一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

光も雨も、美しい5月を存分に味わおう!

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1年で一番忙しいのは、私には12月より5月かもしれない。薫風に揺れる若葉が美しく、気温も湿度もちょうど良く過ごしやすい、一番好きな月。だから、とにかく無駄にしたくない。味わい尽くしたいという気持ちで、焦りさえ覚える。(笑)

 

まずは、わが家の植物たちと親しむ。モンステラを一回り大きな鉢に植え替え、ローズゼラニウムの挿し木をし、ベランダのハーブたちを整え、少し花を買い足す。

 

ぐんぐん大きくなるハーブは、どんな料理に使おうかと楽しく悩ませてくれる。チャイブやセージは、可愛らしい花も収穫。彩りになるだけでなく、結構、美味しい。

 

次に、薔薇のフェスタをやっている公園に出向き、春咲きの薔薇たちの極上アロマを心ゆくまで堪能する。自分の家では切り花で薔薇を楽しむ。香り高いイングリッシュローズ系の小さな花束を、夫に買ってもらった。(是非、毎年恒例にしたい。小さくなくてもいいけど!)

 

母の日も5月だ。実家の母への贈り物、今年は「愛彩祭」プリザーブドフラワーリースにした。「生花はちょっと…だけど、お花を贈りたいな」というときに、とても重宝するショップだ。もちろん自分用にも。昔、ドライフラワークリスマスリースをお願いしたら、とても素敵に仕上げて送ってきてくれた。細かな要望を聞いてくれたり、贈り物のときは、仕上げた作品の写真を確認のため送ってくれたり、丁寧なメールのやり取りも好印象。


花やグリーンで心は華やぐが、同時に害虫対策の季節でもあることを、忘れてはならない。私以上に虫を怖がる次女とともに、今年も真剣に取り組んだ。次女はハッカ油で虫よけスプレーも作ってくれた。

 

窓ガラスや網戸を綺麗にするのにも、5月はピッタリ。窓を開けても寒くなく、暑くもなく、まだ蚊もいないから。サッシレールもしっかりブラシで洗い流す。ピカピカに磨き上げたガラス窓から見る外の景色はクリアで、思わずニッコリ。気持ちいい!

 

同時にカーテンも洗う。濡れたままカーテンレールにかけても、窓を開けておけば、この季節はすぐに乾く。今年は寒暖差がジェットコースターのように激しかったが、五月晴れの日を選んで、私は毎年これをやる。10月にもう一度、窓ガラスとカーテンの手入れをすれば、師走の大掃除がずっと楽になる。

 

そして、5月で忘れてならないのは、外歩きの楽しさ!
晴れた日は、寸暇を惜しんで散歩をする。家にいるのがもったいなくて。

 

自然豊かな場所へピクニックにでも行けたら一番なのだけど、なかなかそれも難しいので、私は近所の川沿いの緑道や、少し離れた所の田畑の脇道などを歩いている。百花繚乱の季節、あちこちのお庭の様子にも心がときめく。

 

どこもかしこも、キラキラと光が溢れている!

 

植物も良いが、鳥も楽しい。5月10日~16日は、愛鳥週間だしね。巣作り、子育てシーズンの小鳥たちは、活発に動き回り、可愛らしいさえずりを聞かせてくれる。この時期、渡りの途中で立ち寄る野鳥が多いので、見たことのない小鳥に出会えたりもする。
「はじめまして。あなたは、だあれ?」

 

野鳥の名前を、もっと覚えたいな。

 

以前からなんとなく、そんなふうに思っていた。日本野鳥の会のオンライン野鳥図鑑なども何度か見ては、自分の見た鳥が何という名前だったのかを探したり、「こんな美しい小鳥がいるのね、どこに行けば会えるのかな」などと夢を膨らませたりしていた。

 

そして昨日、ついに探鳥会に初参加(無料)。夫に付き合ってもらって、集合場所へ。双眼鏡を貸していただき、大きな公園内でのバードウオッチングを楽しむことができた。

 

初心者もいいところの私である。ちょっと勇気が必要だったのだけど、本当に行って良かった。こんなに楽しいとは思わなかった!

 

あいにくの雨。しかし、鳥たちは雨の中でも動き回っていた。ツバメもシジュウカラムクドリも、空中で、木の上で、芝生の上で、一生懸命餌を探していた。池ではアオサギが魚を狙って忍び足。私は見られなかったが、カワセミも飛んだらしい。

 

コブハクチョウが優雅に泳ぐお堀のそばに来たとき、「あ、オオヨシキリがいますね」と、小さな声がした。鳴き声でわかる人を尊敬の目で見る。双眼鏡で探したが、私には見つけられなかった。

 

参加人数は17人だった。去年は50人くらいいたとのことで、雨の影響で少なくなってしまったのだろう。けれど、そのおかげで、鳥に詳しい会員の方から頻繁にお話を聞くことができた。皆さん、親切で優しい。そしてもちろん、鳥が大好き。話しているだけで、嬉しくなってしまう。

 

そして、双眼鏡ってやはり、すごい。小鳥は近づくと逃げてしまうから、いつも遠くから見るだけだった。けれど、双眼鏡なら近づかなくてもすぐ近くに見える。手に取るように様子がわかる。そんな当たり前のことに感動していた。

 

傘をさしながらの鳥探しは、やはりちょっと大変だし、袖や足元が濡れて不快ではあったが、嫌な気持ちにはならなかった。5月は雨の日も綺麗なんだなぁ、と感じて。

 

花や葉が雨粒に輝き、池やお堀の水面に光の散乱が起こる。樹々を見上げれば、まだ柔らかい緑色が夏とは違う深みを見せ、グレーの空に彩りを添えている。雨音の向こうから聞こえてくる鳥たちのさえずりは、耳に心地よい。

 

「いる、と思って探すと、見つけられることが多いよ」

 

小鳥いないねーと参加者が言っていたら、ある会員さんが、そうおっしゃった。深い言葉を聞いたようで、ちょっとハッとする。樹木の発するアロマを胸いっぱいに吸い込んで、なんとなく夫と目を合わせた。

 

5月は半分、残っている。週末は長女一家の家まで遠出するし、そういえば我々の結婚記念日も。さあ、まだまだ楽しい、忙しい。

 

「ひとり暮らし」してた、懐かしい町へ

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最近、「ひとり暮らし」という言葉が、私の頭の中を巡っている。次女が「そのうちひとり暮らしをする!」宣言をしたり(時期等未定)、大学生になった姪っ子が、岐阜の実家を離れ、我が家の近所でひとり暮らしを始めたりしたせいだろうか。

 

新聞広告で見てなんとなく気になっていた『ていねいなひとり暮らし』(shoko著、すばる舎)を買い、あらこの人もご近所だわ、どんな方かしら、などと思ってみたり。ひとりでも、こんな風に丁寧にスッキリと暮らせるなんて偉いなあ、と感心してみたり。

(その後、インスタグラムでshokoさんはふたり暮らしとなりお引越しをしたと知る。おめでとうございます!お幸せに♡)

ホント、こんな暮らし方できなかったな、私には。

 

20歳の3月から26歳の8月までの約6年半、ひとり暮らしをした。最初の半年は会社の寮で、後の6年間は目黒のアパートで。

 

先日、1泊2日で上京した折、ふと気が向いて、このアパートのあった町を訪れたのだった。代官山からバスに乗って、月光原小学校前というバス停で降りる。この小学校の名前、昔から「素敵だな」と思っていた。

 

狭い道を縫うように、バスも自家用車も走っている。こんな場所にどうやって駐車したんだろう、というクルマもよく見かける。東京の人は運転が上手なのかな。

 

私には懐かしい町だが、同行の夫には何の変哲もない町。せっかく東京に来たのに、次の日は彼は仕事なのに、なんだか申し訳ない。けれど、珍しそうに楽しそうに、一緒に歩いてくれた。

 

私の住んでいた建物はもう跡形もなく、見覚えのある家や店もほとんどなかった。それでも、この道をこう曲がって投票所に行ったなあとか、大雪が降った朝、この辺りで転んだっけとか、歩いていると細かな思い出がよみがえるから面白い。

 

生まれて初めて明太子おにぎりを買ったセブンイレブン、その脇の釣り堀のある清水池公園が健在だった。噴水前の、置物だと思っていた大きな鳥が動き出したのでビックリ。あれは鷺?鶴のように大きかったけど。

 

4月の、光る風がそよぐ。「帰って来たよ」とつぶやいてみた。怖れていたよそよそしさは全く感じられず、「お帰り」と言われた気がした。

 

ここに住んでいる間、辛いこと、苦しいことも多かったけど、若かった私はたくさん夢を描いたし、物語を紡いだ。武蔵小山駅からの帰り道にある商店街は、当時、活気があって、店の人が気さくに声をかけ夕食のヒントを教えてくれた。仕事でうまくいかなかった日も、家に帰るまでには笑顔になっていたりして。元気をもらっていたのだろう。

 

散歩するのが楽しい町で、桜並木の道、すずめのお宿緑地公園、サレジオ教会、林試の森公園などなど、お気に入りの場所をいろいろ見つけたなあ。お隣の碑文谷の町は高級住宅街で、お家や庭を見て歩くだけでも楽しかった。

 

思い出はいい感じに風化して(笑)、優しい気持ちで懐かしめるようになっている。深呼吸しながら、ああ私、この町がやっぱり好きだなー、と素直に思い、そんな自分に安心した。いつか、東京に帰りたいな。

 

次女が本当にひとり暮らしを始めたら、きっと寂しくなる。でも、応援したい。遊びに行きたい(笑)。狭くても自分のお城だ、好きなものだけに囲まれて暮らす夢は、楽しくないはずがない。不安や寂しさもエッセンスにして、人生の冒険を楽しんでほしい。

 

さて私は、この先の人生、またひとり暮らしすることがあるだろうか。夫よりも先に逝きたいと願っているので、ちょっと考えにくい。でももし、そういうことになったとしても、どんなに年を取っていたとしても、毎日を「希望」とともに暮らしていたいと思う。できれば、丁寧にスッキリとね。

 

春の海で集合!―伊勢志摩に遊ぶ4人旅

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いったいどれだけ笑っただろう。仕事に家事に介護にと、忙しい毎日を送る4人が伊勢志摩の旅をした。「みんなで春の海を見ようよ」と、関東と関西、東海から現地集合で。

 

この4人での旅行は約3年ぶり。

 ※そのときの記事↓
 再会の旅は、夏の軽井沢(2015.8.31)

軽井沢の旅があまりにも楽しかったので、年に1回くらいの頻度で集まりたいね、と言っていた。しかし、皆それぞれ多忙な上、年相応な親や子供たちのライフイベントが頻発、本人の体調も不安定という現実が続く中、この時期になってようやく実現した二度目の旅行だった。

 

なんだろう、すごく楽しい。すごく浮き立ってしまう。鳥羽に着いた最初の晩に、部屋で私たちがやったことは、驚くなかれ、バースデーパーティーだ。

 

小さなホールのケーキを現地で買って、ロウソクを立てて「ハッピーバースデー」を歌う。1回だけではない。ひとりひとり、順番に祝っていく。動画を撮るのだが、ちゃんとリハーサルもする。延々とこれをやるので、ついにはロウソクが短くなってしまった。

 

はしゃぎ過ぎだろ、ばあちゃん!

 

今はまだヨチヨチ歩きの孫たちが大きくなったら、きっとこう呆れるに違いない。

 

でもね、ちゃんと理由があるんだよ。おばあちゃんたちはみんな、毎日本当に頑張っているの。それを、このグループの仲間はちゃんと知っていてくれて、ひとりひとりを心を込めて労いたいと思っているの。湿っぽいのは私たちには似合わない。だから、こんなふうに笑いながら、はしゃぎながら、歌いながら、手を叩きながら、お互いの頑張りを称え合っているんだよ。1年分のみんなの誕生日を、祝い合っているんだよ。

 

おっと!うっかりおばあちゃんと書いてしまったが、みんな、とても孫がいる年には見えないので、そこのところは強調しておきたい。一番年長のTちゃんには、本当にまだ孫がいないし、ダイアン・レインみたいに綺麗だ。他の2人も素敵で、純情でとてもチャーミング。

 

関東組の2人は、お伊勢さんが初めてとのことで、下宮、内宮ともにゆっくりと歩いて回った。五十鈴川のせせらぎに目を細め、大きな杉の木をまぶしく見上げる。さすがにこういう場所では、大人女子は、はしゃがない。桜のはなびらが舞い落ちる中、神様にご挨拶をし、愛と感謝を伝えた。

 

そして、伊勢から志摩へ。美しい英虞湾が近づいてくると、ドライブはぐっとリゾートの雰囲気を増す。やっぱり、春の海はいいな。仕事のためこの日帰らなくてはならなかったMちゃんも、いつかまた一緒に行こうね。

 

お天気に恵まれた。汗ばむほどの陽気で春コートは出番なし。潮風の心地よさといったら!

 

ホテルの広い庭を散策すれば、ウグイスやイソヒヨドリの可愛らしい声。沈んでいく夕日と、昇ってくる大きなオレンジ色の月。目にも、心にも、焼き付けておきたいと思った。

 

でもやっぱり、ケラケラ笑ってしまうんだよね、私たち。もう、なんでそんなに面白いことばかり言うの?(笑)

 

夜遅くまで話し込む。疲れて眠いのに、寝てしまうのが惜しい。打ち明け話もするし、真面目に相談もするけど、いつの間にか他愛のないことでベッドに突っ伏して笑っている。全然性格の違う私たちだけど、どうしてこんなに仲が良いのだろうね。

 

遠い昔、アルバイトで滞在したことがある賢島にも出向いた。志摩観光ホテルで美味しいケーキをいただき、2年前のサミットで米国のオバマ前大統領も歩いたと言う道を通る。そんな場所でもカラスに気を取られ、駐車場を見失ってしまう私たちである。

 

37年前の今頃だ。入社式後の私たちは、神戸の研修センターで寝食を共にしていた。あのときに、この友情の芽が生まれていたのだろう。研修を終えて東京に戻ってからも、何でも話して支え合ってきた。転職してからもよく会っていたし、一緒に遊びにも行った。私が東京を離れるまで。

 

あれから長い年月が流れた。年を重ねるにつれて、本音を言える相手はぐっと少なくなってくる。心から心配してくれる友だちというのも。だからこそ、長く続く素敵な友情を手にしたことの幸せを噛みしめる。大事にしていきたいと強く思う。

 

「20年後の私たちかな?」
Yちゃんが目をやった先には、70代とおぼしき女性客4人組。楽しそうに語らってくつろいでいる。とても良い笑顔だ。目尻のシワに、互いを慈しむ優しさと誇らしさが感じられた。

 

Tちゃん、Mちゃん、そしてYちゃん。これまでも、そして今もなお、問題や課題の多い私たちの人生だね。でも希望を持って、笑いながら歌いながら、歩みを続けて行こうね。

 

それぞれ歩く道は違うけど、残りの人生もずっと励まし合って生きていけたらいいね。そしてまた、何度でも一緒に旅をしましょう!

 

「花糸」を使って、春の空を飛ぶ「気球」を刺しゅう

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青空が広がる美しい春の日が、もう何日続いているだろう。機嫌の良い空を見ていると私の心身も朗らかになる。忙しい日が続いているけれど。

 

3月も終わる。TVはそんなに見ない方だが、好きなドラマの最終回とか、情報番組のキャスター交代などが重なって、なんとなく少し寂しい気持ちになっている。ここ数年、朝の家事のお供として馴染んでいた「あさイチ」も、メインキャスター3人が去ってしまう。

 

HSPの身としては、番組の終わりや9時のニュースの前に、ちゃんと話の区切りを付けられるのかハラハラすることが多く(ゲストが“自由”だったり、ゲストに質問する有働さんが“チャレンジャー”だったりで・笑)、この番組の進行のアバウトさはちょっと苦手とも言えるのだが、全体の雰囲気が緩いところ、イノッチが優しくて感じ良いコメントをするところ、根底にある考え方が真っ当であるところが、実は心地良かった。たくさん和ませてもらえたことに感謝したい。

 

別れと出会いの季節だね、と昨日、次女が言っていたが、学校やお勤めをしている人たちにはまさにそういう実感があるのだろう。桜が例年より早く満開だわ、とか、好きな番組が終わってしまう、変わってしまうとか言っている自分は、まあ、呑気なものだ。

 

それでも、ここ数日は本当に忙しかったし、実はこの先もしばらくは慌ただしい。一応、仕事も忙しい。

 

可愛い姪っ子が大学入学で一人暮らしをするため、他県から近所に引っ越して来た。我が弟とともに挨拶に訪れた彼女の成長ぶりが嬉しく、我が家にもお裾分けのような春色の華やぎが訪れた。

 

新聞社時代の飲み友(おじさんたちだけど)とも、久し振りに食事をした。契約満了で社を離れて7年になるのに、まだ誘っていただけるなんて、本当にありがたいことだ。前回からメンバーに加わった若い女性もとても可愛らしくていじりがいがあり(笑)、終電を逃してしまうくらい、楽しく語り合った。いつになく饒舌な自分の様子に、我ながら驚いた春の宵だった。

 

そして先日は、悲願だった「両親と曾孫を会わせる計画」を実行に移した。娘の婿殿のスケジュール、老人と赤ちゃんを含む全員の体調を踏まえての計画だったから、遠方に住む両親と長女一家、私が一堂に会する機会を作るのは、思いのほか気を遣った。でも、祈り続けたことが功を奏したのか、とても温かい時間が訪れてくれた。富士山と咲き始めの桜が、その時間を更に美しく彩ってくれた。ああ、私、頑張ったわ!(笑)

 

そんな幸せだけどめまぐるしい日常が続く中、隙を見て楽しんでいたのが、刺しゅうだった。先月だったか、ネットで知ったシライカズミさんの図案に惚れ込み、『刺繍で描く小さなモチーフ』という本も買った。早く試してみたくて仕方なかったのだが、なかなか時間が作れない。それでも仕事が一区切りするごとに刺しゅう針を手にすると、不思議と疲れが癒された。

 

シライさんの図案で使われている糸は、デンマーク製の「花糸」というもの。この辺りの手芸店にはなかったので、ネットで探して購入した。これまで使っていたフランス刺しゅう用の糸のような光沢はなく、風合いがナチュラルで、色味も独特の落ち着いた魅力がある。私の好きな麻布には、この糸の方がぴったりくると思った。

 

小さなモチーフは、すぐに完成が見えてくるところが、私のような性格の者にはありがたい。ただし、シライさんの図案は、とにかく丁寧に刺さなくてはその良さが表現できないので、これがなかなか大変なのだ。

 

今回は、空をゆっくりと飛んでいく「気球」のモチーフを選んだ。チェーンステッチを多用する図案で、輪郭線でも、面を埋めるのにも使ったのだが、ひたすら細かく密に刺していくのが難しかった。

 

大きさが揃わない、左右が対象にならない、などと我が腕の未熟さを嘆きながらも、なんとか4つ完成。下手くそだけど、やはり糸の色と風合いが好きだなあ。花糸、大好きになった。ちょっと絡まりやすいけど。

 

ブローチに仕立てた4つの気球。明日、旅先で大切な人たちにプレゼントするつもり。桜吹雪を見下ろしながら春の空でふんわりと遊ぶ気分を届けられたらいいなあ、などと思っている。

 

あるHSPのセルフケア―家でなくても、一人でなくても

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春は好きなのだけど、晴れたり降ったり嵐になったり、いやはや本当にめまぐるしい。気温のアップダウンも大きく、お天気アプリをチェックすることの多い季節だ。

 

私は雨が降りそうなときが一番苦手で、頭がどんよりとして動きが鈍くなるし、なかなかやる気が出ない。しかし降り始めてしまえば、何故か楽になる。

 

昔からそうなのだが、これは気圧の影響を受けているからだろうか。HSPとも関係あるのかな。

 

 HSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)についての以前の記事。
 あるHSPの仕事事情―この気質であればこその幸福(2017.8.25)
 あるHSPの小さな決意―この「生きづらさ」を減らしていこう!(2017.2.14)
 不寛容の時代の空を見上げて(2017.1.17)

 

今年はスタートからずっと忙しい。公私の予定も多いし、やること、考えることが目白押しで、時間が飛ぶように過ぎていく。ただでさえ疲れやすい性質の私だ、夜はいつも、コトンと寝落ちる。寝てるの、大好き。

 

でも、忙しいのは悪いことじゃないし、やりたいことがたくさんあるというのは幸せなことだよね、と夫と話したりもする。その夫は、もうずっとオーバーワーク状態で、睡眠不足がすごく心配だ。50代の働き方にしてはハード過ぎる。あなたは幸せなの?

 

会社泊まりで仕事をしたり、休日出勤も多い彼は、たまの休みの日でもその時間を休息に使わず、あれこれ所用に費やしている様子。すごく疲れているはずなのに大丈夫なのだろうかと、いつも思っている。

 

先日のこと。朝早くに休日出勤した彼が、「わりと早く帰れるから夕ご飯を外で食べよう」と連絡してきた。駅からの帰り道にあるコンビニで待ち合わせをして、孫娘へのプレゼントを買いに一緒に雑貨ショップへ行き、台湾料理の店で食事をした。そしてその後、ジャズ喫茶でお酒を飲んだ。

 

いつも、やりたいことの半分もできないうちに休日が終わってしまうことを残念がっていた彼。だから、きっとすぐにこの店を出て、帰りを急ぐんだろうな、と私は思っていた。ところが、意外にもまったりとくつろいでいる?

 

「こういう雰囲気、我々世代には馴染むよねえ」

 

そう言って、多分、オープンした頃はすごくお洒落でクールともてはやされただろうその店の、古くても古びていない雰囲気を楽しみ、黒い革の椅子にすっぽりと抱かれている。大きなスピーカーの方に向けて、並んでいる椅子だ。

 

・・・間接照明に照らされたオブジェ。マイルス・デイビスの本などが並ぶ古い書棚。少し歪んだデザインが洒落ている、手びねりのグラス。

 

30年くらい前は、心地よいジャズが流れてお客さんがそれに聴き入っているような店が、もっとたくさんあった気がする。カウンターの中の人も口数が少なくて、でも優しい人が多かった。私よりずっと年上だった、あの素敵なお兄さんやお姉さんは、今頃、どこでどうしているのだろう。

 

当時は、タバコの煙が充満している店が多かったし、飲酒運転も多く、決して昔は良かった、という話ではないのだが、あの頃の「酒場」を思い出すと、古いモノクロ映画を観ているような憧れに似た温もりを感じる。

 

隣でグラスを片手に音楽に身をゆだねている夫は、本当に居心地が良さそうで、嬉しそう。私は反省する。家で寝るだけが休息ではないのだと。実際、私もとてもリフレッシュした気持ちになれた。

 

20代の頃、背伸びして出かけて行った、洗練された大人のエリア。いつしかセピア色になってしまった思い出の場所たちだけど、今も懐かしめば心を温めてくれる。少しの甘やかなときめきを思い起こさせてくれる。

 

それが、今の日常の疲れを癒すこともあるんだね。

 

私はHSPだから、夫の感情は言葉にしなくても伝わってくる。彼は間違いなく、幸せを感じている。

 

動揺しやすく、すぐに圧倒されてしまうことの多いHSPという気質。でも私、最近は生きづらさをあまり感じなくなってきたのだよね。

 

それは、HSPであることを自覚し、危ないと思われる場所や人に、できる限り近づかないようにしてきたからだろうし、それができない場合でも(浮世は義理だらけ)、家に帰るイメージを持つことで衝撃をやわらげてきたからだ。そして何より、帰宅してからのセルフケアで疲れや傷を癒していることが大きい。

 

自分を取りもどすためには、おうちが大事。一人になることが大事。

 

セルフケアは家で一人で、くつろぐ時間を作る、というのが私のやり方だった。ワインやウイスキーを飲みながら本や新聞をゆっくりと読んだり、ベッド脇にディフューザーを置いて、その日の気分にふさわしい香りを楽しみながら眠りに落ちたり。ホ・オポノポノにおけるクリーニングも大切だ。

 

しかし、思った。家でなくても、一人でなくても、セルフケアはできるんだな、と。シチュエーションの話である。

 

自分がくつろげる場所と人であれば、そしてそれが温かい時間であれば、一緒にいる人が幸せを感じてくれているとわかれば、そこに「疲れ」は存在しない。

 

私に合うセルフケアの方法が、ひとつ増えたようで、世界が少し広がったようで、今、とても嬉しい。昨夜も会社に泊まってしまった夫のことは、相変わらず心配だけれど。

 

春の気分を刺しゅうに込めて

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川を渡る早春の風は冷たいが、ほのかに甘い香りがする。草木や土から漂い出る匂いも、もう冬のそれではない。

 

ケーキ屋さんやお花屋さん、雑貨屋さんやカフェのショーケース…。バレンタインデーや雛祭り、ホワイトデーと続くこの時期は、街を歩いていても、とびきり明るい色が目を楽しませてくれる。イチゴの赤やガーベラのピンクなど、部屋に持ち帰りたいものばかりだ。

 

そんな春気分を刺しゅうに込めてみた。今回は、フレーム付きのキットを使って。青木和子さんの図案は、前から一度試してみたかったので、購入した帰り道から気が逸り、ワクワクして頬が緩んでしまった。

 

キットには下絵が印刷された布と必要な刺しゅう糸、針や糸通しまで入っている。下絵を写し取ったり糸の色を揃えたりの準備が不要なので、即、作業に取り掛かれるのが嬉しい。

 

そしてこのキットでは、布裏に最初に接着芯を貼り付けるので、刺しゅう枠を使わない。ふむふむ、そういう方法があったのか。

 

刺しゅう枠を使うときは、経糸横糸がゆがまないように布を張ることが大事で、これがなかなか手間だったりする。また、枠をずらして別の場所を刺すとき、前に刺した刺しゅう糸の上に枠をはめなければならないときがあり、気を遣う。

 

接着芯だと、そんな苦労から解放されるし、最後の糸始末のときも、布と接着芯の間に糸端を隠せて便利だ。ただ、刺しゅうしているときの摩擦は、布だけのときに比べてはるかに大きく、刺しているうちに糸が摩耗していくのは気になった。

 

それにしても、刺しゅう作家さんの絵心は素晴らしいな。いろいろな人の図案を見ては、刺しゅうの表現力の奥深さに驚くばかりだ。

 

去年、本を買った桜井一恵さんの図案も大好きだが、青木和子さんのものも、とても好みである。庭の草花をさらっとデッサンしたようなものが特にいい。さらっと、と言っても、なかなか細かく再現されていて、ステッチの種類も結構多いのだ。

 

私は小花の花びらなどによく使われる「レゼーデイジーステッチ」とか、花芯や蕾を表すことの多い「フレンチナッツステッチ」などが好きだが、間隔を詰めて面を埋めていく「サテンステッチ」が苦手。その名のようにサテン生地を織るかのごとく、糸を捩らせないことが艶よく美しく仕上げるコツだとわかっていても、私は針の持ち方が悪いのか、すぐに糸が捩れてしまうのだ。

 

でも、今回は丁寧に、諦めずにやってみた。もっとも刺す面が小さかったから頑張れたのかもしれない。それから、以前、TVの手芸番組に出演していた青木和子さんが仰っていた、もうひとつのコツを思い出して、上手くいくかもしれない、と思えたのだ。

 

それは、まず面の一番幅の広いところに1ステッチ、糸を渡すという方法。端から順番に埋めていくのではなく、真ん中をしっかりキープしてから両脇半分づつ、埋めていけばいい。なんだか、安心して刺していける。サテンステッチが、好きになった。

 

また、スパイダー・ウェブ・ローズステッチというのを、(多分)初めて刺してみたのだが、思ったより簡単で仕上がりも可愛くて気に入った。糸を引くとき、引き過ぎないことが大事で、これはどのステッチでもそうなのだが、「ふんわり感」が命!って感じなのだ。

 

刺しゅうは色を楽しみながら作業できるのも楽しい。今回のものは約14×29cmの小さな刺しゅうだが、グリーン系だけで5種の色を使っていて、ちょうど多色セットの色鉛筆を使って絵を描いている感覚に似ている。

 

仕上がるまで、静かな時間が流れていき、穏やかな幸福感に包まれていることに気がつく。手先を動かし、きれいな色を見つめていると、悪いことは考えなくなるみたいだ。

 

一針一針に真心を込めて、これをプレゼントする予定の、私の大切な人のことを考える。

 

春が来る嬉しさ、花や緑の愛おしさ。明るく優しい心の芽が、のびのびと育っていきますように。

 

もうすぐ初節句を迎えるその人に、私のそんな願いが届くといいなあ。

 

人生が面白い、自分が面白い。ポノを始めてから

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気がつけば、2月も半分が過ぎてしまった。厳しい寒さもあと少しの辛抱だ。新しい芽が膨らみ始めた木々を見上げると、巡りくる季節を感じ取り準備を整える、生命の不思議な営みに心が動く。

 

毎日を、ホ・オポノポノとともに生きている。といっても、宗教で言うような「敬虔な信者」のイメージとはほど遠い。ただ、四つの言葉で感情や出来事をクリーニングし、自分の中のウニヒピリ(潜在意識)に「感謝と愛」を伝えているだけだ。とても簡単で楽しい。

 

そして、私の毎日はどんどん良い方向に流れている、と感じている。それは、いつも誰かに「感謝と愛」を伝えたくなってしまうような生活だ。四つの言葉の中でも、特に「ありがとう」「愛しています」を口ぐせのように(おもに心の中で)唱えているから、言霊効果もきっとあるのだろう。

 

ポノの本や手帳、Webマガジンにあるさまざまな名言。実は、抽象的でよくわからないものもあるが(笑)、ハッと目が釘付けになり「これは!」とメモしてしまうものもたくさんある。私の宝物だ。たとえば、これらのメッセージ。

 


ホ・オポノポノのプロセスのひとつに「悔悟と許し」があります。にくい相手を無理やり許す必要はありません。あなたの中の負債をクリーニングによって自動的に手放していくことができます。(KR女史)

 

思考からの自由、判断からの自由。「ほんとうのあなた」は自由で完璧な存在です。(ヒューレン博士)

 

「罪悪感」をクリーニングしてみましょう。自分が幸せになったら誰かが苦しむという記憶をあなたが手放すことで、あらゆる存在が自由を取りもどすことができるのです。(ヒューレン博士)

 

クリーニングは楽しいこと。苦行でも重たいものでもなく、私たちを軽く自由にして、人生に歓びと甘さ、楽しさを与えてくれるもの。何かを変える「薬」は、苦いカプセルだけではありません。(ネロ・チェッコン氏)

 


素敵だ。もっと早く、これを知っていれば良かったな。

 

私の中に、四半世紀以上も昔だけど、今も鮮やかに思い出すひとつの記憶がある。

 

大きなベッドに、小さな赤ん坊が眠っている。淡い午後の光。その寝顔はどこまでも無垢で清らかで、見つめていると胸が苦しくなるほど美しい。私は泣いていた。そんな存在を前にして、今の自分の心の醜さが嫌で、認めたくなかったから。

 

母親になりたての私は、この純粋な魂を育てていく資格などないのではないかと、恐れていた。この子の母にふさわしい、清らかで穏やかな心でいたい。それなのに、自分の中にこんな悪意が渦巻いてしまっている。どうしよう!

 

人を憎んだり、妬んだりする感情は、本当に重たい。制御できないくらいに。

 

理不尽な扱いを受け、見下されていると感じて怒りを覚えたり、自分が手に入れたくても難しいものを、楽々と手にした人が得意げにふるまったりすると、かつての私は本人を攻撃するか、それが不可能なら何かに当たったり自棄を起こしたりすることで、感情を発散させていたような気がする。

 

しかし、子供を産んで、そういう自分でいるのをやめたいと思った。この子が安心して身を任せてくれる、自慢のママでいたいと望んだ。だから怒りたくない。それなのに、意に反して何かの折に、激しく重い負の感情が沸き上がってしまうことがあり、私はそれが嫌でたまらなかった。

 

それで、どうしたか。仕方なく、私は自分をコントロールしようと努めた。怒りを抑え込み、目を逸らし、忘れようとするやり方だった。他に方法を知らなかったから。

 

生きていれば、いろいろなことがあり、良いことも悪いことも起こる。問題が起きれば、感情が動く。その感情に対して、私は素早くジャッジをし、醜いと判断したものは速攻で抑え込んだ。繰り返し、繰り返し、否定してきた。「そんなふうに思ってはいけない」と。

 

大人の態度として、それは正しいと思っていた。でも、抑え込まれて、否定されてきた、それらの「負の感情」は、どこへ行ったのだろう?

 

ある時期、病気や怪我をはじめ数々の不運が重なったのは、もしかしたら、あの否定してきた負の感情の復讐だったのではないだろうか。

 

どんな感情も自分の中から湧き上がってきたもの。もちろんそれに支配されてはいけないが、忌み嫌う前に、まずはじっと耳を傾けても良かったのではないか。

 

この気持ちはどこからやってきたのだろうか。何故、私はこんなに腹を立てているの。と。

 

今の私なら、迷わずこの感情を見つめ、四つの言葉をこれに降り注ぎ、「手放します」と言うだろう。湧き上がる負の感情から、無理に目を背けなくていいということを知っているから。

 

悔しい、腹立たしい、憎らしい、羨ましい。

 

それは、クリーニングするためにウニヒピリが見せてくれたものだから、「ありがとう」「愛しています」と手放していけばいい。

 

ポノを始めて、いつからか私はそうしてきた。湧き上がる負の感情の対処法がわかり、怖くなくなったことが嬉しい。そして不思議なことに、負の感情そのものが私にあまり生まれてこなくなった。

 

ああそうか。だから私は、毎日、幸せを感じているんだね。怒りも妬みも、自由とは対極の重さで、できるだけ遠ざけておきたい感情だから。

 

でも、もしまた現れても大丈夫。それは太古から積み上がってきた記憶であり、現れてきたというのは手放す準備ができたという意味だと、今はもう知っているから。この感情が現れることは恥ずかしいことではないのだと、今はもう冷静に向き合えるから。

 

幸せを感じているが、もちろん、日々いろいろなことが今も起こる。良いことも悪いことも。家族のこと、友達のこと、親のこと。仕事の問題、健康の問題、お金の問題。大小の問題が次々立ち現れる。でも、クリーニングをしているから、ほとんどの問題は遅かれ早かれ解決していく。

 

私はポノを始めてから3年もたたないし、クラスやセッションにもアクセスしていない。本を読んでも全て納得できているわけでもないし、だから、正しい解釈はできていないのかもしれない。

 

でも、この問題解決法を知って、自分なりに実践してみて、とても良かったと思っている。大小のミラクルが起きるのを、毎日のように目の当たりにして、本当に人生が面白くなってきたから。

 

疑ったり反動を恐れたりせずに、歓びも甘さも楽しさも、素直に受け入れられるようになってきた自分が、今、とても面白い。世界は不思議に満ちている。

 

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

 


昨日から始まった無料リーディングスタディー。登録してみたが、ニュースレター形式で1年間、どんな学びを経験できるのだろうか。楽しみだ。
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