は、この純粋な魂を育てていく資格などないのではないかと、恐れていた。この子の母にふさわしい、清らかで穏やかな心でいたい。それなのに、自分の中にこんな悪意が渦巻いてしまっている。どうしよう!

 

人を憎んだり、妬んだりする感情は、本当に重たい。制御できないくらいに。

 

理不尽な扱いを受け、見下されていると感じて怒りを覚えたり、自分が手に入れたくても難しいものを、楽々と手にした人が得意げにふるまったりすると、かつての私は本人を攻撃するか、それが不可能なら何かに当たったり自棄を起こしたりすることで、感情を発散させていたような気がする。

 

しかし、子供を産んで、そういう自分でいるのをやめたいと思った。この子が安心して身を任せてくれる、自慢のママでいたいと望んだ。だから怒りたくない。それなのに、意に反して何かの折に、激しく重い負の感情が沸き上がってしまうことがあり、私はそれが嫌でたまらなかった。

 

それで、どうしたか。仕方なく、私は自分をコントロールしようと努めた。怒りを抑え込み、目を逸らし、忘れようとするやり方だった。他に方法を知らなかったから。

 

生きていれば、いろいろなことがあり、良いことも悪いことも起こる。問題が起きれば、感情が動く。その感情に対して、私は素早くジャッジをし、醜いと判断したものは速攻で抑え込んだ。繰り返し、繰り返し、否定してきた。「そんなふうに思ってはいけない」と。

 

大人の態度として、それは正しいと思っていた。でも、抑え込まれて、否定されてきた、それらの「負の感情」は、どこへ行ったのだろう?

 

ある時期、病気や怪我をはじめ数々の不運が重なったのは、もしかしたら、あの否定してきた負の感情の復讐だったのではないだろうか。

 

どんな感情も自分の中から湧き上がってきたもの。もちろんそれに支配されてはいけないが、忌み嫌う前に、まずはじっと耳を傾けても良かったのではないか。

 

この気持ちはどこからやってきたのだろうか。何故、私はこんなに腹を立てているの。と。

 

今の私なら、迷わずこの感情を見つめ、四つの言葉をこれに降り注ぎ、「手放します」と言うだろう。湧き上がる負の感情から、無理に目を背けなくていいということを知っているから。

 

悔しい、腹立たしい、憎らしい、羨ましい。

 

それは、クリーニングするためにウニヒピリが見せてくれたものだから、「ありがとう」「愛しています」と手放していけばいい。

 

ポノを始めて、いつからか私はそうしてきた。湧き上がる負の感情の対処法がわかり、怖くなくなったことが嬉しい。そして不思議なことに、負の感情そのものが私にあまり生まれてこなくなった。

 

ああそうか。だから私は、毎日、幸せを感じているんだね。怒りも妬みも、自由とは対極の重さで、できるだけ遠ざけておきたい感情だから。

 

でも、もしまた現れても大丈夫。それは太古から積み上がってきた記憶であり、現れてきたというのは手放す準備ができたという意味だと、今はもう知っているから。この感情が現れることは恥ずかしいことではないのだと、今はもう冷静に向き合えるから。

 

幸せを感じているが、もちろん、日々いろいろなことが今も起こる。良いことも悪いことも。家族のこと、友達のこと、親のこと。仕事の問題、健康の問題、お金の問題。大小の問題が次々立ち現れる。でも、クリーニングをしているから、ほとんどの問題は遅かれ早かれ解決していく。

 

私はポノを始めてから3年もたたないし、クラスやセッションにもアクセスしていない。本を読んでも全て納得できているわけでもないし、だから、正しい解釈はできていないのかもしれない。

 

でも、この問題解決法を知って、自分なりに実践してみて、とても良かったと思っている。大小のミラクルが起きるのを、毎日のように目の当たりにして、本当に人生が面白くなってきたから。

 

疑ったり反動を恐れたりせずに、歓びも甘さも楽しさも、素直に受け入れられるようになってきた自分が、今、とても面白い。世界は不思議に満ちている。

 

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

 


昨日から始まった無料リーディングスタディー。登録してみたが、ニュースレター形式で1年間、どんな学びを経験できるのだろうか。楽しみだ。
SITH ホ・オポノポノ アジア 日本

 

理想の庭を考える―「フラワーショウ!」と「マイビューティフルガーデン」

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観たかったのに観逃してしまった映画はたくさんある。「フラワーショウ!」(2014年・英国)もそのひとつ。アマゾンビデオで観られると知り、先日、嬉々としてTVの前に座った。

 

自然豊かなアイルランドの田舎で育った若い女性が、ケルト文化の香り漂う自然をテーマにデザインした庭で、ガーデニングの権威ある世界大会、チェルシーフラワーショウの金賞を史上最年少で獲得するまでを描いた、実話に基づくサクセスストーリーだ。

 

わずか8枠に2000人の応募。お金もコネもない中、応募さえ危ぶまれたが見事合格。しかし出展が決まってからも資金繰りや人集め、植物の調達、と苦労が続き、短期間での施工(庭造り)でも、最後までピンチの連続。

 

しかし・・・
「現代の庭園は自然本来の美しさを見失っている」と訴え、人と自然は共存できると信じ、そのための庭造りを世に送り出す必要性を説く彼女の信念、そして、揺るぎない植物たちへの深い愛が、人を動かし、スポンサーを呼び、植物さえも味方してくれたのだった。

 

踏まれても踏まれても諦めない、主人公エミリー(エマ・グリーンウェル)の雑草魂?にも感動したけれど、登場する植物(ほとんどが野草と呼ばれているものたち)のひとつひとつの造形美と、彼女の生まれ故郷アイルランドや、訪れたアフリカ・エチオピアの自然描写に惹き込まれた。あんな大自然の中で自分のミッションを確信したら、恐れるものなど何もなくなるだろうなあ。大スクリーンで観たかった。

 

去年の暮れに映画館で観た「マイビューティフルガーデン」も、若い女性を主人公にして庭を扱った英国映画。こちらは実話ではなく、限りなくおとぎ話に近いが、やはり自然への愛と畏敬を込め、自然の力を借りて庭造りをするという骨格だった。

 

予測不能な自然を恐れ、植物を嫌うベラ(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)は、借りているアパートの庭を放置しすぎであることを理由に退去を迫られる。1か月以内に庭を元通りにしなければならず、犬猿の仲となっている隣家の老人に助けを求めることになる。この老人、アルフィーが、自宅の庭をベラに見せながら「カオスに美を見出すこと」と教えるシーンが素敵だった。

 

自然は制御できない。人は謙虚になって、この自然の力を"お借りして"、自然に調和したデザインで庭を造り、その恵みを楽しませてもらうのだ。そこには美しい混沌と優しい秩序がある。

 

理想の庭とは何だろう。ふたつの映画は、庭造りというものへの根源的な考え方を探るという点でも、共通している。さすがはガーデニング大国、イギリスだ。

 

ところで、そのイギリス。元々は自生樹木の種類がとても少ない土地柄だったらしい。16世紀以降、海外に進出する中で、世界中の豊かな植物の存在を知り、憧れ、持ち帰り育てようとしたということだ。最初は王立の植物園などで研究をされ、貴族階級の園芸趣味の流行があり、やがては庶民階級にも広がっていき、ガーデナーという国民気質が根付いていったようだ。「憧れ」の力はすごい。

 

私の好きなTV番組「猫のしっぽ カエルの手」。京都の古民家で素敵な庭造りをしているハーブ研究家・ベニシアさんも、イギリス出身の女性だ。子どもの頃から大好きな「ピーター・ラビット」も、イギリスの湖水地方が舞台。

 

実は私はフランス贔屓なのだが、今、ちょっとイギリスに「憧れ」のようなものを抱いている。人々が愛し育ててきた自然、その自然と調和した居心地の良い庭、その庭を彩りながら自らも生命を謳歌している植物たち。いつか、彼の地を訪れてこの目で確かめてみたい。

 

さて、庭のデザインも奥が深いが、ひとつひとつの植物のデザインこそ、細かなところまで本当に素晴らしいと思う。

 

自然はときに荒ぶる神のごとく暴れるが、限りなく繊細な創造主であることは間違いなく、小さなベランダの鉢の中にも、その圧倒的な美は容易に見つけることができる。マクロレンズ越しに葉っぱを覗けば、そこに宇宙が広がっている。虫メガネでもいい。お勧めしたい。

 


公式サイト:

フラワーショウ!

マイビューティフルガーデン

 

鳥の多い町に住んで

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昨日から寒さがゆるんでいる。ふと窓に目をやると、外は青空が広がって光に満ちている。そして、明日は雨が降るという。天気予報では「今日のお天気を活用しましょう」とのコメント。なるほど、洗濯日和、掃除日和、布団干し日和。でも・・・

 

こんな日は、歩くしかない!

 

仕事をはじめとする家での諸々の用事は山積みなのだけど、それらを全て午後に回して、今日は午前中、思う存分、近所を歩いた。真冬とは思えない暖かさで、上着もいらないくらいだった。ほのかに草木の香りがしてきて、気持ちが良い。

 

この町に住んで2年が過ぎたが、まだまだ知らない場所はたくさんある。川も道も蛇行していて、東西南北が怪しくなることも多々あり、散歩の後、家に帰ってGoogle Mapで確認し、そんな方向に行っていたのか!と驚くこともよくある。

 

買い物などを目的とせず、歩くことを目的に家を飛び出すのは楽しい。さて、今日はどの方角を目指そうか。

 

とりあえず、川沿いの緑道を上流に向かって歩き始めた。

 

この町は、鳥が多い。川が流れ、里山や池も近く、森や田畑もあるからだろう。特に冬は、葉の落ちた木々の枝を飛び交う小鳥たちの姿が目立ち、何度も足を止めて見入ってしまう。

 

スズメやムクドリヒヨドリメジロはもちろん、キセキレイハクセキレイセグロセキレイたちの姿もよく見かける。シジュウカラにも出会った。カワセミにも、結構な頻度で会えるようになっていて、嬉しい限り。名前のわからない野鳥もいるので、そろそろ野鳥図鑑を買おうかな、と思っているところだ。

 

今日も、そんな名前を知らない小鳥を見た。既に何度か見かけている種類だ。近づくとちょっとだけ逃げるのだけど、遠くまでは行かない。むしろ、こちらに興味を持っているかのごとく、少し離れた所から様子を伺っている。羽ばたくと背中の下の方が赤いのがわかり、メジロとスズメの間くらいの大きさだ。

 

何という名の小鳥だろう。ひとまずシャッターを押す。

 

それにしても、本当に可愛らしい。いつまでも見飽きないので先に進めないな、と思い始めた頃、まるで心の声が聞こえたかのように、遠くへ飛び去って行ってしまった。

 

川面に目を移すと、カルガモをよく見かける。ときどき、真っ白なコサギが浅瀬にスッと立っている。カワウだろうか、黒い鵜が川の流れに沿って飛んでいることもある。

 

今日はまた、カワセミの姿を見つけて、遠くからスマホのカメラで撮影。望遠レンズと性能の良いデジカメが欲しいと思う瞬間だ。それから、双眼鏡も欲しくなった!

 

カワセミは、獲物を狙っているのか、じっと動かずにいることが多いようだ。私は橋の上から、川べりにとまっている彼を見下ろしていたのだが、コバルトブルーの背中に日光が反射して、その美しさたるや、まさに宝石だった!

 

昔から鳥は好きな方だ。それがこの町に来てから輪をかけて鳥好きになっている私。どうしてこんなに心が癒されるのだろう。

 

今日は8300歩ほどのウオーキングだったけれど、たくさんの元気な鳥たちに会えただけで、満たされた気持ちになれた。春のように暖かく、素敵なお天気だったから、鳥たちもきっとご機嫌だったんじゃないかな。

 

さあ、元気をもらえたところで、仕事に戻ろう!