一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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心に一粒、黄金の真珠―ホ・オポノポノ手帳2024

 

季節は本当に進んでいるの?と疑いたくなるような、今年の9月。確かに日は短くなっているのだけど、この蒸し暑さは真夏と変わらない。もう、夏、長すぎ。

 

そんな中、来年の手帳をお迎えした。ホ・オポノポノ手帳が、来年も私の相棒となる。

 


毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2024

 


この手帳、11年目を迎えたそうだ。私にとっては9冊目である。

 

真新しい手帳を手に取るたび、2015年に初めて入手した頃のことをほろ苦く思い出す。辛い時期だったなあ、と。そして、あれからホ・オポノポノをずっと実践してきて本当に良かったと、助かったと、新たな気持ちでかみしめ感謝する。

 

まあ、クリーニングすることを忘れがちで、そこは胸を張って実践していると言い切れない私なのだけど。もっと瞬間瞬間をクリーニングしていけたら、きっと今よりもずっと、自由に生きやすくなれるのだろう。これまでの経験から、それは容易に想像できるし、信じられるのだ。

 

いつでもクリーニングして本来の自分自身に立ち戻りたい。だから、クリーニングをすぐに思い出せるという意味でも、日々愛用する「手帳」というものは手堅いアイテムだ。毎日手に取り開いてみるだけで、自然にクリーニングにつながっていくのだから。

 


早速、ページを開いてみる。
2024年の手帳も、例年とほぼ同じつくり。オリジナルクリーニングツールと巻末の対談記事については、新しい内容となっている。

 

新しいクリーニングツールは、「黄金の真珠~GOLD PERLS~」だった。まんまるの、美しい光沢のある真珠のようなもの。色はやわらかい光沢のあるゴールドなのだと。

 

「ゴールドパール」「黄金の真珠」と、声に出したり、心の中でイメージしたりすることが、クリーニングになるとのことだ。
・・・「ほ、ほう~」とにんまりしてしまった私。なんだか、金運にも良さそうではないか?笑

 

冗談はさておき、今年のクリーニングツール「レインボーカラーでペイントする」よりも、こちらの方が私はイメージがしやすいかな、と思った。人それぞれ、違うのだろうけど。これからは、心に一粒、黄金の真珠を住まわせておこう。

 

そして、巻末の対談。
これまでは、ヒューレン博士とKRさんの対談の形で掲載されていたが、今回は平良アイリーンさん(SITHホ・オポノポノ アジア事務局)による、お二方へのインタビュー形式になっていた。

 

ヒューレン博士…去年の1月に逝去されたイハレアカラ・ヒューレンさんだ。これは、生前のインタビューなのだそう。ちょっとしんみりした気分になった。

 

インタビューのテーマは「不安」。
世界情勢や気候変動などなど、私たちが漠然と感じている「不安感」。その正体は何か?ホ・オポノポノではこれをどう捉え、どう対処していくか。

 

それは、これまで何度も教えてもらってきたことと同じだった。そして、何度も教えてもらってきたにもかかわらず、不安の海に漂流しているとき、いつもなかなか思い出せないことだった。

 

本当は誰もが、自分に与えられた波に乗ってちゃんと前へ進むことができますよ、ということ。
ウニヒピリという存在。
クリーニングという自己調整(チューニング)。

 

✻クリーニングやウニヒピリについては、何度も過去記事に書いていますね(*^^*)

tsukikana.hatenablog.com

 


重低音のように、いつも胸に横たわっている漠然とした「不安」。その原因はいったいどこにあるの?

 

不安の原因。つい外に求めがちだけど、実はそれは自分の中にある。溜めこまれた膨大な記憶が、その正体。それが、ホ・オポノポノの答だ。そして、それを解決していく道がある。苦行どころか、この上なく易しく優しい方法で。

 

不安やストレスに気づいたら、すぐに丁寧にクリーニングする。

 

ただね。忘れがちなのだ、クリーニングのこと。難しくないのに、忘れてしまう。でも、だったら何度でも思い出せばいいんだよね。

 

虹のかけらとか、青いビー玉とか、白い柔らかいパウダーブラシとか・・・
ホ・オポノポノの手帳から、これまでたくさんのクリーニングツールを贈られてきた。来年は黄金の真珠も加わる。とても美しい、可愛らしいツールたち。そのときのひらめきで、どれをどう使うのも自由なのだ。

 

もちろん、基本的なツール、四つの言葉を使うのもいい。私はこれが、一番多いかな。あとは、アイスブルーって、つぶやくこと。

 

基本的なクリーニングツールについては、こちらも手帳の巻末に掲載されている。詳しい内容については、私は何冊かの書籍で学んだ。

 


ホ・オポノポノ ライフ ほんとうの自分を取り戻し、豊かに生きる



たった4つの言葉で幸せになれる!心が楽になるホ・オポノポノの教え

 


そうそう。手帳カバーは、私は毎年、裏返して使っている。ここ数年はずっと、ネイティブハワイアンに伝わる樹皮アート「KAPA」の写真で、ちょっと地味なんだけどね、落ち着くのだ。

 

来年の手帳の準備ができると、ちょっと安心。今年の残りの日々も、焦らず大事に向き合って過ごせそうだ。ウニヒピリとともに。

 


ところで、シンプルな手帳にピッタリのスタンプを見つけ、最近、入手した。とても気に入っているので、ここでちょっとご紹介を。

 

手帳を大人かわいく育てていけそうな、手描き風の洒落た絵柄が10入っている回転式スタンプ。そのままデスクに置いておきたくなるコンパクト設計が嬉しい。

 

回転スタンプの画像

10柄入りの回転スタンプ

 

そしてその印面の小さいこと。絵柄の線の細さにビックリ!

 

まるで印刷してあるみたいに、細かいし滲まない

 

小さな小さなデコレーション

 

並べて押したり、ちょこっと色を塗っても♬

 

「北欧、暮らしの道具店」で購入。私は普段、タオルとかバブーシュとかを、ここでよく買っています。

 

hokuohkurashi.com

 


共演のアルパカさんも可愛いでしょ?
こちらは、近所の雑貨屋さんで見つけて一目惚れ。ティーラボという雑貨メーカーの「ポレポレアニマル」というシリーズらしい。

 

www.t-lab-japan.com

 


我が家には、キリンさんもいる。笑
小さなお気に入りが増えていくのは、楽しいですね。

 

 

ポレポレアニマルズの画像

この顔が大好き♡




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リネンに花糸✻刺し子のファブリックパネルをつくる

 

今年の夏は例年にも増して激烈で、ちょっと外に出るのも勇気がいるほど。被害をもたらした台風7号が去った後も、ベッタリとしたいや~な熱風が吹いている。

 

そもそも夏が苦手な私、かなり早いうちからもうぐったりで。それはもう、情けないほど。悪魔のような日差しを避け、遮光カーテンを閉めた暗い部屋で、テレビをつけてボーっとする時間が必要だった。

 

見ているのはYouTube。涼を求めて、森と小鳥の映像を、毎日のように眺めていたのだった。

 

森は、いいなあ。
小鳥は、いいなあ。

 

そんな風に現実逃避をしながら、ときどき手帳に落書きをしていた。木とか鳥とか。思いきりデフォルメして。

 

するとそのうち、なんとなく、それを刺し子で表現してみたら面白いんじゃないか?と思いついた。

 


連日、体温超えの暑さ。おこもりさんの生活の中で、私になんとか元気をくれていたものは、針と糸だった。そこに、自分でデザインする、という楽しさも加わった。

 

どんな風にしよう。刺し子の寄せ模様風にしてみようか。

 

刺し子の一目刺しは、刺しゅうのステッチとして面埋めに使えそうだと、実は以前から思っていた。それで、一目刺しにはどんなものがあるのか、に興味を持ち、あれこれ調べもしていた。
✻一目刺しとは、一定の針目で縦、横、斜めと同じ方向を順に刺していく、刺し子の技法のひとつ。

 

小さな作品にしたい。だから、なるべく細かい一目刺しを選ぼう。寄せ模様風にするなら、少なくとも6種くらいは使いたいな。色も変えて、パッチワークみたいにしよう。

 

図案の輪郭線は、フランス刺しゅうの技法を使おうか。チェーンステッチにしたら可愛いんじゃないかな。ストレート+フライステッチも、ボタニカル感が出て素敵かも。

 

布は、やっぱりリネン。刺し子糸ではなく花糸を使ってみたら、ちょっと雰囲気の新しいものになるんじゃないかな、とも思った。OOE花糸は、デンマークの草木染の木綿糸で、マットな風合いと淡く微妙なニュアンスカラーが魅力の刺しゅう糸だ。

 

思いつき始めると、どんどん思いつきが繋がり広がっていくので面白い。デザインを考え、糸色を考え、使うステッチや一目刺し模様を考えていると、夢中になって一日があっという間に過ぎていく。

 

水通ししたリネンをアイロンで整え、自作の図案を写す。5ミリの方眼線をひく。
ここまでくれば、あとは刺すだけ。至福の時間だ♪

 


そうして、私の思いつきは形になり、ふたつの作品になった。とりあえず、Instagramにpostする。

 

私は、自分で作った刺しゅうや刺し子の作品は、なるべくインスタにあげるようにしている。それは、そうすることにより緊張感が生まれ、上手になろう、丁寧に刺そうと自分が努力するから。人に披露することが、上達への近道だと信じているのだ。

 

上手になりたい気持ちは、ずっと変わっていない。本当は作品そのものよりも、上手になることが私のほしいものなのかもしれない。

 

✻そう、刺しゅう以外のことも上手になりたいとずっと願ってます↓

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インスタには「額に入れて飾りたいですね♡」とコメントしてくださる方もいた。
お世辞でも嬉しい(*^^*)
額装、かあ。それもいいかもしれない、と思った。

 

出来上がった刺しゅうをどうしよう問題は、ずっと昔からあるのだけど、私は今回、やってみたいことがあった。それは、パネルに仕立てることだ。

 


ファブリックパネルとは、木製パネルにファブリック(布)を貼り、絵を飾るように壁に掛ける、北欧生まれのインテリア。ファブリックボードとも呼ばれる。私はこれを自作してみたくて、去年、好きな柄の布を使ってトライした。洗面所の殺風景な白い壁が、小さなパネルひとつで楽しい景色になった。

 

ただ、布を両面テープで貼り付けたこと、家にあった布を普通に貼っただけということが、ちょっと物足りなかった。もっとちゃんと作れないだろうか。オリジナリティが出せないだろうか。

 

それで、今回は刺し子&刺しゅうの作品を、パネル仕立てにしてみようと決めたのだ。

 

木製パネルをネットで注文し、表面に白いフェルトを貼る。こうすることで木目が透けなくなるし、ふっくらやわらかな仕上がりになる。いろいろ勉強した。笑

 

そして、今回は本格的にガンタッカーを使った。これ、ホッチキスの大きくてごついやつ、みたいなもので、針を打ち込むとき、かなり大きな音がしてちょっと怖いのだ。

 

タッカーの針の背が、壁を傷つけてはいけないので、最後に製本テープでカバーする。こうすると、裏の仕上がりも綺麗だ。

 

タッカーとか製本テープとか、いかにも工作っぽい!

 

そうして、刺し子と刺しゅうのファブリックパネルがふたつ、完成した。
なかなか可愛いでしょ?

 

ふたつ並べて壁に掛けてみる

 

作っている間、いろいろな思いがよぎった。誰かのもとに行くかもしれないこのコたち。飾ってもらえた空間で、ささやかでも優しさや楽しさが生まれたらいいな。そこに、穏やかな時間が流れてくれたら嬉しいな、と。

 

思いつきで始めたことではあるけれど、目にしてくれた人が楽しんでくれることを願って、気持ちを込めて刺したつもりだ。森や小鳥を愛する気持ちや、平和への願いなどもね。

 


今回は、やりたいことが全部できた感じで、とても清々しい。猛暑の辛さも、おかげで軽減できた気がする。

 

そしてやっぱり、手芸とか工作は絶対、脳の活性化に貢献してくれるものだと思う。完成までの時間を経ることで気持ちも前向きになれるし、クリエイティブな喜びも感じることができる。

 

まるで、夏休みの自由研究みたいだったこの経験。くせになりそう♪

 

次は何をつくろうかな




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幻想的な灯ろう流しー父母を想った7月盆

 

夏を彩る風物詩は・・・
もちろん、いろいろある。が、静岡市清水区の人たちが思い浮かべるものの上位には、間違いなく「灯ろう流し」があるのではなかろうか。
だって、・・・そう、あんなにも綺麗なのだから。

 

私の記憶にある灯ろう流しは、いくつの頃に見たものだったか。多分、清水に住んでいた小学校時代の3年間の、いずれかの夏のことだったはず。

 

それは、忘れられない美しさだった。真っ暗な闇の中、広い穏やかな川面を、ともし火を乗せた無数の舟がゆっくり流れていく。なんともはかなく幻想的な光景で、夢を見ているようだった。

 


清水巴川灯ろうまつり。
巴川流域の市民に親しまれているお祭りで、何度か中止した時期もあったが、250年余の歴史を持つそうだ。

 

現在では例年7月16日(この地域は7月盆なので)に開催されていて、数か所の橋のたもとにある流し場から、毎年3000艇あまりの灯ろうが流される。
※流された灯ろうは環境面に配慮し、実行委員会で回収している。

 

灯ろう流しの他にも、盆踊り等のイベントがあったり、夜店が出たり、打ち上げ花火や手筒花火も楽しめる。

 

清水には大人になってからも何度も何度も行っているのに、たまに思い出して「また見に行きたいな」とも思っていたのに、なぜかタイミング的に合わなくて、その後全く見ていない「灯ろう流し」。

 

その存在を、はっきりと意識したのは3年前だった。母が亡くなった2020年のことだ。

 


母は5月28日に天国へ旅立ってしまった。実家にひとり残された父。私はサポートのため頻繁に足を運んでいた。7月の、母の初盆の頃も清水にいた。

 

区役所や年金事務所に父と共に出向き、各種手続きをしていたとき、ふと「灯ろう流し」を母のためにしてあげたいね、という話になった。

 

「稚児橋から流していたはずだぞ」と言う父。年金事務所からの帰り道、自転車でその場所へ向かった私たち。でも、そこには「中止」の文字が。

 

感染対策だった。それなら、仕方ないね。父が肩を落とすのが、なんとも可哀そうだったっけ。

 


その次の年も、そのまた次の年も、同じ理由で灯ろう祭りは中止となった。そして今年、4年ぶりにようやく開催されることを、私は知った。

 

やっと、父の願い(もちろん私の願いでもある)を叶えてあげられる。
ただ、その灯ろうには、母の名前と並んで父の名前も書くことになってしまった。

 

✻去年は父の初盆でした↓

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今年のお盆はひときわ暑かった。
7月16日。夫と私は、暗くなってから実家を出たのだが、それでもまだ蒸し暑い。

 

稚児橋まで、ゆっくり歩いて15分ほどだろうか。だんだん道が賑わいを増してきた。車道を通行止めにして盆踊り大会をやっていた。こういう風景も、久々に見た気がする。

 

橋にほど近い場所で、灯ろうを販売していた。1隻1000円。その場で、買った灯ろうに何か書き込むことができる。私は、両親の名前と戒名を並べて書き、「皆のことを見守っていて下さい」「家内安全」と筆ペンで綴った。

 

流し場には長い行列。見渡せば、巴川の両岸は人の海だった。この辺にこんなに大勢、人がいたの?というくらいに。そうか、4年ぶりの開催。みんな、待ち焦がれていたのか。

 

順番が来て、係りの人に私たちの灯ろうを預けた。橋の上に移動する。ここも大変な人混みだ。なんとか欄干近くに場所を見つけ、スマホで写真を撮る。

 

「〇〇家」と読み上げながら、1隻づつ、灯ろうを川に降ろしてくれているのが見えた。みな同じデザインの舟だから、どれが私たちのものかは、わからない。でも、読み上げられたタイミングから、多分、あの辺り・・・と思いながら手を合わせる。

 

さようなら、お母さん。
さようなら、お父さん。

育ててくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。

 

川面を彩る幽玄なともし火たち。本当に、なんて美しいのだろう。美しすぎて、涙が出そうだ。
あの中に、父母の舟がある。ふたりは、喜んでくれたかな。

 


灯ろう流し(灯籠流し)は、死者の魂を弔って灯籠(灯篭)を海や川に流す行事。清水の灯ろう流しも、亡き先祖への思い、家内安全、無病息災などの願いを込めて流していると、公式サイトにある。

灯ろうまつり | [第69回]清水七夕まつり公式ウェブサイト

 

お盆であの世からこちらに戻ってきていた魂を、またあちらに送り届ける「送り火」という風習。灯ろう流しも、その送り火の一種に分類されているそうだ。思えば、盆踊りも花火も同じように、故人やご先祖様への供養、そして平和への祈りも込められた行事なのだろう。

 


打ち上げ花火と手筒花火も、川岸から眺めることができた。手筒花火は初めて見たのだが、近くにいたらちょっと怖いだろうな、と思うくらいの迫力だった。大きな音がする度に、たくさんの歓声が上がっていた。

 

手筒花火の画像

手筒花火



夫と私は、川岸の道をゆっくり歩いて港に向かった。気がつけば、川面を流れる風が心地よい。花火の音は、だんだん遠のいていった。

 

巴川は満々と水をたたえている。灯ろうは、かたまったり散ったりしながら、静かに海に向かっていた。

 

だんだん賑わいから離れ、少し寂しそうにも見える。でも、ホッとしているようにも見える。
どうぞ気をつけて、あの世にお帰り下さい…。

 


念願の灯ろう流し、と書くと、変な感じだが、これでようやく、なんとなくだけど、ひとつ区切りがついたような気がしている。

 

父母のお墓は弟の住む岐阜にあるので、来年のお盆はどうするかわからないけれど、とにかく今年は清水の灯ろう流しをしてあげたかった。それができて、安堵にも似た気持ちになっている。

 

2023年の清水巴川とうろうまつり。
私にとって、忘れられない景色、忘れられないお盆になりそうだ。

 

 

灯ろう流しの画像

この赤い色が心に残る




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次女に誘われ夜の街へ

 

良くない条件が重なる日だった。
時折り強く降る雨。気圧は低く、蒸し暑く、空は暗い。

 

こういう日が私、ほんと苦手。頭が重くからだがだるく、立っているだけでしんどい。

 

なんて土曜日なのか。せっかく今日は、次女とのデートで街へ出掛けるというのに。

 


次女が、「飲みに行こう」と私を誘ってくれたのは、先週のこと。清水に行ったときだった。私は実家の片付けのために、時折り清水を訪れているのだが、今回は彼女も同行、手伝いをしてくれたのだ。

 

1泊という短期滞在で、古家具7点を市に回収してもらうのがメインのミッション。2階から玄関まで降ろしてくるのが大変だったのだが、夫が頑張ってくれて時間はあまりかからなかった。

 

ただ、家の前で、回収車がバリバリと家具を破壊するのを目の当たりにし、私はちょっとショックを受けたのだった。

 

すごい音がする。
粗大ごみって、こんな風に回収していくんだね、と驚き、ごめんねごめんねと、切ない気持ちで手を合わせた。古くて不要な粗大ごみとは言え、少なからぬ思い出のある家具たちだ。痛々しい光景。すごく罪なことをした気分。

 

・・・まだまだ家の中の半分も処分できていないのに、こんなことで私、この先大丈夫だろうか。

 

そんな覚悟の定まらない母を、娘がなぐさめる。そして、明るい空気を作ってくれる。

 

「お母さん、来週、ワイン飲みに行かない?」

 


次女はひとり暮らし4年目。ちょくちょく帰ってくるし、去年は一緒に軽井沢旅行にも行ったが、巣立った当初に比べると、当然だが会える頻度は落ちている。

 

✻軽井沢の旅の記事はこちら↓

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仕事も忙しくなり、趣味も頑張っている次女。友人との約束も多いようなので、次に会えるのは数か月先かも?と思っていたら、1週間後に飲みに行こうと言う。

 

聞けば、この日は美容院の予約を入れていて、今回はガラリと髪形を変える予定なのだとか。そのイメチェン後の姿を見せたいのと、せっかく街に出るのだから一緒に飲めたらいいな、と思ってくれたようだ。

 

あら、それ楽しそう。新しい髪形も見たいわ♪

 

というわけで、先日の土曜日、久々に夜の街へ繰り出すこととなったわけである。夫は別件の用があったため、本当にふたりきりで。もしかしたら、そういうの初めてかな?

 

もちろん、一緒に買い物した流れでカフェやレストランで食事する、ということは何度もあったけど、夜の街へ飲みに、しかもふたりきりで、というのは初めてじゃないかと思う。

 


当日はあいにくの荒天。そもそも私は、繁華街が好きではない。夏の外出も億劫だ。だから、もしも他の用事での外出なら、きっとなんとか中止や延期の道を探ったことだろう。

 

しかし、次女とふたりでワインバーへ行く、という予定は蹴れないよね。頑張って支度をする。笑

 

不思議なことに、バスに乗る頃には気持ちが華やぎ始めていた。頭痛もおさまっている。待ち合わせの時間まで、ひとりであちこち地下街の店舗を見て回るのも楽しく感じた。

 

現れた次女は、長い髪をバッサリ切って、前下がりのボブに赤のインナーカラーを入れていた。よく似合っている。うん、大人っぽくなったかな。
真っ先に見せてくれて、母は嬉しい(*^^*)

 

彼女に連れて行かれたのは、串揚げとワインのお店。小さな隠れ家のような、居心地の良いところだった。程よく落とされた照明が落ち着く。以前、ワインスクールでできたお友達と来て、気に入ったのだと言う。

 

こういう店に、私を連れてきてくれるのねえ。
あの小さかったあなたが・・・

 

思わず感慨にふける私。

 

そういえば、私が今の次女と同じくらいの年頃のとき、一度だけ母をホテルでの食事に連れ出したことがあった。ステーキを食べよう、と。あの頃は、両親にすごく心配させた直後で、多分、罪滅ぼしのつもりだったのだと思う。

 

ワインに酔った母は、帰り道でベンチに倒れ込み、「ああもう安心したから、これで死んでもいいわ」なんてつぶやいて、私を泣かせた。どれほど心配かけていたのか。ごめんね、お母さん。もう一度くらい、誘ってあげれば良かった。

 

私の長女と次女。ふたりについては、これまで心配したことはあったし、今もいろいろ気掛かりがないわけではないが、危なげな印象はない。どちらかというと、私の方が彼女たちに心配されているような気さえする。
ごめんね、娘たち^^;;

 


美味しいワインとお料理を楽しみながら、その店で3時間くらい過ごしただろうか。

 

他愛のないおしゃべりは仕事のことだったり友人のことだったり、ワインのことだったり。これからどんな暮らしをしていきたいか、なんて夢が膨らむ話が多かった。

 

恋バナがなかったのは、ちょっと残念?でも、恋愛も楽しいとは限らないしね。幸せの必需品でもないからいいのよ。

 

そろそろ帰ろうとした頃に、夫から電話。近くまで来ているらしい。エレベーターを下りると、ちょうどクルマが止まった。すごいタイミング!

 

どうしても、次女に会いたかったんだね。ビルの明るい看板の前で、ひとしきり彼女の髪形を褒めて、夫は私たちをクルマに乗せ、次女を彼女のマンションまで送ってくれた。

 

店はなんと、大昔の私の職場の近所だった

 

離れ離れに暮らしていても、なかなかの仲良し家族ではないか。私は温かい感情に満たされた。

 


昔は仲間や友人とよく飲み歩いた街。本当にしょっちゅう遊んでいたなあ。今は、もう私、あまり誰かと飲みに行きたいとは思わなくなってしまった。

 

面倒になったのかもしれない。行動制限の3年間もあったし、私たちには遠距離介護もあったしね。仕方ない。時は移ろっていくのだ。

 

次女と別れての帰り道を、夫の運転で走る。夜の街中をドライブするのも久しぶりだった。

 

綺麗。こんな景色だっけ?
あれれ、ちょっと、気分がいい。ほろ酔いだからかな?

 

敬遠していた夏が、街が、うっかり油断して親し気な表情を私に見せてくれたような、そんな気がした夜だった。

 

 

雨の夜の街は綺麗に見える

 

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どうしてこんなに小鳥に惹かれるんだろう

 

マンションの1階に巣をかけているツバメ一家を、私は「うちのツバメたち」と呼んでいる。3階の我が家の窓の前に、彼らが羽を休める電線があり、もうすっかり顔なじみになっているからだ。

 

今年は春の訪れが早かった。そのせいなのかはわからないが、この春、うちのツバメが帰ってきたのは3月。手帳を見ると3月15日だった。いつもより、ずいぶん早い印象だったのを覚えている。私をじっと、見ていたんだよね。

 

慌ててガラス越しに撮った今年初見のツバメ

 

4月の巣作り、5月の子育て期を見守ってきた。複雑で楽し気なさえずりが聞こえてくるとベランダに出て、電線の彼らについ声を掛けてしまう私。それでも逃げてしまうことはほとんどなく、のんびり羽繕いなどしている。

 

6月には、巣立った幼鳥たちも電線にとまって、可愛い顔を見せてくれた。飛び方はまだまだ危なっかしい。気になって、私の観察時間はどんどん長くなっていった。

 

ムクドリも子育て期。
6月に入った頃だったか。ムクの幼鳥が1羽、電柱の狭い金具部分にとまっていて、大きな声で鳴いていた。様子がおかしいと思って見ていると、近くにカラスがいる。早く親鳥が来て追い払ってくれたらいいのに、と私はやきもきしていた。

 

すると次の瞬間、なんとツバメが2羽飛んできて、すごい勢いでカラスに攻撃を仕掛け始めた。飛び立つカラス。追い回すツバメ。ムクの幼鳥は逃げることができた。

 

もちろん、ツバメは自分の子を守るためにカラスを追い払ったのだろう。けれども私には、よその子も助けようとする素敵でカッコいいお父さんとお母さんに見えた。すごく勇ましい。あんなに小さな体なのに。

 


6月も半ばとなり、ツバメの子どもたちも大きくなった。まもなく子育て期も終わるのだろう。ツバメは、秋に越冬のため東南アジアへ渡るが、その前に、池や河川敷などのヨシ原に集団で「ねぐら」を作り、そこでしばらくみんなで暮らす。

 

今年は飛来も早かったから、去っていく時期も早いのだろうか。それとも、もう1回、子育てをするのかな?(ツバメは一夫一妻で年に1~2回繁殖をするそう)

 

先日、マンションの外廊下を歩いていた夫の目の前に、ツバメが飛んできたそうだ。自分から近づいてくるなんて、まるでお別れの挨拶に来たみたいだね、などと笑っていた。その翌日になって、私はその日ツバメの姿を全く見てないことに気づき、本当にそうだったんだろうか、と寂しくなった。

 

ところが、次の日の朝、今度はベランダにいた私のすぐそばまで1羽のツバメが飛んできて、目の前をかすめて去って行った。そしてそのまた翌日には、「ツバメ、もう行っちゃったのかな」とつぶやくと、どこからともなく飛んできて、窓の前の電線にとまってくれた。こちらを見ている!

 

もうね。
全てが偶然だとは思うのだけど、多分、いや、間違いなく、偶然なのだろうけど・・・
私は「うちのツバメ」に思い入れが強いから、気持ちが通じ合っている気がしてならないのだ。

 

梅雨入りしてから、私は体調が崩れがちで、気が滅入る日が多かった。頑張りたいのに頑張れず、ため息をついている。そんなときに限って、ツバメの可愛いさえずりが聞こえてきたのだった。

 

ここ数日は梅雨の中休み。今度は蒸し暑くてかなわない。でも、今日は久しぶりにどこも痛くなく、体は軽く、元気だ。だからこうして、ブログも書こうという気になっている。笑

 

重苦しい気分が明けて、心に爽やかな風が通ったとき、私は誰にともなく「ありがとう」と言いたくなる。家族や友人はもちろんのこと、いろいろなものに支えてもらっていたことを思い出す。その中のひとつが「うちのツバメ」であったことは、間違いない。

 

ツバメたちが身近に姿を見せてくれる残り少ない日々を、大切にしよう。

 


ツバメに限らず、私は小鳥が子どもの頃から好きだった。ただ、昔は普通に好きだったのが、ここ数年でどんどん「好き」が深まっているのを自覚している。

 

小鳥の絵やモチーフにすぐ反応する。小さなオブジェでも、写真を撮っておきたくなる。(冒頭の写真は、隣町のガーデンカフェで撮ったもの)

 

どうしてこんなに、小鳥に惹かれるのだろう。文鳥やインコを飼っていた時期もあったけれど、あの頃の気持ちとは違うようなのだ。

 

よくわからないけど、見つけると幸せな気持ちになる、という感じ。捕まえて飼いたい、なんて微塵も思わない(それは犯罪だし)けど、もしも私が山小屋に住んでいたら、庭に巣箱くらいはかけるだろうなあ。

 

山小屋ではないけれど、標高の高い、森に近いお宅で、ヤマガラ一家との日常を撮った動画があって、私はたまに拝見している。可愛らしいヤマガラちゃんが手に乗ってくるほどになついていて、本当にとても羨ましい。笑

 

そう、YouTubeのおかげで、ずいぶん野鳥の名前も覚えた。
シジュウカラやジョウビタキはよく見かけるお気に入りの小鳥で、以前から知っていたけど、映像でアップで見られるのは、また別の喜びがある。

 

キビタキには一度だけ遭遇したことがあり、なんて美しいのかと心が震えたっけ。ルリビタキは憧れの小鳥のひとつ。動画で見せてもらえるなんて、いい時代だね♪

 

以前、日本野鳥の会に野鳥保護活動の寄付を少しばかりしてから、会報誌が何回か送られてきた。ちゃんとは読んでいないけど、それなりに関心も深まるきっかけとなった。野鳥の世界が少し、身近になった気もする。

 

知識が増えてくると、実際にこの目で見てみたくなる。一度は会ってみたい、と思う野鳥もどんどん増えてくる。

 

アカショウビン、オオルリ、ヤマガラ、コマドリ、エナガ、ミソサザイ・・・

 

まだ、近所の公園か、せいぜい旅先で小鳥の姿を探してみる程度の私は、野鳥観察が趣味だとはとても言えない。でも、そろそろちゃんとバードウォッチングをしたいなあ。双眼鏡を手に、森へ行きたい。山道だって、歩きたい。

 

そのためにも、元気でいなくてはね。

 

暑い季節は苦手な私。情けないけど、きっと、これからどんどん引きこもりがちになるだろう。それでも元気でいるために、ストレッチと軽い筋トレを続けている。

 

今日も「うちのツバメ」に励まされて。

 

 

近所の森でコゲラを見た日に乗ったカリテコの赤いミニ



 

 

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風情ある石畳の横丁に迷い込むー東京・神楽坂

神楽坂の画像


知らない町を歩くのは面白い。
ただ歩いているだけでも面白いが、気になった脇道に入ってみるのはさらにワクワクする。

 

こういう、脇に入った細道のことを路地と言い、もっと奥に入り込んだ場所を路地裏と呼ぶらしい。横丁とは、路地が主に民家の間にある小道なのに対し、飲み屋さんなど店舗が並んでいる小道に使われる呼び方のようだ。

 

細い路地や横丁があると、つい足を踏み入れたくなってしまうのは、私、昔から。迷子になるかもしれないという思いは、不安よりも期待の方が大きかったりする。

 

鎌倉でも京都でも飛騨高山でも、近場では有松でも、ふと気が向いて横道に入り込んだ。そしてそこで見た景色が、有名観光スポットよりも記憶に刻まれているのは、単に私がアマノジャクだからだろうか。

 

そう、これまでは、ふと裏路地や横丁に入り込んでいたのだった。しかし、今回は違った。その横丁に迷い込んでみたくて、行く先を選んだのだ。

 


横浜の異国情緒あふれるローズガーデンや、キラキラした夜景を見た後で、夫と私は東京に移動した。

 

✻前回の記事です↓

tsukikana.hatenablog.com

 

短い旅の最終日、時間はほんの少ししかない。今度東京へ行ったら、あそこにも行きたい、ここにも行きたいと、きりがないほど候補を挙げていたのだけど、いくつかに絞らなくてはならなかった。

 

そのひとつが、ここ。
まだ訪れたことのない町。迷路のように入り組んだ路地空間、情緒豊かな横丁があると聞く町。
神楽坂は、どうしても一度、歩いてみたかった。

 

JR飯田橋駅に降り立ち、神楽坂下からメインストリートを上る。平日なのに、かなりの人通りだ。早く路地に迷い込みたい私。笑

 

まずは、有名な芸者小道(小路)を目指す。小道なのに有名って、考えたら面白いね。ただ、熱海湯階段、熱海坂など別名もいろいろあるらしい。正式名称でないところがまた、謎めいていていいな。

 

芸者小道は、見番横丁と小栗通りを結ぶ、細く短い坂道で、そのほとんどが階段だった。表通りの賑わいとはガラリ変わって、ひっそりと静かな佇まい。

 

階段を下った先に「熱海湯」という銭湯があり、ここでお座敷に出る前の芸者さんがお湯を使ったことから名付けられた小道らしい。

 

この階段を上り下りする芸者さんたちを想像してみる。いろいろな物語があったんだろうな。新緑が爽やかな5月の日中には、あまり似合わない想像かも?

 

神楽坂の画像

芸者小道

 

階段上の見番横丁は、芸者衆の手配や稽古を行う「見番」が沿道にあることから名付けられたとのことだが、芸者を取りまとめる事務所や三味線の稽古場が今もあるのだそう。お洒落なレストランも目立つ住宅街の雰囲気だけど、ここで誇りを持って花街の粋を今に伝えているのだろう。

 

神楽坂の画像

見番横丁

 

かくれんぼ横丁という、可愛らしい名前の道があると聞いていて、是非そこも歩いてみたかった。何故、かくれんぼ?

 

どうやら、お忍びで遊びに来た要人を後ろからつけてきたのに、ひょいと横に入られると行方がわからなくなってしまった、ということで名付けられたらしい。

 

純和風の高級料亭などが軒を連ねる昔ながらの花街の風情。どんな人が“お忍びで”遊びに来たんだろう。その人をつけてきた人とは、どんな関係だったのか?黒板塀は知っている?空想は果てしなく増幅する。笑

 

それから、神楽坂界隈で最も古い道(鎌倉時代からの鎌倉古道)という、兵庫横丁へ。兵庫とは兵器庫のこと。かつて(戦国時代)は武器商人の町だったのだ。

 

狭い路地だが、古い石畳の風情がなんとも美しい。冒頭の写真はここ。小説家や映画監督などに愛され執筆の場所となった旅館、和可菜も兵庫横丁にある。料亭や古民家リノベの和食店、イタリアンなどもあり、どこも素敵。グルメ目的で行っても期待以上のスポットだと思う。

 

神楽坂の画像

兵庫横丁の和可菜さん

 

神楽坂界隈は、坂が多い。武蔵野台地の端部に位置していて、起伏に富む地形なのだという。それで、こういう立体的な路地が作られたのだろう。

 

入り組んで先を見通せない路地。私は昼間に歩いたから、迷子にならずに済んだけど、もしも夜だったら?

 

ちょっと神秘的な雰囲気は、神楽坂特有のものなのだろう。料亭や旅館の軒先の行灯に火が灯れば、そこはかなり怪しくミステリアスな通りになるに違いない。なんて素敵な!

 

神楽坂。
もしも夜に歩いていたら、この日のうちに帰れなくなったかもね。それほど、誘惑されるお店が多すぎた。

 

お高そうなレストランも惹かれるけど、庶民的なビストロやお食事処も素敵。古民家リノベどころか、古アパートリノベのお店も多く、それぞれ個性的だ。こんな所に?という場所にも、気になってしまう飲み屋さんがある。まさに隠れ家。ゆったりバーでグラスを傾けたりしたら、時がたつのも忘れそう。

 

それから・・・
この町は、プチ・パリという呼び方もされると聞いた。


近くにフランス語インターナショナルスクールの東京国際フランス学園や、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)というフランス文化の発信拠点がある。そのためフレンチカフェやレストランが点在し、フランス人の往来も多い。そして古い石畳、坂の途中の小さな階段がパリの街並みに似ていることも、そう呼ばれる由来のひとつらしい。

 

料亭、旅館、花柳界、花街。そんな和のイメージが強かった神楽坂だけど、歩いてみるとフランスを筆頭にインターナショナルの色合いも濃いことに気づく。

 

ああ、やはり、東京。そんじょそこらの横丁のある町とは違うのね。なーんて、なんだかちょっと癪な気もするなー。笑

 


さて。神楽坂を駆け足で楽しんだ後、夫と私はそのまま早稲田まで歩いた。東京さくらトラム(都電荒川線)に乗ることも、東京でやってみたいことのひとつだったのだ。

 

途中、早稲田大学のシンボル的存在の名建築、大隈講堂の前を通る。大学の創設者、大隈重信へのリスペクトから1927年に建設された、ゴシックとロマネスクが入り混ざった折衷主義建築。国の重要文化財だ。

 

時計塔のある外観を、しばし眺める。すーっと直線的だけど威圧感はさほどなく、王冠をかぶった優しい王様、という印象。どこか親しみやすささえ感じた。

 

夫がキャンパスにどんどん入って行きそうなので、ちょっとちょっと、と袖をつかむ。その辺までなら大丈夫だよ、と彼。いやいや、この違和感、というか場違い感といったら。学生さん、ごめんなさい。笑

 

なるほど、これが早稲田大学。初めて来た。

 

早大大隈講堂の画像

早稲田大学大隈講堂

 

 

そして。早稲田駅から乗った東京さくらトラムは、昔、乗ったことがあるようなないような。とてもうろ覚えな路面電車だ。

 

小さな可愛い電車が民家の軒先をかすめるようにして走る、と聞いた。どの辺りなんだろう。そういうの、好きなのだ。ちょっとノスタルジックで映画っぽくて。そう、江ノ電も大好き。

 

細ーい電車が早稲田の駅に入ってきたときは、おお!と声が出てしまった。なんとコンパクトな電車。1両編成ということもあり、バスみたいに見えてしまう。

 

狭い車両はすぐに満員になった。こんなに交通機関の発達した東京でも、しっかり都民の足として利用されているらしい。一乗車につき170円という安さも素敵だね。

 

あまり時間がないので、大塚駅で下車。ここでJRに乗り換えるのだ。でも、大塚の駅前の広場で、ちょっと足が止まる。薔薇が、見事だった。

 

さくらトラム沿線には、いくつかの薔薇のきれいなスポットがあるそうで、大塚駅から向原駅までの線路沿いもそのひとつ。本当は荒川の方まで乗って行きたかったけど、ここで薔薇が見られたので、今回はよしとしよう!

 

さくらトラムの画像

さくらトラムと薔薇

 

 

横浜、そして東京。こんなふうに短い旅を楽しんだ私たち夫婦。最後は月島でもんじゃ焼きをいただき、帰路についた。

 

3日間、毎日約2万歩を歩き、さすがに疲れた。足がもう、大変。笑

 

楽しかったけれど、今度はもっと、ゆっくり旅をしたい。ひとつの場所にじっくり時間をかけるように計画しなくては、とつくづく思う私だった。からだがしんどくても、つい欲張って頑張ってしまう、悪い癖だ。

 

付き合って歩かされた夫も気の毒に。行先もほぼ私の趣味で決めさせてもらったし。彼には彼の、行ってみたい場所があったはずなのにね。妻がワガママで申し訳ない。

 

5月は私たちの結婚記念日のある月。今回の旅は、34回目の記念日をお祝いするためでもあった。いろいろあったけど、34年。感慨深い。35回目もどうかありますように!笑
(ワガママでフラれないように気をつけなくては)

 


それにしても、5月ももう後半。
今年も薔薇をたっぷり見られたのは嬉しかったが、なんだかちょっと寂しい。

 

私はこれまで、5月は美しく完璧な月だとずっと信じてきた。でもここ数年、天気や気温の変動が激しくなってきて、驚くことが多い。真夏のようになったり、何か月も季節を逆戻りしたかのようになったり、とても疲れるのだ。今年も「これぞ5月!」と呼べるようなパーフェクトな日は、少なかった気がする。それが、寂しい。

 

それでもやはり、5月が一番好きだ。「らしさ」を求めて天気予報に一喜一憂してるけど、そんなの逆にもったいないよね。

 

あまり予定を詰め込みすぎず、体調管理をしっかりして、元気に機嫌よく過ごしたい。毎日を大切に、愛おしんで生きていこう。風薫る5月も、そうでない5月も。他の月も。

 

 

トルコタイルの壁

早大近くにあったトルコ料理店の壁タイル

 

✻旅から帰ってもう10日以上になりますが、前回の記事の続きを書きました。慌しかったけど、深く思い出に残る旅になったと思います(*^^*)
天候が不安定だったり、各地で地震も頻発してたり、なんとなく不穏ですね。皆様、どうぞご安全に。どうぞお健やかでありますように・・・。

 

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薔薇と新緑の“ミナトヨコハマ”へ

 

毎年5月はローズガーデンへ出向き、薔薇で心を満たすという幸せをいただく、と決めている私。いつもは、ゴールデンウィーク近くになってから、さあ、今年はどこのガーデンへ行こう?と考え始めるのだが、今年は違った。

 

今年は、
横浜。

 

私は現在、東海地方に暮らしていて、ありがたいことに近場にも素敵なガーデンはいろいろある。けれど、今年はさまざまな思いから、ローズガーデンは横浜に行くと決めていた。いや、ガーデン云々よりも先に、まず横浜ありき、だったかな。

 

実はここ数年、横浜、それも「港の見える丘公園」を何十年ぶりかで訪れたいと、ずっと願っていて。そんな中、去年、ある方のブログ記事を拝見し、行くなら薔薇の季節にしようと決めた、というのが正しい。あかねさん、素敵な記事をありがとうございます(*^^*)

 

✻きっかけをいただいたあかねさんの記事

akane2020.hatenablog.com

 


今週、ゴールデンウィークをちょっと外して、2泊で夫と小旅行をしてきた。

 

さまざまなメディアを通して横浜の変容は知っていたつもりだったが、桜木町のホテルの部屋に入った途端、大きな窓いっぱいに広がる横浜港と「みなとみらい21」の絶景が目に飛び込み、言葉を失った。これは、私の知らない“ミナトヨコハマ”だ。

 

夕方、桜木町駅前から「YOKOHAMA AIR CABIN」というロープウェイに乗って、横浜ワールドポーターズ前の運河パークへ渡った。

 

赤レンガ倉庫のあたりを歩いてみる。整備された道や公園の暮れていく様子が、とても美しかった。

 

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夕暮れの光線が芝生に差し込む

 

もちろん、大観覧車にも乗る。そりゃあ、乗りますよ。笑
夕暮れの景色は徐々に夜景へと変化していき、全方向、どこを見てもキラキラと輝きだす。綺麗だなあと、ため息が出てしまう。

 

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見るのも乗るのも大好物な観覧車

 

さっき乗ったエアキャビンが、まるで蛍のように淡い灯りをともしながら、ゆっくりと空中を動いていて、なんだか可愛い。汽車道を歩いて帰る間も、つい何度も写真を撮ってしまった。笑

 

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近未来的な印象を受けたエアキャビン

 

 

さて、翌朝。
この日は薔薇に会いに行くと決めていた。お天気が心配だったのだけど、幸いピカピカの晴天だった。

 

まずは「港の見える丘公園」を目指す。東京に住んでいた20代の頃は、休みの日によく散歩に来ていた懐かしい公園。今回の短い旅の、一番の目的地である。

 

どういうルートでそこへ行くかギリギリまで迷ったが、結局いろいろあって、みなとみらい線で馬車道駅から元町・中華街駅まで行き、元町商店街を少し歩いて、途中で汐汲坂を登りフェリス女学院のある交差点を左折、山手本通りをゆっくり散策しながら向かうことになった。

 

山手の町並みは、私の記憶にあるそれとほとんど変わっていなくて、なんとなくホッとした。

 

ベーリック・ホールに寄り道。イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計で1930年に建築された西洋館。無料で公開されている。

 

新緑の庭から自然光が差し込み、よく手入れされた寝室や子ども部屋に居心地の良さを感じた。建築にも、家具調度品にも、時代を感じる多彩な装飾が施されていて目を奪われる。往時を想像しながらの館内見学は心が弾んだ。

 

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ベーリック・ホール

 

 

再び歩き始める。元町公園の緑が眩しい。懐かしいティールーム、えの木ていに差し掛かるあたりから、道行く人が増えてきたことに気づく。

 

yokohama

えの木てい

 

連休あけとはいえ、こんなに素敵な場所なのだから観光客が多いのは仕方ないか。ましてや、今は「横浜ローズウィーク2023」(6月11日まで)という、市をあげてのお祭りの真っ最中なのだから。

 

gardennecklace.city.yokohama.lg.jp

 


目的地の「港の見える丘公園」に到着したのは、11時頃。薔薇は朝によく香るので、もっと早く来れたら良かったのだけど、いろいろあって、この時間に。

 

それでも、5月の陽光をいっぱいに浴びて、薔薇たちは光り輝いて迎えてくれた。なんという彩り豊かな薔薇の庭園。港や洋館を背景にできたり、起伏や曲線の小径があったり、この公園ならではの立地を活かした夢のある演出がされていて、本当に素晴らしい。

 

どこを切り撮っても絵になるのだが、ただ、どうやっても人が映り込んでしまう。来ている人ほぼ全員がカメラマンでもあるから、みんなが残念に思っていることだろうけど。しかし、GW外してもこれなら、大型連休中は、いったいどんな状況だったのだろうか。

 

見渡してみると、わりと年配の方が多い気がする。ご夫婦連れや、女性グループが目立つ。母と娘だろうな、と思われるふたり連れもちらほら。ツアーで大勢でいらしたんだろうな、という人たちもいた。みんな、笑顔がとてもいい(*^^*)

 

さて。
薔薇は香り重視の私。もちろん、クンクンした。この薔薇園には「イングリッシュローズの庭」「バラとカスケードの庭」とともに「香りの庭」(沈床花壇)がある。その辺りを歩いているだけで薔薇の香りに包まれ、ハッピーな気持ちになるのだった。深呼吸をせずにはいられない。

 

いつか、自宅で薔薇を育てることになったら、必ず好きな香りのする品種を選ぼうと、決意を新たにした。

 

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瑞々しい薔薇たち

 

 

ところで、港の見える丘公園では、約330種、約2200株の薔薇を観賞できるとのこと。これは、例えば私が過去に何度か訪れた「ぎふワールド・ローズガーデン」の約6000種、約2万株の薔薇と比較すれば、確かにそれほどの規模ではないとも言える。

 

ただ、広大なガーデンは、歩くだけで本当に大変だ。全てを堪能するためには、多分、一日がかりになるだろう。丘公園くらいの規模をゆっくり歩いて薔薇を楽しみ、他の観光名所も併せて横浜での思い出を深いものにしていく、というのも、とても素敵な方法だと思う。そのときどきの気分に合わせて、ローズガーデンを選びたい。

 

この日、夕方訪れた山下公園の薔薇の花壇群も素晴らしかった。港を感じながら、たくさんの薔薇をたっぷり楽しめるお散歩。なんて贅沢なんだろう。しかもこれ、無料なのだ。

 

港の見える丘公園もそうだけど、薔薇って手入れも大変だろうに、無料でこれほど整備されたローズガーデンを見せてくれるなんて、横浜はすごいな!と、妙なところにも感動している私だった。

 

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山下公園の薔薇園

 

 

この後、大さん橋まで歩き、帰りは観光スポット周遊バス「あかいくつ」に乗って、ちょっとだけ遠回りをしながら横浜港を楽しみ、桜木町に戻った私たち。ここでも、市営交通でこのサービスは素敵♡と盛り上がったのだった。

 

翌日は東京散策をして帰路につく予定。部屋に戻って「東京も楽しみだね」と言いながら、窓の外の夜景を、特にカラフルな観覧車を、いつまでも見ていたかった私である。この町が好きで、なごりおしくて。

 

多分、遠からぬ未来、私は再び横浜を訪れるだろう。間違いない♪

 

 

yokohama

好きな雰囲気(大さん橋入り口あたり)

 

✻この翌日の東京散策も、ちょっと面白かったのですよ。毎日2万歩ペースで歩き、足も腰も今、悲鳴を上げているうえ、これからちょっと忙しくなりそうで、続きがいつ書けるかわからないのですが、余力があれば後日、東京編も書き残しておきたいと思っています。
それにしても、年々衰える我が体力には閉口します。自愛でいくか、ハッパかけていくか、いつも迷うのです。笑

 

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小さなポピーの思い出

 

道端に、淡いオレンジ色の花をよく見かけるようになった。
ひなげしの一種の、ナガミヒナゲシ。

 

毎年、この花を見つけるたびに、あの春の日を思い出す。次女が小学校に入学したばかりの、あの頃。

 

黄色い帽子に真新しいランドセルの1年生たちは、学校が終わると、途中まで引率の先生に連れられて集団で帰ってくる。最初のうちは、解散場所まで保護者が迎えに行っていたが、やがて自分たちだけで家まで帰るようになった。

 

大丈夫かな。ちょっと心配しながら家で待っていた私。大きな声で「ただいまー」と帰ってきた次女は、「ママ、これ、どうぞ」」と、小さなポピーを数本、差し出してくれた。それが、ナガミヒナゲシだった。

 

それから数日の間、次女はこの花を道端で摘んでは持ち帰ってきてくれたと思う。その姿を見たわけではないが、黄色い帽子のヒヨコのような1年生が、道端にしゃがんで花を摘む様子が、私にはありありと目に浮かんだ。新しい環境に少しずつ慣れてきて、だんだん自信もついてきた顔が、そよ風にふかれて輝いている。

 

小さなポピーはしかし、とても弱々しく、花びらが1枚か2枚しか残っていない状態になりがちだった。「あれー?」という顔で花を見て、不本意ながらといった表情で私に渡す次女。ナガミヒナゲシの思い出は、この次女の残念そうな顔までがセットである。

 


花を摘む、という行為は楽しい。もちろん、たとえ道端といえども、誰かが観賞用に植えた花を摘むわけにはいかないが、いわゆる雑草と呼ばれるような、この花なら摘んでも大丈夫というものを、子どもでもちゃんと選ぶから面白い。

 

摘んで大丈夫な花でも、そっと手折らせてもらうとき、ふと「ごめんね」という言葉が伴ってしまうのは、命を勝手にさせてもらう罪悪感か。それなのに、小さなときめきを感じながら花を摘む。人はなぜ、花を摘みたくなってしまうのだろう。

 

 ※ナガミヒナゲシはアルカロイド性の有害物質を持っているとのこと。素手で茎を触らない方が良いようです。そして、姿は可憐で弱々しくても、繁殖力の強い外来種なのだそうです。知りませんでした。気を付けましょう。

 


散歩道の花壇でも、よそのお宅のお庭でも、色とりどりの花たちを目にする季節になった。少しくらい気持ちが落ち込んでいても、綺麗な花々を見ると元気が出てくる。何があったというわけでもないのに、嬉しい気分になったりする。

 

そうか。だから人は花を贈るのか。好きな人に、元気を出してもらいたくて、嬉しくなってもらいたくて。

 

ああ、今更、何を言ってるのだろう。当たり前のことにやっと気づいて、ちょっとじんわり温かい気持ちになってる私って、間が抜けてる。

 

あの日、私のために小さなポピーを摘んできてくれた1年生は、一昨日29歳になった。

 

彼女がひとり暮らしを始めてから3年と4か月。今は、仕事と趣味に大忙しの毎日である。

 

それでも時々は家に帰ってくる。先日も一緒に買い物をし食事をした。そんな日々にもいつのまにか馴染み、当時感じた寂しさも、いつしか淡く穏やかな色になっている。

 

✻次女がひとり暮らしを始めたときの記事です↓

tsukikana.hatenablog.com

 


子どもは大人になる。自分の人生を歩む。少しずつ、家族の形は変わっていくし、コミュニケーションの取り方も変わっていく。当たり前のことなのだ。寂しさが淡くなったとしても、愛情が薄れたわけではない。

 

私もなんとか、上手に子離れできたようだ。笑

 


ベランダのブルーベリーが花をつけた。いつも思うのだが、これ、散歩道で見かけるドウダンツツジの花とよく似ているなあ。

 

スズランとか、スノーフレークとかもそうだけど、こういうパフスリーブ型の白い小花って、本当に可愛いらしい。カラフルなお花たちとは、また違う美しさがあり見飽きない。

 

ブルーベリーの花とドウダンツツジの花の画像

左がブルーベリーで右がドウダンツツジ

 

ふと顔を上げれば、桜の若葉が瑞々しく輝いている。そうだよね、花たちに負けず劣らず、新緑も美しい。小鳥たちも素敵なさえずりを聞かせてくれる。

 

季節は、人の気持ちに頓着なく流れていき、人もまたそれを受けいれて生きていくしかない。そうしていくつもの春を、夏を、秋を、冬を受けいれて、私もいつかはこの世界から旅立っていくんだなあと、これまた当たり前のことに思い至り、ふぅとひとつ、息をつく。やっぱり少し、間抜けかな。

 

美しいばかりではないこの世界だけど、生きている間は、美しいものをたくさん見ておきたい。美しいものを美しいと、ちゃんと感じられる自分でありたい。目に映るものも、人の心もね。

 


29歳の次女と、同じ日に生まれた初孫(長女の長女)は、6歳になった。来年の春には1年生だ。誕生日が同じということもあり、次女の姿と重なるこの孫娘。

 

どんな小学生になり、どんな人生を歩んでいくのかな。

 

祖父母である夫と私は、少し距離をおいて、彼女の成長を見守っていきたい。
どうか健やかに、と祈らずにいられない。

 

 

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駆け足の春に思うこと

 

今年の桜は早かった。そんなに急がなくても、というくらい早くから咲き始めた。

 

数回のお花見散歩をしたが、3月下旬でも汗ばむような陽気。「花冷え」という言葉を、使う機会のない年だった。

 

そういえば、今年初めてツバメを見たのは、3月15日。我が家の前の電線にとまってこちらを見ているのを、夫が発見した。

 

あまりに早い時期なので、越冬ツバメか?と最初は思ったが、なんとなくボサボサで、気のせいかお疲れ気味にも見える。いかにも旅をして来た、という感じだ。

 

今年もこのマンションの1階に、巣をかけてくれるのかな?
お帰りなさい、と声を掛けたくなる。

 


寒の戻りもあまり感じないまま、季節はどんどん進んでる。少し、怖いくらいに。今年の夏は、早い時期から猛暑になる可能性も高いらしい。ああ、恐ろしい。

 

怖がっているだけでなく、暑くなる前にいろいろやっておきたいことがあるのだけど間に合うかな、とちょっと焦る自分もいる。いつもはゴールデンウィークの頃にするエアコンの手入れや、網戸掃除を早々に済ませた。すでにハエが飛んでいるし、なんと私、もう蚊に刺されたのだ!

 

まだ先でいいとのんびり構えていたけど、モンステラの剪定&植え替えも、早めに準備した方が良さそうだ。今度、清水(実家)に行ったらG対策もしておかなくちゃ。そんな細かいことがいっぱい、頭の中のToDoリストに書き込まれはじめた。
夏が来る前に、夏が来る前に・・・

 

いわゆる春らしい春、秋らしい秋が、年々短くなってきているよね。
でも、焦ってもしょうがない。

 

もう咲き始めているツツジやハナミズキの可愛らしい花を見つけ、そう思った。前倒しで訪れている、百花繚乱の美しい季節を喜んで迎えることにしよう。

 


子育ても終わって久しい。夫も私も、すでに両親ともを見送った。冷静に考えれば、何をそんなに忙しがることがある?とも思うのだけどね。そういうことではなくて。

 

いくつになったって、学びたいことはあるし、挑戦したいこともある。見てみたいこと、経験しておきたいことも。

 

年齢選択のプルダウンで60歳以上を選ぶ違和感にも、だいぶ耐性がついてきたことに気づく今日この頃。自分の老いを肯定することと、やりたいことを諦めることとは、真逆の関係であるのだ、とも気づく。

 

もちろん、やりたいことの内容にもよるけれど、今の私ならまだ間に合うんじゃないかな、と思われることなら臆せずトライしてみたい。気力、体力のあるうちに。

 

そんなわけで、胸に生まれたいくつかの小さな夢の卵を、今、大事に温めている。それはまだもろくて繊細で壊れやすいので、注意深く扱わなくてはならない。これまでの人生で、いったいいくつの卵をだめにしてしまったことか。苦い経験を積んできたOver60は、もうこの失敗は繰り返さない。笑

 

深呼吸して。
ゆっくり深呼吸して。

 

駆け足の春においていかれることを恐れていないで、自分のペースを大事にしたい。ToDoリストを吟味して、優先順位をつけ整理し、焦らずに穏やかに片付けて、私の卵を守ろう。

 

もうすぐ、大好きな薔薇も咲き始めるだろう。今年は、旅先で薔薇を楽しむという計画も立てた。まだひと月以上先なのに、小さい子みたいに楽しみにしている私。
・・・良かったね。新しい靴も買ったしね。笑

 

自分を愛したいな。人間を愛したいな。人生を愛したいな!

 

 

靴も早く旅立ちたがっているみたい


*高橋幸宏さんに続いて坂本龍一さんも逝ってしまわれました。70歳とか71歳とかいう年齢で…
素晴らしい功績を残され、素敵な宝物を残してくださったけれど、まだまだやりたいことは山ほどあったのでしょうね。
20代の頃は私、60代も70代も80代も、みんな同じようなおじいさんおばあさんに感じていました。戻って、頭をひとつ、コツンとしたいです。雑に一緒くたにするな、と。

訃報を聞いてしんみりして。「我々もあと10年くらいかもしれないね」なんて夫がポツリと言うものだから、いろいろな思いが去来しました。
「人生は短いのだから不幸でいる暇なんてない」
という、ターシャ・テューダーさんの言葉が思い出されます。

 

tsukikana.hatenablog.com

 

忙し(がり)すぎて心が迷子になっていないか、いつも自分に問いかけていきたいと、改めて思いました。

坂本龍一さん。ご冥福をお祈りします。

 

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寂しくもあり、あたたかくもありー実家の片付け進行中

 

清水から帰ってきたら、ニオイスミレが咲いていた。

 

冬枯れの景色だったベランダに、そこだけ色が付いたようだった。ほのかな甘い香りも春の訪れを告げている。

 

律儀だなあ。
ほったらかしだったのに、ちゃんと今年も花を咲かせてくれて、嬉しいような申し訳ないような気分になる。疲れが、ゆっくり癒えてゆく。

 


清水には、今回は4日間滞在した。12月に2泊で行ったときは、銀行さんに行ったり業者さんを迎え入れたりするのがメインで小さな作業しかできなかったが、1月下旬に弟夫婦が5日間片付けに入ってくれ、おかげで整理もかなり進んだように感じる。

 

✻昨年暮れの清水行きを書いた記事はこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 

それでもまだまだ、やることは残っている。どうしていいのやら、迷っていることもたくさんある。遠くにある実家の片付け・・・いやあ、手ごわいわ。

 


毎回出るごみの量もすごいのだ。
静岡市清水区の可燃ごみ収集日は、週に2日。これに合わせて日程を組みたいのだが、必ずしもそうはいかない。出せなかった分は、帰りがクルマの場合、大抵はトランクに詰め込んで自分の家に4、5袋は持ち帰ることになる。

 

不燃ごみと粗大ごみは月に1回、決められた日に出せるが、1週間前までに回収の予約が必要だ。袋いくつとか、家具などはサイズも伝えておかなくてはならないし、個数制限もある。なので、これまで不燃ごみは自宅に持ち帰っている。粗大ごみについては、これから考えなくてはならない。

 

ペットボトルや缶、段ボールや新聞紙や雑誌、雑紙(ざつがみ)、本は、回収ステーションに運んで処分させてもらっている。ビンは持ち帰る。ビン、缶、ペットなどの収集日もあるのだが、月に1度しかなく、滞在の日程に重なることは稀だと言えるので。

 

回収ステーションでは服は扱っていないらしい。母のときは、父に頼まれて私が持ち帰ったり可燃ごみに出したりしたっけ。古かったり染みが付いてたりするものは、リサイクルショップに持って行きづらくて。父の服は、1月に来た弟夫婦が、彼らの地元で処分してくれた。

 

しまい込まれていた父母の衣類の多さには、弟夫婦も私たち夫婦もほとほと呆れた。若い頃からのものが、ほとんど捨てられていない。物が捨てられない世代とはよく聞くけれど、ここまでとは。

 

あまりにも古いものや下着類は迷わず捨てられたけど、「これ、気に入ってよく着ていたなあ」と懐かしく思うものや、状態の良い上質の衣類、大切にしていたであろう綺麗なデザインのものなどは、処分の手が止まり、心が揺れた。特に母の洋服。まだまだ断捨離が進まず、かなり残っているのが実情だ。

 

今回は、そんな服の中から2点、服地を切り抜いて「くるみボタン」を作った。母のお気に入りだったコートと、プリーツが美しいブラウス。

 


くるみボタン。実は、11月に清水に行ったとき、父の愛用のベストからも作っている。十数年前に、私が誕生日プレゼントとして贈ったものだが、ポケットがたくさんついていて便利だし、色や形が気に入っていると言って、ボロボロになっても毎年着てくれていたのだった。

 

あちこち擦り切れているし、洗っても落ちない汚れが染みついている。もう捨てたら?と何度父に言ったことか。弟もブランドを調べて買い直そうとしてくれたらしいが、当然だろう、既に製造されていない。

 

父の遺影は、去年、心臓のペースメーカーのバッテリー交換手術の前々夜、私がスマホで撮ったものを使用したのだが、このときもそのベストを着ている。

 

この写真、とても良い笑顔で、10歳くらい若見えするのだ。笑顔のおかげかベストの汚れはほとんど目立たず、これって私のお手柄だよね~、と自分では思っている。父に褒めてもらいたいな。笑

 

というわけで、このベージュのベストも簡単には捨てられなかったのだけど、裏地が暖色のチェック柄になっていて、なかなか素敵なのだった。傷みも少ない。くるみボタンはそこから切り出して作ることにした。

 

ボタンにしたからと言って、別に何かの服に付けるわけではない。ただ、思い出の服の一部を小さく可愛く保存することで、心が落ち着くというだけの話だ。でも、そこが大事。

 

とにかく、くるみボタンの可愛らしさは理屈ではない。それは、昨年の小さな手芸で実感したものだった。そして、ビックリするほどそれは簡単に作れる。

 

✻もうひとつのブログで書いています。よろしければどうぞ↓

tsukikana2.hatenablog.com

 


そんな父は、服だけでなく日記も書類も捨てられない人。今回は2階洋室のデスクや本棚に残された父の古い書類や書物を中心に断捨離をしたのだが、まあ、本当に大変なことだった。

 

滞在最終日、この辺りをよく散歩するというご高齢の紳士がやって来て、柚子大根を作りたいので、庭の柚子を少し分けてほしいとおっしゃる。時期的にもうあまり店頭に並ばなくなってしまったので、と。

 

2年ほど前にもお願いしたことがあるんですよ、とのこと。そう、父からその話を聞いたことがある。後日、お礼にと柚子大根をお裾分けしてくれた方だ。

 

「柚子がお役に立てて父も喜びます、お好きなだけどうぞ」と、私はもちろん快諾。枝切バサミを貸して差し上げた。

 

その方がハサミを返しに再び呼び鈴を鳴らし、私は玄関先で彼と少し話をすることになった。父の他界を残念がってくださり、自分も子どもたちのために終活をしようと思っている、なんてお話をされた。

 

「親の遺品整理では、何が一番大変ですかね」

 

そうたずねられ、ちょうど父の書類をまとめて紐掛けしていた私は、即座に「書類です」とこたえた。

 

服も小物も確かに大変。これから扱うアルバムや食器類も、きっとすごくすごく大変だろう。しかし、書類はざっと目を通し、捨てていいか捨てたくないか、読んで判断しなくてはならない。個人情報などがあれば、簡単には捨てられない。父は公務員だったので流出してはまずい書類もある。シュレッダー案件だ。

 

走り書きのある書類には、その筆跡に若き日の父を想像し、胸が熱くなる。結婚前の書類まであるのだから、想像力を掻き立てられ、古い小説を読むような気分にすらなる。

 

日記やノートも、読んだら悪いかな、と思いながらもチラチラ見てしまう。今の私よりずっとずっと若い父が、青年だった父が、公私にわたり初々しい悩みを書き付けている。うう、だめだー、でも、読んじゃう!・・・仕事がちっともはかどらないよ~!

 

以前、父と母の往復書簡を発見したときと同じように、子どもとしては知ってはならない秘密を見てしまったような、罪悪感まじりの甘さと切なさを覚えた。これ、父は自分で捨てておくべきだったよね。笑

 

「書類は、読んで判断して処分しなくてはならないので、時間がかかるんです。読んじゃまずいかな、なんて気持ちにもなり、辛いですよ。現時点で不要なものなら、ご自分で処分された方がいいかもですねぇ」

 

などと、柚子の紳士に告げながら、私は自宅にしまわれている自分の書類について考えてもいた。私も、早めに「あれら」を断捨離しなくては!

 

夫ともその話になり、「私が死んだら読まずに捨ててねBOX」を用意しなくちゃね、などと笑いあった。執着があり、今はまだ捨てる決心ができないノートや書類を入れておくのだ。死後、娘たちに苦労をかけたくないし、また、読まれたら恥ずかしくて、死んでも死にきれない。笑

 

でも、ふと思うのだ。もしかしたらだけど、父はあのノートを実は子どもに見せたかったのかな、と。自分にもこんな出来事や悩みがあったんだよ、知っておいてもらいたいよ、なんてね。

 

今となっては、確かめようがないのだけれど。
お父さん、結局いろいろ捨てちゃってごめんね。

 


今回は、父の命日に合わせて帰省・・・あの恐ろしい日々から、1年がたった。

 

行きはひとりで新幹線で行ったが、帰りは夫がクルマで迎えに来てくれた。ごみ袋でパンパンになった後部座席が恥ずかしかったけど、良いお天気だし、せっかくなので日本平あたりをドライブしながら帰ることにした。

 

日本平ホテルには、いくつかの楽しい思い出がある。広い芝生の庭に出て、梅の花越しに清水港を見下ろせば、本当に美しい景色だなあと感動。雲で富士山が見えなかったのは残念だったけどね。

 

清水港の画像

日本平ホテルの庭から見下ろす清水港

 

その後、ロープウエイで久能山へ。今年は大河「どうする家康」効果で、東照宮を訪れる人も多そうだ。少し石段を下りたところから見晴らせる、春の駿河湾はまぶしかった。そして、なんというか、清々しい気分になれた。

 

久能山東照宮近くから見える駿河湾の画像

久能山東照宮近くから見える駿河湾

 

 

実家の片付けは大変だ。けれど、父母の思い出の品に触れ、古い記憶を呼び覚ましたり、私の知らない彼らの姿を知ったりするのは、きっと得難い経験なのだろう。

 

寂しくもあり、あたたかくもあるよねと、夕食後のひとときをひとりで過ごすのも悪くなかった。好きなプレイリストを流しながら、今回は刺し子も少ししたりして。

 

疲れても、気持ちがニュートラルになる、前向きになれる。そんな針仕事をライフスタイルに加えられたのは、私にとってラッキーだった。

 

3年前、母の介護に来ていた頃は、フランス刺しゅうのセットを持ってきてたけど、ほとんどそんな暇はなかったっけ。旅行鞄に針山とハサミをどう入れようか、けっこう悩んだんだけどね。

 

そんな経験から、先日、持ち運びに便利ながま口式のピンクッションケースを作った。なので今回、針山問題は解決。これからも旅の相棒になってくれそうだ。

 

刺し子のがま口ピンクッションケースの画像

がま口ピンクッションケース

 

 

✻1年半くらい前から、刺し子が好きになっている私。
よろしければ、こちらのブログ↓もご覧くださいね(*^^*)

tsukikana2.hatenablog.com

 

 

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