一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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5月の薔薇とカーネーション

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子どもたちが幼かった頃。
幼稚園のスクールバスを待つ場所は、近所のお宅の玄関先だった。

 

そのお宅のフェンスには、蔓薔薇が絡ませてあり、このくらいの季節になるとたくさんの赤い花が咲いた。バスを待つ間、甘く清潔なその香りに包まれるのが毎朝の楽しみだったことを思い出す。

 

当時、私は赤いミニ薔薇を2鉢、ベランダに置いていた。大した世話もしていないのに、薔薇は何年もの間、春と秋に可愛い花を咲かせてくれた。小さな花だったけど、顔を近づけるととても良い香りがした。

 

昔から薔薇が好き。でも、本格的なものを自分で管理するのは難しそうで、ずっと手が出せず今に至る。病害虫の対策も勉強して、いつか素敵な香りのする薔薇を、この手で育ててみたいな。

 

ここ数年は、もっぱら切り花で薔薇を楽しんでいる。ただ、薔薇を買うのはもう少し先にしようかな、と今は思う。この時期のお花屋さんで一番目立つのは・・・カーネーション。

 

もうすぐ「母の日」だ。

 


昔は、亡くなったお母さんには白いカーネーション、と言われていたように思う。12年前の秋に義母が他界し、翌年「母の日」が近づいた頃、遺影の傍に飾って義母に捧げようと白いカーネーションを探した。

 

あの年から毎年、5月になると探しているけれど、年々見つけるのが難しくなってきた気がする。カーネーションの花色は、とても増えているようなのに。

 

需要がないのか?
故人には「白」、というのはあまり一般的ではなくなってきたのかな?

 

我が家では、「母の日」のカーネーションを、今年からは二つの遺影に飾ることになった。

 

比較的大きな園芸店に行ったのだけど「白」は見つけられず、白い花びらに紫色の縁取りがある大輪のカーネーションに、アルストロメリア・パールという白い可憐な花を添えて、義母に捧げた。

 

実の母には、薄いピンクのスプレーカーネーションを。アルストロメリアも少し分けてもらって、ベランダのローズゼラニウムも加えて小さなフラワーベースに生けてみた。華やかで可愛い雰囲気の好きな人だから、白よりも喜んでいるんじゃないかな、なんて。

 


二人の母と、二人の父に、毎年「母の日」と「父の日」の贈り物を選ぶのは、頭を悩ませることであり、楽しみでもあった。二人の母と、一人の父を亡くした今は、それが温かな回想につながること、幸せをいただいていたのだということが、やっとわかる。

 

優しい人たちのあの笑顔はもう、思い出の中でしか見られない。瞳の輝きも、目尻のしわも、笑い声も、涙が出るくらい懐かしい。この世界に、それは確かに存在していたのに。

 


若葉が風に揺れて光っている。5月は一番好きな月。

 

去年に続き今年もコロナ禍で、ゴールデンウイークも今ひとつ盛り上がりに欠けたまま過ぎて行った。もっとも我が家はこれまでだって、そんなに派手に遊べたことはなかったのだけど。まあ、気分的なことでね。

 

それでも先日は夫が、元気のない私をふいにドライブに誘ってくれた。県をまたがず、密を避けて、近隣の市のフラワーガーデンへ。

 

久々に“あっちもこっちもお花だらけ”の、夢のような景色を楽しむことができた。お昼時で驚くほど人も少なく、安心して散策できたのはありがたかった。

 

短時間ではあったけれど、花や木々のアロマを胸いっぱいに吸って、自然の色、造形美をこの目にしっかり焼き付けて、パワーチャージ!

 

やはり、花園は素敵だ。

 

✻心の中には、私も「秘密の花園」を持っているのです↓

tsukikana.hatenablog.com


誰もいなかったローズガーデンのコーナーでは、そっとマスクをはずし、その香りをいただいた。まさに“いただく”という感じ。自然に「ありがとう」と言葉にしていた。

 


 Rose de Mai

 

フランス語で「5月の薔薇」という意味の、香料製造用の薔薇があるそうだ。香水の町、南仏グラース産が有名で、収穫は5月の早朝。最高級品のオイルが抽出される。

 

グラースでローズ・ドゥ・メの花を摘むのが、私の夢のひとつだと、以前も書いていた。やはり、5月は薔薇だよねと、意を強くする。

 

母の日が通り過ぎて、カーネーションとお別れするときがきたら、この小さな我が家のあちらこちらに、薔薇を飾ろうと思う。そして、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除されたら、またローズガーデンに出掛けたい。

 

✻2年前にローズガーデンの記事を書きました。グラースに行きたい!↓

tsukikana.hatenablog.com

 

✻私は、薔薇は香り重視↓

tsukikana.hatenablog.com

 

✻でも、薔薇の香りを嗅ぎ分ける自信はありません・・・↓

tsukikana.hatenablog.com

 


遠くに旅行したいとか、大勢で会食したいとか、大層なことはこのご時世に私、望んではいないのだ。でも・・・

 

美しい5月を、短いこの輝きの時間を、ほんのささやかでもいい、リモートでなくリアルに味わいたいと、今、切に願う。でも、現実は厳しいなと、昨夜からのニュースにため息をついている。
(緊急事態宣言は5月末まで延期され、愛知県と福岡県が追加。まん延防止等重点措置は8道県に拡大されるようですね・・・悲)

 


気を取り直して。
ところで、紀元前から栽培されていたという薔薇だけど、「ベルサイユのばら」の時代(フランス革命前後)にはまだ、あの美しい剣弁高芯咲きの真紅の薔薇はなかったと、今朝の「あさイチ」で聞いて驚いている。

 

ちょ、ちょっと待って。オスカルと赤い薔薇はセットでは?
も、もちろん漫画だからね、と言われればそうなんだけど、少しショック。

 

薔薇といえば、ずっとピンク色だったのだ。そういえば、薔薇色の頬、とか、薔薇色の人生、とかは、薄紅色だからこそ成立する例えか。ワインのロゼも、ピンクだし。

 

でも、15世紀の薔薇戦争は、赤薔薇対白薔薇だよね。
あれ?私の聞き違いだろうか。品種改良がここ200年ほど、という話だったのかな。薔薇の色は、いったいいつからピンクだけでなくなったの?

 

 

・・・そんな訳で私、奥深い薔薇の歴史にもはまりそうな気配である。

ステイホームで。

 

 

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体と心に声を掛けよう―私のセルフケア

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数日前、ツバメの姿を見た。
我が家の前の電線にも、一昨日から2羽のツバメがよく羽を休めている。マンション1階店舗の軒先に、また巣を作るのかな。今年も来てくれたんだね。「おかえり」と言いたくなる。

 

家に居ながらにして、間近に野鳥の姿を見られるのは、嬉しいものだ。特にこのツバメたちは、私の顔を見る。逃げない。話し掛ければ聞いている風にさえずりを返す。

 

この先の毎日の楽しみが、ひとつ、できた。

 


左膝の調子が良くなってきたと思ったら、今度は右膝が。痛みが消えたと喜んでいたら、再び左膝が。好きな散歩にもなかなか出られず、家にこもる時間が増えてしまった私。

 

どうも1万歩を超えて歩くと悪くなる気がする。健脚だった頃が恋しい。でも、ストレッチをしておとなしくしていれば痛みは退いていくので、今年は整形外科にも行っていない。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる、じゃないけど、痛みが去れば「あれは何だったの?」みたいにケロっとしてしまう。椅子から立ち上がろうとして小さく叫ぶほど痛かったときには、「自由に動けるって何て素晴らしいことだったんだろう」と、あんなに強く思ったくせに。

 

指先のほんの小さな傷でも痛みがあれば、情けないくらい生きづらさを感じる。私は本当に弱虫だ。それでも治る傷ならいい。しばらく我慢すればいいのだから。

 


長い年月を、私の器として働いてきてくれたこの体。この頃は、意識して語り掛けるようにしている。ご苦労様、ありがとうね、疲れさせちゃってごめんね、と。

 

気のせいかもしれないが、体はその声掛けに反応する。痛みはやわらぎ、動きが戻ってくる。

 

単なる自然治癒?
そうじゃない気がするのだ。調子悪いのに酷使して放ったらかしにしてた頃、大きな病気になったし。ドクターに「もうこれは治らないよ」と言われたけど、声掛けをしていたら症状が消えたことが複数回あるし。

 

体は、持ち主に大事にされたがっている。愛されたがっている。

 

体だけじゃない。きっと心もだ。心のことも、この心の持ち主として、忘れずに癒してあげたいものだ。

 


大小の心配事がいつも目の前にあって、ひとつ解決してもまた新しく浮上してくる。モグラ叩きのゲームのように。

 

それは、コロナ禍以前からずっとそうだったのだけど、この流行り病はかなりタチが悪く、通常の不安をさらに増幅させるような重低音として、生活に響き続けている。それももうずっと、長期間にわたって。みんな、そうかな。くたびれるよね。

 

私は、ホ・オポノポノをライフワークとして日常で実践しているが、クリーニングをしてもしても間に合わないくらい、次々に問題が立ち現われ、ひるみそうになることもしばしばだ。

 

それでも、実践しなければ問題は増え続ける。弱虫の私はすぐに潰れてしまうから、ひたすら「I love you.」と心の中で繰り返す。

 

そうすると少し、何かが変わり、何かが解決する。ありがたいことに。

 

でも、忙しかったり、目の前のことで夢中になっているとつい、自分の心をケアするのを忘れてしまう。ホ・オポノポノでいう「ウニヒピリ」のケアだ。

 

こんなに大事にされたがっているのに、見ないふりしてしまってた。あるいは、存在をすっかり忘れてた。そんな時は、だいたい何かよくない小事件が起こる。頻繁にあるのが、寂しさの経験だ。それは、ウニヒピリが寂しがっているからだろう。

 

「ごめんごめん。さあ、楽しいことしようか。あなたは何がしたい?」

 

自分の内面に向かって声を掛ける。変な人みたい?笑
答えは聞こえてこないけど、オードリー・ヘプバーンの映画が観たいなあとか、HIDEKIの歌が聴きたいよとか、チョコレートが食べたい!とか、自分の声掛けに対して自分が反応する。笑

 

体に対しても、心に対しても「どうしてほしい?」と第三者になって訊ねてみると、意外とこうしてほしいのだとわかる。それを出来る限り実行してあげることで、体も心も打ち解けて快復に向かい、本来の力を取り戻していくようだ。

 

今こそ、忘れずにセルフケアを続けたい。そう思う。

 


マスクが苦痛になっている。息苦しい。
でも私は、買い出しなどで外に出るときにだけ、つけているのだ。仕事や学校で一日中マスク生活を強いられている人が大勢いるんだよね。本当に、大変だと思う。みんながマスクなしでいられる生活に早く戻りますように!

 

県外の長女一家のところへ行く計画も、県内の次女の誕生日祝いをする計画さえ、コロナで飛んでしまって気落ちしているが、私などよりずっとずっと辛い思いをしている人がいるので、泣き言を口にすることさえ申し訳ない気分になる。

 

きっとそんな風に、みんな、我慢しているんだろうね。

 

4都府県にまた、緊急事態宣言発令が決定。感染への恐怖とともに、終わりの見えない自粛生活への不満、自粛しない人たちへの苛立ち、経済的不安、諸々の鬱屈がたまっていく。

 

強そうに見えていても、心が弱ってしまっている人もたくさんいるんじゃないかな。私はホ・オポノポノをお勧めする立場ではないけど、スピリチュアルが苦手な人も(実は私、苦手でした)“自分の体と心に声掛けをする”というセルフケアをやってみることを、今、提案したいと思う。

 

ちなみに、さっき私の体に「今、どうしたい?」と聞いたら「PCから離れてベランダに出て、外の空気を吸いたい」とのこと。笑

 

深呼吸して、ついでにローズマリーやレモンバームに触れたら、良い香りで気分も爽やかに。

 

そうそう、昨日は、私の心(潜在意識・ウニヒピリ)に声を掛けたところ、もっと野鳥のことを知りたいと希望を述べたので(まあ、私がね)、コンパクトな野鳥図鑑を注文。さっき届いて心が喜んでいる。

 


ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

 


今朝は、「最近、お洒落をしていないなあ。お洒落って、どうやってするんだっけ」なんてウニヒピリと話していたら、なんと、NHKの「あさイチ」のゲストにスタイリストの西ゆり子さん(70)が登場。お仕事柄もあるけれど、年齢を超越したその素敵な着こなしに目が釘付け。やっぱりお洒落って楽しいよね!と心がワクワクしてきた。

 

www.nhk.jp


「10年後に自分がどうなっていたいか、を考えると、今、何をどう着ようかというのが明確になってくる」

 

というようなお話もされていた。ファッションだけでなく、生き方のヒントにもなると思った。

 

西ゆり子さん。とても魅力的だったなあ。いろいろ素敵だったけど、偉ぶらない優しい語り口と、包み込むような笑顔が、何より素晴らしかった。

 

少し自分より年上の女性で、憧れる人を見つけると嬉しくなる。とてもその人のようには生きられなくても、「この部分は真似できそう」とか「この考え方を取り入れよう」とか思えることで、前向きになり、気持ちがパーッと明るくなる。

 

良い刺激を受けて、今日を楽しくスタートできた。西ゆり子さんをゲストに呼んでくれて、「あさイチ」さん、ありがとう!

 

✻西ゆり子さんのオフィシャルブログ

ameblo.jp

 

まあ、だからと言ってすぐにお洒落ができるわけではないのだけどね。笑
今度どこかへ行くときに、何を着ようか考えるのがメンドクサイ、とはきっと思わないだろうな、という自分の感想が好ましくてニコニコしている。

 

今日の「素敵」を見つけて上機嫌になった私は、ウニヒピリに「ありがとうね」とまた声を掛ける。後で、野鳥図鑑を見ながら、もう一度声を掛けてみよう。

 

今日は私、少しはケアできているかな?
(顔は笑っていますね *^-^*)

 

✻ホ・オポノポノについて過去に書いた記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 

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動力は「憧れ」だった―桜の季節に思い出すこと

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憧れ。
ただそれだけが、前進するエネルギー源だったんだろうと思う。あの頃の私。20歳だった。

 

4月になり、桜の花びらが舞う中を歩いていると、これまでの人生で経験した、さまざまな節目のシーンを思い出す。私自身の入学・卒業式だったり、娘たちのそれだったり。

 

そして何故か今年は、20歳の自分を何度も思い出している。社会人になって上京した、小舟のように危なっかしい自分を。

 


短大を卒業し、私は神戸市に本社のあるアパレルの会社に入社した。勤務は東京本社だったので、最初は井の頭線の三鷹台駅に近い女子寮に入居することになった。

 

親元を離れて、初めてひとりで暮らす。東京も住むのは初めてだし、寮も初めて。でも、どこか全能感(万能感)があったのか、あの頃の私は怖いもの知らずで、新しい世界に飛び出せることが嬉しくて仕方なかった。

 

まだ20歳の娘をひとりで東京になんて、よく出したなあと、父は同僚から散々言われたそうだ。それでも、私の気持ちを優先させてくれた。苦虫を嚙み潰したような顔をしながらだったが。

 


父の友人のガクちゃんが運転するトラックで、引越しをした日のことは、よく覚えている。

 

両親も一緒だった。荷物はステレオとレコード、ギターと服と布団くらい。近所の商店街で引越し蕎麦を食べ、時計屋さんでガクちゃんに目覚まし時計を買ってもらった。

 

両親からは10万円が入った封筒を渡された。給料日まで、これで生活しなさいと。心配そうな母の目。大丈夫だよ、と笑う私。

 

けれども。
3人が帰った後、積まれた段ボールにもたれて、私は急に心細くなったのだった。

 

・・・あれ。大変なことになってしまった?

 

と、それまでの強気はどこへやら。気がつけば頬を涙が伝っていた。そんなおっちょこちょいなところもある娘だった。

 


被服科で服を作ったり意匠を学ぶようになって、服に関わる仕事がしたいと思うようになった。同時に「ここでないどこか」へ行きたい気持ちが膨らんだ。神戸でも東京でも。

 

好きな仕事ができるんだ!
自分の暮らしを自分で作る「自由」を手に入れるんだ!

 

まさに巣立つ鳥。まだ見ぬ世界への憧れは、桜の花びらよりもキラキラしていた。不安や心細さも淡く霞ませてしまうくらい。

 


激変した環境に、私は順応していった。
仕事は厳しかったけど、素敵な仲間に出会い元気に働いていた。そして、いつも傍には音楽があった。

 

当時はまだ、CDもなかったんじゃないかな。私は毎日、持ってきたレコードを聴いていた。中でも、高3の終わりに買った、佐藤奈々子さんのアルバム「Pillow Talk」がお気に入りだった。

 

これ、1978年リリース。40年以上前なのに、今聴いても全然古さを感じない。というか、発売当時からノスタルジックな世界観だったから、普遍的な、名画的な存在感なのかな。

 

全部の曲が好きだけど、今もふと口ずさんでしまうのが「悲しきセクレタリー」。タイプライターを打つイントロが印象的。

 

この歌詞の中の ♬ハッカの香る熱い風に~ のところが大好きで、私のその後のハーブ熱にもつながる。ミントを窓辺に置くことを夢見た。

 

ちょっと物憂くアンニュイ、コケティッシュな声と歌唱が魅力の佐藤奈々子さん。「Pillow Talk」は、往年のパリやニューヨークで働く若い女性の日常を切り取ったようなイメージ(主観です)で、20歳前後の私の思い描く「憧れの都会でのひとり暮らし」像の、ひとつだった。

 

✻こちらで試聴ができますね。最初の45秒だけですけど。

tower.jp

 

✻2017年にリマスター盤が発売されていたのですね。


Pillow Talk(+2)

 


会社の女子寮にいたのは半年ほどで、私は目黒本町にアパートを借りた。私の仕事は一般職ではなく連日残業が付いて回り、寮の門限に合わせて帰るのが難しかったからだ。

 

というのは言い訳で、やはり、本当のひとり暮らしへの「憧れ」が動機だった。

 

自分のお城が欲しい。好きな家具を置いて、いつも花を飾っていたい。例えば、一抱えのカスミ草をガラスのフラワーベースにどさっと。

 

疲れて帰った夜、好きなものばかりが待つ自分の部屋が、どれほど明日への活力になったか。生活を自分好みに、素敵にデザインしていくことが嬉しくて、大変な仕事も頑張れた気がする。

 

まあ、その仕事は結局、3年で辞めてしまったのだけど。その次にライターの仕事を始め、東京には6年半ほど暮らしたことになる。

 

桜はかの地で7回、見たんだね。散歩コースにあった桜並木は、本当に見事だった。

 

目黒のあの部屋の様子だって、今も鮮やかに思い出せる。懐かしくくすぐったく、恋しくさえある。あんなに小さな部屋なのに。きっと、夢や憧れが満ちていたからだろう。

 

幼稚でお馬鹿さんだったけど、大胆で繊細だった若き日の自分が見えるようだ。ちょっとまぶしい。nanaco世界みたいにコケティッシュにはなれなかったけど。笑

 


新年度、なんだね。スタートの季節。新しい旅立ちのとき。
大変なご時世になってしまったが、桜は今年も律儀に咲き誇ってくれて、スタートラインに立つ人々を応援しているかのよう。

 

入社式もリモートで、という所も多かったそうで、残念なことだろうと胸が痛む。でも、私は入社式のことってほとんど覚えていないんだよね。新社会人になったときの胸のときめきは、この先いつまででも、思い出せそうなのに。

 

あの日「憧れ」を乗せた小舟は、なんとか大河に漕ぎ出して、荒波も凪も経験し、今も転覆せずになんとか浮かんでいる。実は相変わらず危なっかしいけれど、新旧の「憧れ」を動力に、まだ先へ進もうとしている。

 

絶望の淵にあった年でも、桜は見事に咲いて慰めてくれた。
「世界はこんなに美しい」
と、心が震えた。もっとたくさん、美しいものが見たい、と思わせてくれた。

 

今は辛くても、きっとこの先に心が震えるような美しいものがたくさんある!
価値観も移り変わった世の中ではあるが、「新しい船出に幸あれ!」と、祈らずにはいられない。

 

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花の名は?―心和む優しい春散歩

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晴れた春の日は忙しい。
暖かくなったら始めよう、晴れたらやろう、と思っていたことが山積みだからだ。

 

冬物の片付け、寝具の手入れ、ベランダの大掃除。
店頭に並ぶ明るい色が嬉しくて、たくさん買い込んでしまった春野菜の調理。

 

あれもこれも、晴れている「今日」にやってしまおうと、心が焦る。なにも焦らなくてもいいのにね、と我ながら呆れるのだが。

 

雨が降りそうな曇天とか、降り込められた寒い日とかが、とても苦手である。気圧のせいかなあ。晴れていないと気持ちが沈みがちになり、なかなか頑張ろうと思えない。

 

だから、晴れている「今日」はとても貴重。無駄にできない。それで追い立てられるような気分になってしまうんだね。

 


ところで、昔…中学の時だから大昔、ある教師が「今日の仕事は明日に持ち越すな」とよく言っていた。なるほどなと思った。でも、私は明日に持ち越してばかりだ。先生、ごめんね。

 

最近は、むしろ積極的に「明日の自分に期待しよう」と、さっさと寝てしまう。これまでの経験で、明日の自分は結構、頼りになるヤツだとわかってきたからだ。同じ仕事でも、短時間でより高いパフォーマンスをしてくれるのなら、明日の自分に任せようかと。

 

まあ、駄目なときもある。その日が曇天だったりするとね。

 

でも、「ああもう、こんなこともできないなんて。自分が嫌になる~」と思ってたことが、別の日だと、何の問題もなくさっさと片付けることができたりするのは本当で。

 

気が乗らないときは、何をやっても駄目なのかもしれない。そして、気が乗る日がずっと来ないわけではないらしい。いや、信じてもらえた「明日の私」は、余裕の笑みさえ浮かべて、その仕事を嬉々としてこなすことすらあるのだ。

 

・・・と、何の前振りかと言えば、全てほっぽらかして散歩に出てしまう話で。

 


春が来ているのだー! 朝からピカピカの青空なのだ!
もうきっと、桜も咲き始めている。あの道の草花も可愛い顔を見せているはず、あの家のお庭も花盛りに違いない。隣町の花屋さんも、久し振りに覗いてみたい。

 

もう無理。家になんていられない、とばかりに、私は散歩の仕度をする。

 

トートバッグに小さなタオルとスマホ。100円ショップで買った、スマホに取り付けるクリップ型のマクロレンズ。“映える”花になってもらうため、水を入れたスプレーボトルも用意する。(他所のお宅の植栽には、さすがに水はかけませぬ)

 

暑くなると日傘や帽子が必要になるし、虫が増えて歩きにくいので、心軽やかに散歩を楽しめる時期は限られている。期間限定。

 

私の散歩は、体力づくりのためというより、心の栄養のためだから、義務にするつもりはない。散歩はストレス対処法の有力候補。今風に言えば、コーピング?

 

日差しや風を心地よく感じられる今の季節は、全くもってベストシーズンだ。草木が芽吹き、花が咲き、小鳥たちがさえずる。愛でる気持ちが心を開放する。三大幸せホルモンの、セロトニン、ドーパミン、オキシトシンが、どんどん分泌されているんじゃないかな。

 

去年、夫に勧められてスマホに入れたアプリ「ハナノナ」も大活躍の季節だ。

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アプリを開発したのは、千葉工業大学 人工知能・ソフトウェア技術研究センター(STAIR Lab.)。無料なのに広告も出ないのは好感が持てる。操作も簡単で、直観的に親しめるのが嬉しい。

 


「可愛いお花さん、あなたは何というお名前ですか?」

 

そう声を掛けたくなることが私にはよくあるのだが、そんなときには「ハナノナ」を開いたスマホを、花にかざす。

 

それだけのアクションで、人工知能(AI)が花の種類を判定し、数秒で花の名を表示してくれるのだ。そのまま撮影もできて、自分だけの花図鑑を作ることも可能。

 

実は、名前を間違えていることも結構あるし、表示が二転三転して「メチャクチャ迷ってますね」と笑っちゃうことも多いのだけど、そこはAI。これから経験値を積んで進化していくのだろう。

 

それに間違いもちょっと面白い。夫が私の顔にかざしたら、「オニヒマワリ」と出たことがあった。はい、私はオニヒマワリね。失敬だな、君は。笑

 

✻こちらの記事が分かりやすかったです↓

www.pen-online.jp

 


昔、ワインのエチケット(ラベル)を携帯のカメラで撮ってメールで送ると、どんなワインかを返信してくれるサービスがあったのを思い出した。今もありそうだね、きっともっと便利になって。

 

見つけた野鳥の種類を、すぐに教えてくれるアプリもないかな、と思ったけど、そもそも野鳥は近づけないから、撮影そのものが難しいか。

 

 

それにしても。
もうかなりAIが身近になっていて、知らない間にいろんなシーンで便利になってきているのかもしれないなと、ふと思う。例えば、翻訳サイト。

 

インスタに外国の人からのコメントをいただいたとき、返信がいかにも翻訳サイトっぽくてネイティブには苦笑されちゃうようなものだったらイヤだな、と思ったことがあった。

 

世の中には無料の翻訳サイトがいくつかあるけど、これも夫に勧められたのが「DeepL翻訳」。AIを駆使し、高精度で自然な翻訳ができると評判なのだとか。

www.deepl.com

 


《私が書きたかった内容》
コメントをありがとう!
そうです!この刺しゅう作品のモデルは、Il Consiglio di Siciliaさんです。
とても素敵なエントランスなので、作品にしたくなったのです。
いつの日か、あなたのお店に食事に行くことを夢見ています。

 

《某翻訳サイトでの英訳》
Thank you for your comment!
That's right! The model for this embroidery work is Il Consiglio di Sicilia.
It's a very nice entrance, so I wanted to make it a work.
I dream of going to your store for a meal someday.

 

《DeepL翻訳による英訳》
Thanks for the comment!
Yes! The model for this embroidery piece is Il Consiglio di Sicilia.
It is a very nice entrance, so I wanted to make a piece of art.
I dream of going to eat at your restaurant someday.

 

お店がstoreでなく、前後の意味からrestaurantになっている!

 

《自分なりに部分修正》
Thanks for the comment!
That's right!The model for this embroidered piece is you, "Il Consiglio di Sicilia"!
I loved the photo of your entrance on Instagram, so I wanted to turn it into a work of art.
I'm dreaming of going to your restaurant for dinner someday.

 

一応、微修正して、無事コメント完了。面白かったし、勉強になった!

 

✻いったいどんな刺しゅう?と思われた方、恥ずかしながらこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 


AIって、これから暮らしの中に、どう根付いていくのだろう。

 

お掃除ロボットも持っていないし、スマートスピーカーも使いこなせていない。ハイテクには尻込みしがちで、AIとは最も遠い場所にいるような私だが、今ちょっと興味を持っているものがある。それは、愚痴を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたりするAIコミュニケーションアプリ「SELF」。

self.software

 

キャラクターとの会話で、メンタルサポートが期待できるらしい。使えば使うほどロボットが学習し、アドバイスしてくれたり寄り添ってくれたりするというのだから、一度は試してみたいかも。愚痴って、なかなか人に言えないしね。

 

世の中は劇的に変化しているようだ。私にとっての一番身近なAIは、ちょっとまだドンクサイ「ハナノナ」だけど、ささやかな楽しみの散歩に素敵な彩りを添えてくれている。

 

知らない花を見つけるのは楽しい。その花の名をすぐに確かめられる(間違いもあるけど)のは、さらに楽しい。これからも、私のお散歩の相棒でいてほしい。

 


実はここのところ、家族や自分の体の心配事が増えたり、諸々用事なども重なって、ちょっと疲れ気味だった。何をするにも動きが鈍い。

 

次から次へとやるべきことが積もってきて、「タスクこなせる?散歩してる場合?」と、眉を顰めるもうひとりの自分もいたのだ。しかし、グズグズと動けないことより、トコトコと歩くことを選んだ。

 

ちなみに昨日は、午前中の散歩を満喫し、心が和んだためか、午後は目いっぱい働いた。明日の自分に任せるまでもなく、ちゃんとその日のうちに期待に応えてくれた「今日の私」。

 

心を遊ばせることって、大事!

 

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歩きたい気持ちが、前を向かせてくれる

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ここのところ暖かい日が続いていて、まだ2月というのが信じられないほどだった。昨日は美容室へ向かう片道15分のウオーキングが、なんとも爽やかで気持ち良く、マスクの中で鼻歌を歌っていた私。上着、脱いじゃった。

 

その前の日も、午前中、夫と近くの川べりを散歩。ぽかぽか陽気で、光る川面は童謡そのもの。紗のかかったような景色の中を歩けば、まあるい休日、という言葉が浮かんだ。

 

そして、梅の花の蜜を吸っているメジロを撮影していたら、次から次へとお仲間が集まって来て、ちょっと焦ったけど笑ってしまった。

 

青空の下、抹茶色の小さなお饅頭が、いっぱい飛び回っている!

 

メジロってあまり人を怖がらないのかな。きっとあの梅の木は、みんなの行きつけのレストランなのね。

 


小鳥たちを見ていると、好きなように飛べていいなあ、と思う。ボリュームのある鴨や鷺や鵜も、この辺りではよく見かけるが、その飛んでいる姿の美しさといったら。いつも見惚れる。

 

私にとって、鳥は憧れで、外歩きの楽しみのひとつ。身近な鳥も好きだけど、珍しい野鳥と出会えば、たちまち幸福な気分になる。いつの日か、白鳥の飛翔する姿を見てみたいな。そうか、飛来地を調べなきゃ。

 

3年前に膝を痛めてから、長距離のウオーキングは辛くなってしまった私だけど、ゆっくりペースの散歩は時々楽しんでいる。これから良い季節になるし、covid-19が収まってきたら、列車で少し遠出して、知らない町をまた歩いてみたいなあ。

 

私は元から人が大勢集まる場所が苦手なので、オコモリ生活は全く苦にならないのだが、この1年、実家のある清水と我が家との往復ばかりで、さすがに「他の場所にも行きたい」と思い始めてきた。

 

今、行きたいところリストを作っている。この間から、まるでリスト作りにはまっているかのようだけど。笑

 ✻前回は“嬉しかったことリスト”のお話でした↓

tsukikana.hatenablog.com


行きたいところ、たくさんあるなあ。
まだ「密」が心配なうちは、広い自然を満喫しながら歩けるところがいい。クルマを借りて、そう遠くない場所の高原とか森とか海辺とか。そうね、それまでに、野鳥図鑑を買おう。

 

少し不安がなくなってきたら、長く会えていない長女一家と、どこかファミリーで楽しめる場所で遊びたい。距離的に中間になる伊賀の忍者村なんて楽しそう。

 ✻伊賀流忍者博物館(3月7日までは閉館のようですね)

www.iganinja.jp

 

ちょっと頑張って、和歌山・熊野灘でホエールウォッチング・クルーズも体験できたら素敵だな。パンダのいるアドベンチャーワールドにも、一度は行ってみたい。

 ✻昨年11月にパンダの赤ちゃんも生まれたアドベンチャーワールド

www.aws-s.com

 

それから、街歩きも久し振りに楽しみたいものだ。次女とお洒落なカフェ巡りやショッピングもいいね。私の知らないお店を、彼女は本当によく知っているから、お勧めのところに連れて行ってもらおう。

 

夫とは、レストランでワインもいいけど、焼き鳥屋さんでビールも捨てがたいなあ。マスクを外して、のんびり笑っておしゃべりしたい。カメラ片手にローカル線の旅、というのも、彼となら楽しそう。

 

そして、いろいろ安心できるようになったら、遠方に住む大好きな友人たちと、また旅にも出よう。素敵なガーデンを堪能したり、気持ちの上がるホテルに泊まったり。次は那須高原とか北海道とかに行けたら素敵。でも、ああもう、どこでもいいから行きたいわあ。

 ✻4人で初めて旅行したのは軽井沢でした↓

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時間的、経済的に許されるなら、そしてもちろん安全だと判断できるようになったならだけど、生きているうちに海外にも行きたい。行けるといいな。「セカホシ」でうっとりと眺めた、まだ見ぬ世界。あの国も、この国も・・・。でもまず、フランスかなー。

 ✻NHK「世界はほしいモノにあふれてる」

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こんな風に、あれこれ思いを巡らせて、脳内であちこち楽しい場所を歩いている私。実際には明日からまたしばらく、清水に行く。独居老人となってしまった父のサポートをするためで、しばらくはこのパターンが続くだろう。

 

それが今の現実で、実家のことは常に私の優先順位の上位を占めている。常に心配だし、課題も悩みも多い。

 

でも、これって、親孝行ができるチャンスがまだ残っているということなんだよね。今、父が生きていてくれてるから。

 

そこはしっかり意識して、感謝して最善を尽くしたい。未だ悲しみの淵にいる父に、どう幸せになってもらうかを、私なりに考えていきたい。

 


母が歩けなくなって、事態がどんどん悪くなっていったのは、ちょうど去年の今頃だった。

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あのとき、打ちひしがれていた母に、どうして「車椅子で私がどこにでも連れて行ってあげるよ」と言ってあげられなかったんだろう。

 

歩くこと、自転車に乗ることが好きだった母。それができなくなったって、外の景色を楽しむことはできるよと、今なら励ましてあげられるのに。

 

 一緒になって悲しんでばかりの、
 不甲斐ない娘だったね。
 ごめんね、お母さん。

 

世の中が落ち着いたら、母の形見の品を連れて、あちこちを歩こう。歩くことは、前を向かせてくれるからね。母の魂をも、慰めることができるかもしれない。

 

そして・・・本当は父にこそ、ちょっとでも歩いてほしいのだ。散歩でなくても、たとえささやかなことでも、日々の楽しみを見つけてもらえたらと願っている。

 

会いたい人、行きたい場所、遊びたいこと。そういうものが、88歳の老人には希望になるのかどうか、正直、私にはわからない。体力的にも可能不可能があるし。

 

ただ、あんなに多趣味だった人が、何もしないでいるというのが、今も信じられなくて。「遊ぶ才能」が再び目覚めてくれたら、生きていくことに張り合いが持てるんじゃないか。そう期待してしまうのだ。

 


さて。元気を出して仕度をしよう。
5月並みだったという暖かさも一時的なもので、こちらの地方では、今日の最高気温は昨日より8度も低いと言っていた。

 

まだまだ、本格的な春は先らしい。体調を崩さないようにして、待ち焦がれるその季節を迎えたい。楽しいことを、ちゃんと楽しめるように。

 

それから。
緊急事態宣言が、前倒しで解除されるかもしれない。嬉しいけど、不安もあって。

 

随分みんな、我慢を強いられてきたよね。安心して外へ出られる日が、きっともうすぐ来るはず。

 

でも、まだしばらくは気を緩めないでいよう。これまでしてきたせっかくの努力や辛抱が、無駄にならないようにね。自戒も込めて、誰にともなく。

 

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これまで生きてきて、嬉しかったことはどんなこと?

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この季節、お花屋さんの前を素通りするのは難しい。選んで買うとなると、ますます難しい。悩むけど、笑みがこぼれる。

 

SMAPのあの歌のように、

 ひとそれぞれ好みはあるけど
 どれもみんなきれいだね

と、お花たち全部まるごと、褒め称えたくなる。

 


「人生で一番嬉しかったことは何ですか?」

 

そう聞かれたら、なんて答えようかと考えてみた。いつか読んだ新聞の投稿欄で、そんな話題があったから。

 

でもこれ、初恋はいつですか?という質問と同じくらい、難しいな。

 

え?初恋?難しい?と言われるだろうか。

 

だって、小学生くらいから、クラスの男子の中に「ちょっといいな」くらいに想う
子がいたりするけど、それって恋と呼べるのか?という問題があるし。

 

私は中1で西城秀樹さんにハートを奪われたが、そういうのを初恋、と言ってしまっていいのかどうなのか、とかね。よくわからない。


 ✻でも、HIDEKIは本当に好きだったなあ。今も好き。西城さんに関する記事はこちらです↓

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その後は、好きと言ってくれた男子に好意を持ちそうになったのに、その子が転校してしまってそのまま終わったり。上級生を好きになったけど、卒業まで打ち明けられずに片想いのまま終わったり。

 

そういう甘酸っぱい思い出は、しっかり胸に刻まれているけど、これって恋だったのか?と自問すれば、「広い意味では恋なんじゃ?」と苦笑付きで返ってくる。

 


同じく、「一番嬉しかったこと」も難しい質問だけど、この場合の難しさは「一番」というところだろう。嬉しかったことって状況ごとに喜びの種類が違うから、並べて比較するのは無理があるというもの。

 

が、比較しようとして並べてみることは、これ、本当にお勧めしたくなる!

 

甲乙つけがたいハッピーな出来事が、今までこんなにあったのかと、自分の人生への肯定感がみるみる上がっていく。

 

いや、みるみる、は言い過ぎかもしれないけれど、「ふーん、私の人生も結構面白いじゃない、捨てたもんじゃないわ」くらいな気分には、きっとなる。

 

ここで大事なのは「昔は良かったなあ」という着地にしないこと。「なかなか面白い人生」は、継続中の人生全体のこととして捉え、そこにこんなにハッピーが並んでいる状態を喜ぶことだ。

 


思いつくままに、これまで嬉しかったことを書き出してみたら、あっという間に20個くらい並んだ。まだまだ出てきそう。そして、気付いた。

 

私は、認めてもらえたこと、褒めてもらえたことが、何より嬉しいんだなあと。

 

お金を稼いで欲しいものを手に入れたり、美味しいものを食べたり、高貴なワインを飲んだり。そういうことも嬉しいに違いないけれど、“どういう成り行きで手に入れたか”“誰と食べたり飲んだりしたか”が伴って始めて、それが「嬉しかったこと」に挙げられるかどうかが決まるようだ。

 

大きなライフイベント。例えば、受験合格や就職、結婚や出産にしても、そう。

 

単純に「子どもを産んだことが嬉しかった」というわけではない。どんな気持ちでその日を待ち、誰と喜びを分かち合えたか、どんな人たちにおめでとうと言ってもらえたか、などによって、素晴らしく嬉しい出来事になるかどうかが定まる。
(生まれてきてくれたことだけで嬉しいよ、という気持ちは、もちろんあるけどね)

 

勇気を出して踏み出したとき、何かを頑張って達成したとき、それを誰かが認めてくれたり、褒めてくれたりするのは、本当に嬉しいし幸せを感じる。あんまりパッとしない私の人生でも、そんな瞬間はこれまでたくさんあった。なんとありがたいことか。

 

仕事上でのこと、夫婦間でのこと、友人関係でのこと、いろいろ思い出されたけれど、私にとっての「一番嬉しかったこと」は、本当に本当に、ささやかなことかもしれない。

 


「ママは運転が上手よ。パパより上手よ。世界で一番上手よ」

まだ幼稚園児だった長女が、私を励ましてくれた言葉。

 

あれは、夫がLos Angeles出張のとき。まだ赤ちゃんの次女と4歳前の長女を、長期間ひとりでみるよりはと、清水の実家にしばらく滞在することにしたときだった。そのために、初めて東名高速を走ることになった私。

 

子連れでロングドライブ、しかも高速道路。私にしては大冒険だったのだ。

 

長女には「赤ちゃんがぐずったらあやしてあげてね」とはお願いしていたのだけど、自分が眠くならないように大声で歌を歌ったりして、長女なりに自分のミッションを重く受け止めてくれていたらしい。

 

そして、前述の言葉。私の勇気を称えてくれると同時に、私の不安を察して、自信を持たせようとしてくれたのだろう。シンプルに可愛くて面白くて、クスッとしたけれど、後からじんわり感動した。なんて優しい子に育ってくれているのかと。

 

そして、幼い子どもの誉め言葉にだって、大きな力があることを知った。もちろん、無事に実家に到着。帰りは、夫を迎えに空港にも寄ることができた。娘の励ましのおかげだ。

 

ちっぽけなエピソードだけど、就職して初ボーナスをもらったときよりも、私には嬉しい出来事だった。企画が通って初めて本を出版したときよりも、写真展でプロの写真家に写真を褒めてもらったときよりも、新婚旅行で憧れのフィジーの海に潜ったときよりも、多分、私の嬉しいことリストでの輝きは大きい。
(2番目に輝いているものは内緒。ちょっとここでは書けません・笑)

 


立春を迎え、暦の上では春になったが、この寒さ。たちの悪いはやり病により未だ続く不安と閉塞感。心に清らかな風を通し、明るい色を入れていくためにも「これまで生きてきて嬉しかったこと」を書き出してみること、お勧めしたいなぁ。

 

一陽来復・・・
悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かう。

 

まさに今は、それを願う気分。春色の花のブーケを心に抱いて、今日も笑顔でいようと思う。

 

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素敵な方と隣り合って暮らしていた、そんな幸せ

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その人は時々、ベランダで空を見ていた。手すりに肘をあずけて、あるいは頬杖をついて。どこか物憂く、寂しそうな表情にも見えれば、うっとりと夢見ているようにも見えた。

 

隣に住む私は、隔て板の向こうの彼女に気付くと、いつも声を掛けようか迷った末、首を振ってベランダから部屋に戻った。

 

邪魔をしてしまう気がして。彼女の世界を乱してはいけないと思って。

 

当時の私は、確か40代前半。まだ子育ても終わっていなかったし、仕事も大変な時期だった。生きていくのに必死のバタバタした日常の中、マンションの階段でたまに出会う彼女は、落ち着いた穏やかな印象だった。

 

その方、Tさんはちょうど私と母親の中間くらいの年頃で、お連れ合いとふたり暮らしのご様子。そこに入居することになったご事情とか、家族構成とかは、世代の違いによる遠慮もあり特に伺うこともなく、挨拶をしたり軽く世間話をしたりする程度の間柄だった。

 

けれども人懐こい笑顔が素敵だし、ちょっと八千草薫似の品のいい美人さん。「なんか好きだなあこの方」って、会うたび思っていた。

 

そう、いつもニコニコとおしゃべりをしてくれるので、ベランダで見かけたら挨拶くらいできそうなものなのに、空を見ているTさんには、簡単には話しかけられないような、バリアといってもいいくらいの、近づきがたい独特の気配が漂っていたのを思い出す。

 


私は、新築のその集合住宅に、結婚と同時に入居した。私たち夫婦の住む部屋は、3本ある真ん中の階段の3階で、その階段を使うのは1階から4階まで、全部で8世帯だった。

 

入居した当時は、個性的な住人が多くて面白かったり怖かったり。何故怖かったかというと、ヤクザの親分さんも1階にご家族で住んでいたからだ。派手なスーツの子分さんたちが頻繁に出入りされていた。そして、その2階上には、警察官と民放テレビアナウンサーのご夫婦が住んでいたのだった。すごいよね。ドラマみたい。

 

ところで私の娘たち。生まれた時から住んでいたわけで、あのマンションにはふるさと的な、ある意味「私の家」的な気分があったのだと思う。

 

小さい頃は、強面の親分さんに階段で会い、元気いっぱいに挨拶して
・・・褒めてもらったり!(^^;
遊び友だちのおうちはもちろん、そうでない他所のお宅でも、許されればどんどん上がってしまう。まあ、牧歌的な時代だったのかもしれないけど。

 

そして、冒頭のTさんのお宅にも上がりこんだことがあった。引っ越してこられて早々、だったと思う。どういういきさつだったか、よく覚えていないのだけど、多分、鍵がなくて家に入れなかったとき、Tさんが気づいて招き入れてくれたのではなかったか。

 

恐縮する親の気持ちも知らずに、「本がたくさんあってね、玄関まで本棚がびっしり。おじさんは怖そうに見えたけど優しい人だったよ」なんてはしゃいでいた娘。長女だったか次女だったか、あるいはふたりまとめてだったか。

 

でも、それをきっかけに、Tさんとはよく言葉を交わすようになったし、無口なお連れ合いさんにも「おはよう!」と声を掛けてもらえるようになった。

 

ちょっと上から目線ぽいようなこの方、大学教授だと後に知り、なるほど学者さんなのねと納得。下駄を履いてコンビニに行ったりする姿も、どこかユーモラスで憎めなかった。

 


27年近くもあそこで過ごしたから、その間に住人はどんどん入れ替わっていった。ヤクザさん一家もいつの間にかいなくなり、警察官カップルの次の次、くらいに入居したTさんご夫婦も、7年ほどで転居して行ってしまった。

 

その退去のご挨拶にいらしたとき、少し長めにTさんとおしゃべりができ、ある程度のご事情を教えてもらったのだった。

 

Tさんご夫婦にはお嬢さんがふたりいて、どちらも大学入学や留学などで、10代で家を出られていること。その後、一軒家を建てようと土地を買ったが地盤が悪いことがわかり、契約を破棄したら莫大なキャンセル料を取られた出来事。ひとまず、ということでこのマンションに移り住んだのだと。

 

不運を嘆きながらの入居だったが、鳥が好きなお連れ合いは、ここで野鳥が多く見られることに気を良くされたそう。Tさんもここでの暮らしに慣れていき、住み心地も良く感じるようになったそうだ。

 

そして、隣に住む私たち一家のふたりの娘を見て、お嬢さんたちを育てていた頃を懐かしく思い出したとおっしゃる。

 

遠く離れて暮らすことになるなら、もっとあの頃を楽しんでおけば良かったと思い、今後、暮らすならお嬢さんたちのそばに住みたい、と考えるようになったと。それで、東京で暮らすお嬢さんのご近所へ行こう、ということになったそうだ。

 

なんと。うちの娘たちの存在が、あのご夫婦のお引越しを決意させてしまったのか。

 

それから、Tさんはずっと源氏物語を研究されていて、好きが高じてカルチャーセンターで講師を務めるまでになったというお話も聞いた。どおりで雅で知的な雰囲気が漂っていたわけだ。

 

そうか、ベランダで空を見ていたときは、光源氏のことを思っていたのかな。いや、それもあるかもだけど、多分、ふたりのお嬢さんのことを思っていたのだろう。

 

空の青さ。飛ぶ鳥の美しさ。季節は移ろって・・・

 

早くに巣立ってしまったのだなあと、可愛らしかった幼いお嬢さんたちの姿を、きっと改めて思い出したのだ。寂しさ、愛おしさ、切なさが日に日に募っていったのかもしれない。そばで暮らせるものなら、そりゃあそうしたいよね。

 

元々、Tさんは東京の大学(女子大の最高峰)を出ていらっしゃるから、彼の地で暮らすことにも抵抗はなかったのだろう。むしろ、懐かしさの方が大きかったかも。

 

いろいろ納得して、幸せを祈りながらお別れしたのだった。でも、もっと仲良くしてたくさんおしゃべりをしておけば良かったなあと、そのとき私は心から思った。

 


5年前に、私たちもあの集合住宅を去った。思い出があり過ぎて、引き渡しのときはさすがに万感胸に迫るものがあったなあ。

 

たくさんの方にお世話になって、幸せな子育て時代を送ることができたと、今も感謝とともに思い出す場所である。

 

Tさんとは、この10年あまり、年賀状での交流が続いている。今ではカルチャーセンターの講師のみならず、大学の非常勤講師もされていて、ご活躍が眩しく嬉しい。

 

昨年は母が亡くなったため、年賀状は書かず喪中はがきを出した。すると、ほどなくしてTさんから長いお手紙をいただいた。思いやりに溢れた、優しく温かいお手紙を。

 

崩し字の達筆。ああ、母と同じだ。

 

どことなく母との共通点があるな、と、実はかねてから思ってはいたのだが、その字を見て、文章を読んで、私の母とやはり少し似ているのだと感じた。

 

Tさんとは全く面識のない母だけど、なんだか紹介したくなってしまい、母の遺影の前にそのお手紙を置いた私。

 

一昨日、拙い字の横書きだけど、お返事の寒中見舞いをTさんに出した。私のことももっと知ってほしくなり、長い長い手紙になった。少しだけ、母に手紙を書いている気分にもなった。

 


人生は出会いと別れの繰り返し。でも、この年齢になってくると、もう出会う数より別れる数の方が多くなっている気がしてならない。

 

そして、ご縁があって出会った人はたくさんいるが、出会った人全てが好きになるわけではもちろんない。また、出会って好きになった人全てに、好きになってもらえるわけでもない。

 

そんな中で、ほんのり相思相愛とも言える、うっすらとでも何か惹かれ合っている人とのご縁がある。しかもそれが続いている。

 

これって人生に彩りと輝きを与えてくれる、ひとつの宝物なのではないだろうか。
大事に、したい。

 


大変な世の中になってしまっていて、暗く沈みそうになりがちだけど、小さくても力をくれるもの、光を当ててくれるものは、日々の中に必ずある。また、小さくても誰かに力をあげられるもの、光を当ててあげられるものも、自分の中にきっとあるはず。

 

見落としがちな小さな小さな宝物。幸せのかけら。楽しみの種。見つけて大事にしていけば、明日はもっと良くなっていく。

 

信じて、口角を上げて、今日も機嫌よく生きようと思う。

 

 

今年の初投稿です。久し振りの更新となってしまいました。
喪中のため新年の明るいご挨拶は控えますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
コロナ禍がおさまらず、また厳しい寒さが続く日々ですが、どうぞ皆さま、心身ご自愛くださいませ。
からだもこころも、大事にしましょう。守りましょうね。

 

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刺しゅうの雑誌を買ってみたら・・・

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あっという間に師走ももう半ばである。気分だけは慌ただしいが、なかなか動きが伴わない日々。

 

世の中は相変わらずコロナで、先の見通しが立たず、年末年始の計画も宙ぶらりん。家の中のことなど、今できることをやっていこうと思うのだが、気持ちが乗ってこない。

 

といって、娯楽に流れるほど度胸もない。「遊んでる場合じゃないでしょ」という鋭い声が、自分の中から聞こえてくる。

 

ああもうほんと、12月ってやっかいだ。

 

そんな私を落ち着かせてくれたのは、刺しゅうだった(これは遊びではない。薬っ!)

 

11月に予約注文して届いていた「リンネル特別編集 素敵な刺繍生活」。その付録、刺繍スターターキットを使って、私の好きな刺繍作家atsumiさんの、それはそれは可愛らしい図案を刺してみた。

 

リンネルは好きだし、atsumiさんの図案も好きだし、宮﨑あおいちゃんの語る刺しゅう愛も読んでみたいし、キットの内容にも興味あるし。で、買わない選択はなかったのだった。

 

ただ、いろいろ用事が重なり忙しく、手が付けられずに放置していて。

 

ちょっと久しぶりの刺しゅう。さあ、いよいよ取り掛かろうと思って付録を開けてみたら、キットの布に図案の印刷がない。

 

あれ?トレースからしなくてはいけなかったのね、と少し残念な気持ちになった。

 

「付録だけでゼロから刺せます」と書いてあったので、てっきり布には図案が印刷されているものと、勝手に思い込んでいた。写真をよく見ればわかったのにね。

 

刺しゅうの枠や針、糸、布はキット内容に含まれているけど、トレースの材料は含まれていない。図案を布に写すためには、トレーシングペーパーやチョークペーパーなどの材料を用意する必要がある。私は持っていたけど、初心者さん向けというなら(私も初心者みたいなものだけど)あまり親切とは言えない。そこで立ち止まってしまう人がいそうな気がする。

 

それから、布の織り糸が思ってた以上に硬くて太い。狙った位置に針を刺すのがちょっと難しく、細かいステッチには辛かった。慣れている人なら、どうということないのかもしれないけれど、私には少し難易度が高かったかな。

 

そうはいっても、とにかくデザインが可愛くて、刺しゅう糸の色も素敵。針を持っている間中、気分が上がった。仕上がれば、出来はともかく(笑)本当に嬉しい。そして、次は何を刺そうかな、という気持ちになる。

 


ところで、リンネルとほぼ同時に購入したのが「ステッチイデーvol.32」だった。刺しゅうの定期刊行物があるということを何かで知り、どんな感じなのかずっと気になっていたのだが、今回初めて買ってみた。

 

これが、すごく充実した内容でびっくり。

 

52点の作品の写真と図案が掲載されていて、綴じ込みの実物大図案(2色刷りの大判)が付いている。特集の「モノトーンのクロスステッチ」を始め、どのページも美しく見やすく、ステッチのワンポイントアドバイスとか刺しゅうの基礎のコーナーもわかりやすい。テーマに沿った読み物もいくつかあり、興味深いコンテンツが盛りだくさん。

 

私はフランス刺しゅうが好きだったのだが、そんなに興味のなかったクロスステッチにも関心を持つようになったし、刺しゅうの種類も本当にいろいろあるのだと、この雑誌を通して知ることができた。

 

イタリアの伝統刺しゅう「プント・アンティーコ」の緻密な美しさには、心が震えた。西暦800年頃から行われていた手法だそうだ。

 

ルーツはシチリア島だけれど、オリエント文化の影響も受けている。長い歴史の中で成長し、洗練されていった手工芸のひとつなんだね。

 

それにしても、なんて気品があり、かつ柔らかい優しさを感じさせるんだろう。素敵、としか言いようがない。実物を手に取って見てみたい。

 

こぎん刺しの作品もいくつか掲載されていた。日本の伝統刺しゅうも、本当に素晴らしい。調べていったら奥が深くて面白いだろうな。

 

刺し子(日本三大刺し子は「津軽こぎん刺し」「南部菱刺し」「庄内刺し子」)には、実は昔から心惹かれるものがあった。インテリアや手持ちの服に合わないと、これまでなんとなく遠ざけていたのだけど。

 

ついに先日、刺し子ふきんを作ってみようと決め、手芸店で布と糸と針を入手した。ふきんとして使わないかもしれないけど、とにかく心惹かれるのだから、経験してみようと!

 

私のこの行動。見ようによっては、なんだか全てが中途半端だという気がしないでもないが、今の私はおそらく「極める」ことがしたいのではなく、「やってみたい」思いを大事にしたいのだ。

 

今やってみたいのは、自分のオリジナルの図案で刺しゅうをすることと、興味を持った他の刺しゅうの技法に、できる限り触れてみること。刺しゅうに関しては、そのふたつ。どちらもすごく、ワクワクする。

 

これまでは、刺しゅうの本といえば、好きな作家さんや気になった作品が載っている図案集を買うという発想しかなかった。でも、こんな風に興味の世界が広がっていく雑誌を買う、というのも楽しいことだと知った。広告の多さは仕方ない。関連の物がほとんどなので、それもまた楽しいし。

 

このようにやってみたいことばかりが増えて、自分の人生の残り時間が追い付くのか、まあ甚だ怪しいけれど、やりたいことがないよりは随分いいよね、きっと。

 

それに、刺しゅうの場合、やりたいことを複数やっていく中で、相乗効果というのは必ずあると思う。(プント・アンティーコを引き合いに出すのはおこがまし過ぎるけれど)デザインの発想への影響とか、刺し方の応用とか、違う技法をコラボレーションするとか。あれこれ試していくうちに、絞られたりミックスしたりして、自分の独自の道を見つけられるかもしれない。

 

もちろん、針扱いに慣れてくれば、技術の向上も期待できる。
・・・と、思う。・・・思いたい。

 

問題は、隙間時間にやると決めていても、楽しくなってくると、やめ時が難しいことだ。どんな趣味でもそうかもしれないね。時々、昼食を抜いてしまう。笑

 

さて、初挑戦の刺し子、上手くいくかな。手始めは、Instagramで見かけてからずっとトライしたいと思っていた「霰亀甲(あられきっこう)」という模様。とても楽しみだ。

 

初めてなので、まずはやり方から調べなくてはね。インターネットの時代で助かった!
(何冊も本は買えない。←小さい声


✻今回購入した雑誌は以下の2冊です。


リンネル特別編集 素敵な刺繍生活 (TJMOOK)



ステッチイデーvol.32 (Heart Warming Life Series)


✻今年の始めは、上手になることを熱望していました。↓

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ノスタルジックな気分と幸福感―クリスマスの飾り付けに思う

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11月は、週末をいつも次女と過ごしている。一緒に買い物に出掛けたり、カフェに行ったり、彼女が家に泊まったり、私が彼女の部屋に行ったり。

 

去年の暮れに、同じ県内でひとり暮らしを始めた次女。当初はよく会っていたのだけど、その後コロナ禍で会えない時期が長く続いた。

 

✻次女のひとり暮らしについて書いた記事はこちら↓

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その間、母が亡くなったことを始め、いろいろな出来事があり、電話やLine、ビデオ通話はしていたものの、会って話せないもどかしさを感じ続けた。

 

まるでその反動であるかのように、最近はよく会っている。
・・・でも多分、反動だけではないのだと思う。

 

「またずっと会えなくなるかもしれない」という思いが、この不穏な世の中を生きていくうちに、心の中で育ってしまったのではないか。そんな気がしている。

 

次女は、わりとさっぱりした性格で、お見送りをされるのもちょっと抵抗あるような子だったのに、先週は自分のマンションから帰って行く私の背中を見て「追いかけたい衝動を抑えた」のだと、一昨日打ち明けてくれた。

 

どうしたどうした、あなたらしくない、と笑いながらも、次女の心の中を占めている不安や心細さが、こちらの胸にダイレクトに届き、目の奥が熱くなってしまう私だった。

 

・・・会いたい人に、会いたいときに会えるという、普通のこと。
それが不可能になることもあるのだと、誰もが思い知らされた今年。

 

11月も終わりに近づき、寒くなった。5時を過ぎるともう真っ暗になる。晩秋から冬へ向かうこの季節も、不安や寂しい気分に拍車をかけているのかもしれない。

 


夜のとばりが下りきる前にカーテンを閉め、照明をつけるとほっとする。一昨日からは、クリスマスツリーの電飾にもスイッチを入れるようになった。泊まりに来ていた次女が、帰る前にセットしていってくれたのだ。

 

自分がしたいから、と言っていたけど、きっと、私のためなんだと思う。この季節に、寂しくならないように、華やいだ気分を楽しめるようにと、親思いの娘が巣立った家を明るく飾り付けてくれたんじゃないかな。

 

自分が寂しさを感じるとき、自分の大事な人も寂しがっているのではないかと、多分、次女はそういう風に思いを広げる。彼女はよく「お母さん、寂しくない?」と心配そうに聞いてくるので、私はその優しさのみなもとを思い、頭を撫でてしまう。

 

それでも、次女は本当に楽しそうに飾り付けをしていた。「昨夜のウーバーイーツ、良かったね♬」なんてはしゃぎながら。飾り方の細かい所に工夫がみられる。そこを楽しんでいるらしい。

 

私も、娘と先日イケアで買ったLEDのイルミネーションライトを、壁に取り付けてみた。オーナメントボールもドア枠にぶら下げてみる。キラキラして、とても美しい。

 

なかなか、可愛いかも。素敵かも♬

 

自然に笑顔になってきた。クリスマスの飾り付けをする、という行為には、メンタルへの効用もありそうだ。

 

リビングに。玄関に。娘たちが生まれてから、何度も何度もクリスマスの飾り付けをしてきたなあ。毎年、忙しいけれどこの季節が楽しみだった。そこには必ず、家族の笑顔があったから。

 

はしゃいだムードにそぐわない大変な年も何度かあったはず。でも、不思議とそれは思い出さなくて。ツリーやリースを見れば、いつもふたりの娘や夫の、楽しそうな顔と結びつく。マライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You」とともに。

 


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それから、小さかった私と弟、若かった父と母。昔、住んでいた家の景色もよみがえってくる。

 

郷愁とか、昔を懐かしむ思いを「ノスタルジー」と言うけれど、まさにそんなノスタルジックな気分が、クリスマスの飾り付けをすることで呼び覚まされるようだ。

 

そのノスタルジーに含まれている哀愁は、哀しい色は抑えられていて、優しさや華やぎが温かみを帯びて輝いている。

 

だから、幸福感をもたらしてくれるのだろう。それは気付かないほどの小ささ、かもしれないけれど。たとえ小さくても、ストレスの多い今年は特に、クリスマスのデコレーションが果たしてくれる役割は大きいのではないかと思う。

 

次女も今、自分の部屋をクリスマスモードに模様替え中だという。長女のところでも、去年作ったあのクリスマスタペストリーが、そろそろ飾られる頃かな。

 

遠く離ればなれになってしまっても、お互いを想う気持ちは変わらない。それぞれがそれぞれの場所で、クリスマスを待つ楽しみを味わい、幸せな気持ちを大事にしていけたら、と願う。

 

それにしても・・・

会いたい人に、会いたいときに会える。不安なく。
そんな世の中に、早く戻ってくれないものか。
感染拡大のニュースに、今日もため息が出てしまう。

 

クリスマスまで、あと1か月。


✻これまでに書いたクリスマス関連の記事はこちらです↓

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父とふたりで、母の思い出のレストランへ

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久しぶりに、ハンカチにアイロンをかけた。

 

え。何年ぶりだろう。
昔は家族4人分のハンカチに、毎日のようにせっせとアイロンをかけたものだった。夫がパイル地のハンカチを愛用するようになって以来、我が家ではアイロンの必要なハンカチは日の目を見なくなっている。

 

いつからか、ハンカチの必要なシーンも減った。
商業施設でも、駅やサービスエリアでも、トイレには手を乾かしてくれるハンドドライヤーが、普通に装備されてきて。

 

もっとも最近はコロナのため使えないようにされていて、またハンカチが活躍しているが、それはダブルガーゼやパイル地の、アイロンをかけなくて済むハンカチだ。

 

綿ブロードの大きなハンカチにアイロンをかけるのは、正直言って面倒だった私。でも、パキッと四隅の角が際立ち、大小のしわが伸びて、生き返ったようにカッコよくなった姿を見るのは好きだった。

 

昨日、アイロンをかけたハンカチは、母のもの。先週、また清水の実家に行って、諸々父の手伝いをしてきた折、帰りにもらってきた、言わば“母の形見”のひとつ。ちょっとしたエピソードのある品だったので、持ち帰って洗い、アイロンをかけた。

 

母は昔からハンカチが好きで、出先で気に入った柄を見つけるとすぐに買っていた。人からもよくもらっていたし、あげてもいた。私もこれまで何枚も母からハンカチをもらった。新品のまま引き出しの奥に眠っているものもいくつか。

 

「なんで、そこまでハンカチが好きだったんだろうね」
と、父と笑ってしまうほど、あの家には母の膨大なハンカチコレクションがある。

 

宝石とか香水とかには、まるで興味がなかった母。でも、ハンカチには目がなくて。特別な思い入れでもあったのだろうか。今となっては知るすべもないのだけれど。

 

「お金のかからない趣味で助かったね、お父さん」
と父を見れば、苦笑しながらも頷いている。懐かしそうに遠くを見る目をした父は、ふと私を見て、こう言った。

 

「どうだ。カレー、食べに行くか?」

 

父は、母が結婚前に母の父(私の祖父)と時々訪れていたという、老舗のレストランに私を誘ったのだった。母の写真も連れて行こう、と嬉しそうだ。

 

父と母の結婚前に、母方の祖父は病気で亡くなった。だから、私は祖父に会ったことがない。どんな人だったか、母からも聞いたことはなかった。

 

そもそも母は、自分の家族のことをあまり私に話さなかった。9人兄弟の三女で、戦時中、空襲のときに末の妹を背負って逃げた話だけは別。それは、とてもよく覚えているけれど。

 

炎に包まれた町を走り、妹を背負ったまま用水路に落ちて、もうこのままふたりして死ぬんだと思ったとき、見知らぬおじさんが引き上げて助けてくれたと。映像が目に浮かぶくらい、リアルに教えてくれた。母がまだ、10歳のとき。多分、私が同じ年の頃、繰り返し話してくれたのだと思う。

 

でも、その話くらいかな、強く印象に残っているのは。件の末の妹のことを、母は最期までとても愛していた。家も近いので、ずっと仲良しだったようだ。私も一番親しい叔母として、昔も今も大好き。

 


「お母さんのお父さんって、どんな人だったの?」

 

母の大切な思い出の店で、その店の看板メニューであるカレーを待ちながら、私は父に聞いてみた。父も、母との交際中に数度会っただけだから、あまりよく知らないのかもしれない。

 

「真面目だけど、なかなか面白いところもある人だった」

 

なんじゃそりゃ。イメージがまるで掴めない。笑

 

終戦までは職業軍人だったと聞いていた。戦後は、地元の大手の企業で働いていたそうだ。空襲で全焼した家をちゃんと建て直し、9人の子供を育て上げたのだから、会ったこともないおじいちゃんだけど、「すごいね」と言いたくなる。

 

母が結婚する前というのは、日本は戦後復興期から成長期へ向かう頃か。田舎だった清水も、それなりに華やいだ雰囲気に包まれていたのかなあと、想像する。

 

それでも、当時はレストランに食事に行くことは、きっととてもスペシャルなことだったはずだ。

 

父親と港町の洋食屋にカレーを食べに行く。そんな晩は、若き母はきっと、うきうきと心弾ませていたことだろう。嬉しそうな母の顔が浮かび、私は胸が熱くなった。

 

そのお店、「サンライス」さんは大正10(1921)年オープン。創業99年だと知った。戦前から続く老舗洋食店だったのだ。

 

オープン当初はどんなお店だったのかな。今と違って、カレーもハイカラなご馳走だっただろうから、お客さんも特別な思いでテーブルに着いていたのかも。

 

それは、60数年前くらいだって、きっとそうだよね。ああ、母に聞いて確かめたいなあ。おじいちゃんと「サンライス」さんに行くのは、すごく楽しみだったんでしょ?と。

 

現在は「エスパルス通り」だけど、当時は「波止場通り」。船長、パイロット、税関職員などが連日訪れた、と書いているサイトもあった。往年の賑わいが偲ばれて、ちょっとロマンを感じてしまう。

 

もちろん何度か改装されているのだが、レトロな雰囲気も感じられる、なかなか素敵なレストランだった。店内には、フランス鴨の燻製室なんていうのもあって、ちょっと驚く。カレーも美味しかったけど、今度はコース料理を頼んでみたいな。

 

お店にいらしたマダムは、いったいおいくつなのか。88歳の父が、若い頃にここへよく来ていたことを話すと、息子でも見るようにニコニコと聞いておられた。

 

そう、父も清水で働いていた頃は、よくランチでこの店へ来ていたらしい。母と祖父のここでの食事にも、誘われたことが一度あったそうだが、仕事で行けなかったと残念がっていた。きっと、祖父も残念だったよね。

 

・・・いや、ほっとしたかな?
当時、父は母の恋人だったのか。うーん、変な感じ。笑

 

父も母も、清水っ子で、私は清水生まれだけど清水のことは何にも知らない。今年はそんな複雑な思いを何度もしているなあ。

 

✻清水と私のことは、こちらで書いています↓

tsukikana.hatenablog.com

 


母は、もしかしたら、娘の私にはあまり自分の昔のことを知ってほしくなかったのかもしれない。私たちはわりと仲の良い母子だったと思うが、話してこなかったということは、その内容について知ってほしくない、ということなのかも。

 

私も自分の娘には、私の過去について話したいこと話したくないこと、あるものね。別に知られて困るわけではなくても、あえて知らせることでもないか、という感じで。

 

だから、母の昔のことも、清水に行くと周囲の人につい取材みたいに聞きたくなってしまうけれど(職業柄?)、ちょっと抑えておこうかとも思っている。父が、ポツリポツリと話してくれるのは、とても嬉しく聞いちゃうけどね。

 


アイロンをかけた母のハンカチ。それは、十数年前の母の日に私があげたプレゼントの、おまけの方だった。メインのブラウスは若い人向けのデザインで自分には合わないと、その年の夏に私に戻されたのだ。母はそういうところ、合理的な人。

 

でも、大判のハンカチは気に入っていて、「ネッカチーフにしてるの」と言っていた。

 

ネッカチーフ。昔、そんな言葉があったっけ。首に巻く小さなスカーフだね。

 

そのネッカチーフが、母の普段使いの服を入れているカゴの中にあった。そのカゴの中身を整理してほしいと、今回父に頼まれ、見つけたのだった。ずっと、愛用してくれていたのかなと、思わず微笑んだ私。

 

シビラのハンカチ・・・
当時、頸椎の手術をして入院中の母に、元気を出してもらいたくて選んだ色と柄だった。

 

少しも色あせていないし、シミひとつない。大事に使ってくれていたんだね。

 


母が亡くなって間もなく半年がたとうとしているが、母への恋しさは増すばかりで、いつも話し掛ける時、はじめは笑っていても、しまいには涙声になってしまう。

 

会いたいよ・・・
声が聞きたいよ・・・

 

そして、母の85年の人生を、きれいに包装してリボン掛けしているような気分が、ずっと続いている。大変なこともたくさんあった人生だけど、母は幸せだったのだと、強く信じたいのかな。それは、私のエゴかもしれないね。

 

遺影の母は、呆れているようにも見えるし、慈悲深く見つめてくれているようにも見える。

 

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